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隠されていた名前

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 遥か上空に投げ出された体。全身を叩きつける風。多少の魔法は使えるけど、こんなに高度がある場所で飛ぶ魔法なんて知らないし、そもそも恐怖で魔力が練れない。

「こ、これ!? どうすれば!?」

 やっと出せた声もあっという間に空へ消える。

「そういえば、幼女は!?」

 私に抱きついていた幼女がいない。
 慌てて周囲を探すと、すぐ隣に帽子を手で押さえて一直性に落下していく小さな体が。

「危ない!」

 思わず叫んだところで全身が見えない何かに全身を弾かれた。

「へ?」

 体がぽよん、ぽよん、と何もないところで跳ねながら進む。しかも、ボールのように軽く飛ばされ、その先にあるのは空に浮かんだ島。

「ちょっ!? これ、どういうこと!?」

 トランポリンの上で跳ねているような、でも自分ではどうすることもできない状況。自由落下よりマシだけど、これからどうなるのか予測ができない。
 そんな私に冷淡な声がかかる。

「どういうこと、とは?」

 声の方へ視線をずらせば、フードを手で押さえて優雅にジャンプしながら移動している青年。

 水色の瞳が不思議そうに私を眺める。この反応はラディと同じだ。たぶん、この世界の人にとっては普通のことなのだろう。

「どうして、何もないところで体が跳ねるの!?」
「何もないことはないですよ。ちゃんと魔力の網があるでしょう?」
「魔力の網?」

 目を細めて魔力を探ると、空に浮かぶ島にむかっていくつもの網が見えた。

「島には空から落ちるか、地上から虹をかけないと行けませんから」
「地上から虹をかけるほうが良かったのですが!?」

 心臓に悪いと苦情を言えば青年が軽く肩を落とした。

「それをすると、ラディウスに見つかる可能性がありましたので」

 その名前にドキッとする。私が知っている名前と微妙に違うけど、たぶんラディのことだろう。

「それが、彼の本名なの?」
「そうですよ。知らずに一緒にいたのですか?」

 当然のような返事に私は胸がキュッとした。

(私はラディの本名さえ知らなかった……)

 寂しいような、悲しいような……虚しさが広がっていく。

(そういえば、ラディは私をこの世界に召喚した理由も教えてくれていない……)

 紙に落ちたインクのように沁み込んでいく不審。じわじわと広がり、心の中でシミになっていく。でも、どこかに信じたいという気持ちもあって。

 考える時間を浚うように、徐々に近づいてくる島。

 地上から見上げるよりずっと大きく、湖と森と草原がある。湖から小川が流れ、島の端から滝のようにキラキラと水が流れ落ちている。その中心にはギリシャ神殿のような太い柱で作られた真っ白な建物が並ぶ。

「こちらへ、どうぞ」

 青年が導くように手を動かす。
 すると、ポンポンと跳ねていた体が見えない布に包まれ、滑るように移動を始めた。

「え?」
「このまま社交館サロンへ行きます」
社交館サロン?」
「はい。そこで話をしましょう」

 森の上を抜け、草原を滑り、ふわりと建物の前に着地する。

「ふわぁ……」

 白亜の神殿のような建物は荘厳すぎて思わず声が漏れてしまった。
 等間隔に並ぶ真っ白な柱。その廊下はピカピカに磨かれた大理石。それが永遠と続く。

「こちらへどうぞ」

 そう言って青年が歩き出した。その態度は淡々としており、好意も悪意も見えない。
 話を聞くと決めたけど、まさか空に浮かんだ島に移動するとは思わなかったし、何かあっても簡単には逃げられない。

(このまま建物に入っても大丈夫なのだろうか……)

 戸惑う私の手に温かなものが触れた。視線を落とすと、小さな手がしっかりと握られていて。

「ほら、いきまちゅますよ」

 可愛らしい顔をキリッとさせた幼女。その柔らかな感触が。もちもちとした手触りが。不安な心をほぐしていく。

「はーい」

 緩んだ表情で返事をするとピンクの瞳がキッと見上げてきて。

「返事は短く、はい! ですでちゅよ!」

 と注意してきた。でも、その姿が可愛らしすぎて、ますます顔が緩む。

「はーい」
「もう! ちゃんと聞いてますまちゅか!?」
「聞いてるって。ほら、行こう」

 私はぷりぷりと怒っている幼女の手をひいて青年の後を追いかけた。


 永遠に続くように見えた廊下だったけど、意外と終わりは早くて。

「……すごい」

 天井に空いた円形の穴。そこから太陽の光と草の蔦や色とりどりの花が垂れさがり、その真下に大きな円形のテーブルと四つの影がある。

(……人?)

