32 / 40
32 大志郎、福島源蔵を酔わせる
しおりを挟む
謹慎の身に戻っても大志郎の不安は絶えない。いやむしろ、騒動の外に置かれてしまったおのれの立ち位置というものが、どうにもこうにも得心できないのだ。
せっかく、と大志郎はおもう。
(……事件の真相に近づきつつあったのに、おれを除け者にしやがって……)
不満は尽きない。しかも、同居人まで押し付けられてしまった。
……福島源蔵。
あの天神の森での乱闘騒ぎのなかで、腰を抜かしてしまった浪人……。しかも、伊左次を仇と狙っているらしいこの不届き者を、よりによって見張りを兼ねて同じ部屋に匿うはめになろうとは、大志郎にも想定外のことであった。
躰を縮こませたままで、福島は喋らない。
おそらく大志郎が町奉行所同心だと聞かされて、余計なことは口に出すまいと決めてのであろう。貝のように口を閉ざしたままだ。仲間の身元、なぜおときを騙して森に連れ出そうとしたのか、もっとも大志郎が知りたいのはそのことである。
「なあ、おい、江戸からだろ? おれも江戸の生まれだ……」
ときに声を和らげて大志郎は、同郷のよしみを装いつつ、福島の様子を覗ってもいる。同郷、とはいえ、江戸は各地からやってきた田舎者の集合地である。ちなみに、“駿河台”は駿河の国からやってきた田舎武士が住み着いたのである。
「おい、なんとか言ったらどうだ、ええ、おまえをどうこうしようというんじゃない、曲者は曲者かもしれんが、こうして、奉行所に引き連れたわけではないぞ。ここはおれの部屋だ。匿ってやっているというに、だんまりを決め込まれてはやっておれんぞ」
「かくまう?」
「おお、やっと一言か……おまえの仲間が、おまえを狙うかもしれぬからな。分部どのがそう申されておられたゆえ」
「わ、分部さまをご存知でござるか」
「おお、実の兄のごとくに親しくさせてもろうておる……や! おまえも、一度、分部どのに会ったことがあると聴いたぞ」
「はあ、さようでござる」
「ならば、教えてくれ! おれは顔も知らぬが、おまえと江戸からきた親玉はなにが目的なんだ?」
「兵庫様のことでござるか?大曽根兵庫さま……」
……こうして大志郎は、分部が明かさなかった大曽根と土岐家との因縁を知ることになった。
「……それで、その兵庫という者は、誰の手先だ?」
「荻原様」
「ん? 誰だ?」
「勘定奉行、荻原様でござる」
幾分得意げに福島は、荻原の名を告げた。
内心驚いた大志郎は、それでも素っ気なさを装いつつ、幕閣の重鎮がなにゆえ大坂に興味を持つのかを問うてみた。
そして、今の今まで“おまえ”呼ばわりしていた大志郎は、ことさらに口調を改め、
「福島どのよ、教えてくだされ」
と、猫なで声に改めた。
福島を油断させる作戦である。
さらに事前に用意していた小作りの酒樽を、どっこいしょと福島の目の前に置いた。寺島家からの差し入れなのだが、口を割らすにはこれにかぎると大志郎はともに盃を重ねた。自分を狙った賊の一人とこうして同じ部屋にいるのもおかしなことで、この際、あまりかんがえすぎてはいけぬと大志郎なりに自戒した上でのことである。
すると、福島は、いかにも重大なる秘密を有しているおのれを自慢したかったのであったろう、大志郎が驚いたほどぺらぺらと喋り出した……。
「……余の儀にあらず、淀屋辰五郎、ご老中方は、かの者をいずれ追放の処分にするご意向のようでござる」
「追放と?」
「年内、あるいは来春早々にでもというところでござろうかのぅ。大曽根様が、その密命を帯びてござる……」
「淀辰を?なにゆえに?」
「町人にあるまじき豪奢な暮らし、権勢をかさにきたふるまいは、ご政道に対する反逆にも似たり」
福島はごく短く答えた。おそらくその表現は、大曽根兵庫の口癖を真似たものであったかもしれない。
「反逆? とは、いささか大袈裟な……」
思わず大志郎は口を挟んでしまった。
「ん? お手前は、町人ごときが武士の上に立ってよろしゅうござるのか」
「いや、そういう問題ではなかろう」
「な、なんと! 久富氏、お手前は、お上のご意向に逆らいなされるのか!」
いきなり口吻気味に福島は叫びだした。どうやらこの男は酒癖が悪いらしい。そして、大志郎が睨んだとおり、酒が入ると人が変わったように口が軽くなるらしい……。
「久富氏、これまでどおり、何も手出しをされるな、それがお上のご意向なのだ」
「ほう、なるほど、なるほど……そのあたりのところを、も少し詳しく……」
「ん? このことは、先般、大曽根様が京都所司代松平殿にも、事前にお伝え申しあげておる……さらに、大坂西町奉行大久保殿、東町奉行の太田殿からも、しかと内諾を得ており申す……」
