41 / 66
暗 躍 (三)
しおりを挟む
洛中立売の一画にたたずむ屋敷は、奥平の新城城の何十倍はあろうかとおもわれるほど広大な敷地を有していた。
平屋の茅葺きの本屋敷のほか、まだ珍しい瓦葺きの蔵が数棟建ち並んでいた。
敷内には、厩、井戸だけでなく、仏塔、鐘楼、稲荷社までもあった。けれど豪奢な趣はなく、むしろ清楚然とわたしの目に映ったのは、この亀屋栄任どのの屋敷が、京での徳川の情報収集拠点のひとつでもあったからだろう。
焼け焦げた跡が、柱や軒のいたるところにみられた。
戦乱が続き、焦土と化したとまでいわれた都の往時のありさまが、部外者のわたしにもなんとはなしに想像できた。焼けても焦げても、諦めず再建し、造り変えていく営みには、都草たちのしたたかさも感じられてきて、そのこともわたしにはとてもほほえましくおもわれてきたのだ。
出迎えてくれた茶屋四郎次郎どのが 〈亀屋〉という屋号は、わたしの名と関係があることを真っ先に告げた。この屋敷の当主、栄任どのは呉服商で、父家康よりは年長らしいけれど、いまだお会いしたことはない。
「……まさに亀姫様のご誕生を祝って、家康様がこの京に店を出しましてな。いや、あの頃は、まだ松平元康と名乗ってござりましたがのぅ。屋号を、松平屋にするつもりで準備しておったようですが、亀姫様がお生まれになって、亀屋、とあいなりました」
「でも、わたしと三郎兄さまはすぐに棄てられた……」
「いやはや、余人は悪し様に申す者もあるやもしれませぬが……あの戦のおり、義元公が討たれたと知った上は、すばやく岡崎の城をわれらが手に戻さねば、遠からず織田勢に奪われていたことでしょうな。さすれば、亀姫様のいまもなき次第にて、つまりは、棄てられたのではなく、命をお拾いなされた、のでござるよ」
ものは云いようというけれど、後付けの弁解にしては一理も二理もあるようにおもわれてくるから不思議だった。立場が異なれば、それぞれに主張すべきもの、それぞれに譲れないものがあるということなのだろう。
おそらくなにを抗弁しようとも、四郎次郎どのの舌の冴えには敵うまいとおもった。
兄信康の事について、四郎次郎どのなりの見識というものにも触れてみたいとおもったけれど、やめた。かれは父の側の人なのだから、うまくまるめ込まれてしまいそうな気がしたのだ。
……父家康は、京都での情報を集める拠点として呉服商の店を隠れ蓑にしてきたらしい。この茶屋四郎次郎どのも、山科、洛北、洛西、淀などに店を持っているという。いまではその意味がよくわかる。各地の要人たちの動向を探るためであったろう。
亀屋当主の栄任どのは、船大工や職人たちを連れ、安芸や瀬戸内、博多の地を廻っているところだと、四郎次郎どのが云った。大海を渡ることができる大船を建造するためらしい。栄任どのは四郎次郎どのとともに、本格的に南蛮貿易を手がける準備をしていたのだ。
「……近く大きな海戦が起こりましょうぞ。信長様は、九鬼嘉隆どのに鉄の船を造るようにお命じになられた。二年前、毛利水軍に大敗した雪辱をはらすものになりましょう」
鉄の船とは、どういう意味なのかまではわからなかったけれど、芦名兵太郎からの報せがしばらく途絶えていた理由が、いまになってやっとつかめた。兵太郎の芦名水軍も信長様麾下の水軍との戦に備え、なにかと慌しい日々を過ごしているにちがいない。
わたしは、嘉兵衛と弥右衛門たちに、京の道筋を把握してもらうことにした。せっかく都に足を踏み入れたというのに、一歩も屋敷の外に出ることができなかったからだ。四郎次郎どのの配下の茶屋衆が二重三重の人垣をつくるかのように厳重に監視していたからだ。
これには巣鴨もうんざりしていたようである。わたしの推測では、おそらく巣鴨は筒井順慶さまの妹、あるいは、そうでなくてもかなり濃い血族なのだろうとおもっていた。けれど、そのことは糺さなかった。どうでもいいことだから。
