41 / 66
暗 躍 (三)
しおりを挟む
洛中立売の一画にたたずむ屋敷は、奥平の新城城の何十倍はあろうかとおもわれるほど広大な敷地を有していた。
平屋の茅葺きの本屋敷のほか、まだ珍しい瓦葺きの蔵が数棟建ち並んでいた。
敷内には、厩、井戸だけでなく、仏塔、鐘楼、稲荷社までもあった。けれど豪奢な趣はなく、むしろ清楚然とわたしの目に映ったのは、この亀屋栄任どのの屋敷が、京での徳川の情報収集拠点のひとつでもあったからだろう。
焼け焦げた跡が、柱や軒のいたるところにみられた。
戦乱が続き、焦土と化したとまでいわれた都の往時のありさまが、部外者のわたしにもなんとはなしに想像できた。焼けても焦げても、諦めず再建し、造り変えていく営みには、都草たちのしたたかさも感じられてきて、そのこともわたしにはとてもほほえましくおもわれてきたのだ。
出迎えてくれた茶屋四郎次郎どのが 〈亀屋〉という屋号は、わたしの名と関係があることを真っ先に告げた。この屋敷の当主、栄任どのは呉服商で、父家康よりは年長らしいけれど、いまだお会いしたことはない。
「……まさに亀姫様のご誕生を祝って、家康様がこの京に店を出しましてな。いや、あの頃は、まだ松平元康と名乗ってござりましたがのぅ。屋号を、松平屋にするつもりで準備しておったようですが、亀姫様がお生まれになって、亀屋、とあいなりました」
「でも、わたしと三郎兄さまはすぐに棄てられた……」
「いやはや、余人は悪し様に申す者もあるやもしれませぬが……あの戦のおり、義元公が討たれたと知った上は、すばやく岡崎の城をわれらが手に戻さねば、遠からず織田勢に奪われていたことでしょうな。さすれば、亀姫様のいまもなき次第にて、つまりは、棄てられたのではなく、命をお拾いなされた、のでござるよ」
ものは云いようというけれど、後付けの弁解にしては一理も二理もあるようにおもわれてくるから不思議だった。立場が異なれば、それぞれに主張すべきもの、それぞれに譲れないものがあるということなのだろう。
おそらくなにを抗弁しようとも、四郎次郎どのの舌の冴えには敵うまいとおもった。
兄信康の事について、四郎次郎どのなりの見識というものにも触れてみたいとおもったけれど、やめた。かれは父の側の人なのだから、うまくまるめ込まれてしまいそうな気がしたのだ。
……父家康は、京都での情報を集める拠点として呉服商の店を隠れ蓑にしてきたらしい。この茶屋四郎次郎どのも、山科、洛北、洛西、淀などに店を持っているという。いまではその意味がよくわかる。各地の要人たちの動向を探るためであったろう。
亀屋当主の栄任どのは、船大工や職人たちを連れ、安芸や瀬戸内、博多の地を廻っているところだと、四郎次郎どのが云った。大海を渡ることができる大船を建造するためらしい。栄任どのは四郎次郎どのとともに、本格的に南蛮貿易を手がける準備をしていたのだ。
「……近く大きな海戦が起こりましょうぞ。信長様は、九鬼嘉隆どのに鉄の船を造るようにお命じになられた。二年前、毛利水軍に大敗した雪辱をはらすものになりましょう」
鉄の船とは、どういう意味なのかまではわからなかったけれど、芦名兵太郎からの報せがしばらく途絶えていた理由が、いまになってやっとつかめた。兵太郎の芦名水軍も信長様麾下の水軍との戦に備え、なにかと慌しい日々を過ごしているにちがいない。
わたしは、嘉兵衛と弥右衛門たちに、京の道筋を把握してもらうことにした。せっかく都に足を踏み入れたというのに、一歩も屋敷の外に出ることができなかったからだ。四郎次郎どのの配下の茶屋衆が二重三重の人垣をつくるかのように厳重に監視していたからだ。
これには巣鴨もうんざりしていたようである。わたしの推測では、おそらく巣鴨は筒井順慶さまの妹、あるいは、そうでなくてもかなり濃い血族なのだろうとおもっていた。けれど、そのことは糺さなかった。どうでもいいことだから。
それに、巣鴨は、順慶さまへの報せの内容をつまびらかにみせてわたしに了承を求めるのだ。それを読むと、わたしですら知らないことまでが列挙されていて、順慶さまは、あの洞窟で兵太郎が語った信長様の偉大さについてことのほか学ぶことがあったにちがいない。もとより巣鴨ひとりが得た情報ではなく、おそらく巣鴨の周りには護衛を兼ねた筒井衆の密偵が大勢いるにちがいない。つまりは、巣鴨は密偵をまとめる役目を担っているのだろう。
それで構わないとおもった。
持ちつ持たれつとはこのことで、巣鴨は佐助が居ない間、なによりも頼りになる護衛でもあるからだ。その巣鴨にとくに指示を与え、屋敷の外に出した。
半蔵さまの姿はない。
すでになにかの交渉ごとか、探索ごとに精を出しているようだった。今川氏真公は、旧知の公卿の屋敷を泊まり歩いているらしい。町なかを探索してきた嘉兵衛が立ち戻ってきた。
「……嬉しい御報せがございますぞ。ほどなく笹様と佐助の二人が、ここに戻ってまいりましょう。明日にでも、この亀屋までなにがしかの報せが返ってくるとおもいます」
翌日、わたしを訪ねてきてくれたのは、心待ちにしていたこの二人ではなく、なんと詞葉だった。
わたしが命じたとおり、巣鴨は独りで南蛮寺まで赴き、詞葉という名の混血女人の消息を探り出したのだ。与えた役目を巣鴨は見事に果たしてくれた。
「亀さま、ご健勝にて、なによりでございました」
「そなたもようご無事で。この京で再会できるとは、嬉しいことが続きます。小太郎のことだけど……」
「ええ、存じておりますよ。いま、比叡山に宿坊を建てられておられるようです。兵太郎様のご指示で、南光坊という号を冠した小さな学舎ですが、焼かれた山麓にも、少しずつですが、復興の兆しがみられると聴きました」
「小太郎は、いまは天誉というお坊様なのですね、……南光坊天誉様……。あっ、兵太郎どのは、船の戦の準備で忙しいのでしょうね」
「さすがにお詳しい……。村上水軍の諸将方と瀬戸内沖におられるようです。こたびの戦が終われば、兵太郎様も南光坊でお暮らしになるとか。すでに、法号も考えておられるとか・・・天と海で、天海さまと号されるようです」
「天海!なんとまあ、あの御仁らしい豪放な御名ですね……南光坊天海さま……。さようですか、戦が近いのですね」
「はい。……この十月、ついに荒木村重様が、信長様にご謀叛なさいました。石山本願寺に与することを決められて……」
「では、高山右近様は?」
「ジュスト様は荒木様と袂をわかち、信長様の直臣となられました」
もともと高山ジュスト右近さまを荒木村重さまの手もとから引き離すことが、詞葉に与えられた使命だった。大坂に拠点を置く石山本願寺は、反信長包囲網の主軸であって、毛利水軍に協力する芦名兵太郎は、反信長陣営の巨魁の一人といっていい。
けれども、兵太郎に育てられた詞葉は、いわば信長様に協力している……本当に複雑な話だった。
「いえ、なにも信長様に協力しているのでありませぬよ。信長様は南蛮寺の築造をお許しになられました。わたしたち信者は、信仰を護るため信長様についているだけのこと」「ふうん、信仰の複雑なことは私にはよくわからないけれど……」
「……信仰とは、まだ見ていない事実を確認すること、だと申します。ですから、まだ長い長い旅の途中なのかもしれませぬ」
その詞葉が、すでに彦左は三河にもどっているはずだと告げた。
わたしは驚いたが、そのあたりの経緯は、やがて笹と佐助の二人がもたらしてくれるにちがいない。
「……それで、詞葉のちち様には逢うことができましたか」
そう訊ねると急に詞葉は面を伏せ、首を左右に振った。
詞葉の父、按二郎按の行方はわからずじまいで、いまは信仰を離れ、一人で放浪を続けているらしい。わたしには切支丹の信仰のことはよくわからないのだし、按二郎という方がどのようなことで苦悩しているかなどということはまったくうかがい知れないことだ。
やはり詞葉は南蛮寺で暮らしているらしい。
蛸薬師通り室町西入る姥柳町に建てられた三階建のお城のような南蛮寺の噂は、わたしの耳にも達していたけれど、いまだこの目で確かめたことはない。あの翁狐が、各地に南蛮寺を建て、反信長包囲網の要塞にするのだといっていたことをおもいだした。さながら巨大な寺院のようなものなのだろうと想像した。
