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(30)魅惑の取引き
しおりを挟む俺の血を吸うだと?!
「やっぱりお前、俺に復讐しに──っ!」
「ま、待て待て待て! その凶器から手を離せ!そんなものを今食らったら、今度こそ死んでしまう!」
「殺そうとしてるんだよ! ……そうだ! 大体お前、何で生きてるんだよ?! 燃えて灰になってたじゃないか?!」
「ふふふ……わらわのこの身体が蚊の集合体であることを、お前は知っておろうが? ……まぁ、早い話がわらわの一部があの炎を免れたのじゃよ」
その言葉で俺の脳裏に甦ったのは、あの、殺虫剤を避ける蚊人間の姿だった。
そうか。何故気づかなかったのだろう。
彼らは人の姿に固まっているだけであって、実際は多数の蚊の集まりである。
そこから何匹かが離脱して俺に痺れ薬を注入していたように、こっそり数匹……いや例え数十匹でもあの部屋のどこかへ避難しておくことは可能だ。
「なるほど……まるで不死身だな」
「そうでもないぞ。分体は弱いからな。それにもし、完全に閉じられた場所で、先日のように全てが灰になるまで焼かれたらひとたまりもないだろう」
「だけど、それが何故、俺の血を吸うことに繋がるんだ?」
仲間や住む場所を失った彼女に、多少は同情する。
だがしかし、正直蚊に血を吸われるのは遠慮願いたいのだが……。
モスキュリアはペロリ、と上唇を舐めながら言った。
「お前の血は美味かったからな!」
「は?」
「美味いと感じるのは、血にふんだんに魔力が流れておるからじゃ」
「え?」
「その魔力を取り込めば、わらわは再び力を取り戻すことができる」
「えー……血を吸われるのは嫌だな……ああ、ほら!血魔石があるじゃないか! 血魔石! あれを食べろよ! 好きなんだろ?」
「馬鹿者が。新鮮な血には新鮮な魔力が宿るのだ。第一、新鮮な血の味に勝るものはない! いいから吸わせろ!」
「く、来るなっ! お、俺にとってのメリットがないじゃないか! お前に血を吸わせたところで、俺にはなんの得があるって言うんだ?!」
「むう……そうじゃな。では、お前が血を提供してくれるならば、代わりにわらわはお前たちに協力することにしよう」
「協力……?」
「そうじゃな……まず、わらわの分体は情報収集にピッタリじゃ」
何故かプレゼンが始まった。
「誰にも知られずに忍び込むことなど造作もないからな。そこいらの情報屋など目じゃないぞ? それに、もう少し力が戻れば、お前を連れて飛ぶこともできるぞ。人間は飛べぬであろう?」
「ま、まぁ……悪くはないけど……」
「それから、希望するなら夜伽の相手もしてやろう。何なら今からでも……」
モスキュリアは手を伸ばして俺の服に手をかける。プチプチとボタンを外す音がして、シャツの襟が開いていく。
「わぁぁぁっ! 待って待って! わかった、わかったから!」
慌ててシャツのボタンをとめ直す俺。
嬉しいお誘いだけど、正直言って心の準備ができていない。しかも、相手は蚊なのだ。
蚊と色々致すのは、常識的に考えて無理だろ、無理!
「では、交渉成立じゃな!」
モスキュリアは、嬉しそうに笑って言った。
む。
笑うとなかなか可愛いじゃないか。
よく見ると、年寄りのような口調の割に、顔は意外と幼い感じがする。
それにしては身体が肉感的で、ギャップがあるんだけど。
そんなことを考えながら、モスキュリアを眺めていたら、彼女の笑いがニヤニヤとしたものへ変わった。
「では、早速血を頂くとしよう!」
あ、まさかの貞操の危機では……?!
「わっ、わっ、ちょっと待って! ちょっと待ってモスキュリア──っ!」
彼女は、その細身からは信じられないほどの力で、俺を軽々と持ち上げ、ベッドに押し倒した。
俺、上背もある方だし、ちょっと筋肉質だから体重80キロ以上はあるからね?
力がないとかって嘆いてたけど、有り余ってんじゃん!
やばい。ヤラれる!
俺が、そんな気分になっちゃったのも仕方がない。
「わらわのことはリアと呼べ」
「り、リア……あっ、やっ! ちょっ……!」
モスキュリア改めリアは、押し倒した俺の上に跨って、青白いその指で頬、首、鎖骨……と、なぞるように触れてきた。
心臓がバクバクしている。
そんなことされたら本当にヤバいんだって!
(こいつは蚊のモンスターなんだ。蚊女だから。蚊女! いや、蚊女じゃなくてもはや痴女じゃないか──っ!!!)
必死に自分に言い聞かせて理性を保つ。
「ふーむ、そうじゃな……」
リアはそんな俺の胸中を知ってか知らずか、まだ俺の身体のあちこちをさわさわと触っている。
「よし、ここがよさそうじゃ」
そう言って、俺の右腕を持ち上げると、肘のちょい上に噛み付いた。
「いてっ!」
一瞬、チクッとした痛みが走るが、すぐに消えてなくなった。
(首筋とかじゃないんだな……)
吸血と言ったら吸血鬼。吸血鬼と言ったら首筋に噛み跡──だよね?
──ごく、ごく、ごく……。
(コイツが飲んでるの、俺の血……だよね? っつか、ちょっと飲みすぎじゃないか?!)
「ああ……まるで甘露のようだ。美味いのう……ごくっ……ごくっ」
静かな部屋の中に、嚥下音だけが規則的に響いている。
リアは、馬乗りになって二の腕の内側に噛み付いたまま、恍惚とした表情を浮かべている。
黒髪の美女が俺の腕に口をつけているその様子が、窓から差し込んだ月明かりに照らされて……ゾクゾクする。
口端から漏れた血が、彼女の顎を伝ってポタリと落ちた。
その様子をぼーっと見ながら血を吸われていると、段々と頭がぼんやりしてくる。
(あ、まずい……)
そして、俺はそのまま気を失った──。
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