それに、巣鴨は、順慶さまへの報せの内容をつまびらかにみせてわたしに了承を求めるのだ。それを読むと、わたしですら知らないことまでが列挙されていて、順慶さまは、あの洞窟で兵太郎が語った信長様の偉大さについてことのほか学ぶことがあったにちがいない。もとより巣鴨ひとりが得た情報ではなく、おそらく巣鴨の周りには護衛を兼ねた筒井衆の密偵が大勢いるにちがいない。つまりは、巣鴨は密偵をまとめる役目を担っているのだろう。
それで構わないとおもった。
持ちつ持たれつとはこのことで、巣鴨は佐助が居ない間、なによりも頼りになる護衛でもあるからだ。その巣鴨にとくに指示を与え、屋敷の外に出した。
半蔵さまの姿はない。
すでになにかの交渉ごとか、探索ごとに精を出しているようだった。今川氏真公は、旧知の公卿の屋敷を泊まり歩いているらしい。町なかを探索してきた嘉兵衛が立ち戻ってきた。
「……嬉しい御報せがございますぞ。ほどなく笹様と佐助の二人が、ここに戻ってまいりましょう。明日にでも、この亀屋までなにがしかの報せが返ってくるとおもいます」
翌日、わたしを訪ねてきてくれたのは、心待ちにしていたこの二人ではなく、なんと詞葉だった。
わたしが命じたとおり、巣鴨は独りで南蛮寺まで赴き、詞葉という名の混血女人の消息を探り出したのだ。与えた役目を巣鴨は見事に果たしてくれた。
「亀さま、ご健勝にて、なによりでございました」
「そなたもようご無事で。この京で再会できるとは、嬉しいことが続きます。小太郎のことだけど……」
「ええ、存じておりますよ。いま、比叡山に宿坊を建てられておられるようです。兵太郎様のご指示で、南光坊という号を冠した小さな学舎ですが、焼かれた山麓にも、少しずつですが、復興の兆しがみられると聴きました」
「小太郎は、いまは天誉というお坊様なのですね、……南光坊天誉様……。あっ、兵太郎どのは、船の戦の準備で忙しいのでしょうね」
「さすがにお詳しい……。村上水軍の諸将方と瀬戸内沖におられるようです。こたびの戦が終われば、兵太郎様も南光坊でお暮らしになるとか。すでに、法号も考えておられるとか・・・天と海で、天海さまと号されるようです」
「天海!なんとまあ、あの御仁らしい豪放な御名ですね……南光坊天海さま……。さようですか、戦が近いのですね」
「はい。……この十月、ついに荒木村重様が、信長様にご謀叛なさいました。石山本願寺に与することを決められて……」
「では、高山右近様は?」
「ジュスト様は荒木様と袂をわかち、信長様の直臣となられました」
もともと高山ジュスト右近さまを荒木村重さまの手もとから引き離すことが、詞葉に与えられた使命だった。大坂に拠点を置く石山本願寺は、反信長包囲網の主軸であって、毛利水軍に協力する芦名兵太郎は、反信長陣営の巨魁の一人といっていい。
けれども、兵太郎に育てられた詞葉は、いわば信長様に協力している……本当に複雑な話だった。
「いえ、なにも信長様に協力しているのでありませぬよ。信長様は南蛮寺の築造をお許しになられました。わたしたち信者は、信仰を護るため信長様についているだけのこと」「ふうん、信仰の複雑なことは私にはよくわからないけれど……」
「……信仰とは、まだ見ていない事実を確認すること、だと申します。ですから、まだ長い長い旅の途中なのかもしれませぬ」
その詞葉が、すでに彦左は三河にもどっているはずだと告げた。
わたしは驚いたが、そのあたりの経緯は、やがて笹と佐助の二人がもたらしてくれるにちがいない。
「……それで、詞葉のちち様には逢うことができましたか」
そう訊ねると急に詞葉は面を伏せ、首を左右に振った。
詞葉の父、按二郎按の行方はわからずじまいで、いまは信仰を離れ、一人で放浪を続けているらしい。わたしには切支丹の信仰のことはよくわからないのだし、按二郎という方がどのようなことで苦悩しているかなどということはまったくうかがい知れないことだ。
やはり詞葉は南蛮寺で暮らしているらしい。
