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翁 狐 (ニ)

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 明国皇女を演じているわたしには、眼前の武田家の使者、武藤喜兵衛の饒舌じょうぜつに反応を示さないふりするのは、なんとも耐え難いことだった。
 こういうときのやり過ごし方として、事前に、佐助から教えてもらっていたことがある。
 ……対手あいてをみながら、その頭や顔を通り越して見えるであろうものを想像しながらみる、といった、訳の判らないことを佐助は言ったのだけれど、それはむちをさばくときの訓練で学んだ技であるらしく、いきなりそれを実践することになってしまった。
 髭面ひげづらの武藤喜兵衛は、一方的に喋り続けていた……。

「……姫様、悲しんではなりませぬぞ。向後こうごは、この喜兵衛めが、この身に代えましてもお護りいたすゆえ、ご安心召されよ。まもなく大殿おおとのがお見えになられますゆえに……」

 大殿、とは、一体誰のことだろうか。
 すると、左側に座していた武将の一人が、喜兵衛に声をかけた。多分に嘲笑いを含んだ口調だった。

「武藤どの!異国の皇女には、言葉はかいせまい……そのように熱心に喋りかけずともよかろうて。それに、なにも大殿は、武田に姫を渡す、とは言明なされてはおられぬぞ!上杉謙信けんしん公、毛利もうり公どのにも書を送り、反信長包囲網は、強固なものと相成あいなり申した……」

 すると、いきなり喜兵衛はくるりと向きをかえ、わたしに背を向けた。
 喜兵衛のうなじの毛が、意外と白いことに驚いた。産毛のような細く透き通った長い癖毛が、数本だけ伸びていた。

方々かたがた……」と、喜兵衛は言った。

「……左様さようなことぐらい講釈されずとも存じてござるわ。毛利水軍が信長の船団を焼き払い、見事なまでの大勝利をもたらしたことは、われらには大いなる吉兆じゃ。毛利水軍の先陣をきった芦名水軍の芦名兵太郎どのも、近々、この城に参られると聴き及んでござる。…、さらには、前将軍家さきのしょうぐんけにおかせられては、幕府再興に向け着々と手を打っておられようぞ!」

 耳をそば立てて聴いていたわたしは、
〈芦名兵太郎〉
〈前将軍家〉
ということばに驚いた。
 前将軍家とは、三年前、信長様に京から追われた室町幕府十五代将軍足利あしかが義昭よしあき公のことにちがいないだろう。
 けれど、まさかこの場で、芦名兵太郎の名が飛び出してくるとは意外だった。
 しかも信長様と戦い、勝ったというのは、どういうことなのだろう。それほどの実力者だと聴くと驚くほかなく、熊蔵や彦左が懸念していたように、信長様や父家康が怒り心頭に発して、新城しんしろにたむろする得体の知れない連中を忌避したくなる心情も、いまになって、ようやく感得することができた。


 気づくと大広間の武士たちの数が増えていた。
 大太刀おおたちを捧げた小姓こしょうが現れ、続いて、猿のような顔をした背の低い老人が一同を見渡しながら登場した。
 ニヤリと笑うとぴょこんと跳ねるように上座に座った。茶道師が頭にかぶる頭巾のようのものをつけていた。

 松永弾正その人に違いなかった。
 翁狐おきなぎつね、ふと、そんなことばが頭裡に浮かんだ。
 その翁狐のあとに付き従っていた若い武将が、すぐしもに座した。
 翁狐が、口を開いた。

「……この者は、摂津の荒木あらき村重むらしげどのの使者、高山長房ながふさ長房どのだ。右近、とも呼ばれてござる。吉利支丹きりしたん武将の中では、信仰に厚く、知謀に秀でた若武者として知られておる……」 

 褒められた青年は、
「高山右近うこんでごさる」
と、一同に会釈した。
 やや面長おもながで、痩せ気味だった。風貌かおの造りと比して、異様に大きく見える喉仏がぴくりと動いていた。
 高山右近。
 初めて耳にする名だった。
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