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疑 義 (四)
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このまま京で、棲みかを見つけようと考えていた。
なぜそうおもうにいたったのかは、簡単には説明しきれない。
優華様がここに来たれば、かの姫を欲する信長様との間になんらかの確執が生じるのは必定で、いかにわたしが浅知恵で一方的に奥平家から離れようとも、また、真田昌幸どのの前で豪語したように芦名衆を率いるといった妄想めいた言葉に酔いしれようとも、信長様を相手にして一戦仕る兵も資もない女人にすぎないのだ。
それに、三河に戻るよりも、この京に居続けるほうが、徳川にも奥平にも累を及ぼさないのではないかとも考えていた。その判断がいいのかどうかは、いまはわからない。
巣鴨と二人で、茶屋四郎次郎どのがいない間に、京の通りを歩いた。巣鴨の身なりに似せ、伸びた髪を襟元で切り揃えた。腰巻の上に〈亀屋〉の文字が染められた外衣を羽織り、二人で手をつないだり、駆けっこをしたり、葛乃がいる南蛮寺へも幾たびとなく足を運んだ。
やはり、大坂湊での海戦の衝撃は、都草の間にも、語り継がれていて、ようやく信長様が造らせたという鉄の船の意味を知ることができた。
……わたしが乗ったことがある安宅船よりも、さらに大きな船を新たに造らせたのだという。長さ十三間、幅七間の船の側面に、一枚ずつ蝶番にした鉄の板をはめ込むことで、火矢も鉄砲も跳ね返すことができたそうである。六隻の大きな鉄の船で、六百隻の毛利水軍を撃退したのだ。
兵太郎は、五十八艘の水軍を率いて出陣したというけれど、鉄の大船にはひとたまりもなかったのだろう。
詞葉は南蛮寺にいるときも居ないときもあり、ときには寂しい思いもしたのだけれど、京の隅々にまで漲りつつある活気と喧騒のほどは、誰が逝き、誰が遠ざかろうとも、絶えずあるべき方向へと人は動き、流れていることを、わたしたち二人は、ともに知りはじめてきていた。
そのころになると神立の里から壮年の男や若き男女が互いを支えあうようにして、一人、三人と京に出てきていて、自然と巣鴨の周りに集まり出した。なかには筒井順慶さま直属の筒井衆も混じっていたはずである。
鉈や鋸、農具などそれぞれに武器を携えていて、気づくと五十人を超えていた。
かれらを再び騒乱の渦のなかに巻き込みたくはなかったので、嘉兵衛の手伝いができる者は笹に預け、瓦師や大工の技を学びたい者には茶屋衆に頼んでしかるべき師を見つけてもらった。腕の立つ者だけを護衛として巣鴨にあずけた。
ところで笹は、この屋敷で嘉兵衛とすっかり打ち解けているようで、すでにまぐわう仲になったらしい。そのことをそれとなく冷やかすと、笹はぽっと頬を赤らめた。
「嘉兵衛と、この京か、安土で、暮らしてほしい」
かねてから考えていたわたしなりの計画を笹に告げた。
「……二人に店をやってもらいたいのです。亀党の京での拠点になるし、諸将の動きや人々の気持ちを、どこに居ようと伝えてほしい。いやならば、無理強いはしないけれど」
「そ、そんな、亀さま、とてもありがたいことだとおもっています……昨夜も嘉兵衛どのと二人で、実は、そのような愚かしい夢を語っていたところです。亀さまのお世話ができなくなるのは哀しいことですが……」
ほんの少し云いよどんでから、笹は、どうやら身籠ったらしいと小さな声で告げた。
「……月の物が訪れなくなって……この齢になって、お恥ずかしい……」
わたしはそのとき、どんな顔をして驚きと悦びを伝えたのか、自分でもわからない。笹に抱きつくと、ぽんぽんとわたしの背を撫で叩いてくれた。
わたしは嬉しくてたまらなかったのだ。
自分の懐妊には、どこかで醒めたもう一人のわたしが眺めていたような気がするのだけれど、身近にいる笹の懐妊は、知らずのうちにもいのちが宿る不可思議さに驚き、心から寿ぎたいような気になった。
わたしは、月の物、という云い方はあまり好きではない。
それに、月に一度の生理は、決して、一度、と数えられるべきものではないはずだともおもっている。そこには、少なからずの期間というものがある。その推移を経なければ、一度、にはならないのだ。
それにその時分の心身の調子によって痛みのほどあいが異なるのか、痛みの度合いによって、その期間の心のありようが異なってくるのかはよくわからないのだけれど、一度という云い方は、たんに回数を示しているだけにすぎず、本当のところは、回量なのだということに殿方は決して気づこうとはしない。
何日かの連続した推移というものがあってはじめて〈一度〉という数を刻むことができるのだ。まして世間では月の物は不浄の血、ともいう。一体、どこが不浄なのか、わたしにはわからないし、それが女人の証である以上、だれからも不浄などと忌み嫌われる理由などないのだ。