 パッと見は人間の容姿をしている。けど、細かく見ると……

「遅かったわね。その子が『星読みの聖女』?」

 長い真っ赤な髪をポニーテールに結んだ人が立ち上がった。

 訊ねた声は低いけど、口調は女性。吊り上がった目で私をジロジロと観察する。背が高く、立派な体格で、一見すると女性か男性か判別がつかない。

 けど、それより気になったのは肌。

 顔や手は私と同じ肌だけど、服の下から覗く部分はトカゲのような鱗の形をしている。

 驚く私を置いて青年が被っていたフードに手をかける。

「すみません。やはりラディウスが関わっていたようで、邪魔をされました」

 フードの下から現れたのは、真っ白な髪と、その隙間から……

「エルフ!?」

 漫画や映画で見たことがある、とんがり耳。前の世界でも希少な存在として尊ばれていたけど、実際に見たことはなかった。

 アイドル以上に希少で貴重な存在に目が丸くなる。それから私は自分の手を握っている存在を思い出した。

「……もしかして、あなたも?」

 私の問いに、幼女が不思議そうに首を傾げながら大きな帽子をとった。ピンッを顔を出した、とんがり耳。

そうですしょうでちゅけど?」

 まっすぐ見上げてくる丸いピンクの目。無垢な瞳をした完璧な幼女な上に、伝説級の存在であるエルフ。なんか、もう、崇めたくなる。

「とりあえず、拝ませて」

 膝を床について幼女の手を両手で包み込んで、ありがたや~と祈る。

「なんですでちゅか!?」

 困惑した可愛らしい声が響くが私は別のことを考えていた。

(もしかして、エルフのショタもいるのかしら? 幼女でこれだけ可愛いんだから、ショタだと……会った時には鼻血を噴き出さないようにしないと)

 まだ見ぬ未来を楽しみにする私。
 しかし。周りはドン引きしていた。

「本当に、これが『星読みの聖女』なの?」
「……ちょっと自信がなくなりました」

 混沌とした状況に別の声がかかる。

「うーん。よくわからないけど、とりあえずお嬢さんは祈るのを止めて、ボクたちのお話を聞いてもらえないかな?」

 その声に顔をあげると、私の横に麗人が立っていた。

 ショートカットの真っ青な髪。涼やかで切れ長の目。男性か女性か分からない中性的で整った顔立ち。スラリとした体はモデルのようで。

 目が合うとニコリと微笑みを向けられた。

「……タラシ?」

 綺麗な顔がキョトンとなる。

「タラシとは、どういう意味ですか?」

 麗人の表情からして、言葉の意味を聞かれたらしい。たぶん、この世界にタラシという言葉がないのだろう。

「えっと……外見や言葉で相手を惹きつけたり、魅惑したり? みたいな」

 本当はだまして誑し込むという意味もあるけど、それは言わないでおく。

「別にボクはそういうつもりはないんだけど」

 すると、笑い声が近づいてきた。

「その言葉の通りなら、マレはタラシだな」
「えー。ボクは普通にしてるだけなんだけど」

 青髪の麗人が反論した先にいたのは、緑髪を刈り上げた青年だった。タレ目で、服の上からでも鍛えていると分かる逞しい体。けど、暑苦しい感じはなくて爽やかな雰囲気。
 ただ、耳の部分から魚のヒレのような物が生えていて……

 前の世界でも見たことがない容貌に呆然としていると、タレ目の青年が呆れたように肩をすくめた。

「その普通で、どれだけのヤツが落とされてきたか」
「でも、カエルムは落とされてくれないでしょ?」
「当然だ」
「もー」

 麗人が不満を口にしていると、鈴を転がすような上品な声がした。

「まあ、まあ。せっかくのお茶が冷めてしまいますし、こちらでお話をなさっては?」

 そう言ったのは背の低い少女だった。
 床まで届きそうな豊かな茶色の髪を三つ編みで一つにまとめ、糸のように細い目が弧を描く。華奢な体で、腰からは鳥の尾のような羽根が生えている。

 次々と現れる個性的な面々に頭がついていけない。

「さあ、あなたもご一緒に」

 そう言って席を勧められたが、個性的な面々に圧倒された私は口元を引きつらせたまま無理やり笑うしかなかった。


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