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信 長 (四)

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 ……庭では、奥平父子が、珍妙な踊りを披露していた。
 どこかしら猥雑で、滑稽こっけいで、それでいてりんとした一連の動きを見て、ハッと思い当たった。
 わたしが新城しんしろに嫁ぐとき、奥山明神社で休賀斎の老公が踊ってくれた、あの動きとそっくりだった。
 太刀たちの代わりに、奥平父子は柄杓ひしゃくを握っていた。老公の剣の奥義のようなものであったろうか。
 急に座が華やぎ、踊り終えたとき、やんややんやの喝采が満ちた。

「信昌!二人とも、上がって、今川どのの隣に座られよ」

 信長様の物云いが急に丁寧になった。
 さきほどと別の小姓が耳打ちすると、
「皆のもの、しばし、待て」
と、云い残し座を立った。

 わたしは信昌どののほうを見てこうべれた。
 ことにしゅうとどのまでも、このような場に引き出すはめになろうとは、おのれの至らなさを胸のなかびた。
 信昌どのは何も発せず、ただ瞼を二度三度まばたいた。
 しばらくして、信長様が戻ってきた。

「三河守どのは、浜松の城を修築しているそうな」

 いきなり、信長様が云った。
 三河守、とは、父のことだ。一体、誰に発した言葉なのかわからずに、わたしは首をかしげた。

「……あるいは、妻と嫡男を、予に殺されたと思い込んだ三河守どのが、予への叛逆はんぎゃくを決意したのかとすら、勘繰ったぞ!亀よ、おまえは、父を、救ったな!」
「・・・・・・・」
「信昌!亀の隣に座るがいい。さかずきを取らす!」
「ははっ、ありがたき幸せにございまする」

 小姓が盃を信昌どのに手渡すと、意外にも、信長様が座を立ち、自ら酒に注いだ。信昌どのが呑み干した盃を奪うと、信長様はそれをわたしの鼻に突きつけた。

「亀!おまえも呑むがいい」

 盃を受け取り、信長様を仰ぎ見た。

「これは、信昌と亀の再嫁さいかの儀式だ!予が媒酌人を務めてつかわす。不服あるとは、よもやほざくまいぞ!」

 注がれた酒をわたしは一息で呑み干した。

「ありがとうござりまする。ご無礼の数々、どうか御赦しくださりませ」

 そう云わざるを得ない情況を瞬時につくってしまう信長様という人の怖さを、初めて知った。
 からだの震えがとまらなかった。
 座にもどろうとした信長様はふいに休賀斎の老公を見やった。

「剣の師がいいと、父子の踊りも、さてもうまくなるものよ」

 老公は、何も発せず、丁寧に頭を垂れた。

「……きょうのお詫びと御礼に、信長様に献上いたしたきものがございます」

 わたしが云うと、信長様は興味を示した。

「毒舌は、もう勘弁せい」
「いえ、大陸伝来の秘宝、興福寺に伝わる小さな茶壺、でござりまする」
「壺とな!なぜ、おまえが所持しておるのだ」
「さきの関白近衛卿ゆかりの御方より頂戴いたしました珍宝でございます。別称、天海の茶壷は、云い伝えによりますれば、かの国の皇帝がひそかに集めた、不老長寿の仙薬が入っているとのことでございまする……」

 まっかな嘘である。
 懐から兵太郎から貰った壺を取り出し、うやうやしく差し出した。
 信長様はじろりと蓋を見回し、蓋をあけると、においをぎ、指でつまみ、ぽいと口にいれた。
 周りが、アッとどよめいた。
 毒ならば……という警戒と驚愕の吐息だ。ところが信長様はぺろりと平らげた。

「なかなかに珍重なる味じゃ。亀よ、新城に戻り、長生きをせよ」

 これが、この日、信長様の最後の一言であった。


 信長様が奥に消えると、わたしの背後で、酒井忠次さまらの安堵の吐息が洩れ聴こえてきた。
 わたしは今川氏真公の前ににじり寄って両手をつき、
「ほんに、ご足労をおかけいたしました。ありがとうございました……」
と、礼を述べた。

「亀よ、よきかな、よきかな」

 氏真公は、それ以上は喋らなかった。信昌どのが、耳元で囁いた。

「お亀よ!信長様が申されたとおり、そちは、徳川どのを救ったかもしれぬが、逆に徳川どのに救われたかもしれんぞ」
「救われた……とは、どういう意味でございますか」
「大久保彦左衛門と申す荒武者あらむしゃが、単身、浜松の城に乗り込み、徳川どのに直談判じかだんぱんしたそうだぞ。《殿さんは、このうえ、亀様までも信長に殺させるのか》と、怒鳴り込んだという。そのとき、徳川どのは、彦左衛門の頬を強く殴りつけられた。そうして、ただちに陣触れを命じられ、籠城ろうじょうに備えた準備をはじめられたのだ。おそらくそのことが信長様のお耳に達していたのだろう。お亀を殺すならば、一戦つかまつろう、との意思を、徳川どのは、信長様にお見せあったのだ」

 父の真意がどこにあったのかは、誰にも、わかろうはずはない。それに、おそらく、どんなことがあっても、父は、信長様と干戈かんかを交えることはなかっただろうとおもうのだ。
 城の修復もなんのことはない、来るべき武田との一戦に備えた準備にしかすぎないのではなかったか。
 そのことを、別な場面で有効に活かしただけなのであろう。そんなことを考えていると、信昌どのがさらに呟いた。

「お亀、新城しんしろに戻ってきてくれるか?」

 静かで凛とした響きだった。

「戻ってもよろしゅうございますのか」
「当然のこと。わしの妻は、お亀をおいて他にはおらぬ」
「……けれど、この亀は、城の外で、好き勝手なふるまいをいたしました」
「あの小太郎どのに最後まで助力をいたさなかったことを怒っているのか。途中で放り出したまま、傍観していたことを……」
「そんな、怒るなどと……」
「ならば、これまでのこと、互いにゆるし合うわけにはいかぬか。お亀よ、わしはそちが離れていって、はじめて気づかされた。わしは、お亀に惚れているのだ」

 臆面もなく満座の中でそんなことを云い放す信昌どののことを、〈ほんに不思議な御仁だ〉とおもった。
 そうして、このとき、〈負けた〉とおもった。ふたたび信昌どののもとに戻るのも悪くはない、と自然におもえてきた。
 するとさきほどの踊りのさまが髣髴ほうふつと蘇ってきた。
 わたしは、
「はい」
と、小さく呟いた。
 座を下がろうとしたとき、氏真公が追いかけてきた。

「予に安土へ行けと勧めたのは、かの真田昌幸めじゃよ」
「な、なんと真田様が?」
「亀よ、おまえはなにか真田と密約でもかわしおるのか?」
「いいえ、そんなことはございませぬけれど……」
「……あの真田は、亀の家来の佐助とか申す男に、とくに興味を持っておったようじゃぞ。雇いたいとも申しておったぞ……それに、どうやら、あやつは、おまえに惚れているようであったぞ。ふふふ……まあいい、ところで、あの茶壺には、まことに、不老長寿の仙薬がはいっておったのか」
「いいえ……安土の商人たちの耳糞みみくそあか……」

 そう耳元でささやくと、氏真公は扇を顔にあて、き出すのを懸命にこらえながら、そのまま足早に奥の廊下へと姿を消した。
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