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友人の悲願
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「真冬に咲くなでしこはとても珍しいのではないでしょうか?」
清之進は言う。ちえとはようやくなじみはじめてきて、ときには育種小屋で長話に興じることもあった。
なでしこは秋の七草に数えあげられる。たまに春先にも花を開かせることがあるが、真冬には咲かない。
「……はい、父なりに寒さに強い原種の石竹と掛け合わせ、根気強く続けてきましたが、まだまだ冬に咲かせるのは無理のようです」
「そうですか」
「でも、お殿様の御命令である、黒い花は創り出し、たとえ真冬には咲かなくとも、生きている間に、必ず黒花だけは完成させておきたいと……」
ちえの語尾が詰まる。詳しいことを伝えても、目の前の清之進には解らないだろう。そうおもうがあまり、結局、ことばを探しきれないのだ。いつものことだ。
「黒い花ですか……確かに雪の草原にぽつんと咲けば、目立ちますね」
「はい……」
「でも、わが邦では、黒色は敬遠されがちです。お上の思い付きで、ちえどのにはご迷惑をおかけして……」
「いいえ、とんでもございませぬ」
ちえは答える。どちらかといえばそつのない応答だった。正確なちえの歳までは、清之進には判らないが、自分よりは数歳上だとは想像していた。
当初、父親の世之介が島流しになる……と告げに来たのが清之進だった。
そのときのちえは、たしかに驚愕していたはずなのだが、無言のまま安堵の吐息を何度も何度も吐き続けていた。おそらくは、人殺しの父親の処刑を覚悟していたのだったかもしれないと、清之進はおもった。それ以来、清之進は、島に流された世之介と、育種小屋でかれのおもいを受け継ぐちえとの間の橋渡し役となった。もとより、それも主命の一つであった。
……島にいる世之介の要望、たとえば、庭のこのあたりの土を掘り起こし、三日、陽にさらしたものを持ってこい……とか、あの鉢に植えたものを日陰で半月置いたものがほしい……、どこそこの井戸の水を樽に……、鶏糞と石灰を混ぜ合わせたものを……などと、事細かく門衛に告げると、それを船頭を介して清之進がうけたまわり、早々にちえへと告げるのだった。
この連携が、かれこれ一年半近く続いていた。
「おとう……は、元気にしているでしょうか?」
「はい、心配はご無用かと存じます。定期的に、お殿様の御沙汰で、医師や薬師を派遣させておりますゆえ」
清之進の物言いはあくまでも丁寧であった。それに余計な無駄口は一切たたかない。それがちえにはなによりも嬉しかった。
それに、ときおり藩公から下げ渡された京の雅やかな菓子などを清之進が届けてくれるものだから、なにやら実弟であるかのような親近感すら芽生えてきていた。
それが恋慕の情へと変わらないのは、ちえなりに身分の枠というものを心得ていたからであったろう。
「……元服の儀はおえられたのでございましょうか」
むしろ、ちえにはそのことのほうが気掛かりであった。お城勤めになれば、また違うひとが清之進の代わりになるであろう。物腰の柔らかい清之進に慣れてしまったちえにしてみれば、また一から関係を築くことのほうが鬱陶しいからであった。
「いいえ、お殿様にお願い申し上げ、その儀式は延ばしていただくことに相成りました」
ぼそりと清之進は答える。
この藩では通常十五の齢で元服し、月代を剃り、髷を結う。そのことを知っていただけにちえは、元服をしないと決めた清之進の胸中に宿る固い決意のようなものを自分なりに押し測ってもみた。
(清之進さまは……黒いなでしこが出来上がるまで、元服なさらないのやも……)
なぜそう思ったのかは、ちえなりに自分でもわかる。清之進の父は、勘定方での役務中、落ち度があって御役御免になっていた。
その噂はいまでは誰もが知っている。
本来は重罰のところ、清之進が藩公の覚えめでたかったこともあって、かれの元服を待って家督を相続させるべし……といった温情あふれる御沙汰であったらしかった。つまるところ、清之進は元服しなければ、れっきとした藩士にはなれないのだ。
このまま黒いなでしこが誕生しないなら、一生、無役の、宙ぶらりんの状態が続くことになってしまいかねない。
(それなのに……わざわざ元服の儀をおのばしになるなんて……)
ちえは、清之進なりに、なにやら黒花創出に、おのれの将来を賭けているような気がしてならなかった。
「友は……いないのです」
あるとき、ぼそりと清之進がそうつぶやいたはずである。
不名誉な父の一件で、それまで親しくしていた幼なじみや剣道場での仲間も、一人二人……と清之進から離れていったらしい。
「だから、いまでは、あなたが、唯一の友のようなものなのです」
清之進はいう。
