6 / 12
そうだ、城出(家出)をしよう!
しおりを挟む
怒りに任せて食堂から飛び出した私。レオが追いかけてくる様子はない。
「わかってたけどね!」
私はドスドスと足音を響かせながら歩いた。
もとの世界に戻る方法は見つかりそうにないし、文化や生活の違いからか、すぐにイライラする。余裕なんて、どこにもない。
そこにレオのあの発言。
「レオだけは違うって、思っていたのに……って、ダメ! ダメ! 私が勝手に期待しただけなんだから!」
足取りが重くなり、気持ちも沈んでいく。
「レオは、なにも悪くない……悪くないのに」
誰も悪くない。悪くない、はず……なんだけど。誰かのせいにしないとやってられない。
乾いた風が私の髪を揺らし、頬を撫でた。窓の外に視線を向ければ、雲ひとつない青空。
「そういえば、城から出たことなかったなぁ」
自由に動いて良いとは言われたけど、城の中しか歩いたことはない。すぐそこに街があるのは知っているけど、窓から眺めるだけ。
「よし! 家出しよう! この場合は城出かな? ま、いいや。ラビ」
「はい」
空気のように私の後ろを歩いていたラビが答える。
「普通の服ってある? 街のみんなが着ているような服」
今の私はたぶんかなり高級な服を着ている。肌触りが良い上質な布に、繊細な刺繍や飾りが施された民族衣装。動きやすいデザインだけど、汚したり破れたりしたら……と考えてしまう。
あと、いらない視線を集めて買い物もできないかも。
「用意できますが……本気でしょうか?」
「なにが?」
「本気で城出、とやらをされるのですか?」
「城出って言っても、夕方までには戻るから」
戻るという言葉にラビの緊張が緩む。その様子に私は軽く笑った。
「大丈夫よ、逃げたりしないから。私の肩にウサギ族の運命がかかってるし。それに……逃げる場所なんてないし」
知らない世界で一人で生きていけるほどの技術も技量もない。結局、私が生きられる場所はここしかないのだから。
ふと顔の横に垂れた黒いもふもふの耳が目に入る。私と一緒にトラックにひかれた黒ウサギと同じ……むしろ合体したような。
「みんな、どうしているのかなぁ」
ジメッとした蒸し暑さを思い出す。過ごしにくい夏だったけど、懐かしい。無性に戻りたくなる。
「実家に帰らせていただきますって、こういう気分なのかなぁ」
「実家? ですか?」
私がこぼした声をラビが拾う。私は苦笑しながら説明した。
「結婚して一緒に暮らしている夫婦が喧嘩とかした時に言う言葉。距離をあけたいから自分の親の家に帰るってこと」
「結婚する仲なのに距離をあけるほどの喧嘩をするのですか?」
「ウサギ族は結婚したら喧嘩しないの?」
「いえ。喧嘩はしますが、そこまで大きな喧嘩はありません」
「じゃあ、離婚とかしないの?」
無表情が通常運転のラビが茶色の目を大きくする。
「ウサギ族が? 離婚? ありえません」
「断言できるの!? どうして?」
私の質問にラビが一瞬、天井に視線を向けた。それから私に近づき、小声で説明する。
「ウサギ族は番を決めると、そのまま一生添い遂げます。相手が亡くなっても再婚しません」
「番? なにそれ? どうやって、そんな相手を見つけるの!?」
「どうやって……と言われましても。なにか、こう、相手が運命の番なら一目で分かるそうです。私は会ったことがないのでなんとも言えませんが」
「運命……ね。でも、今まで番の話なんて聞いたことないんだけど」
「ウサギ族には当たり前な話ですし、そもそも内密なので」
「内密? どうして?」
ラビが視線を伏せる。
「ウサギ族は番を何より大事にします。ですが昔、他種族がそれを逆手にとり、あるウサギ族の番を次々と誘拐して脅しました。抵抗することができなかったそのウサギ族は一方的に殺され絶滅しかけたそうです。それ以降、番について他種族には秘密となりました」
まさか、絶滅までしかけていたなんて。
