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第七話 星雲はるかに

闇の中の光

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 因縁の対決……とはこのことであったろうか。そうは覚悟を決めた。
 どうにか寺田文右衛門の容体は安定してきていた。もっとも毒の種類はいまだに判定できないまでも、杵築大社の薬丸やくがんが毒の回りを止めてくれたらしいことは奇跡ともいえた。
 神仏の加護というものを信じない女忍のにしてみれば、
(まさかこんなことが……)
と嬉しい反面、これまで自分の一族が闘ってきた相手、すなわち大名家や豪族たちが放った密偵、忍びの者らに対する警戒心とは異質の感情が湧き出てもいる。
 ……しかも、テラモンに毒を盛った敵は、が配した御筆組おふでぐみの監視の網をかい潜って実行したのだ。恐るべき敵手だといわざるをえまい。
(やはり、公儀の……)
と、は確信してもいた。何十年にも渡って、領内に潜伏して御城のなかの書庫に納まっている家康直筆の書状を盗み取ろうしとした形跡があった。そのつど隠し場所を変えてきたのだが、の祖父のげんでは、その書翰は油紙に包まれ、封緘されている。いまも藩公も家督相続のおりに、
『中をみれば、わが家が、藩が潰れる。将軍の前でしか開封してはならぬ』
と言い含められてきたという。
 それを盗もうとするのは、公けにはできない何事かが記されていると解するのが妥当であろう。ひとたび将軍の眼前で開封すれば、それはすなわち公文書として幕閣が認めることに他ならない。それを阻止する勢力が幕閣重臣のなかにいるのであろう。それが祖父なりの見解で、木下家は御筆組の統括者としてその秘密を藩公と共有してきた経緯いきさつがある。

(まずは寺田さまのご快復を待って、書翰を江戸へ運ばねば……)

 それがいまに課せられた最重要の任務であった。
 テラモンの様子を見に行こうと立ち上がりかけたとき、木下家に来訪者があった。すでに陽は落ちている。この時分におとのう者は味方か敵か……と身構えたとき、
「おゆるしくだされまし」
と、訛の消えない男の声がそばで響いた。
 案内《あない》を通さず、しかも音を立てずに近寄ってきたこの男は、いきなりの脚元で平伏した。

「な、なにもの……!」
「いえ、あやしい者では……とまでは申せませんが、おゆるしあれかし。手前、逃亡中の大工でございます」
「と、逃亡とな!」
「あ、はい、さようでございます。いささか訳がございまして、御領内から遠ざかっておりましたが、寺田様危急のおり、馳せ参じましてございます。おっつけゴンさんもやってきます。いま、寺田様のもとに……」
「ご、ゴンさん……?」

 さすがのもいささか動転していた。大工と言ったその老齢の男は、こうべを垂れているので、ふさ恵の表情は読み取れない。そうと知ってあえてその姿勢を崩さないのは、敵意が無いことを伝える所作でもあったろう。
「……手前は佐吉さきちと申します。ゴンさんは、ま、婿のようなものでございまして、名は、長山権兵衛ごんべぇさま……」

       (第一話「家宝は……」参照)

 視線を合わさず長々と喋り続ける佐吉の背をみながら、とにもかくにも長い夜になりそうだとは左手に握ったままの武器の小筆をそっと帯のなかに納めた……。
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