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そうだ、城出(家出)をしよう!

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 怒りに任せて食堂から飛び出した私。レオが追いかけてくる様子はない。

「わかってたけどね!」

 私はドスドスと足音を響かせながら歩いた。
 もとの世界に戻る方法は見つかりそうにないし、文化や生活の違いからか、すぐにイライラする。余裕なんて、どこにもない。

 そこにレオのあの発言。

「レオだけは違うって、思っていたのに……って、ダメ! ダメ! 私が勝手に期待しただけなんだから!」

 足取りが重くなり、気持ちも沈んでいく。

「レオは、なにも悪くない……悪くないのに」

 誰も悪くない。悪くない、はず……なんだけど。誰かのせいにしないとやってられない。

 乾いた風が私の髪を揺らし、頬を撫でた。窓の外に視線を向ければ、雲ひとつない青空。

「そういえば、城から出たことなかったなぁ」

 自由に動いて良いとは言われたけど、城の中しか歩いたことはない。すぐそこに街があるのは知っているけど、窓から眺めるだけ。

「よし! 家出しよう! この場合は城出しろでかな? ま、いいや。ラビ」
「はい」

 空気のように私の後ろを歩いていたラビが答える。

「普通の服ってある? 街のみんなが着ているような服」

 今の私はたぶんかなり高級な服を着ている。肌触りが良い上質な布に、繊細な刺繍や飾りが施された民族衣装。動きやすいデザインだけど、汚したり破れたりしたら……と考えてしまう。
 あと、いらない視線を集めて買い物もできないかも。

「用意できますが……本気でしょうか?」
「なにが?」
「本気で城出、とやらをされるのですか?」
「城出って言っても、夕方までには戻るから」

 戻るという言葉にラビの緊張が緩む。その様子に私は軽く笑った。

「大丈夫よ、逃げたりしないから。私の肩にウサギ族の運命がかかってるし。それに……逃げる場所なんてないし」

 知らない世界で一人で生きていけるほどの技術も技量もない。結局、私が生きられる場所はここしかないのだから。
 ふと顔の横に垂れた黒いもふもふの耳が目に入る。私と一緒にトラックにひかれた黒ウサギと同じ……むしろ合体したような。

「みんな、どうしているのかなぁ」

 ジメッとした蒸し暑さを思い出す。過ごしにくい夏だったけど、懐かしい。無性に戻りたくなる。

「実家に帰らせていただきますって、こういう気分なのかなぁ」
「実家? ですか?」

 私がこぼした声をラビが拾う。私は苦笑しながら説明した。

「結婚して一緒に暮らしている夫婦が喧嘩とかした時に言う言葉。距離をあけたいから自分の親の家に帰るってこと」
「結婚する仲なのに距離をあけるほどの喧嘩をするのですか?」
「ウサギ族は結婚したら喧嘩しないの?」
「いえ。喧嘩はしますが、そこまで大きな喧嘩はありません」
「じゃあ、離婚とかしないの?」

 無表情が通常運転のラビが茶色の目を大きくする。

「ウサギ族が? 離婚? ありえません」
「断言できるの!? どうして?」

 私の質問にラビが一瞬、天井に視線を向けた。それから私に近づき、小声で説明する。

「ウサギ族はつがいを決めると、そのまま一生添い遂げます。相手が亡くなっても再婚しません」
「番? なにそれ? どうやって、そんな相手を見つけるの!?」
「どうやって……と言われましても。なにか、こう、相手が運命の番なら一目で分かるそうです。私は会ったことがないのでなんとも言えませんが」
「運命……ね。でも、今まで番の話なんて聞いたことないんだけど」
「ウサギ族には当たり前な話ですし、そもそも内密なので」
「内密? どうして?」

 ラビが視線を伏せる。

「ウサギ族は番を何より大事にします。ですが昔、他種族がそれを逆手にとり、あるウサギ族の番を次々と誘拐して脅しました。抵抗することができなかったそのウサギ族は一方的に殺され絶滅しかけたそうです。それ以降、番について他種族には秘密となりました」

 まさか、絶滅までしかけていたなんて。

「ただのロマンチックな種族じゃなかったのね。あ、もしかして、ココちゃんはレオが運命の相手じゃないから結婚を嫌がったの?」
「……はい。ココ様は番と出会っているそうなので」
「は? その状況でレオと結婚させるほうが間違いじゃない。ウサギ族の族長は何をしてるの?」
「族長はココ様の訴えを聞き流したそうです。なんでも、ココ様の番が族長と仲が悪い相手の息子だったそうで」

 私は思わず声を荒らげた。

「なにそれ!? 族長の私情!?」
「はい。それで周囲も同情しまして。番と死別したウサギ族の女性がココ様が交代する、と名乗りをあげました」
「それなら、最初からその女性を結婚相手にすれば良かったんじゃない?」
「初婚という条件がありましたので」
「そういう条件があったなら仕方ない、か」

 もやっとするものを感じながらも私は呑み込んで肩を落とした。

「むしろ、ここまで条件が悪い種族から嫁を出せって言うほうが無理な気がするわ」

 けど、この身代わり話がなかったら、私は侵入者として捕まっていただろう。これも、ある意味運命なのかもしれない。そして、もとの世界に戻れないのも……
 沈みかけた私は無理やり気分を切り替えた。

