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第七話 星雲はるかに

招く鳥

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 その鳥の名は……誰にもわからない、誰にもえない……はずであった。
 器用にくちばしで文字を描く鳥なのである。
 大木のみきであったり、ほこりや砂塵が積もった山道のみちであったり、ときには名もなき溜池の水面にも、文字を描く鳥である。

(おお、あのおりの鳥……が、わしを呼び招きに参ったのか……)

 そんなことをとりとめもなくテラモンは考えている。考えているおのれの姿はみえないまでも、思念していることだけは、なぜか判るのだ。
 ……とは、遠い過去、
〈剣〉
の一文字を木幹に嘴で描いた、あの鳥のことをテラモンは思い出している。

(おもえば、それなりに充《み》ち足りた人生であったやも)

と、おもうその一方で、

(それでよかったのか、どうか……)

とひときわ寂しい風が舞うこともたびたび
合ったはずである。一度や二度ではない。物忘れが激しくなりつつあることにも気づかないふりをして、数年やり過ごしてきた。腰痛や膝痛は医師の世話にならずとも数日寝ているだけで、嘘のように回復した。若い頃に鍛えに鍛えた心身の賜物であろうと、その事実に寄り掛かってきたのだったかもしれなかった。

(……後悔だらけともいえぬまでも、むしろ後悔が残らない人生のほうが、かえって味気ないのではないか……)

 とも、テラモンはおもったりしたものだ。
 混濁した意識のなかで、かれは、確かにかつてその目にした鳥の姿を視て、その音……嘴で木肌をつつく音はやがて、鳴き声になり、ひとの声になっていった。


「テラ様、テラ様……お気を確かに……です、ちえでございます……父上さまから、お身のまわりのお世話をするように申しつかって参りました……」
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