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無事、です。今のところは

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 日が落ちて、空がオレンジから濃紺へと色を変えていく。山の途中に点々と松明たいまつの火が灯りだした。

 窓から見えるその光景に、私は思わずため息をこぼす。

「まさか、今日の今日でこんなことになるなんて。もっと早く雑貨屋に行っていれば、手紙も早く受け取れていたのに」
「過ぎたことを言っても仕方ないだろ。それに、事前に知れただけでも十分だ」

 隣に立ったニアに私はどこかドキドキしながらも、それを悟られないように話した。

「それにしても、あのバカ王子はいくさにだしたらダメですね。あんなことをしたら、自分がどこにいるか教えているようなものなのに」
「敵側からしたら、どこにいるか分かりやすくて助かる」
「問題はそこです。実際のいくさでしたら、戦い傷つき死ぬのは兵士です。兵士を生かすも殺すも指示を出す者次第。上に立つ者が無能なら、それだけで罪なんです」
「策士より軍師か」
「ですから!」

 反論しようとした私の頭をニアが撫でる。

「今は戦じゃない。そんなに深く考えるな」
「……頭を撫でたら私が黙ると思っていません?」

 ニアが寂しげにフッと笑う。その顔に私の胸が跳ねた。
 今までニアはこんな笑い方をしていただろうか。なんだか、別人みたい……

 胸のドキドキを必死に隠していると、ニアが手をおろした。

「撫でたくなったから、撫でただけだ。嫌ならしない」
「えっ……」

 考えるより先に言葉が落ちる。なんて言えばいいのか分からない。
 無言の私にニアが困ったように眉尻を下げた。

「そんな顔するな」
「そんな顔?」

 鏡がないから自分がどんな顔をしているのか分からない。ニアがそっと私の頬に触れた。

「離れられなくなるだろ」


「!?!?!?!?!?」


 驚きは声にならず、空気だけが口から出た。まるで愛おしい、大事なモノを触るようにニアが私の頬を撫でる。

「すぐ戻るから、ここで待ってろ」

 ニアが私から手を離し、外をにらんだ。

「だいぶん集まってきたな」

 松明の火が家を囲むように暗闇に浮かび上がる。ニアはサッとカーテンを閉めた。

「終わるまで、ここから出るなよ」
「あの……本当に、大丈夫……ですか?」

 ニアが口角をあげる。見慣れたいつもの笑顔。その顔に少しホッとする。

「あれぐらいなら、問題ない」
「ですが……」

 自信満々なニアだけど、心配なものは心配。そもそも、この状況で心配するな、というほうが無理。

 私は勇気を出してニアの手をとった。

「どうした?」

 ニアが少し頬を赤くする。けど、それどころではない私は気がつかなかった。とにかく、コレを渡すので精一杯で。

「あの、これ……その、お守りに……」

 ニアが驚いたように私が渡したモノを見る。それは虹色に輝く雫型のガラス。それに銀の金具をつけてチェーンを通したネックレスだった。

「透明なガラスで作っていたのに、なぜか、そのような色になりまして……あの、キレイで珍しいですし、お守りにならないかなぁ、と」

 最後は恥ずかしさで言葉にならず、口の中でモゴモゴと言って終わった。
 ニアがしっかりと握りしめる。

「ありがとう」

 噛みしめるような優しい笑顔。

 私は恥ずかしくなり、うつむいた。ニアがネックレスを首にかけ、私の頭をひと撫でする。
 慌てて顔をあげた時には、ニアの背中がドアの向こうに消えていた。

 パタン。

 ドアが閉まる音が虚しく響く。ポツンと残された部屋。薄暗いせいか、いつもより寂しく感じる。

「どうか……ご無事で…………」

 祈るように呟いた声を聞く人は誰もいない。
 窓に視線を向けると、カーテンの隙間から外の様子が見えた。

 兵士が家の前の庭を囲む。その中心には、バカ王子ことグリッド。隣には、ニヤニヤと質の悪い笑みを浮かべた騎士が数名。
 私はその顔に見覚えがあった。たしかグリッドの級友で、家が爵位持ち。でも、学校の成績も剣の腕もいまいちだったような。

 記憶をさかのぼっていると、玄関のドアが動いた。ゆっくりとニアが姿を現す。
 そこにグリッドの隣にいた級友が魔法を唱えた。

『火の精霊よ、火球となり彼の者を燃やしつくせ』

 私は思わず窓に飛びつく。

「民に魔法を使うのは禁止なのに!」

 声はガラスに遮られ届かない。火球が勢いよくニアにぶつか……る前に弾けて消えた。

 よく見るとニアの胸元が柔らかく光っている。

「あれは、私が作ったネックレス?」

 全員が唖然とする中、グリッドは忌々いまいましげに言葉を吐いた。

「平民のくせに珍妙な魔道具を持ちやがって。まあ、いい」

 グリッドがニアを指差す。

「私の婚約者を誘拐した賊め! 正義の裁きを受けるがいい!」

 私は思わず頭を抱えた。これ・・も『聖女と悪女』の芝居の有名なセリフの一つ。主人公の王子がさらわれた聖女を一人で救いにいく場面。
 また・・主人公になりきっているらしいけど、ニア一人に対して、これだけ兵士引き連れて。カッコ悪いとしか言いようがない。

 しかし、グリッドは子どものようにポーズを決める。一方のニアは胸の前で腕をくみ、大人の余裕で受け流した。

「オレは誘拐などしていない。まあ、あれだけ努力家で、素直で、頭がいい女だからな。誘拐したと難癖つけて取り返そうするのも分かる」

 あれ? 私、ちょっと褒められた?

 こんな状況なのに嬉しくなってしまったが、次のニアの発言に私は言葉を失った。

「だが、大衆の前で婚約破棄をして大恥をかかせ、それを謝罪しない。それどころか、勝手に婚約破棄をなかったことにして婚約者を名乗るとは、どういうことだ? 自分が言ったことも覚えていない、鶏頭か? いや、それだと鶏に失礼だな。鶏のほうが、まだ頭がいい」

 窓ガラスごしでも、ニアの静かな怒りをヒシヒシと感じる。しかし、私は別の意味で震えた。

 グリッドの顔が羞恥で真っ赤になっている。グリッドが救いようのないバカとはいえ、この国の王子。いくら事実でも、面前で言ってしまえば不敬罪で首を飛ばされる。

 グリッドが怒りで震えながら剣を抜いた。

「貴様! 自国の王子の顔も知らんのか! 痴《し》れものが!」

 わめき散らすグリッドをニアが鼻で笑う。

「鶏頭以下が王子とは、民も苦労するな」
「こぉのぉ、どこまでも愚弄ぐろうするか! その罪! 死をもって償え! かかれ!」

 グリッドの号令で兵士たちが一斉にニアに襲いかかる。王子直属の兵士だけあり、統率がとれた連携攻撃を繰り出す。

 しかし、ニアはそれをすべて紙一重で避けていた。まるで次にくる攻撃を知っているかのような余裕の動き。しかも、そこから一人一人の動きを見極め、確実かつ丁寧に攻撃をいれていく。

 一人、また一人と減る兵士。気がつけば兵士は半分以下。

「このまま勝てるかも」

 喜ぶ私の背後で鎧がこすれる音がした――――――――
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