蛸薬師通り室町西入る姥柳町に建てられた三階建のお城のような南蛮寺の噂は、わたしの耳にも達していたけれど、いまだこの目で確かめたことはない。あの翁狐が、各地に南蛮寺を建て、反信長包囲網の要塞にするのだといっていたことをおもいだした。さながら巨大な寺院のようなものなのだろうと想像した。
詞葉にこの屋敷にしばらくの間、逗留してくれるようにと頼んだ。巣鴨の素性を詞葉もに語り、わたしたち三人は部屋に籠もったまま、数日の間、水入らずでしみじみと語り合い、おだやかなひとときを過ごした。
「……今川のお館様は、いまどちらにおいでなのか存じていますか」
「詩歌の友、冷泉家や三条家に逗留なされておられるようですよ。それに、真田昌幸という方が、しきりに南蛮寺にもお姿を見せられました。なにやら今川氏真様を、甲斐に連れ返えろうと画策されているようです」
西から東へとさまざまな者を連れ返ろうとするのが、真田流なのだろうか。
かつては、明国皇女と勘違いしたわたしを連れ帰ろうとし、こんどは今川氏真公だという。もっとも、今川家と武田家はもともと姻戚にあたる。武田信玄公の父、信虎さまの息女は、今川義元公の室となり、氏真公を生んだ。氏真公の妹は、信玄公の嫡男義信さまに嫁いだが、義信さまは謀叛の罪で自害させられている。現当主の武田勝頼さまの母は諏訪氏なので、いまはなんの絆もない。
いや、そんなことで、なにかを護れるとはいえない時世であることは、このわたしが一番よく知っている。けれどこの期に及んであの真田昌幸どのが今川氏真公をどのように利用しようとしているのか、そのことが不思議でならなかった。
平屋の茅葺きの本屋敷のほか、まだ珍しい瓦葺きの蔵が数棟建ち並んでいた。
敷内には、厩、井戸だけでなく、仏塔、鐘楼、稲荷社までもあった。けれど豪奢な趣はなく、むしろ清楚然とわたしの目に映ったのは、この亀屋栄任どのの屋敷が、京での徳川の情報収集拠点のひとつでもあったからだろう。
焼け焦げた跡が、柱や軒のいたるところにみられた。
戦乱が続き、焦土と化したとまでいわれた都の往時のありさまが、部外者のわたしにもなんとはなしに想像できた。焼けても焦げても、諦めず再建し、造り変えていく営みには、都草たちのしたたかさも感じられてきて、そのこともわたしにはとてもほほえましくおもわれてきたのだ。
出迎えてくれた茶屋四郎次郎どのが 〈亀屋〉という屋号は、わたしの名と関係があることを真っ先に告げた。この屋敷の当主、栄任どのは呉服商で、父家康よりは年長らしいけれど、いまだお会いしたことはない。
「……まさに亀姫様のご誕生を祝って、家康様がこの京に店を出しましてな。いや、あの頃は、まだ松平元康と名乗ってござりましたがのぅ。屋号を、松平屋にするつもりで準備しておったようですが、亀姫様がお生まれになって、亀屋、とあいなりました」
「でも、わたしと三郎兄さまはすぐに棄てられた……」
「いやはや、余人は悪し様に申す者もあるやもしれませぬが……あの戦のおり、義元公が討たれたと知った上は、すばやく岡崎の城をわれらが手に戻さねば、遠からず織田勢に奪われていたことでしょうな。さすれば、亀姫様のいまもなき次第にて、つまりは、棄てられたのではなく、命をお拾いなされた、のでござるよ」
ものは云いようというけれど、後付けの弁解にしては一理も二理もあるようにおもわれてくるから不思議だった。立場が異なれば、それぞれに主張すべきもの、それぞれに譲れないものがあるということなのだろう。
おそらくなにを抗弁しようとも、四郎次郎どのの舌の冴えには敵うまいとおもった。
兄信康の事について、四郎次郎どのなりの見識というものにも触れてみたいとおもったけれど、やめた。かれは父の側の人なのだから、うまくまるめ込まれてしまいそうな気がしたのだ。
