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実家から大魔導師の屋敷へ
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淡々と状況を説明したシルフィアにルーカスが視線を戻す。その瞳からは鋭さが消え、心配と同情の色が浮かんでいた。
「やはり情報通りだったのですね。そのような生活をしていると知った時は腸が煮えくり返りそうでした。すぐにでも、この家を跡形もなく消し去りたいところですが、先に環境を整える方が良いでしょう」
「環境を整える?」
「はい。ここを出て、私の屋敷に住みましょう。師匠への負担が増えないように、ここの使用人も連れて」
「ここの使用人って……」
「残念ながら全員ではありませんが、師匠に近い使用人だけでも私の屋敷へ移り、落ち着いた生活ができるようにします」
横暴だがシルフィアのための行動。話している間、ずっと甘く見つめる深紅の瞳からその想いが溢れ……いや、噴き出している。しかし、当の本人は気づいておらず。それどころか……
(ここまで急ぐということは、昨夜たくさんの淑女に囲まれた騎士団長の姿を見て、危機感を覚えたということですのね! では、私も協力して早急に偽装婚約の準備をしなければ!)
見当違いの決意をしたシルフィアが腐の同士であるサラに視線をむける。すると、サラが力強く頷き、呆然としている使用人たちの中から一歩前に出て頭をさげた。
「わかりました。お嬢様とお供する使用人の荷物を至急まとめてまいります」
「任せる」
そのまま歩き出そうとしたルーカスにベルダが縋りつく。
「お、お待ちください! もう少しお話を……」
この流れでまだ声をかけることができる図太いを通り越した極太オルハリコンの神経に使用人たちが唖然とする。
だが、返ってきた答えは予想通りで。
「時間の無駄だ」
ルーカスがベルダの顔を見ることなく切り捨てる。次にドロシーが最後の望みをかけて震えながら訴えた。
「せ、せめて見送りを……」
「不要だ」
これも声だけで黙らせて終了。
嵐のような騒ぎから一瞬で静かになった屋敷。
その中を、黒い腕に抱かれたまま移動するシルフィア。その顔は無表情ながらも、翡翠の瞳はヤル気に満ちていて。
(世間の目を欺くための偽装婚約! 立派に勤めさせていただきます!)
亜麻色の髪の毛先が犬の尻尾のようにブンブンと揺れている。
こうして、シルフィアのずれた認識を訂正する人もおらず、生まれ育った屋敷を後にした。
※
ガラガラと馬車に揺られて到着した先は可愛らしい屋敷だった。
ルーカスがシルフィアをエスコートしながら説明をする。
「私しか住んでいませんし、自分のことは自分でできますから。通いの料理人と掃除人と庭師がおります」
小さい屋敷でも、男爵位でも、貴族は貴族。それなのに住み込みの使用人がいないというのは珍しい。
そんな疑問を口にする前に、優秀な弟子は回答を並べた。
「私だけの生活なら問題ありませんが、師匠に不便をかけるかもしれませんので、師匠の気心が知れた使用人を側に置いたほうが良いかと考え、婚約の申込書にその旨を書きました。あと師匠の部屋に服を用意しておりますので、お好きな服に着替えてください」
「このままでも良かったのに」
偽装婚約のつもりであるシルフィアは自分にお金をかけてほしくないと考えている。
だが、そんなことをルーカスが許すはずもなく。
「ダメです。欲しい物は何でも買っていただいて、ご自由にお過ごしください」
「……え? 欲しい物(腐の本)を買ってもいいのですか?」
「はい。お好きなだけ買ってください。遠慮はいりません」
その一言に翡翠の瞳が輝いた。
(憧れの『ここから、ここまでの本を買います』を! 一度は言ってみたい『この棚の本を全部買います』を! それをすることができ……いえ、いえ。私はお飾りの偽装婚約者。そこは立場をわきまえないと。ですが、長編すぎて諦めていた腐の連作本だけでも欲し……あぁ! 私はどうすれば!)
