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恋愛書物はバイブルです

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 星がひときわ輝く夜空の下。とある屋敷では怒号が飛び交っていた。

「そっちに行ったぞ!」
「今日こそ捕まえるんだ!」
「もっと走れ!」

 バン!

 屋敷の二階にある窓が開き、華奢な体がテラスへ踊り出る。高い位置で一つにまとめたピンクゴールドの髪が軽やかに揺れ、スカートの裾がひらめいた。

「追い詰めろ!」
「あら、あら」

 涼やかな声とともに長い脚がテラスの柵を蹴り、ふわりと三日月を飛び越える。その美しさに追いかけていた男たちの動きが止めた。

 軽やかに屋根の上に着地した少女は唇の端をあげ、右往左往する男たちを見下ろす。顔の上半分を仮面で隠し、満月の逆光で目の色さえも分からない。
 視線が集まる中、少女が細い指を空へ掲げた。

「“流れ星の雫”たしかに、いただしましたわ」

 海よりも濃い青の中心で交わる三本の光条。まるで星を閉じ込めたような宝石、スターサファイア。これだけ大きいものは非常に珍しい。

 我に返った男たちが口々に宝石を返せと叫ぶが、少女の心に響くことはない。むしろ、冷えた目で残念そうに見下ろしている。

「……今日も外れですわね」
『遊んでいないで、早く撤退してください』
「わかりましたわ」

 脳内に直接聞こえた声に少女は、はぁとため息を吐いて軽く膝を折った。

「みなさま、ごきげんよう」

 優雅なカーテシーとともに風が舞い上がり屋根から姿が消える。

「クソッ! また魔法で逃げられた!」
「阻害魔法は発動しなかったのか!?」
「それが、邪魔が入りまして……」
「使えない魔導師連中め!」

 男たちの歯ぎしりだけが残った。



 翌日。王城では怪盗の話で持ちきりだった。

「今度はモンテスキュー伯爵家だったそうだ」
「なんでも家宝の宝石が盗まれたとか」
「たかが小娘の一人も捕まえられないとは、警備兵は何をして……あぁ、失礼」

 雑談をしていた男たちがニヤニヤと不躾な笑みを浮かべながら少女に道を譲る。本来なら黙って頭を下げ、道を空けなければならない相手。

 国王の娘であり第一王女であるコーラル・ベリファイド。

 小さな顔にブルートパーズのような淡い水色の瞳。高すぎない鼻に瑞々しく潤った唇。凛とした顔立ちの後ろでは、床を鳴らすヒールに合わせて長いピンクゴールドの髪が揺れる。

 下卑た視線の浴びながらコーラルは悠然と進んだ。付き従うべき侍女の姿はなく、他の使用人からも見下げた視線が向けられる。

 それでも毅然とした態度のままコーラルは一人で近くの部屋に入った。

「お疲れ様です、コーラル王女」

 若い執事が頭をさげて迎える。
 漆黒よりも暗く艶やかな黒髪が揺れ、切れ長の目が臥せられる。朝焼けより濃い深紫の瞳は一度みたら忘れられない輝き。
 端正な顔立ちながらも、口元にあるホクロが色気を漂わす。執事服の上からでも分かるほどの逞しい体は、社交界に出れば注目の的になる秀逸な容姿。

 その外見と洗礼された所作に初対面の人は目を奪われるが、慣れたコーラルは綺麗な眉をひそめた。

「ジェット、どういうことですの?」
「どういうこと、とは?」

 ジェットと呼ばれた執事が頭をあげて首を傾げる。
 コーラルはドレスの裾を翻してソファーに腰をおろすと、どこからか一冊の本を出した。

「ぜんっぜんっ! 運命の騎士様と出会いませんことよ!?」

 本の表紙には『華と剣』というタイトル。
 市井で若い女性を中心に流行っている小説で、内容は王女と騎士が互いに想いを寄せ合いながらも身分違いに苦しむ恋愛物語。

 本を抱きしめたコーラルが熱に浮いた目で呟いた。

「私も運命の騎士と身を焦がす恋がしたいですわ」
「それならば、私と恋をするのはいかがでしょう?」

 流し目とともに紅茶をカップへ注ぐ。眉目秀麗で男らしい色香を漂わす姿は普通の淑女なら心を奪われる。
 だが、コーラルはキッと睨んだ。

「私は硬派な騎士と恋をしたいのです。軟派な執事が相手ではありません!」
「おや、お気になさるのはそこですか? 身分差はよろしいのですか?」
「身分差はあればあるほど、二人で乗り越える愛となりますわ」

 夢心地な顔でうっとりと話した後、水色の瞳を鋭くした。

「そもそも、怪盗をすれば運命の騎士と出会えるという話でしたのに、まったく出会えないというのは、どういうことですの?」
「城内では護衛騎士からも距離をとられて恋に発展しないと嘆いておられましたので、怪盗をすれば城の外で騎士との出会いがあるかもしれませんよ、と助言しただけです」
「……嘘つき」

