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32 大志郎、福島源蔵を酔わせる

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 謹慎の身に戻っても大志郎の不安は絶えない。いやむしろ、外に置かれてしまったおのれの立ち位置というものが、どうにもこうにも得心できないのだ。
 せっかく、と大志郎はおもう。

(……事件の真相に近づきつつあったのに、おれをけ者にしやがって……)

 不満は尽きない。しかも、同居人まで押し付けられてしまった。
 ……福島源蔵。
 乱闘騒ぎのなかで、腰を抜かしてしまった浪人……。しかも、伊左次いさじかたきと狙っているらしいこの不届き者を、よりによって見張りを兼ねて同じ部屋にかくまうはめになろうとは、大志郎にも想定外のことであった。

 躰を縮こませたままで、福島は喋らない。
 おそらく大志郎が町奉行所同心だと聞かされて、余計なことは口に出すまいと決めてのであろう。貝のように口を閉ざしたままだ。仲間の身元、なぜを騙して森に連れ出そうとしたのか、もっとも大志郎が知りたいのはそのことである。

「なあ、おい、江戸からだろ? おれも江戸の生まれだ……」

 ときに声を和らげて大志郎は、を装いつつ、福島の様子を覗ってもいる。同郷、とはいえ、江戸は各地からやってきた田舎者の集合地である。ちなみに、“駿河台”は駿河するがの国からやってきた田舎武士が住み着いたのである。

「おい、なんとか言ったらどうだ、ええ、おまえをどうこうしようというんじゃない、曲者くせものは曲者かもしれんが、こうして、奉行所に引き連れたわけではないぞ。ここはおれの部屋だ。匿ってやっているというに、だんまりを決め込まれてはやっておれんぞ」
「かくまう?」
「おお、やっと一言か……おまえの仲間が、おまえを狙うかもしれぬからな。分部どのがそう申されておられたゆえ」
「わ、分部さまをご存知でござるか」
「おお、実の兄のごとくに親しくさせてもろうておる……や! おまえも、一度、分部どのに会ったことがあると聴いたぞ」
「はあ、さようでござる」
「ならば、教えてくれ! おれは顔も知らぬが、おまえと江戸からきた親玉はなにが目的なんだ?」
「兵庫様のことでござるか?大曽根兵庫さま……」

 ……こうして大志郎は、分部が明かさなかった大曽根と土岐家との因縁を知ることになった。

「……それで、その兵庫という者は、誰の手先だ?」
「荻原様」
「ん? 誰だ?」
「勘定奉行、荻原様でござる」

 幾分得意げに福島は、荻原の名を告げた。
 内心驚いた大志郎は、それでも素っ気なさを装いつつ、幕閣の重鎮がなにゆえ大坂に興味を持つのかを問うてみた。
 そして、今の今まで“おまえ”呼ばわりしていた大志郎は、ことさらに口調を改め、
「福島どのよ、教えてくだされ」 
と、猫なで声に改めた。
 福島を油断させる作戦である。
 さらに事前に用意していた小作りの酒樽を、どっこいしょと福島の目の前に置いた。寺島家からの差し入れなのだが、口を割らすにはこれにかぎると大志郎はともに盃を重ねた。自分を狙った賊の一人とこうして同じ部屋にいるのもおかしなことで、この際、あまりかんがえすぎてはいけぬと大志郎なりに自戒した上でのことである。

 すると、福島は、いかにも重大なる秘密を有しているおのれを自慢したかったのであったろう、大志郎が驚いたほどぺらぺらと喋り出した……。

「……余の儀にあらず、淀屋辰五郎、ご老中方は、かの者をいずれ追放の処分にするご意向のようでござる」
「追放と?」
「年内、あるいは来春早々にでもというところでござろうかのぅ。大曽根様が、その密命を帯びてござる……」
「淀辰を?なにゆえに?」
「町人にあるまじき豪奢な暮らし、権勢をかさにきたふるまいは、ご政道に対する反逆にも似たり」

 福島はごく短く答えた。おそらくその表現は、大曽根兵庫の口癖を真似たものであったかもしれない。

「反逆? とは、いささか大袈裟な……」

 思わず大志郎は口を挟んでしまった。

「ん? お手前は、町人ごときが武士の上に立ってよろしゅうござるのか」
「いや、そういう問題ではなかろう」
「な、なんと! 久富うじ、お手前は、お上のご意向に逆らいなされるのか!」

 いきなり口吻気味に福島は叫びだした。どうやらこの男は酒癖が悪いらしい。そして、大志郎が睨んだとおり、酒が入ると人が変わったように口が軽くなるらしい……。

「久富氏、これまでどおり、何も手出しをされるな、それがお上のご意向なのだ」
「ほう、なるほど、なるほど……そのあたりのところを、も少し詳しく……」
「ん? このことは、先般、大曽根様が京都所司代松平殿にも、事前にお伝え申しあげておる……さらに、大坂西町奉行大久保殿、東町奉行の太田殿からも、しかと内諾を得ており申す……」

 福島は得意気になって喋り続ける。あたかも、おのれが大曽根兵庫にでもなったつもりでいるのだろう。大物気取りでいたいのは、小心者の証でもあろうか。
 そのつど、ふむふむと相槌を打ちながら、大志郎は喉の奥で何度も唾を呑み込んだ。
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