「ただのロマンチックな種族じゃなかったのね。あ、もしかして、ココちゃんはレオが運命の相手じゃないから結婚を嫌がったの?」
「……はい。ココ様は番と出会っているそうなので」
「は? その状況でレオと結婚させるほうが間違いじゃない。ウサギ族の族長は何をしてるの?」
「族長はココ様の訴えを聞き流したそうです。なんでも、ココ様の番が族長と仲が悪い相手の息子だったそうで」
私は思わず声を荒らげた。
「なにそれ!? 族長の私情!?」
「はい。それで周囲も同情しまして。番と死別したウサギ族の女性がココ様が交代する、と名乗りをあげました」
「それなら、最初からその女性を結婚相手にすれば良かったんじゃない?」
「初婚という条件がありましたので」
「そういう条件があったなら仕方ない、か」
もやっとするものを感じながらも私は呑み込んで肩を落とした。
「むしろ、ここまで条件が悪い種族から嫁を出せって言うほうが無理な気がするわ」
けど、この身代わり話がなかったら、私は侵入者として捕まっていただろう。これも、ある意味運命なのかもしれない。そして、もとの世界に戻れないのも……
沈みかけた私は無理やり気分を切り替えた。
「よし。じゃあ、城出しよう」
「どういう流れで、じゃあ、になるのでしょうか?」
「気にしたら負けよ。行こ、行こ」
私はラビが用意してくれた服に着替えた。今まで着ていた服より頑丈な布で作られたワンピースのような服。飾りはなく、腰の部分を紐で縛るシンプルな形。
城を出入りする使用人に紛れ裏口からこっそり外へ。あまりにもすんなり出れたので拍子抜けしてしまうほど。
「え? こんなにあっさり外に出られるものなの?」
「獅子王より私が付いていれば城外への散歩は許可されてますので」
そう説明しながら視線だけで周囲を警戒するラビ。
人々が行き交う大通りを目的もなく二人で歩く。
「それだけ治安が良いってこと?」
「それもありますが、王妃の顔を知る者がいませんから。結婚式では民に王妃の顔を見せておりません」
そういえば身代わりとなったココと会った時、ベールを被って顔を隠していた。
「え? それで結婚式は大丈夫だったの?」
「はい」
「そっか。まあ、そのおかげで私は散歩できてるから深く考えないことにするわ。レオにとって私の相手はたくさんある仕事の一つ、なんだろうし」
「仕事の一つ、ですか?」
不思議そうに私を見るラビに肩をすくめて説明した。
「子作りも仕事の一つなんでしょ? 子どもさえできれば良いから、こうして自由に外に出ても良いんでしょ? 仕事だから私に興味なんてないし」
「本当に仕事の一つなら、ここまでの自由は許されないと思います」
「え?」
思わず声が出た私にラビが迫る。
「顔を知られてないとはいえ、危険はあります。それでも街へ出て良いと許可を出したのは、自由を奪われる苦しさを獅子王ご自身がご存知だからです。王妃となり今までの自由を奪われましたので、せめて買い物など気分転換が出来るように、と獅子王の計らいです」
「そこまで、私のことを考えて……」
レオは朝から晩まで仕事漬けなのに。私は自分のことで精一杯なのに。
私は市場の前で足を止めた。
「帰ろう」
「よろしいのですか?」
「うん。あ、でもレオにお土産を買ってからね」
「お土産とは? 初めて聞く言葉なのですが」
「ここはお土産の文化がないのね。えっと……プレゼントみたいなもの。そこでしか買えない特産品とかを買って帰るの」
「獅子王へのプレゼントにふさわしい品はこの辺りにないと思いますが」
目の前には木と布を張っただけの簡易の店が並ぶ市場。食材や日用品が中心で、城に飾られているような高級品はない、けど。
「でも、何か買って帰りたいの。それをプレゼントして、ここで見たことの話をしたいの」
「わかりました。ですが、商品に触れる前に私に声をかけてください。くれぐれも勝手に触れたり、買わないように」
「わかったわ」
こうして私は市場の散策を始めた。