理性と欲望の狭間で葛藤しつつ、軽く微笑んだ表情を維持。
澄ました顔のままルーカスに屋敷内を案内され、最後に通されたのは庭が一望できる大きな窓と、ベッドと暖炉がある部屋だった。
真っ白な家具に、澄んだ水色とレースのカーテンが風に揺れる爽やかな雰囲気。
だが、それより目を惹いたのは壁一面を占める、真っ白な木の本棚。ただ、本は一冊もない。
シルフィアは本棚を横目に訊ねた。
「どうして、本棚に本がないのですか?」
「そこには師匠がお好きな本を入れてください」
その発言に翡翠の瞳が輝く。両手を胸の前で重ねて見上げた。
「こんなに!? よろしいのですか!?」
「はい。あ、そちらのドアは私の部屋に繋がっていますから」
シレッと説明した先には家具と同じ白い木で造られたドア。
しかし、その言葉はシルフィアの耳に入っておらず、目にも入っておらず。
(こんなに大きな本棚を自由に使えるなんて! あぁ、どの本をどこに置きましょう……あの神本はいつでも手にとれるこの辺りに……ですが、あのシリーズ本をここに並べるのも壮観ですし、背表紙が綺麗なんで……あ! 続編待ちのあの本をここに置くのも……あぁ! どうしましょう、決められません!)
顔は緩まないようにキリッと力を入れ、顎に手を当てたまま無言で本棚を見つめる。
だが、心の中ではうっとりと目を蕩けさせ、口を半開きにしたまま、だらしない表情で幸せな苦悩に浸っており……
そのまま、ひたすら考え込んでいると、玄関の方がざわついた。婚約の申込書に名前が書かれていた使用人たちが荷物を持ってルーカスの屋敷へやってきたのだ。
(サラたちが来たのでしょうか? 私の荷物は少ないですが……そういえば!)
ハッとしたシルフィアが、これまでの葛藤を放り投げて玄関へ走る。
「サラ!」
「お嬢様!」
荷物を運び入れていたサラが顔をあげたところで、シルフィアが詰め寄った。
「屋敷の方(腐の本たち)は大丈夫かしら?」
「奥様とベルダ様は知りませんが、旦那様はお嬢様が大魔導師様に嫁ぐことに喜んでいましたから、きっと大丈夫でしょう。荷物(腐の本たち)は、一つ残さず持ってきました」
重要なことは言葉に出さず、目と目で語り合う。それが伝わるのは腐の同士だからこそ。
「ありがとう。さすが、サラですわ」
シルフィアがホッとしたところで、メイド長のマギーがやってきた。
「突然のことで理解が追い付いておりませんが、これからは今までのように掃除はなさらないでください」
思わぬ言葉に翡翠の瞳がキョトンとした丸くなる。
「どうしてですの?」
「お嬢様は本来なら嫁入りの勉強をしなければならない時期にメイド仕事をしておりましたから。婚約されるのであれば、これから奥方様としての立ち振る舞いを学んでいただかなければなりません」
「……たしかに、そうですね」
騎士団長との愛を育むための隠れ蓑としての偽装婚約(シルフィアの勘違い)とはいえ、貴族として社交界の出席や交流は必須。自分の勉強不足でルーカスの顔に泥を塗るような状態に陥るわけにはいかない。
シルフィアが神妙な顔で考えていると、背後から黒い髪が触れた。それから、そっと抱きしめられる。
「別に師匠はそのままで十分ですよ」
甘やかす気満々の言葉と態度。
それに対して、シルフィアは大きく首を横に振った。
「いいえ。(偽装)婚約をするからには完璧にこなします」
優雅に微笑みながらも、強い口調。
そんなシルフィアにルーカスが少し困ったように口元を緩めながら、懐かしむように言った。
「そういう真面目で一直線なところも変わらないですね」
諦めたような様子のルーカスにマギーが頭をさげる。
「クライネス伯爵邸でメイド長をしておりましたマギーと申します。この度はお嬢様をクライネス邸から出していただき、ありがとうございました。この状況にまだ戸惑っておりますが、他の使用人共々よろしくお願いいたします」
ずっとシルフィアを見守り、屋敷での状況に苦心しながらも、自分ではどうすることもできなかった。それを、この青年は救ってくれた。ならば、この流れに乗るのも良いだろう。
そう判断したマギーの心情を読み取ったのか、深紅の瞳の目が少しだけ細くなる。
「屋敷のことは任せる。住みやすいようにしろ」
こうしてシルフィアは思わぬ形で新生活が始めることとなった。
~※~
一方、クライネス家では……
「やはり情報通りだったのですね。そのような生活をしていると知った時は腸が煮えくり返りそうでした。すぐにでも、この家を跡形もなく消し去りたいところですが、先に環境を整える方が良いでしょう」
「環境を整える?」
「はい。ここを出て、私の屋敷に住みましょう。師匠への負担が増えないように、ここの使用人も連れて」
「ここの使用人って……」
「残念ながら全員ではありませんが、師匠に近い使用人だけでも私の屋敷へ移り、落ち着いた生活ができるようにします」
横暴だがシルフィアのための行動。話している間、ずっと甘く見つめる深紅の瞳からその想いが溢れ……いや、噴き出している。しかし、当の本人は気づいておらず。それどころか……
(ここまで急ぐということは、昨夜たくさんの淑女に囲まれた騎士団長の姿を見て、危機感を覚えたということですのね! では、私も協力して早急に偽装婚約の準備をしなければ!)
