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第四話 感謝の対価

勝 負

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 風は雨模様の色合いを含みつつ東から南へとそよいでいる。
 半刻はんとき(約一時間)もしないうちに降ってくるだろう。
 テラモンは、
(またぞろ雨に悩まされるのか……)
と、舟宿の事件(※「殺らずの雨」参照)を思い出して多少の気鬱が首をもたげてくるのをうといつつ、佐々木世之介の姿態したいを見つめていた。
 “剣術長屋”の裏手の山際やまぎわの空き地であった。
 藩公菩提寺の書庫の瓦を支える木骨がり出ている。
 立会人は、二人だけである。
 谷崎家老と木下ふさ恵。
 二人……というのが、佐々木世之介が試合を応諾した条件であった。佐々木家伝来の剣の秘術を大勢の前で披露したくはなかったのであったろう。あるいは、そもそも目立つことを嫌ったのかもしれない。
 それに不正を防ぐ意味合いもあった。
 立会人は審判人であるだけに、複数名を立てるのが古来からのならわしなのである。
 当初、テラモンは、谷崎家老の他に、種田武雄に立会人を依頼するつもりであった。けれど、それは種田本人が辞退した。佐々木世之介に対する〈賭け〉の胴元になっていること、その賭けの結果が判明するまでは、直接会うのはよろしくなかろうという俯瞰的判断であった。
 そこで、テラモンは忍びの技を受け継ぐを選んだ。

(それにしても………)
と、テラモンはうならざるを得なかった。
 ……居合いあい斬りの長山権兵衛(「家宝は寝て持て!」参照)といい、目の前の佐々木世之介といい、萎びた片田舎の神坂の地にも、それぞれにおのが人生というものと向き合いつつ、精一杯に、おのれの、いや、周りの人たちのなかに溶け込み暮らしているという事実は、いまさらながらテラモンに新鮮な驚きをもたらした。
 いま、対峙たいじしている佐々木世之介にまつわる“賭け”の騒々しさは、実のところテラモン自身、滑稽にも映っている。家付き嫁を世話しようという者らを跳ねけ、避けている世之介は、なにかかたくなな信念のようなものがあり、それを愚直なまでに守っているようにかれにはおもわれた。
 いや信念というより、おのれのって立つべき何かを、愚鈍に死守しようとしていたのであろうか。
 そこまでは、ようやくテラモンにもわかりかけてきた。それをさらに見極めるためにも、どうしても剣を交える必要があったのだ。
 いのちと向き合うとき、ひとは、ひそませた芯奥しんおうあら__#わになることがある……。 

 試合がはじまったとき、ふしぎと風はまった。
 音もない。
 テラモンと世之介の周りの色彩だけが、ふっと消えた。
 世之介の構えを視たテラモンは、戸惑いを隠しきれないでいた。
 あろうことか、世之介は両足ともつま先立ちになって、双方のかかとを浮かせている……。
 剣を頭上に振りかざすのではなく、おのが体幹の一部であるかのごとく右肩と並行に天をくようにして刃をこちら側に見せている。おそらく、テラモンが動けば、迅速に走り込んでくるにちがいなかった。
 それだけに、テラモンも次の動作を予測させない構えをとるしかない。

 テラモンは抜刀と同時に、つばに添えるようにして左手を上、右手を下にしてつかを握り変えた。そしてそのまま柄頭を右手のてのひらのなかに包み込むようにして、刀身を下げ、切っ先を地につけた。
 鞍馬古流秘伝、逆手さかて|十文字《じゅうもんじ。
 舟をのごとく、土を掘り返す鉄槌てっついのごとく、はたまた自在に綿布を縫う針のごとく、対手あいてを、布切れとして認識することで、おのれの殺気をも埋没させてしまうのである。
 ところが。
 ふいに世之介は浮かしていたかかとを地につけた。
 テラモンに向かってまっしぐらに突進することを避けたのである……。
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