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朗報ですが、素直に祝えませんでした

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 犯人が捕まって二週間。


 私は久しぶりの休日をカフェで過ごしていた。頬杖をつき、通りを歩く人々をぼんやりと眺める。

 私が刺された事件は、予想通り噂に背びれ尾びれが付いた。ストーカーやら、恋愛のもつれやら、不倫やら、なぜか恋愛関係ばかり。


(私そんなにモテませんから! と、声を大にして言いたい)


 ほっとけば、そのうち消えると思っていたんだけど、意外とくすぶっている。
 それでなくても、あの事件から熟睡できないし、仕事も忙しいのに。これ以上、余計な負担を増やさないでほしい。


 最近、多くなったため息を吐く。そこに明るい声がした。


「ゆずりん! ひさしぶり!」


 静香が片手を振りながら、近づいてくる。

 ベージュのキュロットパンツに白のスニーカーと、動きやすい服装。その上に白いコートを羽織っている。清楚なオシャレ系の服を着ることが多い静香にしては、珍しくカジュアル系だ。

 静香がマフラーを外しながら、椅子に座る。私は先に声をかけた。


「ひさしぶり。調子はどう?」

「ゆずりんのおかげで、すっごくいいわ」

「私のおかげ?」


 首を傾げる私に静香が笑う。


「夏に不妊の話をしたでしょ? そうしたら、栄養状態を診ろってメールしてくれたじゃない」

「あぁ」


 半年前、栄養療法をしている病院と、書物を探して静香にメールしたのを、すっかり忘れていた。


「どうだった?」

「散々だったわ。たんばく質も鉄もないし、旦那も亜鉛とたんぱく質がなくて。栄養不足だって、夫婦で言われちゃった」

「今は?」

「鉄剤とかビタミンのサプリとかプロテインを飲んで、少しずつ数値が改善しているの。旦那も亜鉛とかプロテインを飲んでるわ。それにしても栄養学ってすごいのね。こんなに体が軽くなるとは思わなかったわ」

「それだけ栄養が不足していたのね。一年ぐらいかけて補っていくしかないけど」

「そうね。でも、まさか自分が栄養不足になっているなんて、普通は考えないわよ」


 食が溢れた現代で栄養不足になってるなんて、誰も思わない。


「現代の食生活の弊害ね。妊娠しても鉄は取り続けて。妊娠、出産、授乳でかなりの鉄を失うから。産後うつや、二人目不妊の要因として、鉄不足の可能性もあるし」

「そこは気を付けるわ。その前に、ゆずりんは大丈夫? 顔が暗いよ?」

「そう?」


 笑顔を作るけど、静香の顔が曇る。


「ほら、ゆずりんの悪いクセ。しんどい時に無理やり作った笑顔」

「そんなつもりないんだけどなぁ」


 静香に隠し事はできないらしい。


「まあ、あんなことがあった後だし、明るくなれっていう方が無理よね」

「あんなこと?」


 静香は周囲を見た後、小声で私に耳打ちした。


「患者に逆恨みされて、腕を刺されたんでしょ?」

「えっと……まあ、ちょっと違うけど。もしかして、今日ランチに誘ってくれたのは?」

「そりゃあ、友人としては心配になるじゃない。でも、しばらくはバタバタしているかな、と思って時間を空けたの」


 静香がどこか恥ずかしそうに顔を逸らす。

 事件を耳にした時は、すぐに連絡したかったのだろう。でも私の状況を考えて、今日まで待ってくれた。そういう気遣いをしてくれるのが静香だ。

 私は嬉しくなった。


「ありがとう。傷は順調に治ってるから」

「でも、料理とか家事とか大変じゃない?」

「あー、その辺は大丈夫」


 静香が眉をひそめる。


「なにかあったの?」

「別に」

「料理と家事が壊滅的にダメなゆずりんが、大丈夫なわけないと思うんだけど」

「そ、そこまで壊滅的じゃないわよ」


 静香の視線が鋭くなる。嫌な予感しかしない。


「大根の土を落とすために洗濯機に入れて洗って、大根をボロボロにしたのは誰?」

「ジャ、ジャガイモは洗えたから、大根も洗えると思ったの」

「洗濯機は布を洗うもので、食材を洗うものじゃないって言ったでしょ!」

「はぃ……」


 強く言われ、私は体を小さくした。


「それに! アルミホイルを電子レンジに入れて、火花を出したのは誰?」

「うっ」

「ゴキブリが出たからって、煙で撃退するのを買ってきて、寝ている間にそれを使おうとしたのは?」


 否定もなにも出来ない。


「……すべて私です」

「そんなゆずりんが、腕が使えない状態で生活できるとは、考えにくいんだけど」

「……その通りです」


 私は観念して、黒鷺と一緒に生活していることを話した。

 話が進むにつれて、どんどん静香の目が輝いていく。なんで!?