見当違いの決意をしたシルフィアが腐の同士であるサラに視線をむける。すると、サラが力強く頷き、呆然としている使用人たちの中から一歩前に出て頭をさげた。
「わかりました。お嬢様とお供する使用人の荷物を至急まとめてまいります」
「任せる」
そのまま歩き出そうとしたルーカスにベルダが縋りつく。
「お、お待ちください! もう少しお話を……」
この流れでまだ声をかけることができる図太いを通り越した極太オルハリコンの神経に使用人たちが唖然とする。
だが、返ってきた答えは予想通りで。
「時間の無駄だ」
ルーカスがベルダの顔を見ることなく切り捨てる。次にドロシーが最後の望みをかけて震えながら訴えた。
「せ、せめて見送りを……」
「不要だ」
これも声だけで黙らせて終了。
嵐のような騒ぎから一瞬で静かになった屋敷。
その中を、黒い腕に抱かれたまま移動するシルフィア。その顔は無表情ながらも、翡翠の瞳はヤル気に満ちていて。
(世間の目を欺くための偽装婚約! 立派に勤めさせていただきます!)
亜麻色の髪の毛先が犬の尻尾のようにブンブンと揺れている。
こうして、シルフィアのずれた認識を訂正する人もおらず、生まれ育った屋敷を後にした。
※
ガラガラと馬車に揺られて到着した先は可愛らしい屋敷だった。
ルーカスがシルフィアをエスコートしながら説明をする。
「私しか住んでいませんし、自分のことは自分でできますから。通いの料理人と掃除人と庭師がおります」
小さい屋敷でも、男爵位でも、貴族は貴族。それなのに住み込みの使用人がいないというのは珍しい。
そんな疑問を口にする前に、優秀な弟子は回答を並べた。
「私だけの生活なら問題ありませんが、師匠に不便をかけるかもしれませんので、師匠の気心が知れた使用人を側に置いたほうが良いかと考え、婚約の申込書にその旨を書きました。あと師匠の部屋に服を用意しておりますので、お好きな服に着替えてください」
「このままでも良かったのに」
偽装婚約のつもりであるシルフィアは自分にお金をかけてほしくないと考えている。
だが、そんなことをルーカスが許すはずもなく。
「ダメです。欲しい物は何でも買っていただいて、ご自由にお過ごしください」
「……え? 欲しい物(腐の本)を買ってもいいのですか?」
「はい。お好きなだけ買ってください。遠慮はいりません」
その一言に翡翠の瞳が輝いた。
(憧れの『ここから、ここまでの本を買います』を! 一度は言ってみたい『この棚の本を全部買います』を! それをすることができ……いえ、いえ。私はお飾りの偽装婚約者。そこは立場をわきまえないと。ですが、長編すぎて諦めていた腐の連作本だけでも欲し……あぁ! 私はどうすれば!)