福島は得意気になって喋り続ける。あたかも、おのれが大曽根兵庫にでもなったつもりでいるのだろう。大物気取りでいたいのは、小心者の証でもあろうか。
そのつど、ふむふむと相槌を打ちながら、大志郎は喉の奥で何度も唾を呑み込んだ。
せっかく、と大志郎はおもう。
(……事件の真相に近づきつつあったのに、おれを除け者にしやがって……)
不満は尽きない。しかも、同居人まで押し付けられてしまった。
……福島源蔵。
あの天神の森での乱闘騒ぎのなかで、腰を抜かしてしまった浪人……。しかも、伊左次を仇と狙っているらしいこの不届き者を、よりによって見張りを兼ねて同じ部屋に匿うはめになろうとは、大志郎にも想定外のことであった。
躰を縮こませたままで、福島は喋らない。
おそらく大志郎が町奉行所同心だと聞かされて、余計なことは口に出すまいと決めてのであろう。貝のように口を閉ざしたままだ。仲間の身元、なぜおときを騙して森に連れ出そうとしたのか、もっとも大志郎が知りたいのはそのことである。
「なあ、おい、江戸からだろ? おれも江戸の生まれだ……」
ときに声を和らげて大志郎は、同郷のよしみを装いつつ、福島の様子を覗ってもいる。同郷、とはいえ、江戸は各地からやってきた田舎者の集合地である。ちなみに、“駿河台”は駿河の国からやってきた田舎武士が住み着いたのである。
「おい、なんとか言ったらどうだ、ええ、おまえをどうこうしようというんじゃない、曲者は曲者かもしれんが、こうして、奉行所に引き連れたわけではないぞ。ここはおれの部屋だ。匿ってやっているというに、だんまりを決め込まれてはやっておれんぞ」
「かくまう?」
「おお、やっと一言か……おまえの仲間が、おまえを狙うかもしれぬからな。分部どのがそう申されておられたゆえ」
「わ、分部さまをご存知でござるか」
「おお、実の兄のごとくに親しくさせてもろうておる……や! おまえも、一度、分部どのに会ったことがあると聴いたぞ」
「はあ、さようでござる」
「ならば、教えてくれ! おれは顔も知らぬが、おまえと江戸からきた親玉はなにが目的なんだ?」
「兵庫様のことでござるか?大曽根兵庫さま……」
……こうして大志郎は、分部が明かさなかった大曽根と土岐家との因縁を知ることになった。
「……それで、その兵庫という者は、誰の手先だ?」
「荻原様」
「ん? 誰だ?」
「勘定奉行、荻原様でござる」
幾分得意げに福島は、荻原の名を告げた。
内心驚いた大志郎は、それでも素っ気なさを装いつつ、幕閣の重鎮がなにゆえ大坂に興味を持つのかを問うてみた。
そして、今の今まで“おまえ”呼ばわりしていた大志郎は、ことさらに口調を改め、
「福島どのよ、教えてくだされ」
と、猫なで声に改めた。
福島を油断させる作戦である。
さらに事前に用意していた小作りの酒樽を、どっこいしょと福島の目の前に置いた。寺島家からの差し入れなのだが、口を割らすにはこれにかぎると大志郎はともに盃を重ねた。自分を狙った賊の一人とこうして同じ部屋にいるのもおかしなことで、この際、あまりかんがえすぎてはいけぬと大志郎なりに自戒した上でのことである。
すると、福島は、いかにも重大なる秘密を有しているおのれを自慢したかったのであったろう、大志郎が驚いたほどぺらぺらと喋り出した……。
「……余の儀にあらず、淀屋辰五郎、ご老中方は、かの者をいずれ追放の処分にするご意向のようでござる」
「追放と?」
「年内、あるいは来春早々にでもというところでござろうかのぅ。大曽根様が、その密命を帯びてござる……」
「淀辰を?なにゆえに?」
「町人にあるまじき豪奢な暮らし、権勢をかさにきたふるまいは、ご政道に対する反逆にも似たり」
福島はごく短く答えた。おそらくその表現は、大曽根兵庫の口癖を真似たものであったかもしれない。
「反逆? とは、いささか大袈裟な……」
思わず大志郎は口を挟んでしまった。
「ん? お手前は、町人ごときが武士の上に立ってよろしゅうござるのか」
「いや、そういう問題ではなかろう」
「な、なんと! 久富氏、お手前は、お上のご意向に逆らいなされるのか!」
いきなり口吻気味に福島は叫びだした。どうやらこの男は酒癖が悪いらしい。そして、大志郎が睨んだとおり、酒が入ると人が変わったように口が軽くなるらしい……。
「久富氏、これまでどおり、何も手出しをされるな、それがお上のご意向なのだ」
「ほう、なるほど、なるほど……そのあたりのところを、も少し詳しく……」
