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邂 逅 (ニ)

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 ……初夜の床でおもわず息が止まりそうになったのは、夫の隣に座していた青年をたからだった。
 とんと情況というものがつかめず、必死になってその場の意味というものを探ろうとしていたはずである。そんなこちらの態度は、夫の目には、むしろ落ち着いているように映っていたらしい。

「さすがに、家康の殿のご息女だけのことはある……」

 ……そんなことを信昌どのが言った。

 三河者みかわもんは、主君のことを〈殿さん〉と気安く呼ぶ。夫も家臣からは〈若殿さん〉と呼ばれていた。これはいわゆる三河気質というもので、腹にものをめず、相手が目上であろうがなかろうが、思ったことはズケズケと口にする。その時その場の感情というものを大切にする。ことさらに知識をひけらかせ、思ったことを言葉にしないやからを特に嫌った。
 父の参謀、本多ほんだ正信まさのぶどのなどは、家中かちゅうからは重鎮扱いされてはいるものの、かげでは〈腹くされもん〉とばれていたことでも、そのことがよくわかる。あれこれと頭裡で考えるだけで、戦場で血を流さない者は、腹の中が腐ったような者、なにを考えているのか判らない不気味な者、としか映らないのだ。

「……わしは、腹腐れもんではない……そうはならないとおのれを叱咤してきたつもりだ。そのあかしの一つを披露しておこう。この者、芦名あしな小太郎こたろうどのと申される……わしに子種こだねなきときは、この小太郎どのの子をはらむがよい。そのことを告げ置くため、あえて、初夜の場で目会わせた……」

 このときわたしは、一体どんな表情をしていただろうか。
 事前に申し合わせていたのか、小太郎は身動みじろぎひとつせず、ただうつろにわたしの背の後方、ふすまに描かれていた鳥獣の姿を追っていたのかもしれない。
 返すべきことばを持たないまま、わたしは唇を噛み締めていた。
 これは、わたしを試そうとしている信昌どのの計略なのだとおもった。そうであるならば、退いては負けだ。これは、いくさなのだ。わたしと夫の最初の戦なのだ。
 ……そうと悟れば、気が締まってきた。
 締まるにつれて、表情もやわらいでいったはずである。
 そんなこちらのこころの動きを見逃さなかった信昌どのは、さすがといわざるをえない。

「……姫、わしは、武田にやった人質の妻を見殺しにした男だ。それについては、な夜な悔悟かいごの念にさいなまれてもきた……。だが、弁解は一切せぬ。そして、かようなことは二度とするまいぞと神仏に誓った。それに、わしは、生涯、側妾そばめを置くつもりはない。だからこそ、わしに、子種なきおりは、この小太郎どのと、と申したまでだ。もとより産まれた子は、わしの子として、わが奥平の家を継がせるつもりだ」

 気を締めたはずであったのに、ふたたび朦朧もうろうとしてきた。信昌どのの真意が理解できたわけではない。けれども側妾を置かぬという宣言に、ハッとたじろいだ。そうして奥平信昌という男の思考のありように興味をおぼえた。あるいは奥平一族というものは、徳川、織田よりも、したたかで、長く生きはびこることができるのではないかと、ふと、そんなことを考えていた……。

「小太郎どのは、わが奥平の家にとっては古き恩のある家の末裔……しくも、姫とは同じ十七歳、姫の良き相談相手になってくれよう」

「どうか、姫、ではなく、ただ、亀とのみお呼び捨てくださいませ」 

 やっとの思いで口にできたのは、その一言だった。 

「よくぞ、申された、姫、いや、、いま一つ気掛かりなことがある……姫、いや、お亀の兄君あにぎみ、三郎信康さまのことだ……」

 このとき夫が語ってくれた兄についての気掛かりとは、兄信康が、あまりにも出来が良すぎる……ということであった。わたしは黙ったまま、夫の人物判断というものを聴いていた。

「……人間、どこかにきずがあったほうが、うまくいくことも多い。……このわしが、いい見本だ。のう、人質の妻を見殺しにした奴だと見下げられているからこそ、戦で遮二無二しゃにむに手柄てがらを立てても、ほほう、あやつめは汚名をそそごうとしているのだと、むしろ、他人は好意的にみてくれるというものだ。だが、三郎信康さまは、生まれながらの徳川の御曹司おんぞうしであられる。家康の殿さんは、幼少からご苦労にご苦労を重ねて、ようやく、いまの地位を築かれた、おのずと他人の見る目は違ってくる……のう、お亀、あまりにも聡明すぎると、周りの者どもが愚かに見えてくるものだ……家来に任せればいいものを、おのれがやれば早くできると、ついつい自分でやってしまう、すると、人は育たない……」

 驚くほどの長饒舌ながじょうぜつだったけれど、わたしは、むしろもっと多くのことを聴きたいとおもった。
 他人の考えを知ることは、たとえ兄のことであっても興味があった。身を乗り出すようにして、話の続きを催促すると、信昌どのが驚いて苦笑していた。いつの間にか、小太郎の姿はなかった。


 ……こういう経緯いきさつがあったもので、城のなかを歩く小太郎の姿は、わたしの目には一際ひときわまぶしくもあり、奇妙な印象を引きったままであった。

「……海賊の頭目かしらの血縁の者だということでございますよ」

 さっそく噂をかき集めてきた笹が、得意げに教えてくれる。

「……しかも、海だけではございません、全国津々浦々の山岳密教修験者や、名だたる神社の神人じにんらも配下にしているようです……」

 わたしは抗弁することなく、笹のことばに耳を傾けていた。小太郎が海賊であろうはずはない。夫は、小太郎を呼捨てにはしないで敬語を使っていた。とすれば、もっと別種の頭目の御曹司であるのかもしれない。
 外からはわからないことでも、内に身を置くことで初めて浮かび上がってくるものもある。小太郎の秘密は、急がずともおのずと知れることになるだろうと思っていた。
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