元の世界と似た野菜に果物もあれば、まったく見たことがない野菜や果物も。あと、大きな袋に山盛り入った豆や香辛料。海からは遠いのか生魚はなく、干した魚。他はあまり見たくないけど、目の前で捌かれた動物の肉。
それらを天秤で重さを測って売っている。
私は活気に溢れた声を聞きながら、足早に日用品が売られている場所へ移動した。陶器で作られた食器から花瓶。糸や布、皮に製法された服や靴。木でできた小物入れに宝石などの装飾品。あとは、インクとペン……
「ラビ。これを見たいんだけど、いい?」
ペンを手にとったラビが危険がないか確認して私に差し出した。
「どうぞ」
「シンプルだけど綺麗だよね。字も書きやすそう」
木目が浮き上がった木のペン。持ちやすい形に磨かれ、使い心地も良さそう。
いろんな角度からペンを観察している私にラビが訊ねた。
「あの、あなたの番は獅子王ではないですよね?」
「うーん、よく分からないけど……番の相手が他の種族の場合もあるの?」
「かなり珍しいですが、あります」
「そうなんだ。でも、私はこの世界の人じゃないから番がいないかもしれない」
私の答えにラビが納得する。
「その可能性はあります」
「だよね。だから、深く考えない。ところで、ラビは番を探さないの? こんな仕事をしていたら出会いなんてないでしょ?」
四六時中、私にくっついて世話をしてくれている。そうなると出会いなんて限られるし、探してる余裕なんてない。
ラビが視線を伏せて呟いた。
「私は番と出会いたくないんです」
「なんで?」
「……私は今の自分を気に入ってます。それが番と出会ったら変わるかもしれません。それが嫌なんです」
「そっかぁ。じゃあ、私はもうしばらくラビのお世話になれるね」
「へ?」
ラビが茶色の目を丸くする。私は慌てて弁明した。
「あ、いい年してお世話になっているんじゃねぇ、って思わないで! 私、この世界についてまだまだ知らないことが多いし、不安な時もラビがいてくれたから心強かったし、できればもう少し一緒にいたいなぁって……だめ?」
首をかしげた私に、いつも淡々しているラビの声音が崩れた。
「そのようなことは! あの、本当に私で……よろしいのですか?」
「うん! ラビがいいの!」
いつも無表情のラビの顔がみるみる赤くなっていく。あれ? もしかして私、すっごく恥ずかしいこと言った!?
私は誤魔化すように別の店を指さした。
「あ、あの髪飾り可愛いよ。ラビに似合いそう」
「え? 私は必要ありませんが」
「いいから、いいから。ほら、行こ……ん!?」
振り返った私はラビに手を伸ばそうとしたところで数人の男に隙間なく囲まれた。両脇を掴まれ、足が地面から離れる。まるで波にさらわれるように、スーと体が流れていく。
「ココネ様!」
初めてラビが私の名前を呼んでくれた。でも、その声は遠く。
「んっ! ぐぅ!」
口を布で塞がれ、声が出せない。手足を動かすけど、しっかりと固定されて、暴れてもびくともしない。助けを求めたくても背が高い男たちの体で、私の姿は周囲から見えない。
なにが起きているのか分からないまま、私は市場の外へと連れ去られた。
「わかってたけどね!」
私はドスドスと足音を響かせながら歩いた。
もとの世界に戻る方法は見つかりそうにないし、文化や生活の違いからか、すぐにイライラする。余裕なんて、どこにもない。
そこにレオのあの発言。
「レオだけは違うって、思っていたのに……って、ダメ! ダメ! 私が勝手に期待しただけなんだから!」
足取りが重くなり、気持ちも沈んでいく。
「レオは、なにも悪くない……悪くないのに」
誰も悪くない。悪くない、はず……なんだけど。誰かのせいにしないとやってられない。
乾いた風が私の髪を揺らし、頬を撫でた。窓の外に視線を向ければ、雲ひとつない青空。
「そういえば、城から出たことなかったなぁ」
自由に動いて良いとは言われたけど、城の中しか歩いたことはない。すぐそこに街があるのは知っているけど、窓から眺めるだけ。