「ん? このことは、先般、大曽根様が京都所司代松平殿にも、事前にお伝え申しあげておる……さらに、大坂西町奉行大久保殿、東町奉行の太田殿からも、しかと内諾を得ており申す……」
福島は得意気になって喋り続ける。あたかも、おのれが大曽根兵庫にでもなったつもりでいるのだろう。大物気取りでいたいのは、小心者の証でもあろうか。
そのつど、ふむふむと相槌を打ちながら、大志郎は喉の奥で何度も唾を呑み込んだ。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
叛雨に濡れる朝(あした)に
海善紙葉
歴史・時代
敵は信長か?それとも父・家康なのか! 乱世の不条理に敢然と立ち向かえ!夫も子もかえりみず、ひたすらにわが道を突き進むのみ!!!💬
(あらすじ)
○わたし(亀)は、政略結婚で、17歳のとき奥平家に嫁いだ。
その城では、親信長派・反信長派の得体の知れない連中が、ウヨウヨ。そこで出会った正体不明の青年武者を、やがてわたしは愛するように……
○同い年で、幼なじみの大久保彦左衛門が、大陸の明国の前皇帝の二人の皇女が日本へ逃れてきて、この姫を手に入れようと、信長はじめ各地の大名が画策していると告げる。その陰謀の渦の中にわたしは巻き込まれていく……
○ついに信長が、兄・信康(のぶやす)に切腹を命じた……兄を救出すべく、わたしは、ある大胆で奇想天外な計画を思いついて実行した。
そうして、安土城で、単身、織田信長と対決する……
💬魔界転生系ではありません。
✳️どちらかといえば、文芸路線、ジャンルを問わない読書好きの方に、ぜひ、お読みいただけると、作者冥利につきます(⌒0⌒)/~~🤗
(主な登場人物・登場順)
□印は、要チェックです(´∀`*)
□わたし︰家康長女・亀
□徳川信康︰岡崎三郎信康とも。亀の兄。
□奥平信昌(おくだいらのぶまさ)︰亀の夫。
□笹︰亀の侍女頭
□芦名小太郎(あしなこたろう)︰謎の居候。
本多正信(ほんだまさのぶ)︰家康の謀臣
□奥山休賀斎(おくやまきゅうがさい)︰剣客。家康の剣の師。
□大久保忠教(おおくぼただたか)︰通称、彦左衛門。亀と同い年。
服部半蔵(はっとりはんぞう)︰家康配下の伊賀者の棟梁。
□今川氏真(いまがわうじざね)︰今川義元の嫡男。
□詞葉(しよう)︰謎の異国人。父は日本人。芦名水軍で育てられる。
□熊蔵(くまぞう)︰年齢不詳。小柄な岡崎からの密偵。
□芦名兵太郎(あしなへいたろう)︰芦名水軍の首魁。織田信長と敵対してはいるものの、なぜか亀の味方に。別の顔も?
□弥右衛門(やえもん)︰茶屋衆の傭兵。
□茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)︰各地に商店を持ち、徳川の諜報活動を担う。
□佐助︰大人だがこどものような体躯。鞭の名人。
□嘉兵衛(かへい)︰天満屋の番頭。
松永弾正久秀︰稀代の梟雄。
□武藤喜兵衛︰武田信玄の家臣。でも、実は?
足利義昭︰最後の将軍
高山ジュスト右近︰キリシタン武将。
近衛前久(このえさきひさ)︰前の関白
筒井順慶︰大和の武将。
□巣鴨(すがも)︰順慶の密偵。
□あかし︰明国皇女・秀華の侍女
平岩親吉︰家康の盟友。
真田昌幸(さなだまさゆき)︰真田幸村の父。
亀屋栄任︰京都の豪商
五郎兵衛︰茶屋衆の傭兵頭
江戸の櫛
春想亭 桜木春緒
歴史・時代
奥村仁一郎は、殺された父の仇を討つこととなった。目指す仇は幼なじみの高野孝輔。孝輔の妻は、密かに想いを寄せていた静代だった。(舞台は架空の土地)短編。完結済。第8回歴史・時代小説大賞奨励賞。
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
遠い昔からの物語
佐倉 蘭
歴史・時代
昭和十六年、夏。
佐伯 廣子は休暇中の婚約者に呼ばれ、ひとり汽車に乗って、彼の滞在先へ向かう。 突然の見合いの末、あわただしく婚約者となった間宮 義彦中尉は、海軍士官のパイロットである。
実は、彼の見合い相手は最初、廣子ではなく、廣子の姉だった。 姉は女学校時代、近隣の男子学生から「県女のマドンナ」と崇められていた……
どこまでも付いていきます下駄の雪
楠乃小玉
歴史・時代
東海一の弓取りと呼ばれた三河、遠州、駿河の三国の守護、今川家の重臣として生まれた
一宮左兵衛は、勤勉で有能な君主今川義元をなんとしても今川家の国主にしようと奮闘する。
今川義元と共に生きた忠臣の物語。
今川と織田との戦いを、主に今川の視点から描いていきます。
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる