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2 寺島の一人娘
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寺島家は、中興の祖、三郎左衛門が信長の安土築城に瓦師として加わったことから興隆のきっかけを掴んだ。信長の死後は、豊臣家の御用瓦師をつとめた。そして秀吉の後は、徳川家康に仕えることになる……。
三郎左衛門は、家康と親交を深め、苗字帯刀を許された。
三郎左衛門の実弟、五郎左衛門は家康の家臣となった。家康はよほど寺島兄弟を気に入ったとみえ、弟を千二百石の大身旗本に抜擢、代々五郎左衛門を襲名させている。
寺島三郎左衛門から数えて五代目の当主が、おときの父、惣右衛門である。
もっともいまでは、かつてほどの勢いはないが、それでも寺島家の人脈には侮れぬものがあった。
なんといっても、先祖が信長・秀吉・家康と直接言葉を交わしているという事実が、千金万金の重みを与えていた。それもあって、諸藩の大坂蔵屋敷詰めの武士たちのなかには、寺島家への入婿を狙っている者が数多くいた。
おときは一人娘だから、たとえ武士の身分を捨てても寺島家の次期当主におさまるほうが聴こえはいい。
そういう思惑であったろう。
ところが、十七歳のおときは、婿取りにはまったく関心がない。
それが父、惣右衛門を焦らせている一因ともなっている。
けれど、入婿を狙っている連中は、なにも寺島家の名声と財力だけが目当てではなさそうであった。おとき自身がちょっとした有名人だったからだ。
……二年前。
元禄十五年(一七○二年)の夏のことであった。
台風が相次ぎ、四国、近畿一円を襲い大和川が氾濫した。淀川も北側へ濁流が流れ込み、田地が水没した。希望が失せた農民たちは、庇護を求めて一揆を起こそうとした。それを寸前で止めたのは弱冠十五歳のおときであった。
被災者のなかに寺島所縁の者がいたからだが、事情を知ったおときは、大坂町年寄、さらには惣年寄にまで掛け合い、公儀御蔵米の放出を依頼、さらには各町会所を経巡り義援金を集めた。
こうと思ったら相手が誰であろうと、とことんまで踏み出す勝ち気なところが、おときにはあった。
おときの傍らで遅れまいと駆けている伊左次が、
「お嬢!付けられている」
と、耳元で囁いた。
ハッと立ち止まったおときは、振り返らずそのまま歩き出した。白髪橋が目の前だ。
伊左次もゆっくりそのあとを追う。
かれはまだ四十前だが、おときから見れば、叔父のような年齢だ。明らかに町人姿だが、脇差をさしている。寺島家の番頭格にして、当主惣右衛門の名代として各地に赴くことも多いための護身用である。
それに。
かれが大坂育ちでないことは、おときを『お嬢!』と呼んでいることからも判る。
大坂の商家では、娘のことは『とうさん』と呼ぶ。三人姉妹なら、上から順に、とうさん、いとさん、こいさん。お嬢、というのは、伊左次の造語かも知れない。
かれは、元武士である。
れっきとした公儀直臣、将軍にはお目見えできない、御家人であった。
不祥事を起こし、旗本寺島五郎左衛門に匿われ、さらに大坂の寺島へやってきたのはかれこれ十二年前。おときの子守をしていただけに、二人の間には肉親さながらの信頼が築かれていた。とはいえ、伊左次が江戸でどのような不始末をしでかしたのかまでは、おときは知らない。
橋を渡った。
やはり、つけてくる者がいる。けれど妙なことに、隠れるふうでもなく、堂々と二人のあとを走り、駆け、歩いてくる……。
橋のまん中で、おときはくるりと振り向いた。相手は、ギョッと体躯を震わせた。
町人ではない。
頭には俳諧師がつけるような頭巾がピョコンと乗っていた。走った際にずり落ちたのだろう。明らかに年輩者だが、まだ老人とまではいえない。
それに腰には刀を帯びていない。
痩身で、細い眉毛が長く伸び目尻のあたりに垂れている。どことなく神主のごとき雰囲気を醸し出していた。
伊左次も、
(どこかの武家の隠居だろう)
と、踏んでいた。
おときはジロリとその相手を睨んで、語気を強めて叫んだ。
「あんた、誰やねん!なんで、うちらのあとを、つけてくるねん!」
三郎左衛門は、家康と親交を深め、苗字帯刀を許された。
三郎左衛門の実弟、五郎左衛門は家康の家臣となった。家康はよほど寺島兄弟を気に入ったとみえ、弟を千二百石の大身旗本に抜擢、代々五郎左衛門を襲名させている。
寺島三郎左衛門から数えて五代目の当主が、おときの父、惣右衛門である。
もっともいまでは、かつてほどの勢いはないが、それでも寺島家の人脈には侮れぬものがあった。
なんといっても、先祖が信長・秀吉・家康と直接言葉を交わしているという事実が、千金万金の重みを与えていた。それもあって、諸藩の大坂蔵屋敷詰めの武士たちのなかには、寺島家への入婿を狙っている者が数多くいた。
おときは一人娘だから、たとえ武士の身分を捨てても寺島家の次期当主におさまるほうが聴こえはいい。
そういう思惑であったろう。
ところが、十七歳のおときは、婿取りにはまったく関心がない。
それが父、惣右衛門を焦らせている一因ともなっている。
けれど、入婿を狙っている連中は、なにも寺島家の名声と財力だけが目当てではなさそうであった。おとき自身がちょっとした有名人だったからだ。
……二年前。
元禄十五年(一七○二年)の夏のことであった。
台風が相次ぎ、四国、近畿一円を襲い大和川が氾濫した。淀川も北側へ濁流が流れ込み、田地が水没した。希望が失せた農民たちは、庇護を求めて一揆を起こそうとした。それを寸前で止めたのは弱冠十五歳のおときであった。
被災者のなかに寺島所縁の者がいたからだが、事情を知ったおときは、大坂町年寄、さらには惣年寄にまで掛け合い、公儀御蔵米の放出を依頼、さらには各町会所を経巡り義援金を集めた。
こうと思ったら相手が誰であろうと、とことんまで踏み出す勝ち気なところが、おときにはあった。
おときの傍らで遅れまいと駆けている伊左次が、
「お嬢!付けられている」
と、耳元で囁いた。
ハッと立ち止まったおときは、振り返らずそのまま歩き出した。白髪橋が目の前だ。
伊左次もゆっくりそのあとを追う。
かれはまだ四十前だが、おときから見れば、叔父のような年齢だ。明らかに町人姿だが、脇差をさしている。寺島家の番頭格にして、当主惣右衛門の名代として各地に赴くことも多いための護身用である。
それに。
かれが大坂育ちでないことは、おときを『お嬢!』と呼んでいることからも判る。
大坂の商家では、娘のことは『とうさん』と呼ぶ。三人姉妹なら、上から順に、とうさん、いとさん、こいさん。お嬢、というのは、伊左次の造語かも知れない。
かれは、元武士である。
れっきとした公儀直臣、将軍にはお目見えできない、御家人であった。
不祥事を起こし、旗本寺島五郎左衛門に匿われ、さらに大坂の寺島へやってきたのはかれこれ十二年前。おときの子守をしていただけに、二人の間には肉親さながらの信頼が築かれていた。とはいえ、伊左次が江戸でどのような不始末をしでかしたのかまでは、おときは知らない。
橋を渡った。
やはり、つけてくる者がいる。けれど妙なことに、隠れるふうでもなく、堂々と二人のあとを走り、駆け、歩いてくる……。
橋のまん中で、おときはくるりと振り向いた。相手は、ギョッと体躯を震わせた。
町人ではない。
頭には俳諧師がつけるような頭巾がピョコンと乗っていた。走った際にずり落ちたのだろう。明らかに年輩者だが、まだ老人とまではいえない。
それに腰には刀を帯びていない。
痩身で、細い眉毛が長く伸び目尻のあたりに垂れている。どことなく神主のごとき雰囲気を醸し出していた。
伊左次も、
(どこかの武家の隠居だろう)
と、踏んでいた。
おときはジロリとその相手を睨んで、語気を強めて叫んだ。
「あんた、誰やねん!なんで、うちらのあとを、つけてくるねん!」
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