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地下倉庫から天国へ
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対外的な微笑みを浮かべたままシルフィアが頭をフル回転させる。
ベルダは王城で開催された社交界で、薔薇に挟まる(訳:愛し合う殿方の間に入る)という愚行をしようとした。それは、腐を見守ることに命を懸けているシルフィアにとって許されざる行為であり、これから多様な愛を育むであろう騎士団長とルーカスを任せることなど到底できない。
そして、なによりも……
(様々な殿方たちの愛を育む様子を王城の壁となって見届けるのは、私の悲願! この婚約は、王城の壁を調べ、王城の壁になれる絶好の好機! こればっかりは、誰にも譲れません!)
綺麗な姿勢のまま、正面を見据えてキッパリと断言する。
「ありません」
「魔力も教養もないおまえが大魔導師に嫁いだところで、社交界の笑い者にされるだけだ。考えを改める気は?」
「ありません」
娘の迷いのない口調と目に、ワイアットの口が歪む。
ここでメイド扱いされていた生活に比べれば、大魔導師の屋敷での生活は離れがたいのだろう。
そう見当違いの判断をしたワイアットが新たな提案をした。
「ベルダに婚約者の座を譲れば、伯爵家の娘としての待遇を約束する。それなら、どうだ?」
「いいえ。私の気持ちは変わりません」
凛とした声と強い意志を秘めた翡翠の瞳。
まったく気持ちが揺れる様子のないシルフィアに対して、ワイアットが声を絞り出すように唸った。
「……そうか」
「それより本は、どこですか?」
そこで勢いよくドアが開く。
その音に釣られて視線を動かすと、そこにはドロシーがいた。
こげ茶色の瞳と目が合う。すると、シルフィアに対して罵詈雑言しか出ることがなかった口がニッコリと微笑んだ。それは、義母から初めて向けられた笑顔でもあり、信じられない光景に思わず目が丸くなる。
そんなシルフィアに、不気味なほど優しい声がかかった。
「こっちに置いてあるわ。いらっしゃい」
言い切ると同時にドロシーがスッと背をむけて歩き出す。
思いの他早い歩調にシルフィアは急いでソファーから立ち上がって追いかけた。
使用人の気配さえもない、薄気味悪い静寂の中、カツカツと荒いヒールの音が響く。
「なんで、こんなノロマで無能が……」
舌打ちとともに、不満混りの呟きが落ちる。
しかし、それらはシルフィアの耳には入っていなかった。
これから対面できる本への気持ちで、全身が震え、走り出さないように足を抑えるだけで精一杯。そのため、堪えきれない魔力が亜麻色の髪から溢れ、毛先がピョッコピョッコと小躍りしている。
(あぁ……あの幻の本が、この手に……まるで夢のようですわ。ハッ!? 夢!? まさか、夢なんて……)
前を歩くドロシーに気づかれないように頬をそっとつねった。
(痛っ!? やはり、夢ではありません! 早く、一刻も早く、読みたい! ですが、読む前の一手間が……魔法が使えれば一瞬ですが、ここで魔法を使うわけにはいきませんし。そうなれば、ルカの屋敷に帰ってから魔法を使うしか……あぁ、もう! 帰るまでの時間がもったいないですわ! どうすれば、少しでも早く読むことが……)
無表情のまま優雅に廊下を歩いているが、脳内では苦悩に満ち、すぐに本を読めない悔しさから床を叩いている。
そんなシルフィアを現実に戻す声が。
「ここよ」
言われた先にあるのは地下倉庫。
湿った空気に灯りもない、薄暗い部屋。使われなくなった家具や道具が無造作に置かれているだけ。
その中で、埃を被った棚に無造作に置かれた本が目に入る。
(あれは!)
その本が翡翠の瞳に映った瞬間、薄暗かった倉庫が王城の広間より輝かしい宝物庫となり、本が置かれた棚にシルフィアしか見えない光が差し込んだ。
翡翠の瞳が輝き、無表情だった顔が朱に染まる。
(なんて、神々しい!)
天から光が降り注ぎ、本が星より眩しく煌めく。
シルフィアは本が放つ輝きに負けず、目を凝らして観察した。
(一見すると普通の本。でも、本を留める紐が緩く結ばれ、皮表紙も浮いている。間違いありません!)