……父家康は、京都での情報を集める拠点として呉服商の店を隠れ蓑にしてきたらしい。この茶屋四郎次郎どのも、山科、洛北、洛西、淀などに店を持っているという。いまではその意味がよくわかる。各地の要人たちの動向を探るためであったろう。
亀屋当主の栄任どのは、船大工や職人たちを連れ、安芸や瀬戸内、博多の地を廻っているところだと、四郎次郎どのが云った。大海を渡ることができる大船を建造するためらしい。栄任どのは四郎次郎どのとともに、本格的に南蛮貿易を手がける準備をしていたのだ。
「……近く大きな海戦が起こりましょうぞ。信長様は、九鬼嘉隆どのに鉄の船を造るようにお命じになられた。二年前、毛利水軍に大敗した雪辱をはらすものになりましょう」
鉄の船とは、どういう意味なのかまではわからなかったけれど、芦名兵太郎からの報せがしばらく途絶えていた理由が、いまになってやっとつかめた。兵太郎の芦名水軍も信長様麾下の水軍との戦に備え、なにかと慌しい日々を過ごしているにちがいない。
わたしは、嘉兵衛と弥右衛門たちに、京の道筋を把握してもらうことにした。せっかく都に足を踏み入れたというのに、一歩も屋敷の外に出ることができなかったからだ。四郎次郎どのの配下の茶屋衆が二重三重の人垣をつくるかのように厳重に監視していたからだ。
これには巣鴨もうんざりしていたようである。わたしの推測では、おそらく巣鴨は筒井順慶さまの妹、あるいは、そうでなくてもかなり濃い血族なのだろうとおもっていた。けれど、そのことは糺さなかった。どうでもいいことだから。
それに、巣鴨は、順慶さまへの報せの内容をつまびらかにみせてわたしに了承を求めるのだ。それを読むと、わたしですら知らないことまでが列挙されていて、順慶さまは、あの洞窟で兵太郎が語った信長様の偉大さについてことのほか学ぶことがあったにちがいない。もとより巣鴨ひとりが得た情報ではなく、おそらく巣鴨の周りには護衛を兼ねた筒井衆の密偵が大勢いるにちがいない。つまりは、巣鴨は密偵をまとめる役目を担っているのだろう。
それで構わないとおもった。
持ちつ持たれつとはこのことで、巣鴨は佐助が居ない間、なによりも頼りになる護衛でもあるからだ。その巣鴨にとくに指示を与え、屋敷の外に出した。
半蔵さまの姿はない。
すでになにかの交渉ごとか、探索ごとに精を出しているようだった。今川氏真公は、旧知の公卿の屋敷を泊まり歩いているらしい。町なかを探索してきた嘉兵衛が立ち戻ってきた。
「……嬉しい御報せがございますぞ。ほどなく笹様と佐助の二人が、ここに戻ってまいりましょう。明日にでも、この亀屋までなにがしかの報せが返ってくるとおもいます」
翌日、わたしを訪ねてきてくれたのは、心待ちにしていたこの二人ではなく、なんと詞葉だった。
わたしが命じたとおり、巣鴨は独りで南蛮寺まで赴き、詞葉という名の混血女人の消息を探り出したのだ。与えた役目を巣鴨は見事に果たしてくれた。
「亀さま、ご健勝にて、なによりでございました」
「そなたもようご無事で。この京で再会できるとは、嬉しいことが続きます。小太郎のことだけど……」
「ええ、存じておりますよ。いま、比叡山に宿坊を建てられておられるようです。兵太郎様のご指示で、南光坊という号を冠した小さな学舎ですが、焼かれた山麓にも、少しずつですが、復興の兆しがみられると聴きました」
「小太郎は、いまは天誉というお坊様なのですね、……南光坊天誉様……。あっ、兵太郎どのは、船の戦の準備で忙しいのでしょうね」
「さすがにお詳しい……。村上水軍の諸将方と瀬戸内沖におられるようです。こたびの戦が終われば、兵太郎様も南光坊でお暮らしになるとか。すでに、法号も考えておられるとか・・・天と海で、天海さまと号されるようです」
「天海!なんとまあ、あの御仁らしい豪放な御名ですね……南光坊天海さま……。さようですか、戦が近いのですね」
「はい。……この十月、ついに荒木村重様が、信長様にご謀叛なさいました。石山本願寺に与することを決められて……」
「では、高山右近様は?」
