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暗 躍 (四)

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「……じつは、亀さまにお伝えしておかねばならないことがございます」

 ふたりきりのとき、急に低声こごえになった詞葉が、真剣なまなざしをこちらに向けた。

「……小太郎様の素性、もう御耳にお入れいたしてもさしつかえないと存じます。どうか、驚かずに、お聴きください。……小太郎様の母君は、すでにお亡くなりあそばした藤原のうじの長者、近衛植家さまの姫君で、さきの関白、近衛前久さまの妹御にあたられます……そして、父君は、十三代将軍、亡き足利義輝公でございます……」

 そう聴いても意味がまったく伝わらなかった。再度、たずねた。さまざまな人の名だけが頭裡で錯綜さくそうした。

「しょ、将軍様のお子……」
「はい。まことの名は、足利あしかが義高よしたかさま。小太郎というのはご幼名なのです」
「な、なんと……足利の御曹司おんぞうしでございましたか!」

 義輝公は十三代将軍で、十五代義昭公の兄にあたる方だ。十一年前の永禄八年に、かの翁狐、松永弾正さまらに攻められてご自害されている。義輝公の正室は、近衛植家という方の娘で、近衛前久さまの妹にあたるので、近衛前久さまは、小太郎からみれば伯父というわけだった。
 なかなかに、血のつながりというのは、わかりにくい。新城しんしろの城で、笹たちが噂していた《近衛卿のご落胤……》というのは、事実ではなかったにせよ、それほどかけ離れている内容でもなかったわけだ。
 噂というのは、ほんとうに怖ろしいものだ。
 義輝公は剣豪将軍ともいわれた。
 剣聖とうたわれた上泉伊勢守に剣の教えを受け、塚原卜伝ぼくでんという御方から奥義を伝授されたらしいということも、巷の噂になっていた。
 どうやら、こういうことらしい、小太郎の正体は、早くから信長様の耳に入っていたらしかったが、義輝公落胤と聴いても、ただ、《ふん、で、あるか!》と、言い捨てただけであったそうである。そんなことまで詞葉は教えてくれた。
 ……小太郎の正体を知れば、なるほどと頷けることが多々あった。
 これまでの不可解な部分が、ある程度、あらわになってきた。
 翁狐の城での警護の者たちの会話の核心は、あるいは明国から逃れてきた皇女と将軍家血縁の小太郎をめあわせ、十六代将軍に推戴すいたいするということではなかったろうか。
 翁狐が描いた謀略の大本は、小太郎という個人の持つ秘められた過去にあったのだ。
 夫の信昌どのが、自分に子種こだねなきときは、小太郎の子をはらむべし、と云った意味も、ようやく呑み込めてきた。
 このあたり、なかなかどうして、信昌どのには、したたかなところもある。義輝公の血をもって、奥平家の礎にする腹づもりであったのかもしれない。
 もっとも、この戦国乱世では、なにがしかのしたたかさがなければ、勝ち抜いていくことはできない。

「……でも、どうして小太郎、いや、小太郎様は、新城しんしろに居候のように居着いていたのですか?」
「それは奥山休賀斎様の御提案でした。兵太郎様が、一時預かってくださるように休賀斎様に依頼したのです……」
「え? 老公が? なにゆえ……」

 なにがなにやら、頭裡のなかをつむじ風のような流れがぐるぐると舞っているような感覚にとらわれた。
 なんとまああの老公は、はなから共謀者であったのだ。狸爺たぬきじいめと、口汚く罵りたいおもいにかられた。

「……休賀斎様は、小太郎様の父君、義輝公とは、剣をつうじた御同門でございますから。上泉伊勢守という師匠の弟子同士でしたので、その縁で、小太郎様の将来を案じておられたのでは……」

 詞葉が言った。あっ、とわたしは思い至った。なるほど、あの老公にもそういう物語があったのだ。
 気の毒そうに詞葉が弁解するのを、他人事ひとごとのように眺めていた。なるほど、そうであるならば、これまでもやがかかっていたことにも得心がいく。政争の具にならないように小太郎は新城の山奥に身を潜めていたのに、おそらくは信長様の密偵がそれを嗅ぎ付け、父家康も大慌てしたのかもしれない。
 まさかおのが娘婿が、足利将軍家の御曹司と懇意にしているとあっては、信長様に申し開きがつかないからだろう。
 かの服部半蔵さまが、小太郎が出家することをわが事のように喜んでいた理由にも納得がいった。それぞれがそれぞれに小太郎の存在をうとましく、あるいはれ物に触るかのように傍観し、ときに介入し、ときに抹殺までたくらんでいたのかもしれない。
 かつて熊蔵が、新城は魔の巣窟といったようなことを吐露していたのを思い出した。
 小太郎に再会することがあったならば、当人をうんといじめてやろうとおもった。


 
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