 拗ねたようなコーラルの声にジェットの口元のホクロがあがる。流れるような仕草で紅茶が入ったカップを差し出した。

「私たちはたまたま利害が一致しただけの関係。そこをお忘れなく」
「わかっておりますわ」

 カップを手にしたコーラルにジェットが淡々と説明をする。

「国王が原因不明の体調不良で臥せられて数年。反国王派の貴族たちは賄賂と不正を蔓延らせて好き放題。しかも、コーラル王女の弟君であり跡継ぎであるラリマー王太子は幼く、病気で……」

 カチャン!

 コーラルが会話を遮るようにカップを置いた。

「このままでは国が弱体化して、魔族に侵略されるのも時間の問題。だからこそ、勇者の末裔であり王女である私自ら動いております」
「はい。表向きには怪盗として貴族の屋敷にある秘宝を盗み、その裏では不正や賄賂の証拠を入手して騎士隊に密告、捕縛という地道な活動を……いえ、腐った貴族を刈り取るというお勤めを……」

 コーラルは再びどこからか別の本を取り出して言った。

「勧善懲悪! ですわ!」

 バン! という音とともに『暴れん坊陛下』というタイトルの本が押し付けられ、美麗なジェットの顔が歪む。
 身分を隠した王がお忍びで下町を訪れ、民を苦しめている悪人を退治する話。昔から人気があり、舞台化され複数回上演されている。

 ジェットは本をずらすとコーラルに現状を話した。

「ならば、予告状を出すのを止めませんか? 警備が厳重になり盗みにくくなります」
「あら、それは譲れませんわ。こういうことは派手であればあるほど民の注目を集め、期待となり、娯楽となります。腐敗した治政が蔓延しているからこそ、民に少しでも光を見せたいのです」
「ですが、今回も話題は盗まれた宝石のことだけ。モンテスキュー伯爵が捕縛された様子はありません」
「そこが問題ですのよ。ジェット、ちゃんと賄賂の証拠を騎士隊に届けました?」

 疑いの眼差しを涼しい顔で受け流した軟派な執事がフルーツを差し出す。

「私の仕事は完璧です」

 無言で見つめるコーラルにジェットが誘惑するように微笑む。

「なにか?」
「運動音痴でスキップもできない人に完璧と言われても信用できかねますわ」
「スキップと仕事は関係ないかと」

 軟派な執事が微笑みの表情のままこみかみを引きつらせる。どうやら触れてほしくない話題らしい。
 コーラルが真っ赤に熟れたイチゴを手に取って話を戻した。

「ですが、これで三回目ですよね?」
「はい。ですので、情報がどこで握り潰されているのか調べてまいりました」
「早いですのね。反国王派で目立った動きをしているサボット侯爵あたりでしょうか?」
「いえ。情報を握り潰していたのは警備隊の騎士隊長でした」
「騎士隊長!? 警備隊……そういえばお会いしたことがありますわ!」

 国王が臥せる前。国の警備の責任者として騎士隊長が国王に謁見していた。
 短く刈り上げたくすんだ金髪。太い眉に鋭い眼光を放つ青い瞳。真横に閉じられた口に鍛えられた体。隙のない立ち姿は理想の騎士そのもの。
 しかも二十代後半という若さでの出世。将来を期待されている有望騎士。

 期待に顔を輝かせて腰を浮かせたコーラルに対してジェットが深紫の目を細くする。

「騎士隊長の大切なお方が人質に取られているようで、そのお方の安全と引き換えに情報を握りつぶしているそうです」
「大切なお方……つまり恋人ですのね」

 落胆した声とともにソファーが揺れる。コーラルは崩れるようにクッションに身を臥せ、諦めたように呟いた。

「やはり硬派な騎士にはすでに恋人がいるのですね。もう少し早く出会っていれば……いえ。過ぎたことを嘆いても仕方ありません。それよりも」

 体を起こしたコーラルはジェットに指示を出した。

「人の恋路を邪魔する者は許せません! その人質が捕らわれている場所と、捕らえている人物を調べなさい。そのようなことをする輩ですから、他にも悪事をしているでしょう。私が人質と悪事の証拠を盗みますわ」
「かしこまりました」

 優美に一礼をした執事が素早く踵を返す。大股で歩き、ドアノブに触れたところでポツリと呟いた。

「……人質が騎士隊長の恋人とは一言も申しておりませんが」
「なにか?」

 聞き取れなかったコーラルが小首を傾げる。
 ジェットは悠然と振り返って微笑んだ。

「いいえ。お気になさらず」

 楽しげに口角をあげたまま退室する執事。ここでコーラルはずっと持っていたイチゴをようやく口に入れることができた。




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