「よし! 家出しよう! この場合は城出かな? ま、いいや。ラビ」
「はい」
空気のように私の後ろを歩いていたラビが答える。
「普通の服ってある? 街のみんなが着ているような服」
今の私はたぶんかなり高級な服を着ている。肌触りが良い上質な布に、繊細な刺繍や飾りが施された民族衣装。動きやすいデザインだけど、汚したり破れたりしたら……と考えてしまう。
あと、いらない視線を集めて買い物もできないかも。
「用意できますが……本気でしょうか?」
「なにが?」
「本気で城出、とやらをされるのですか?」
「城出って言っても、夕方までには戻るから」
戻るという言葉にラビの緊張が緩む。その様子に私は軽く笑った。
「大丈夫よ、逃げたりしないから。私の肩にウサギ族の運命がかかってるし。それに……逃げる場所なんてないし」
知らない世界で一人で生きていけるほどの技術も技量もない。結局、私が生きられる場所はここしかないのだから。
ふと顔の横に垂れた黒いもふもふの耳が目に入る。私と一緒にトラックにひかれた黒ウサギと同じ……むしろ合体したような。
「みんな、どうしているのかなぁ」
ジメッとした蒸し暑さを思い出す。過ごしにくい夏だったけど、懐かしい。無性に戻りたくなる。
「実家に帰らせていただきますって、こういう気分なのかなぁ」
「実家? ですか?」
私がこぼした声をラビが拾う。私は苦笑しながら説明した。
「結婚して一緒に暮らしている夫婦が喧嘩とかした時に言う言葉。距離をあけたいから自分の親の家に帰るってこと」
「結婚する仲なのに距離をあけるほどの喧嘩をするのですか?」
「ウサギ族は結婚したら喧嘩しないの?」
「いえ。喧嘩はしますが、そこまで大きな喧嘩はありません」
「じゃあ、離婚とかしないの?」
無表情が通常運転のラビが茶色の目を大きくする。
「ウサギ族が? 離婚? ありえません」
「断言できるの!? どうして?」
私の質問にラビが一瞬、天井に視線を向けた。それから私に近づき、小声で説明する。
「ウサギ族は番を決めると、そのまま一生添い遂げます。相手が亡くなっても再婚しません」
「番? なにそれ? どうやって、そんな相手を見つけるの!?」
「どうやって……と言われましても。なにか、こう、相手が運命の番なら一目で分かるそうです。私は会ったことがないのでなんとも言えませんが」
「運命……ね。でも、今まで番の話なんて聞いたことないんだけど」
「ウサギ族には当たり前な話ですし、そもそも内密なので」
「内密? どうして?」
ラビが視線を伏せる。
「ウサギ族は番を何より大事にします。ですが昔、他種族がそれを逆手にとり、あるウサギ族の番を次々と誘拐して脅しました。抵抗することができなかったそのウサギ族は一方的に殺され絶滅しかけたそうです。それ以降、番について他種族には秘密となりました」
まさか、絶滅までしかけていたなんて。
「ただのロマンチックな種族じゃなかったのね。あ、もしかして、ココちゃんはレオが運命の相手じゃないから結婚を嫌がったの?」
「……はい。ココ様は番と出会っているそうなので」
「は? その状況でレオと結婚させるほうが間違いじゃない。ウサギ族の族長は何をしてるの?」
「族長はココ様の訴えを聞き流したそうです。なんでも、ココ様の番が族長と仲が悪い相手の息子だったそうで」
私は思わず声を荒らげた。
「なにそれ!? 族長の私情!?」
「はい。それで周囲も同情しまして。番と死別したウサギ族の女性がココ様が交代する、と名乗りをあげました」
「それなら、最初からその女性を結婚相手にすれば良かったんじゃない?」
「初婚という条件がありましたので」
「そういう条件があったなら仕方ない、か」
もやっとするものを感じながらも私は呑み込んで肩を落とした。
「むしろ、ここまで条件が悪い種族から嫁を出せって言うほうが無理な気がするわ」