確定すると同時に、亜麻色の髪をなびかせて倉庫の中へ飛び込む。
それまでの優雅な立ち振る舞いが嘘のように一直線に手を伸ばし、捕らえるように本を取った。
手に吸い付くような上質な皮表紙。ズシリとした重み。鼻をかすめる紙とインクの香り。感動に心が震え、視界が滲む。
そこに、背後から差し込んでいた光が消え、ドアが閉じる音がした。
「え?」
振り返ると、倉庫のドアも見えないほどの暗闇。鍵が閉まり、ドアの向こうから鼻で笑うような声が響く。
「大人しくベルダに婚約者の座を譲れば良かったのに」
そこでシルフィアは妹の姿を見ていないことに気づいた。いつもなら、こちらが何もしなくても勝手に突っかかってきていたのに。
「そういえば、ベルダはどちらに?」
ドアの向こうから嘲笑混りの声が返る。
「チャペス侯爵から、養女にする手続きをするから屋敷に来るように、と使用人が迎えに来たから出向いたわ。あなたの代わりにね」
「私の代わり? チャペス侯爵家の養女? どういうことですか?」
「最期だし、教えてあげる。チャペス侯爵が大魔導師の婚約者を養女として迎えると言われたの」
「なぜ、婚約者を養女に? それに婚約者は、私です」
ドロシーがシルフィアの訴えを鼻で笑った。
「どうやって大魔導師を誑かしたのかは知らないけれど、魔力なしの無能より、魔力があって可愛らしいベルダの方が婚約者として相応しいに決まっているじゃない」
「ですが……」
「ですが、じゃないの。これ以上は話すだけ時間の無駄ね。魔力なしの無能はそこで干からびなさい」
投げ捨てた言葉とともに遠ざかる足音。それは自信にあふれ、勝利を確信した足取りでもあった。
「ベルダの婚約パーティーの準備をしないと。あぁ、忙しい」
静かな廊下に高笑いが響く。
しかし、ドロシーは気づいていなかった。普通なら真っ暗な地下室に閉じ込められれば、怯えたり泣き叫んだりするのに、シルフィアが平然としていたことに。その理由があることに。
少しして、真っ暗な地下倉庫が昼のように明るくなった。
シルフィアの頭上で小さな太陽のような光球がプカプカと浮き、喜びに満ちた明るい声が響く。
「これで本を読むことができますわ!」
鍵はドロシーが持っているから誰かが地下室を開ける心配はない。つまり、誰にも邪魔されずに思う存分、本を読むことができる。
思わぬ展開に、普段は決してしない小躍りをしながらシルフィアは魔力を解放した。
『暁降ち予言より真の姿を我が前へ示さん』
本が宙に浮かび、緩かった紐が解け、紙を留めている皮表紙が外れる。
自由になったページがパラパラと宙を舞い、聞こえない音楽のリズムに乗っているように躍りながら整列して、再び皮表紙の中に収まった。
最後に紐が穴を通り、幻の本の完成。
「あぁ、やっと読めますのね」
シルフィアは宙に浮かぶ本を手にしてギュッと抱きしめ、喜びを爆発させるように一気に語った。
「軍政権の下、将軍たちの傀儡となって生きていた弱き王と、王家に忠誠を誓った宰相。その二人による禁断の主従愛。長き戦争で軍に政権を握られ、汚職や横領で腐敗していた国。その状況に憂い、政権を再び王政へ戻すため、陰謀と政略が渦巻く世界へ飛び込んだ若き王と宰相。信じられるのはお互いのみ。時には命をかけ、時には貞操をかけ、様々な困難の末にようやく訪れた平穏。それを、今では政権を子に譲った先代の王の視点から書かれた至高の一冊。それが、この手に!」
名前は変えてあるが、ほぼ史実であり、誰をモチーフにしているか即判明する小説。
一歩間違えれば……いや、間違えなくても、持っていることが分かれば不敬罪で処刑される代物のため、取り扱いは厳重注意で滅多に出回らない。
埃と湿った空気が充満した地下倉庫だが、シルフィアは青空の下でピクニックをしているかのように冷たい床へ座り、爽やかな気持ちとともに本を開いた。
地下のため時間を示すものはなく、どれだけの時間が経ったのか分からない。
黙々と本を読んでいたシルフィアがふいに顔をあげた。
「あぁ、国と愛しき者の間で揺れ動く心情。国を守りたいけれど、愛する人を犠牲にはしたくない。二人の決断は、二人の気持ちは、どうなるのか……やはり素晴らしい作品ですわ」
ほぅ、と感嘆の息を漏らしたところで、何の前触れもなく声がした。
ベルダは王城で開催された社交界で、薔薇に挟まる(訳:愛し合う殿方の間に入る)という愚行をしようとした。それは、腐を見守ることに命を懸けているシルフィアにとって許されざる行為であり、これから多様な愛を育むであろう騎士団長とルーカスを任せることなど到底できない。
そして、なによりも……
(様々な殿方たちの愛を育む様子を王城の壁となって見届けるのは、私の悲願! この婚約は、王城の壁を調べ、王城の壁になれる絶好の好機! こればっかりは、誰にも譲れません!)