それほど深い話もしないのに、定期にやってくる清之進には、どうやらちえの存在というものがそれほどの意味を持つまでになっていたようであった……。
清之進は言う。ちえとはようやくなじみはじめてきて、ときには育種小屋で長話に興じることもあった。
なでしこは秋の七草に数えあげられる。たまに春先にも花を開かせることがあるが、真冬には咲かない。
「……はい、父なりに寒さに強い原種の石竹と掛け合わせ、根気強く続けてきましたが、まだまだ冬に咲かせるのは無理のようです」
「そうですか」
「でも、お殿様の御命令である、黒い花は創り出し、たとえ真冬には咲かなくとも、生きている間に、必ず黒花だけは完成させておきたいと……」
ちえの語尾が詰まる。詳しいことを伝えても、目の前の清之進には解らないだろう。そうおもうがあまり、結局、ことばを探しきれないのだ。いつものことだ。
「黒い花ですか……確かに雪の草原にぽつんと咲けば、目立ちますね」
「はい……」
「でも、わが邦では、黒色は敬遠されがちです。お上の思い付きで、ちえどのにはご迷惑をおかけして……」
「いいえ、とんでもございませぬ」
ちえは答える。どちらかといえばそつのない応答だった。正確なちえの歳までは、清之進には判らないが、自分よりは数歳上だとは想像していた。
当初、父親の世之介が島流しになる……と告げに来たのが清之進だった。
そのときのちえは、たしかに驚愕していたはずなのだが、無言のまま安堵の吐息を何度も何度も吐き続けていた。おそらくは、人殺しの父親の処刑を覚悟していたのだったかもしれないと、清之進はおもった。それ以来、清之進は、島に流された世之介と、育種小屋でかれのおもいを受け継ぐちえとの間の橋渡し役となった。もとより、それも主命の一つであった。
……島にいる世之介の要望、たとえば、庭のこのあたりの土を掘り起こし、三日、陽にさらしたものを持ってこい……とか、あの鉢に植えたものを日陰で半月置いたものがほしい……、どこそこの井戸の水を樽に……、鶏糞と石灰を混ぜ合わせたものを……などと、事細かく門衛に告げると、それを船頭を介して清之進がうけたまわり、早々にちえへと告げるのだった。
この連携が、かれこれ一年半近く続いていた。
「おとう……は、元気にしているでしょうか?」
「はい、心配はご無用かと存じます。定期的に、お殿様の御沙汰で、医師や薬師を派遣させておりますゆえ」
清之進の物言いはあくまでも丁寧であった。それに余計な無駄口は一切たたかない。それがちえにはなによりも嬉しかった。
それに、ときおり藩公から下げ渡された京の雅やかな菓子などを清之進が届けてくれるものだから、なにやら実弟であるかのような親近感すら芽生えてきていた。
それが恋慕の情へと変わらないのは、ちえなりに身分の枠というものを心得ていたからであったろう。
「……元服の儀はおえられたのでございましょうか」
むしろ、ちえにはそのことのほうが気掛かりであった。お城勤めになれば、また違うひとが清之進の代わりになるであろう。物腰の柔らかい清之進に慣れてしまったちえにしてみれば、また一から関係を築くことのほうが鬱陶しいからであった。
「いいえ、お殿様にお願い申し上げ、その儀式は延ばしていただくことに相成りました」
ぼそりと清之進は答える。
この藩では通常十五の齢で元服し、月代を剃り、髷を結う。そのことを知っていただけにちえは、元服をしないと決めた清之進の胸中に宿る固い決意のようなものを自分なりに押し測ってもみた。
(清之進さまは……黒いなでしこが出来上がるまで、元服なさらないのやも……)
なぜそう思ったのかは、ちえなりに自分でもわかる。清之進の父は、勘定方での役務中、落ち度があって御役御免になっていた。
その噂はいまでは誰もが知っている。
本来は重罰のところ、清之進が藩公の覚えめでたかったこともあって、かれの元服を待って家督を相続させるべし……といった温情あふれる御沙汰であったらしかった。つまるところ、清之進は元服しなければ、れっきとした藩士にはなれないのだ。
このまま黒いなでしこが誕生しないなら、一生、無役の、宙ぶらりんの状態が続くことになってしまいかねない。
(それなのに……わざわざ元服の儀をおのばしになるなんて……)
ちえは、清之進なりに、なにやら黒花創出に、おのれの将来を賭けているような気がしてならなかった。
「友は……いないのです」
あるとき、ぼそりと清之進がそうつぶやいたはずである。
不名誉な父の一件で、それまで親しくしていた幼なじみや剣道場での仲間も、一人二人……と清之進から離れていったらしい。
「だから、いまでは、あなたが、唯一の友のようなものなのです」
清之進はいう。
それほど深い話もしないのに、定期にやってくる清之進には、どうやらちえの存在というものがそれほどの意味を持つまでになっていたようであった……。
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