 話を聞き終えた静香が興味津々に顔を近づけてきた。


「今も一緒に住んでるの?」

「……はい」


 静香が腕を組んで椅子に座り直す。


「うん。家事が壊滅的にダメなゆずりんには、ピッタリな相手ね。と、いうか彼氏じゃないの?」

「か、かかかっか、かれしぃい!?」


 カラスか! とツッコミが入りそうなぐらい、カを連呼してしまった。それだけ、予想外の言葉だったんだけど。


「そこまでしてくれるってことは、少なくとも相手は、ゆずりんに好意を持っているってことでしょう?」

「そ、それは漫画の監修の対価だから! それだけ!」


 静香が疑いの眼差しを向ける。


「本当にそれだけぇ?」

「それだけ! それだけ! そもそも、相手は大学生だし! 大学生なんて子どもでしょ!」

「大学生は子どもじゃないと思うけど」

「私から見たら子どもなの! それに、実は仕事で……」


 私の話の内容に、静香が神妙な顔になる。


「それは……困ったわね。二人を繋いでる漫画の監修が出来なくなるのは痛手だわ」

「あ、漫画の監修はパソコンで出来ると思う。黒鷺君は漫画を描く時、編集さんやアシスタントさん? っていう人とリモートでやり取りしてるから」


 静香がニヤリと笑う。


「な、なに?」

「じゃあ、ゆずりんともリモートで漫画の監修は出来るってことよね? でも、わざわざ会って監修をするってことは……」

「い、いや! 私は仕事で時間が不規則だから、直接話すほうが楽なだけ!」


 否定する私に、静香がますます口角を上げる。


「どうせなら、告白しちゃえば? このピンチをチャンスに変えるのよ」

「ピンチじゃないし! それに! 告白うんぬんの以前に! 私は黒鷺君のことを、なんとも思ってないの!」

「そう? でも、ゆずりんは、このままでいいの?」

「この、ままで……」


 いい、という言葉が出ない。なにかが胸に詰まる。堪えるように唇をグッと噛む。

 静香が残念そうにため息を吐いた。


「もう。相変わらず、こういう話に疎いのね」

「疎いつもりはないんだけど」


 恨みがましく静香を睨む。すると、静香が今までの笑顔を消して真面目な顔になった。


「……これは私の想像なんだけど。ゆずりんって家族に憧れがあるけど、それ以上に怖がってない?」

「え?」

「一緒にいたいけど、また失うかもしれない。だから、自分の気持ちに蓋をして、相手からの好意に気付かないようにしてる」

「そんなこと……」


 なぜか否定しきれない。


「これまでのことを考えたら、そう思うのも分かるわ。ただ、今はそういうの全部取っ払ってさ。もう一度、ゆっくり考えてみて。ゆずりんは、どう思っているのか。どうしたいのか」

「私が……したいこと」


 私の呟きはカップに沈んだ。


※※


 カフェでのランチを終えて洋館に戻った。あれから、静香との会話は盛り上がらず、モヤモヤとした気持ちが残った。


「ただいまぁ」


 なんか、こうして帰るのが当たり前になっちゃったな。

 私がブーツを脱いでいると、黒鷺が足音をたてて降りてきた。慌てているみたいで珍しい。


「おかえりなさい」

「どうしたの? なにかあった?」

「えっと、グッドニュースとバッドニュースがあるんですけど、どちらから聞きたいですか?」


 おぉ。海外のドラマとかで聞いたことがあるセリフ。日本で実際に聞くとは思わなかった。


「じゃあ、バッドニュースから」

「今、連載している医療漫画が終了します」

「え!? じゃあ、漫画は……」

「ここで、グッドニュースです! 次の連載漫画が決定しました。ファンタジー漫画です。前、柚鈴に見てもらった、あの漫画です」


 それは黒鷺が描きたいと言っていた漫画で、喜ぶべきなんだろうけど……



 私が漫画を監修する必要はなくなる……



 ――――――――つまり、私は必要ないいらない……



 突如、世界から弾かれた気がした。


 明るかった玄関に影が落ち、体が重くなる。足元で暗い闇がポッカリと口をあける。

 その中で、黒鷺の笑顔が眩しい。



「すごいね。おめでとう」



 ちゃんと笑って言えたかな……
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