なぜそうおもうにいたったのかは、簡単には説明しきれない。
優華様がここに来たれば、かの姫を欲する信長様との間になんらかの確執が生じるのは必定で、いかにわたしが浅知恵で一方的に奥平家から離れようとも、また、真田昌幸どのの前で豪語したように芦名衆を率いるといった妄想めいた言葉に酔いしれようとも、信長様を相手にして一戦仕る兵も資もない女人にすぎないのだ。
それに、三河に戻るよりも、この京に居続けるほうが、徳川にも奥平にも累を及ぼさないのではないかとも考えていた。その判断がいいのかどうかは、いまはわからない。
巣鴨と二人で、茶屋四郎次郎どのがいない間に、京の通りを歩いた。巣鴨の身なりに似せ、伸びた髪を襟元で切り揃えた。腰巻の上に〈亀屋〉の文字が染められた外衣を羽織り、二人で手をつないだり、駆けっこをしたり、葛乃がいる南蛮寺へも幾たびとなく足を運んだ。
やはり、大坂湊での海戦の衝撃は、都草の間にも、語り継がれていて、ようやく信長様が造らせたという鉄の船の意味を知ることができた。
……わたしが乗ったことがある安宅船よりも、さらに大きな船を新たに造らせたのだという。長さ十三間、幅七間の船の側面に、一枚ずつ蝶番にした鉄の板をはめ込むことで、火矢も鉄砲も跳ね返すことができたそうである。六隻の大きな鉄の船で、六百隻の毛利水軍を撃退したのだ。
兵太郎は、五十八艘の水軍を率いて出陣したというけれど、鉄の大船にはひとたまりもなかったのだろう。
詞葉は南蛮寺にいるときも居ないときもあり、ときには寂しい思いもしたのだけれど、京の隅々にまで漲りつつある活気と喧騒のほどは、誰が逝き、誰が遠ざかろうとも、絶えずあるべき方向へと人は動き、流れていることを、わたしたち二人は、ともに知りはじめてきていた。
そのころになると神立の里から壮年の男や若き男女が互いを支えあうようにして、一人、三人と京に出てきていて、自然と巣鴨の周りに集まり出した。なかには筒井順慶さま直属の筒井衆も混じっていたはずである。
鉈や鋸、農具などそれぞれに武器を携えていて、気づくと五十人を超えていた。
かれらを再び騒乱の渦のなかに巻き込みたくはなかったので、嘉兵衛の手伝いができる者は笹に預け、瓦師や大工の技を学びたい者には茶屋衆に頼んでしかるべき師を見つけてもらった。腕の立つ者だけを護衛として巣鴨にあずけた。
ところで笹は、この屋敷で嘉兵衛とすっかり打ち解けているようで、すでにまぐわう仲になったらしい。そのことをそれとなく冷やかすと、笹はぽっと頬を赤らめた。
「嘉兵衛と、この京か、安土で、暮らしてほしい」
かねてから考えていたわたしなりの計画を笹に告げた。
「……二人に店をやってもらいたいのです。亀党の京での拠点になるし、諸将の動きや人々の気持ちを、どこに居ようと伝えてほしい。いやならば、無理強いはしないけれど」
「そ、そんな、亀さま、とてもありがたいことだとおもっています……昨夜も嘉兵衛どのと二人で、実は、そのような愚かしい夢を語っていたところです。亀さまのお世話ができなくなるのは哀しいことですが……」
ほんの少し云いよどんでから、笹は、どうやら身籠ったらしいと小さな声で告げた。
「……月の物が訪れなくなって……この齢になって、お恥ずかしい……」
わたしはそのとき、どんな顔をして驚きと悦びを伝えたのか、自分でもわからない。笹に抱きつくと、ぽんぽんとわたしの背を撫で叩いてくれた。
わたしは嬉しくてたまらなかったのだ。
自分の懐妊には、どこかで醒めたもう一人のわたしが眺めていたような気がするのだけれど、身近にいる笹の懐妊は、知らずのうちにもいのちが宿る不可思議さに驚き、心から寿ぎたいような気になった。
わたしは、月の物、という云い方はあまり好きではない。
それに、月に一度の生理は、決して、一度、と数えられるべきものではないはずだともおもっている。そこには、少なからずの期間というものがある。その推移を経なければ、一度、にはならないのだ。
それにその時分の心身の調子によって痛みのほどあいが異なるのか、痛みの度合いによって、その期間の心のありようが異なってくるのかはよくわからないのだけれど、一度という云い方は、たんに回数を示しているだけにすぎず、本当のところは、回量なのだということに殿方は決して気づこうとはしない。
何日かの連続した推移というものがあってはじめて〈一度〉という数を刻むことができるのだ。まして世間では月の物は不浄の血、ともいう。一体、どこが不浄なのか、わたしにはわからないし、それが女人の証である以上、だれからも不浄などと忌み嫌われる理由などないのだ。
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