理性と欲望の狭間で葛藤しつつ、軽く微笑んだ表情を維持。
澄ました顔のままルーカスに屋敷内を案内され、最後に通されたのは庭が一望できる大きな窓と、ベッドと暖炉がある部屋だった。
真っ白な家具に、澄んだ水色とレースのカーテンが風に揺れる爽やかな雰囲気。
だが、それより目を惹いたのは壁一面を占める、真っ白な木の本棚。ただ、本は一冊もない。
シルフィアは本棚を横目に訊ねた。
「どうして、本棚に本がないのですか?」
「そこには師匠がお好きな本を入れてください」
その発言に翡翠の瞳が輝く。両手を胸の前で重ねて見上げた。
「こんなに!? よろしいのですか!?」
「はい。あ、そちらのドアは私の部屋に繋がっていますから」
シレッと説明した先には家具と同じ白い木で造られたドア。
しかし、その言葉はシルフィアの耳に入っておらず、目にも入っておらず。
(こんなに大きな本棚を自由に使えるなんて! あぁ、どの本をどこに置きましょう……あの神本はいつでも手にとれるこの辺りに……ですが、あのシリーズ本をここに並べるのも壮観ですし、背表紙が綺麗なんで……あ! 続編待ちのあの本をここに置くのも……あぁ! どうしましょう、決められません!)
顔は緩まないようにキリッと力を入れ、顎に手を当てたまま無言で本棚を見つめる。
だが、心の中ではうっとりと目を蕩けさせ、口を半開きにしたまま、だらしない表情で幸せな苦悩に浸っており……
そのまま、ひたすら考え込んでいると、玄関の方がざわついた。婚約の申込書に名前が書かれていた使用人たちが荷物を持ってルーカスの屋敷へやってきたのだ。
(サラたちが来たのでしょうか? 私の荷物は少ないですが……そういえば!)
ハッとしたシルフィアが、これまでの葛藤を放り投げて玄関へ走る。
「サラ!」
「お嬢様!」
荷物を運び入れていたサラが顔をあげたところで、シルフィアが詰め寄った。
「屋敷の方(腐の本たち)は大丈夫かしら?」
「奥様とベルダ様は知りませんが、旦那様はお嬢様が大魔導師様に嫁ぐことに喜んでいましたから、きっと大丈夫でしょう。荷物(腐の本たち)は、一つ残さず持ってきました」
重要なことは言葉に出さず、目と目で語り合う。それが伝わるのは腐の同士だからこそ。
「ありがとう。さすが、サラですわ」
シルフィアがホッとしたところで、メイド長のマギーがやってきた。
「突然のことで理解が追い付いておりませんが、これからは今までのように掃除はなさらないでください」
思わぬ言葉に翡翠の瞳がキョトンとした丸くなる。
「どうしてですの?」
「お嬢様は本来なら嫁入りの勉強をしなければならない時期にメイド仕事をしておりましたから。婚約されるのであれば、これから奥方様としての立ち振る舞いを学んでいただかなければなりません」
「……たしかに、そうですね」
騎士団長との愛を育むための隠れ蓑としての偽装婚約(シルフィアの勘違い)とはいえ、貴族として社交界の出席や交流は必須。自分の勉強不足でルーカスの顔に泥を塗るような状態に陥るわけにはいかない。
シルフィアが神妙な顔で考えていると、背後から黒い髪が触れた。それから、そっと抱きしめられる。
「別に師匠はそのままで十分ですよ」
甘やかす気満々の言葉と態度。
それに対して、シルフィアは大きく首を横に振った。
「いいえ。(偽装)婚約をするからには完璧にこなします」
優雅に微笑みながらも、強い口調。
そんなシルフィアにルーカスが少し困ったように口元を緩めながら、懐かしむように言った。
「そういう真面目で一直線なところも変わらないですね」
諦めたような様子のルーカスにマギーが頭をさげる。
「クライネス伯爵邸でメイド長をしておりましたマギーと申します。この度はお嬢様をクライネス邸から出していただき、ありがとうございました。この状況にまだ戸惑っておりますが、他の使用人共々よろしくお願いいたします」
ずっとシルフィアを見守り、屋敷での状況に苦心しながらも、自分ではどうすることもできなかった。それを、この青年は救ってくれた。ならば、この流れに乗るのも良いだろう。
そう判断したマギーの心情を読み取ったのか、深紅の瞳の目が少しだけ細くなる。
「屋敷のことは任せる。住みやすいようにしろ」
こうしてシルフィアは思わぬ形で新生活が始めることとなった。
~※~
一方、クライネス家では……
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