けど、この身代わり話がなかったら、私は侵入者として捕まっていただろう。これも、ある意味運命なのかもしれない。そして、もとの世界に戻れないのも……
沈みかけた私は無理やり気分を切り替えた。
「よし。じゃあ、城出しよう」
「どういう流れで、じゃあ、になるのでしょうか?」
「気にしたら負けよ。行こ、行こ」
私はラビが用意してくれた服に着替えた。今まで着ていた服より頑丈な布で作られたワンピースのような服。飾りはなく、腰の部分を紐で縛るシンプルな形。
城を出入りする使用人に紛れ裏口からこっそり外へ。あまりにもすんなり出れたので拍子抜けしてしまうほど。
「え? こんなにあっさり外に出られるものなの?」
「獅子王より私が付いていれば城外への散歩は許可されてますので」
そう説明しながら視線だけで周囲を警戒するラビ。
人々が行き交う大通りを目的もなく二人で歩く。
「それだけ治安が良いってこと?」
「それもありますが、王妃の顔を知る者がいませんから。結婚式では民に王妃の顔を見せておりません」
そういえば身代わりとなったココと会った時、ベールを被って顔を隠していた。
「え? それで結婚式は大丈夫だったの?」
「はい」
「そっか。まあ、そのおかげで私は散歩できてるから深く考えないことにするわ。レオにとって私の相手はたくさんある仕事の一つ、なんだろうし」
「仕事の一つ、ですか?」
不思議そうに私を見るラビに肩をすくめて説明した。
「子作りも仕事の一つなんでしょ? 子どもさえできれば良いから、こうして自由に外に出ても良いんでしょ? 仕事だから私に興味なんてないし」
「本当に仕事の一つなら、ここまでの自由は許されないと思います」
「え?」
思わず声が出た私にラビが迫る。
「顔を知られてないとはいえ、危険はあります。それでも街へ出て良いと許可を出したのは、自由を奪われる苦しさを獅子王ご自身がご存知だからです。王妃となり今までの自由を奪われましたので、せめて買い物など気分転換が出来るように、と獅子王の計らいです」
「そこまで、私のことを考えて……」
レオは朝から晩まで仕事漬けなのに。私は自分のことで精一杯なのに。
私は市場の前で足を止めた。
「帰ろう」
「よろしいのですか?」
「うん。あ、でもレオにお土産を買ってからね」
「お土産とは? 初めて聞く言葉なのですが」
「ここはお土産の文化がないのね。えっと……プレゼントみたいなもの。そこでしか買えない特産品とかを買って帰るの」
「獅子王へのプレゼントにふさわしい品はこの辺りにないと思いますが」
目の前には木と布を張っただけの簡易の店が並ぶ市場。食材や日用品が中心で、城に飾られているような高級品はない、けど。
「でも、何か買って帰りたいの。それをプレゼントして、ここで見たことの話をしたいの」
「わかりました。ですが、商品に触れる前に私に声をかけてください。くれぐれも勝手に触れたり、買わないように」
「わかったわ」
こうして私は市場の散策を始めた。
元の世界と似た野菜に果物もあれば、まったく見たことがない野菜や果物も。あと、大きな袋に山盛り入った豆や香辛料。海からは遠いのか生魚はなく、干した魚。他はあまり見たくないけど、目の前で捌かれた動物の肉。
それらを天秤で重さを測って売っている。
私は活気に溢れた声を聞きながら、足早に日用品が売られている場所へ移動した。陶器で作られた食器から花瓶。糸や布、皮に製法された服や靴。木でできた小物入れに宝石などの装飾品。あとは、インクとペン……
「ラビ。これを見たいんだけど、いい?」
ペンを手にとったラビが危険がないか確認して私に差し出した。
「どうぞ」
「シンプルだけど綺麗だよね。字も書きやすそう」
木目が浮き上がった木のペン。持ちやすい形に磨かれ、使い心地も良さそう。
いろんな角度からペンを観察している私にラビが訊ねた。
「あの、あなたの番は獅子王ではないですよね?」
「うーん、よく分からないけど……番の相手が他の種族の場合もあるの?」
「かなり珍しいですが、あります」