「ジュスト様は荒木様と袂をわかち、信長様の直臣となられました」
もともと高山ジュスト右近さまを荒木村重さまの手もとから引き離すことが、詞葉に与えられた使命だった。大坂に拠点を置く石山本願寺は、反信長包囲網の主軸であって、毛利水軍に協力する芦名兵太郎は、反信長陣営の巨魁の一人といっていい。
けれども、兵太郎に育てられた詞葉は、いわば信長様に協力している……本当に複雑な話だった。
「いえ、なにも信長様に協力しているのでありませぬよ。信長様は南蛮寺の築造をお許しになられました。わたしたち信者は、信仰を護るため信長様についているだけのこと」「ふうん、信仰の複雑なことは私にはよくわからないけれど……」
「……信仰とは、まだ見ていない事実を確認すること、だと申します。ですから、まだ長い長い旅の途中なのかもしれませぬ」
その詞葉が、すでに彦左は三河にもどっているはずだと告げた。
わたしは驚いたが、そのあたりの経緯は、やがて笹と佐助の二人がもたらしてくれるにちがいない。
「……それで、詞葉のちち様には逢うことができましたか」
そう訊ねると急に詞葉は面を伏せ、首を左右に振った。
詞葉の父、按二郎按の行方はわからずじまいで、いまは信仰を離れ、一人で放浪を続けているらしい。わたしには切支丹の信仰のことはよくわからないのだし、按二郎という方がどのようなことで苦悩しているかなどということはまったくうかがい知れないことだ。
やはり詞葉は南蛮寺で暮らしているらしい。
蛸薬師通り室町西入る姥柳町に建てられた三階建のお城のような南蛮寺の噂は、わたしの耳にも達していたけれど、いまだこの目で確かめたことはない。あの翁狐が、各地に南蛮寺を建て、反信長包囲網の要塞にするのだといっていたことをおもいだした。さながら巨大な寺院のようなものなのだろうと想像した。
詞葉にこの屋敷にしばらくの間、逗留してくれるようにと頼んだ。巣鴨の素性を詞葉もに語り、わたしたち三人は部屋に籠もったまま、数日の間、水入らずでしみじみと語り合い、おだやかなひとときを過ごした。
「……今川のお館様は、いまどちらにおいでなのか存じていますか」
「詩歌の友、冷泉家や三条家に逗留なされておられるようですよ。それに、真田昌幸という方が、しきりに南蛮寺にもお姿を見せられました。なにやら今川氏真様を、甲斐に連れ返えろうと画策されているようです」
西から東へとさまざまな者を連れ返ろうとするのが、真田流なのだろうか。
かつては、明国皇女と勘違いしたわたしを連れ帰ろうとし、こんどは今川氏真公だという。もっとも、今川家と武田家はもともと姻戚にあたる。武田信玄公の父、信虎さまの息女は、今川義元公の室となり、氏真公を生んだ。氏真公の妹は、信玄公の嫡男義信さまに嫁いだが、義信さまは謀叛の罪で自害させられている。現当主の武田勝頼さまの母は諏訪氏なので、いまはなんの絆もない。
いや、そんなことで、なにかを護れるとはいえない時世であることは、このわたしが一番よく知っている。けれどこの期に及んであの真田昌幸どのが今川氏真公をどのように利用しようとしているのか、そのことが不思議でならなかった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
信長の秘書
たも吉
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。
それは、武家の秘書役を行う文官のことである。
文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。
この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。
などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。
お鍋の方
国香
歴史・時代
織田信長の妻・濃姫が恋敵?