詞葉にこの屋敷にしばらくの間、逗留してくれるようにと頼んだ。巣鴨の素性を詞葉もに語り、わたしたち三人は部屋に籠もったまま、数日の間、水入らずでしみじみと語り合い、おだやかなひとときを過ごした。
「……今川のお館様は、いまどちらにおいでなのか存じていますか」
「詩歌の友、冷泉家や三条家に逗留なされておられるようですよ。それに、真田昌幸という方が、しきりに南蛮寺にもお姿を見せられました。なにやら今川氏真様を、甲斐に連れ返えろうと画策されているようです」
西から東へとさまざまな者を連れ返ろうとするのが、真田流なのだろうか。
かつては、明国皇女と勘違いしたわたしを連れ帰ろうとし、こんどは今川氏真公だという。もっとも、今川家と武田家はもともと姻戚にあたる。武田信玄公の父、信虎さまの息女は、今川義元公の室となり、氏真公を生んだ。氏真公の妹は、信玄公の嫡男義信さまに嫁いだが、義信さまは謀叛の罪で自害させられている。現当主の武田勝頼さまの母は諏訪氏なので、いまはなんの絆もない。
いや、そんなことで、なにかを護れるとはいえない時世であることは、このわたしが一番よく知っている。けれどこの期に及んであの真田昌幸どのが今川氏真公をどのように利用しようとしているのか、そのことが不思議でならなかった。
平屋の茅葺きの本屋敷のほか、まだ珍しい瓦葺きの蔵が数棟建ち並んでいた。
敷内には、厩、井戸だけでなく、仏塔、鐘楼、稲荷社までもあった。けれど豪奢な趣はなく、むしろ清楚然とわたしの目に映ったのは、この亀屋栄任どのの屋敷が、京での徳川の情報収集拠点のひとつでもあったからだろう。
焼け焦げた跡が、柱や軒のいたるところにみられた。
戦乱が続き、焦土と化したとまでいわれた都の往時のありさまが、部外者のわたしにもなんとはなしに想像できた。焼けても焦げても、諦めず再建し、造り変えていく営みには、都草たちのしたたかさも感じられてきて、そのこともわたしにはとてもほほえましくおもわれてきたのだ。
出迎えてくれた茶屋四郎次郎どのが 〈亀屋〉という屋号は、わたしの名と関係があることを真っ先に告げた。この屋敷の当主、栄任どのは呉服商で、父家康よりは年長らしいけれど、いまだお会いしたことはない。
「……まさに亀姫様のご誕生を祝って、家康様がこの京に店を出しましてな。いや、あの頃は、まだ松平元康と名乗ってござりましたがのぅ。屋号を、松平屋にするつもりで準備しておったようですが、亀姫様がお生まれになって、亀屋、とあいなりました」
「でも、わたしと三郎兄さまはすぐに棄てられた……」
「いやはや、余人は悪し様に申す者もあるやもしれませぬが……あの戦のおり、義元公が討たれたと知った上は、すばやく岡崎の城をわれらが手に戻さねば、遠からず織田勢に奪われていたことでしょうな。さすれば、亀姫様のいまもなき次第にて、つまりは、棄てられたのではなく、命をお拾いなされた、のでござるよ」
ものは云いようというけれど、後付けの弁解にしては一理も二理もあるようにおもわれてくるから不思議だった。立場が異なれば、それぞれに主張すべきもの、それぞれに譲れないものがあるということなのだろう。
おそらくなにを抗弁しようとも、四郎次郎どのの舌の冴えには敵うまいとおもった。
兄信康の事について、四郎次郎どのなりの見識というものにも触れてみたいとおもったけれど、やめた。かれは父の側の人なのだから、うまくまるめ込まれてしまいそうな気がしたのだ。
……父家康は、京都での情報を集める拠点として呉服商の店を隠れ蓑にしてきたらしい。この茶屋四郎次郎どのも、山科、洛北、洛西、淀などに店を持っているという。いまではその意味がよくわかる。各地の要人たちの動向を探るためであったろう。
亀屋当主の栄任どのは、船大工や職人たちを連れ、安芸や瀬戸内、博多の地を廻っているところだと、四郎次郎どのが云った。大海を渡ることができる大船を建造するためらしい。栄任どのは四郎次郎どのとともに、本格的に南蛮貿易を手がける準備をしていたのだ。