「そうなんだ。でも、私はこの世界の人じゃないから番がいないかもしれない」
私の答えにラビが納得する。
「その可能性はあります」
「だよね。だから、深く考えない。ところで、ラビは番を探さないの? こんな仕事をしていたら出会いなんてないでしょ?」
四六時中、私にくっついて世話をしてくれている。そうなると出会いなんて限られるし、探してる余裕なんてない。
ラビが視線を伏せて呟いた。
「私は番と出会いたくないんです」
「なんで?」
「……私は今の自分を気に入ってます。それが番と出会ったら変わるかもしれません。それが嫌なんです」
「そっかぁ。じゃあ、私はもうしばらくラビのお世話になれるね」
「へ?」
ラビが茶色の目を丸くする。私は慌てて弁明した。
「あ、いい年してお世話になっているんじゃねぇ、って思わないで! 私、この世界についてまだまだ知らないことが多いし、不安な時もラビがいてくれたから心強かったし、できればもう少し一緒にいたいなぁって……だめ?」
首をかしげた私に、いつも淡々しているラビの声音が崩れた。
「そのようなことは! あの、本当に私で……よろしいのですか?」
「うん! ラビがいいの!」
いつも無表情のラビの顔がみるみる赤くなっていく。あれ? もしかして私、すっごく恥ずかしいこと言った!?
私は誤魔化すように別の店を指さした。
「あ、あの髪飾り可愛いよ。ラビに似合いそう」
「え? 私は必要ありませんが」
「いいから、いいから。ほら、行こ……ん!?」
振り返った私はラビに手を伸ばそうとしたところで数人の男に隙間なく囲まれた。両脇を掴まれ、足が地面から離れる。まるで波にさらわれるように、スーと体が流れていく。
「ココネ様!」
初めてラビが私の名前を呼んでくれた。でも、その声は遠く。
「んっ! ぐぅ!」
口を布で塞がれ、声が出せない。手足を動かすけど、しっかりと固定されて、暴れてもびくともしない。助けを求めたくても背が高い男たちの体で、私の姿は周囲から見えない。
なにが起きているのか分からないまま、私は市場の外へと連れ去られた。
2
お気に入りに追加
822
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!
奏音 美都
恋愛
まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。
「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」
国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?
国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。
「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」
え……私、貴方の妹になるんですけど?
どこから突っ込んでいいのか分かんない。
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
婚約破棄寸前の悪役令嬢に転生したはずなのに!?
もふきゅな
恋愛
現代日本の普通一般人だった主人公は、突然異世界の豪華なベッドで目を覚ます。鏡に映るのは見たこともない美しい少女、アリシア・フォン・ルーベンス。悪役令嬢として知られるアリシアは、王子レオンハルトとの婚約破棄寸前にあるという。彼女は、王子の恋人に嫌がらせをしたとされていた。
王子との初対面で冷たく婚約破棄を告げられるが、美咲はアリシアとして無実を訴える。彼女の誠実な態度に次第に心を開くレオンハルト
悪役令嬢としてのレッテルを払拭し、彼と共に幸せな日々を歩もうと試みるアリシア。
冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる