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邂 逅 (四)

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 大久保彦左衛門とは、ただ同い年というだけでなく、幼い頃には、互いの秘部をみせあったことや、まだ乳房にならない胸を触らせてやったことぐらいはあったかもしれない。
 田舎の三河は主従の関係もすこぶるゆるやかで、道行く誰もが一大家族であるかのように顔馴染みで、岡崎の城にも誰彼となく出入りしていた。
 大久保衆は早くから父に仕えてきた。
 というより松平家の譜代衆といっていい。彦左は大久保家の八男坊で、当主である長兄の大久保忠世ただよどのとは三十もとしが離れていて、いま、四十六歳の忠世どのが大久保衆を率いていたのであって、十七歳の彦左はその忠世どのの家来であって、父家康の直臣じきしんではない。
 だから彦左は気楽なのだ。
 すでに初陣ういじんも果たしていたようで、当人にしてみれば一端いっぱしの武将のつもりなのかもしれない。けれど大久保一族の厄介者やっかいものであるのかもしれず、いつ死んでもおまえの替わりはいくらでもいるぞと思われている下働したばたらきの一人に過ぎないともいえた。

 それに臆面おくめんもなく、主家筋の娘を、しかも人妻のわたしに、惚れているなどと減らず口をたたく純朴さには、どことなく憎めない幼さが色濃く残っている。おのれの立場というものを取りつくろうことにあたふたしている他の武将よりは、むしろ人間臭い。
 休賀斎の老公も小太郎も、ともに聴こえないていを装い、表情を変えず涼しい顔を決め込んでいた。

「亀さまに惚れとるだらぁ」

 反応がないと知って、念を押すように彦左が繰り返した。
 おそらくそのことばを小太郎に聴かせようとしていたのではなかったか。こんどはかなり強い口調だった。それでも小太郎は無視を続けている……。

、何者だらぁ?」

 ようやく彦左が小太郎と面と向き合って挑発した。〈おんし〉とは、三河では対手あいてを指すことばだ。

「芦名小太郎……奥平の居候だ」

、まだ若僧のくせに、病持ちのごとくに蒼白あおじろいつらをしているなあ」

 ことさらに小太郎に喧嘩を売っているようにみえた。
 ふたりはともに十七歳。
 わたしと同じ年齢だ。
 小太郎はれいによって含羞の笑みを浮かべて彦左をじっと見つめいる。それがかえって彦左の感情を害したらしい。露骨にムッと顔をしかめた。

「……、どこの国のもんだ?おんしの国訛くになまりが変で、耳がこそばゆい」

「それはおまえのほうだ!」

 挑発に乗って小太郎が応じてしまった。それから二言三言ふたことみこと互いに言い合っていた。その会話に耳を傾けていると、たしかに耳のあたりがモゾモゾする。
 小太郎が発することばの平坦すぎる抑揚も、三河者みかわもんの耳にはなじまない。といって彦左の発音は早すぎて何を言いたいのか小太郎には正確に伝わらないだろう。
 ついには彦左のほうが垢まみれの頬をぼりぼりといて、こちらをうかがいながら照れ笑いを浮かべた。

「彦左!どこへ?」

 どこに行くつもりで新城しんしろに立ち寄ったのかをいた。

「どこにも行かない、亀さまに、あることを、伝えに来たずらよ。一大事なもんで……」

 彦左は意外なことを言った。

「これ、どういうことだ?早く申さぬか!」

 たまりかねた休賀斎の老公が口を挟んだ。さすがの彦左も、老公には頭が上がらないとみえ、急に低声こごえになって、大賀おおが弥四郎やしろうの名を口にした。


 ……大賀弥四郎は、すでに処刑されている。妻子、郎党ことごとく、と聴いていた。天正三年四月のことである。ちょうど信昌どのに嫁ぐ一年前のことだ。
 大賀弥四郎は、もともとこの奥平家に属していた東三河の郷士である。父家康に見い出だされ、父の直臣じきしんになった。見込まれたのは武芸の腕ではなく算盤勘定で、計数に明るい弥四郎を、父は浜松城の租税勘定方役人に抜擢し、さらに天正二年には東三河渥美郡の代官を兼務させた。
 つまりは、経理責任者兼東三河方面行政官のような地位にいたのだ。

 これにはもう少し詳しい説明が必要だろう。
 東三河は、西三河を発祥とする松平(徳川)家にとっては、鬼門ともいえる地帯で、代々、東三河対策に悩まされてきた苦い歴史があったようである。
 だからこそ、東三河の在野の武士団の棟梁とうりょう的存在であった奥平家を味方につけようと、信長様や父は腐心してきたのだ。その東三河出身の大賀弥四郎を大抜擢して、東三河方面の監視監督を委ねたのは、いわば毒をもって毒を制する人事であったかもしれない。
 ところが、その大賀弥四郎が叛逆はんぎゃくしたのだ。弥四郎の出世をねたむ父の譜代衆も多かったにちがいない。ついに武田勝頼さまに密書を送り、岡崎城を攻撃するように要請したらしいのだけれど、同志の一人が父に密告したことで陰謀が露見したのだ。世間では、そういうことになっているけれど、真相というものはいまだにわからない……。

「……弥四郎は、手足を縛られ、掘った穴の中に埋められた。土の上に首だけ出されて、青竹を槍にして、道行く人に、おもいおもいに首を刺させた、というぞ!」

 彦左が言った。
 その噂は、当時、岡崎の城にいたわたしの耳にも届いていた。弥四郎が埋められたのは、たしか岡崎の町外れの四辻だったはずだ。

「弥四郎どののことは、よく知っとう。そんな大それたことを為す御仁ごじんではなさそうにみえたけれど……」

 わたしがつぶやくと、かたわらで聴いていた休賀斎の老公が、
「そのことと、一大事と、どのように繋《つな》がっているのた?」
と、彦左をかした。

「……大賀弥四郎の武田への内通ないつうには、奥平の大殿さんもからんでいたという噂もあるずらよ……」

 彦左の一言が、わたしの胸を撃った。奥平の大殿とは、夫信昌どのの父、わたしのしゅうと舅、貞能さまのことだ。わたしの婚儀のあと、舅どのは、父家康の居城、浜松城に詰めておられる。ありていにいえば、人質交換のようなものだ。新城にきたわたしの身に万が一の事あらば、浜松の貞能さまの命はないぞ、という暗黙の約束事なのだった。ただ一方が嫁いでいけば事が足りるというわけではないのだ。
 けれど舅どのが、大賀弥四郎の叛逆に関わっていたとも思われない。いまだに弥四郎事件の波紋が消えていないのも、東三河の武士たちに不名誉極まりない汚点を残したその裏返しのようなものであったはずである。
 彦左の話はまだ終わらない……。

「……これにはまだ尾ひれがあって、岡崎の三郎信康ぎみや母君の築山殿が関わっているという噂も……」

 語尾を濁してうつむく彦左をにらみ続けていると、彦左が渋々ながらことばを続けた。

「……家康の殿さんは、武田とよしみを通じようとする者らへ警告として、大賀弥四郎一派に対し、むごいまでの処刑を見せつけ、余の者を改心させようとお考えあったずらよ」

 そのことはわたしにもわかる。それに、兄と母のことでいえば、いまだに家中かちゅうでは、今川の血をひく母の存在を鬱陶うっとうしく感じている者も少なくないことは確かだ。
 兄信康のことを、
〈摩利支天にも似たり〉
と、賞揚する声もあれば、その一方で、
〈短慮にして無慈悲なり〉
と、口にする者もいる。
 初夜の床で、夫信昌どのが兄について述べてくれた懸念というものが、これにあたるだろうか。聡明なればこそ、他人ひとが愚か者に見えて、その者の目からは兄が〈無慈悲〉に映るのかもしれない。けれど、兄と母が、織田・徳川に敵対する武田方と通じるなどとは、うかつには信じられない。
 たゆたうわたしの胸裡を垣間見たように、老公が口を挟んだ。

「……らちもなき噂よ!亀どのよ、安心なされ。これはの、誰か悪意を持つ者が、徳川の家中を混乱させんがために、あらぬ噂をき散らしているだけのこと。そうやって敵を攪乱かくらんするは、これ、兵法のことわりと申すもの。まずは、その不逞ふていやからどもを見つけ出さねばならぬの」

 なるほど、そういう見方もあるのだと、妙に得心した。けれど、ふたたび彦左が追い討ちをかけるように意外なことを告げた。

「……明国みんこくの皇帝ゆかりの姫君二人が、海を渡って能登に漂着したらしいずら……」
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