茜さす紫野ゆき標野ゆき
野守は見ずや君が袖振る
紫草の匂へる妹を憎くあらば
人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
出会いは永禄2(1559)年初春。
古歌で知られる蒲生野の。
桜の川のほとり、桜の城。
そこに、一人の少女が住んでいた。
──小倉鍋──
少女のお鍋が出会ったのは、上洛する織田信長。
─────────────
織田信長の側室・お鍋の方の物語。
ヒロインの出自等、諸説あり、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど謎なので、作者の妄想で書いて行きます。
通説とは違っていますので、あらかじめご了承頂きたく、お願い申し上げます。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
【双槍信長の猿退治】~本能寺の変の黒幕は猿だった。服部半蔵と名を変えた信長。光秀、家康!真の天下布武を共に目指すのだ!~【完結】
みけとが夜々
歴史・時代
一五八二年、本能寺にて。
明智光秀の謀反により、燃え盛る炎の中、信長は自決を決意した。
しかし、光秀に仕えているはずの霧隠才蔵に助けられ難事を逃れる。
南蛮寺まで逃げおおせた信長は、謀反を起こしたはずの明智光秀と邂逅する。
そこには徳川家康も同席していた。
そして、光秀から謀反を起こした黒幕は羽柴秀吉であることを聞かされる。
忠臣からの裏切りを知った信長は、光秀・家康と手を組み、秀吉の討伐を胸に動き出すのだった。
(C)みけとが夜々 2024 All Rights Reserved
御稜威の光 =天地に響け、無辜の咆吼=
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
そこにある列強は、もはや列強ではなかった。大日本帝国という王道国家のみが覇権国など鼻で笑う王道を敷く形で存在し、多くの白人種はその罪を問われ、この世から放逐された。
いわゆる、「日月神判」である。
結果的にドイツ第三帝国やイタリア王国といった諸同盟国家――すなわち枢軸国欧州本部――の全てが、大日本帝国が戦勝国となる前に降伏してしまったから起きたことであるが、それは結果的に大日本帝国による平和――それはすなわち読者世界における偽りの差別撤廃ではなく、人種等の差別が本当に存在しない世界といえた――へ、すなわち白人種を断罪して世界を作り直す、否、世界を作り始める作業を完遂するために必須の条件であったと言える。
そして、大日本帝国はその作業を、決して覇権国などという驕慢な概念ではなく、王道を敷き、楽園を作り、五族協和の理念の元、本当に金城湯池をこの世に出現させるための、すなわち義務として行った。無論、その最大の障害は白人種と、それを支援していた亜細亜の裏切り者共であったが、それはもはや亡い。
人類史最大の総決算が終結した今、大日本帝国を筆頭国家とした金城湯池の遊星は遂に、その端緒に立った。
本日は、その「総決算」を大日本帝国が如何にして完遂し、諸民族に平和を振る舞ったかを記述したいと思う。
城闕崇華研究所所長
歴史小説 歴史以前の縄文文明
Ittoh
歴史・時代
日ノ本の歴史は、1万2千年前の縄文土器文明に始まり、黒曜石を基軸通貨として、翡翠を貴重品とした文明圏を形成していた。
経済活動というのは、余分な商品があって、初めて始まる活動だと考えられる。自分で採取したものを、そのまま自分で使うだけであれば、そこに経済活動は発生しない。石器時代と呼ばれる時代から、縄文期に入っていった時、最初に商品となったのは、石であった。
石は、石器として最上級の品質であった、黒曜石である。
黒曜石は、石のままでは価値を持たない。
加工する知識・技術・技能があって始めて、鏃となり、釣り針となって、狩や漁の道具として使うことができる。
参考資料
CGS動画 「目からウロコの日本の歴史」 小名木善行&神谷宗幣
西田正規 著「人類のなかの定住革命」
安田喜憲 著「森と文明の物語」
鬼頭宏 著「人口から読む日本の歴史」
高木久史著「撰銭とビタ一文の戦国史」
松島義章著「貝が語る縄文海進」
水野正好著「縄文を語る」
日ノ本における、経済の始まりは、縄文期に遡ることができる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる