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犯人ですが、逃げられました

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 目前にサバイバルナイフが迫る。逃げる余裕はない。


 刺される!


 尻餅をついたまま、私は体を小さくした。



 ――――――――ガシャーン!



 けたたましい音に、そっと目を開ける。すると、駆けつけた警備員が点滴棒で男の頭を殴っていた。


「グッ」


 突然の攻撃に男の動きが止まる。その隙に警備員が男を背後から捕まえ、診察室から引きずり出した。


「……クソッ!」

「暴れるな!」

「このっ! 触るな!」


 男が警備員の腕から抜け出す。再び周囲が騒然となる。
 だが、男はナイフを持ったまま一目散に逃げ出した。


 私は呆然としていた。頭が働かない。何をしたらいいのか分からない。


 遠くからサイレンの音がした。バタバタと警察が到着。

 外来は患者、スタッフを含めて大騒ぎ。


 私はその様子を診察室の端から眺めていた。

 両腕からボタボタと血が流れ落ちる。痛みはあるけど、どこか現実味がない。どこか他人事のよう。

 看護師や事務の人たちは、パニックになっている患児や親たちの対応に追われ、誰も私を見ない。誰とも、視線が合わない。



 ――――――――まるで、透明人間になったみたい。いや、幽霊かな?



 そうかぁ。幽霊だから誰とも目が合わないのかぁ。


 実は体を刺されていて、どこかに運ばれて……


 あれ? なら、ここにいる私は? 本当に幽霊?
 幽霊なら、家族みんなに会えるのかな。それなら、このままでもいい…………



「おい! しっかりしろ!」



 両肩を掴まれ、揺すられた。


「……え?」


 意識が戻った私の前には引きつった顔の蒼井が。


「あ、蒼井……先生?」


 私の声に蒼井はホッとすると、すぐに表情を険しくした。


「早く止血するぞ!」


 二の腕を掴まれ、処置室に連行される。

 腕に麻酔をして、傷を縫合。その手際の良さは流石で、あっという間に終わった。


「痛みは?」

「麻酔が効いてるから大丈夫」

「麻酔が切れたら痛みが出るし、熱も出るだろうから、痛み止めを処方しておく」

「ありがとう」


 麻酔が効いた腕はジンジン痺れ、痛みはない。それが余計に現状と自分の感覚を乖離かいりさせる。どうしても、自分に起きた事という実感が持てない。

 蒼井が眉間にシワをよせる。


「おい、本当に大丈夫か?」

「あ、うん。だいじょう……」


 私の答えを遮るように、三十代と五十代のスーツを着た二人組の男が処置室に入ってきた。
 二人とも隙がなく、一目で患者ではないと分かる。

 三十代の男が丁寧だが、鋭い気配のまま私に訊ねた。


「失礼します。白霧 柚鈴さんですか?」

「その前に、あなた方は誰ですか?」

 睨みつける蒼井に、三十代の男が警察手帳を見せる。


「失礼しました。こういう者です。白霧さん、少しお話しを聞かせてください」


 こうして私は拒否権なく、医局の奥にある小さな会議室へ移動させられた。


※※


 同席するべき、私の上司になるお偉いさんたちは不在。防犯カメラの確認やら、警備体制がどうやら、と他の刑事と確認するために、どこかへ行ったらしい。

 なので、蒼井が付いてきてくれた。正直なところ、私も混乱から抜け出せていないので、誰かが一緒にいてくれるのは助かった。


 こうして事情聴取? を受けることになった……のだけど、刑事の目が厳しい。

 まるで私が犯人で、取り調べを受けているような圧力。あの、一応こちらは被害者なんですけど……と言いたくなる。

 そんな私の考えなど察する様子が微塵もない五十代の刑事が、再び私に確認した。


「では、犯人に見覚えはないんですね?」


 念押しするような質問。私は麻酔で痺れている手に力を込め、静かに頷いた。


「……はい」

「お久しぶりです。と、相手は言ったそうですが?」

「もしかしたら、どこかで診たことがあるのかもしれません。ですが、すべての患者を覚えているわけではないので」

「それもそうですね」


 同意する五十代の刑事の隣で、三十代の刑事が困ったように言った。


「相手を知らないということは、一方的な怨恨の可能性もあります。犯人は逃走中で、あなたの家に現れるかもしれません」

「……はい」

「ですので、安全を確保するためにも、犯人が捕まるまで、別の場所に住んでもらえませんか? この近くに、親族や友人は?」

「親族……」


 私は視線を落とした。


(どうしよう……)


 無言になった私に気づかうように蒼井が声をかける。


「オレの家に来るか? 犯人もオレの家までは知らな……」

「それなら、僕の家に来てください」


 この声は…………いや、こんなところにいるわけない。漫画のペン入れ作業で忙しくなっている頃だから。



 ――――――――でも……



 微かな期待とともに振り返る。


「黒鷺君……」


 会議室の入り口に、息を切らした黒鷺が立っていた。走ってきたのか、白衣が乱れている。

 その姿に私は驚くと同時に、なぜか安堵した。

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