「よし。じゃあ、城出しよう」
「どういう流れで、じゃあ、になるのでしょうか?」
「気にしたら負けよ。行こ、行こ」

 私はラビが用意してくれた服に着替えた。今まで着ていた服より頑丈な布で作られたワンピースのような服。飾りはなく、腰の部分を紐で縛るシンプルな形。

 城を出入りする使用人に紛れ裏口からこっそり外へ。あまりにもすんなり出れたので拍子抜けしてしまうほど。

「え? こんなにあっさり外に出られるものなの?」
「獅子王より私が付いていれば城外への散歩は許可されてますので」

 そう説明しながら視線だけで周囲を警戒するラビ。
 人々が行き交う大通りを目的もなく二人で歩く。

「それだけ治安が良いってこと?」
「それもありますが、王妃の顔を知る者がいませんから。結婚式では民に王妃の顔を見せておりません」

 そういえば身代わりとなったココと会った時、ベールを被って顔を隠していた。

「え? それで結婚式は大丈夫だったの?」
「はい」
「そっか。まあ、そのおかげで私は散歩できてるから深く考えないことにするわ。レオにとって私の相手はたくさんある仕事の一つ、なんだろうし」
「仕事の一つ、ですか?」

 不思議そうに私を見るラビに肩をすくめて説明した。

「子作りも仕事の一つなんでしょ? 子どもさえできれば良いから、こうして自由に外に出ても良いんでしょ? 仕事だから私に興味なんてないし」
「本当に仕事の一つなら、ここまでの自由は許されないと思います」
「え?」

 思わず声が出た私にラビが迫る。

「顔を知られてないとはいえ、危険はあります。それでも街へ出て良いと許可を出したのは、自由を奪われる苦しさを獅子王ご自身がご存知だからです。王妃となり今までの自由を奪われましたので、せめて買い物など気分転換が出来るように、と獅子王の計らいです」
「そこまで、私のことを考えて……」

 レオは朝から晩まで仕事漬けなのに。私は自分のことで精一杯なのに。
 私は市場の前で足を止めた。

「帰ろう」
「よろしいのですか?」
「うん。あ、でもレオにお土産を買ってからね」
「お土産とは? 初めて聞く言葉なのですが」
「ここはお土産の文化がないのね。えっと……プレゼントみたいなもの。そこでしか買えない特産品とかを買って帰るの」
「獅子王へのプレゼントにふさわしい品はこの辺りにないと思いますが」

 目の前には木と布を張っただけの簡易の店が並ぶ市場。食材や日用品が中心で、城に飾られているような高級品はない、けど。

「でも、何か買って帰りたいの。それをプレゼントして、ここで見たことの話をしたいの」
「わかりました。ですが、商品に触れる前に私に声をかけてください。くれぐれも勝手に触れたり、買わないように」
「わかったわ」

 こうして私は市場の散策を始めた。

 元の世界と似た野菜に果物もあれば、まったく見たことがない野菜や果物も。あと、大きな袋に山盛り入った豆や香辛料。海からは遠いのか生魚はなく、干した魚。他はあまり見たくないけど、目の前で捌かれた動物の肉。
 それらを天秤で重さを測って売っている。

 私は活気に溢れた声を聞きながら、足早に日用品が売られている場所へ移動した。陶器で作られた食器から花瓶。糸や布、皮に製法された服や靴。木でできた小物入れに宝石などの装飾品。あとは、インクとペン……

「ラビ。これを見たいんだけど、いい?」

 ペンを手にとったラビが危険がないか確認して私に差し出した。

「どうぞ」
「シンプルだけど綺麗だよね。字も書きやすそう」

 木目が浮き上がった木のペン。持ちやすい形に磨かれ、使い心地も良さそう。
 いろんな角度からペンを観察している私にラビが訊ねた。

「あの、あなたの番は獅子王ではないですよね?」
「うーん、よく分からないけど……番の相手が他の種族の場合もあるの?」
「かなり珍しいですが、あります」
「そうなんだ。でも、私はこの世界の人じゃないから番がいないかもしれない」

 私の答えにラビが納得する。

「その可能性はあります」
「だよね。だから、深く考えない。ところで、ラビは番を探さないの? こんな仕事をしていたら出会いなんてないでしょ?」

 四六時中、私にくっついて世話をしてくれている。そうなると出会いなんて限られるし、探してる余裕なんてない。
 ラビが視線を伏せて呟いた。

「私は番と出会いたくないんです」
「なんで?」
「……私は今の自分を気に入ってます。それが番と出会ったら変わるかもしれません。それが嫌なんです」
「そっかぁ。じゃあ、私はもうしばらくラビのお世話になれるね」
「へ?」

 ラビが茶色の目を丸くする。私は慌てて弁明した。

「あ、いい年してお世話になっているんじゃねぇ、って思わないで! 私、この世界についてまだまだ知らないことが多いし、不安な時もラビがいてくれたから心強かったし、できればもう少し一緒にいたいなぁって……だめ?」

 首をかしげた私に、いつも淡々しているラビの声音が崩れた。

「そのようなことは! あの、本当に私で……よろしいのですか?」
「うん! ラビがいいの!」

 いつも無表情のラビの顔がみるみる赤くなっていく。あれ? もしかして私、すっごく恥ずかしいこと言った!?
 私は誤魔化すように別の店を指さした。

「あ、あの髪飾り可愛いよ。ラビに似合いそう」
「え? 私は必要ありませんが」
「いいから、いいから。ほら、行こ……ん!?」

 振り返った私はラビに手を伸ばそうとしたところで数人の男に隙間なく囲まれた。両脇を掴まれ、足が地面から離れる。まるで波にさらわれるように、スーと体が流れていく。

「ココネ様!」

 初めてラビが私の名前を呼んでくれた。でも、その声は遠く。

「んっ! ぐぅ!」

 口を布で塞がれ、声が出せない。手足を動かすけど、しっかりと固定されて、暴れてもびくともしない。助けを求めたくても背が高い男たちの体で、私の姿は周囲から見えない。
 なにが起きているのか分からないまま、私は市場の外へと連れ去られた。



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