綺麗な姿勢のまま、正面を見据えてキッパリと断言する。
「ありません」
「魔力も教養もないおまえが大魔導師に嫁いだところで、社交界の笑い者にされるだけだ。考えを改める気は?」
「ありません」
娘の迷いのない口調と目に、ワイアットの口が歪む。
ここでメイド扱いされていた生活に比べれば、大魔導師の屋敷での生活は離れがたいのだろう。
そう見当違いの判断をしたワイアットが新たな提案をした。
「ベルダに婚約者の座を譲れば、伯爵家の娘としての待遇を約束する。それなら、どうだ?」
「いいえ。私の気持ちは変わりません」
凛とした声と強い意志を秘めた翡翠の瞳。
まったく気持ちが揺れる様子のないシルフィアに対して、ワイアットが声を絞り出すように唸った。
「……そうか」
「それより本は、どこですか?」
そこで勢いよくドアが開く。
その音に釣られて視線を動かすと、そこにはドロシーがいた。
こげ茶色の瞳と目が合う。すると、シルフィアに対して罵詈雑言しか出ることがなかった口がニッコリと微笑んだ。それは、義母から初めて向けられた笑顔でもあり、信じられない光景に思わず目が丸くなる。
そんなシルフィアに、不気味なほど優しい声がかかった。
「こっちに置いてあるわ。いらっしゃい」
言い切ると同時にドロシーがスッと背をむけて歩き出す。
思いの他早い歩調にシルフィアは急いでソファーから立ち上がって追いかけた。
使用人の気配さえもない、薄気味悪い静寂の中、カツカツと荒いヒールの音が響く。
「なんで、こんなノロマで無能が……」
舌打ちとともに、不満混りの呟きが落ちる。
しかし、それらはシルフィアの耳には入っていなかった。
これから対面できる本への気持ちで、全身が震え、走り出さないように足を抑えるだけで精一杯。そのため、堪えきれない魔力が亜麻色の髪から溢れ、毛先がピョッコピョッコと小躍りしている。
(あぁ……あの幻の本が、この手に……まるで夢のようですわ。ハッ!? 夢!? まさか、夢なんて……)
前を歩くドロシーに気づかれないように頬をそっとつねった。
(痛っ!? やはり、夢ではありません! 早く、一刻も早く、読みたい! ですが、読む前の一手間が……魔法が使えれば一瞬ですが、ここで魔法を使うわけにはいきませんし。そうなれば、ルカの屋敷に帰ってから魔法を使うしか……あぁ、もう! 帰るまでの時間がもったいないですわ! どうすれば、少しでも早く読むことが……)
無表情のまま優雅に廊下を歩いているが、脳内では苦悩に満ち、すぐに本を読めない悔しさから床を叩いている。
そんなシルフィアを現実に戻す声が。
「ここよ」
言われた先にあるのは地下倉庫。
湿った空気に灯りもない、薄暗い部屋。使われなくなった家具や道具が無造作に置かれているだけ。
その中で、埃を被った棚に無造作に置かれた本が目に入る。
(あれは!)
その本が翡翠の瞳に映った瞬間、薄暗かった倉庫が王城の広間より輝かしい宝物庫となり、本が置かれた棚にシルフィアしか見えない光が差し込んだ。
翡翠の瞳が輝き、無表情だった顔が朱に染まる。
(なんて、神々しい!)
天から光が降り注ぎ、本が星より眩しく煌めく。
シルフィアは本が放つ輝きに負けず、目を凝らして観察した。
(一見すると普通の本。でも、本を留める紐が緩く結ばれ、皮表紙も浮いている。間違いありません!)