「……近く大きな海戦が起こりましょうぞ。信長様は、九鬼嘉隆どのに鉄の船を造るようにお命じになられた。二年前、毛利水軍に大敗した雪辱をはらすものになりましょう」
鉄の船とは、どういう意味なのかまではわからなかったけれど、芦名兵太郎からの報せがしばらく途絶えていた理由が、いまになってやっとつかめた。兵太郎の芦名水軍も信長様麾下の水軍との戦に備え、なにかと慌しい日々を過ごしているにちがいない。
わたしは、嘉兵衛と弥右衛門たちに、京の道筋を把握してもらうことにした。せっかく都に足を踏み入れたというのに、一歩も屋敷の外に出ることができなかったからだ。四郎次郎どのの配下の茶屋衆が二重三重の人垣をつくるかのように厳重に監視していたからだ。
これには巣鴨もうんざりしていたようである。わたしの推測では、おそらく巣鴨は筒井順慶さまの妹、あるいは、そうでなくてもかなり濃い血族なのだろうとおもっていた。けれど、そのことは糺さなかった。どうでもいいことだから。
それに、巣鴨は、順慶さまへの報せの内容をつまびらかにみせてわたしに了承を求めるのだ。それを読むと、わたしですら知らないことまでが列挙されていて、順慶さまは、あの洞窟で兵太郎が語った信長様の偉大さについてことのほか学ぶことがあったにちがいない。もとより巣鴨ひとりが得た情報ではなく、おそらく巣鴨の周りには護衛を兼ねた筒井衆の密偵が大勢いるにちがいない。つまりは、巣鴨は密偵をまとめる役目を担っているのだろう。
それで構わないとおもった。
持ちつ持たれつとはこのことで、巣鴨は佐助が居ない間、なによりも頼りになる護衛でもあるからだ。その巣鴨にとくに指示を与え、屋敷の外に出した。
半蔵さまの姿はない。
すでになにかの交渉ごとか、探索ごとに精を出しているようだった。今川氏真公は、旧知の公卿の屋敷を泊まり歩いているらしい。町なかを探索してきた嘉兵衛が立ち戻ってきた。
「……嬉しい御報せがございますぞ。ほどなく笹様と佐助の二人が、ここに戻ってまいりましょう。明日にでも、この亀屋までなにがしかの報せが返ってくるとおもいます」
翌日、わたしを訪ねてきてくれたのは、心待ちにしていたこの二人ではなく、なんと詞葉だった。
わたしが命じたとおり、巣鴨は独りで南蛮寺まで赴き、詞葉という名の混血女人の消息を探り出したのだ。与えた役目を巣鴨は見事に果たしてくれた。
「亀さま、ご健勝にて、なによりでございました」
「そなたもようご無事で。この京で再会できるとは、嬉しいことが続きます。小太郎のことだけど……」
「ええ、存じておりますよ。いま、比叡山に宿坊を建てられておられるようです。兵太郎様のご指示で、南光坊という号を冠した小さな学舎ですが、焼かれた山麓にも、少しずつですが、復興の兆しがみられると聴きました」
「小太郎は、いまは天誉というお坊様なのですね、……南光坊天誉様……。あっ、兵太郎どのは、船の戦の準備で忙しいのでしょうね」
「さすがにお詳しい……。村上水軍の諸将方と瀬戸内沖におられるようです。こたびの戦が終われば、兵太郎様も南光坊でお暮らしになるとか。すでに、法号も考えておられるとか・・・天と海で、天海さまと号されるようです」
「天海!なんとまあ、あの御仁らしい豪放な御名ですね……南光坊天海さま……。さようですか、戦が近いのですね」
「はい。……この十月、ついに荒木村重様が、信長様にご謀叛なさいました。石山本願寺に与することを決められて……」
「では、高山右近様は?」
「ジュスト様は荒木様と袂をわかち、信長様の直臣となられました」
もともと高山ジュスト右近さまを荒木村重さまの手もとから引き離すことが、詞葉に与えられた使命だった。大坂に拠点を置く石山本願寺は、反信長包囲網の主軸であって、毛利水軍に協力する芦名兵太郎は、反信長陣営の巨魁の一人といっていい。
けれども、兵太郎に育てられた詞葉は、いわば信長様に協力している……本当に複雑な話だった。