確定すると同時に、亜麻色の髪をなびかせて倉庫の中へ飛び込む。
それまでの優雅な立ち振る舞いが嘘のように一直線に手を伸ばし、捕らえるように本を取った。
手に吸い付くような上質な皮表紙。ズシリとした重み。鼻をかすめる紙とインクの香り。感動に心が震え、視界が滲む。
そこに、背後から差し込んでいた光が消え、ドアが閉じる音がした。
「え?」
振り返ると、倉庫のドアも見えないほどの暗闇。鍵が閉まり、ドアの向こうから鼻で笑うような声が響く。
「大人しくベルダに婚約者の座を譲れば良かったのに」
そこでシルフィアは妹の姿を見ていないことに気づいた。いつもなら、こちらが何もしなくても勝手に突っかかってきていたのに。
「そういえば、ベルダはどちらに?」
ドアの向こうから嘲笑混りの声が返る。
「チャペス侯爵から、養女にする手続きをするから屋敷に来るように、と使用人が迎えに来たから出向いたわ。あなたの代わりにね」
「私の代わり? チャペス侯爵家の養女? どういうことですか?」
「最期だし、教えてあげる。チャペス侯爵が大魔導師の婚約者を養女として迎えると言われたの」
「なぜ、婚約者を養女に? それに婚約者は、私です」
ドロシーがシルフィアの訴えを鼻で笑った。
「どうやって大魔導師を誑かしたのかは知らないけれど、魔力なしの無能より、魔力があって可愛らしいベルダの方が婚約者として相応しいに決まっているじゃない」
「ですが……」
「ですが、じゃないの。これ以上は話すだけ時間の無駄ね。魔力なしの無能はそこで干からびなさい」
投げ捨てた言葉とともに遠ざかる足音。それは自信にあふれ、勝利を確信した足取りでもあった。
「ベルダの婚約パーティーの準備をしないと。あぁ、忙しい」
静かな廊下に高笑いが響く。
しかし、ドロシーは気づいていなかった。普通なら真っ暗な地下室に閉じ込められれば、怯えたり泣き叫んだりするのに、シルフィアが平然としていたことに。その理由があることに。
少しして、真っ暗な地下倉庫が昼のように明るくなった。
シルフィアの頭上で小さな太陽のような光球がプカプカと浮き、喜びに満ちた明るい声が響く。
「これで本を読むことができますわ!」
鍵はドロシーが持っているから誰かが地下室を開ける心配はない。つまり、誰にも邪魔されずに思う存分、本を読むことができる。
思わぬ展開に、普段は決してしない小躍りをしながらシルフィアは魔力を解放した。
『暁降ち予言より真の姿を我が前へ示さん』
本が宙に浮かび、緩かった紐が解け、紙を留めている皮表紙が外れる。
自由になったページがパラパラと宙を舞い、聞こえない音楽のリズムに乗っているように躍りながら整列して、再び皮表紙の中に収まった。
最後に紐が穴を通り、幻の本の完成。
「あぁ、やっと読めますのね」
シルフィアは宙に浮かぶ本を手にしてギュッと抱きしめ、喜びを爆発させるように一気に語った。
「軍政権の下、将軍たちの傀儡となって生きていた弱き王と、王家に忠誠を誓った宰相。その二人による禁断の主従愛。長き戦争で軍に政権を握られ、汚職や横領で腐敗していた国。その状況に憂い、政権を再び王政へ戻すため、陰謀と政略が渦巻く世界へ飛び込んだ若き王と宰相。信じられるのはお互いのみ。時には命をかけ、時には貞操をかけ、様々な困難の末にようやく訪れた平穏。それを、今では政権を子に譲った先代の王の視点から書かれた至高の一冊。それが、この手に!」
名前は変えてあるが、ほぼ史実であり、誰をモチーフにしているか即判明する小説。
一歩間違えれば……いや、間違えなくても、持っていることが分かれば不敬罪で処刑される代物のため、取り扱いは厳重注意で滅多に出回らない。
埃と湿った空気が充満した地下倉庫だが、シルフィアは青空の下でピクニックをしているかのように冷たい床へ座り、爽やかな気持ちとともに本を開いた。
地下のため時間を示すものはなく、どれだけの時間が経ったのか分からない。
黙々と本を読んでいたシルフィアがふいに顔をあげた。
「あぁ、国と愛しき者の間で揺れ動く心情。国を守りたいけれど、愛する人を犠牲にはしたくない。二人の決断は、二人の気持ちは、どうなるのか……やはり素晴らしい作品ですわ」
ほぅ、と感嘆の息を漏らしたところで、何の前触れもなく声がした。
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