「いえ、なにも信長様に協力しているのでありませぬよ。信長様は南蛮寺の築造をお許しになられました。わたしたち信者は、信仰を護るため信長様についているだけのこと」「ふうん、信仰の複雑なことは私にはよくわからないけれど……」
「……信仰とは、まだ見ていない事実を確認すること、だと申します。ですから、まだ長い長い旅の途中なのかもしれませぬ」
その詞葉が、すでに彦左は三河にもどっているはずだと告げた。
わたしは驚いたが、そのあたりの経緯は、やがて笹と佐助の二人がもたらしてくれるにちがいない。
「……それで、詞葉のちち様には逢うことができましたか」
そう訊ねると急に詞葉は面を伏せ、首を左右に振った。
詞葉の父、按二郎按の行方はわからずじまいで、いまは信仰を離れ、一人で放浪を続けているらしい。わたしには切支丹の信仰のことはよくわからないのだし、按二郎という方がどのようなことで苦悩しているかなどということはまったくうかがい知れないことだ。
やはり詞葉は南蛮寺で暮らしているらしい。
蛸薬師通り室町西入る姥柳町に建てられた三階建のお城のような南蛮寺の噂は、わたしの耳にも達していたけれど、いまだこの目で確かめたことはない。あの翁狐が、各地に南蛮寺を建て、反信長包囲網の要塞にするのだといっていたことをおもいだした。さながら巨大な寺院のようなものなのだろうと想像した。
詞葉にこの屋敷にしばらくの間、逗留してくれるようにと頼んだ。巣鴨の素性を詞葉もに語り、わたしたち三人は部屋に籠もったまま、数日の間、水入らずでしみじみと語り合い、おだやかなひとときを過ごした。
「……今川のお館様は、いまどちらにおいでなのか存じていますか」
「詩歌の友、冷泉家や三条家に逗留なされておられるようですよ。それに、真田昌幸という方が、しきりに南蛮寺にもお姿を見せられました。なにやら今川氏真様を、甲斐に連れ返えろうと画策されているようです」
西から東へとさまざまな者を連れ返ろうとするのが、真田流なのだろうか。
かつては、明国皇女と勘違いしたわたしを連れ帰ろうとし、こんどは今川氏真公だという。もっとも、今川家と武田家はもともと姻戚にあたる。武田信玄公の父、信虎さまの息女は、今川義元公の室となり、氏真公を生んだ。氏真公の妹は、信玄公の嫡男義信さまに嫁いだが、義信さまは謀叛の罪で自害させられている。現当主の武田勝頼さまの母は諏訪氏なので、いまはなんの絆もない。
いや、そんなことで、なにかを護れるとはいえない時世であることは、このわたしが一番よく知っている。けれどこの期に及んであの真田昌幸どのが今川氏真公をどのように利用しようとしているのか、そのことが不思議でならなかった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
KAKIDAMISHI -The Ultimate Karate Battle-
ジェド
歴史・時代
1894年、東洋の島国・琉球王国が沖縄県となった明治時代――
後の世で「空手」や「琉球古武術」と呼ばれることとなる武術は、琉球語で「ティー(手)」と呼ばれていた。
ティーの修業者たちにとって腕試しの場となるのは、自由組手形式の野試合「カキダミシ(掛け試し)」。
誇り高き武人たちは、時代に翻弄されながらも戦い続ける。
拳と思いが交錯する空手アクション歴史小説、ここに誕生!
・検索キーワード
空手道、琉球空手、沖縄空手、琉球古武道、剛柔流、上地流、小林流、少林寺流、少林流、松林流、和道流、松濤館流、糸東流、東恩流、劉衛流、極真会館、大山道場、芦原会館、正道会館、白蓮会館、国際FSA拳真館、大道塾空道
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
近衛文麿奇譚
高鉢 健太
歴史・時代
日本史上最悪の宰相といわれる近衛文麿。
日本憲政史上ただ一人、関白という令外官によって大権を手にした異色の人物にはミステリアスな話が多い。
彼は果たして未来からの転生者であったのだろうか?
※なろうにも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる