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第5話 解放
しおりを挟む草木も眠る刻限。
厳重な結界が張られている天通院家の門をくぐり出る人影があった。門を出たのちも敷地内には結界が何重にも重ねて張られている。その結界全てをくぐり抜けて敷地から出てきたのは、巫女の装束を纏った八重だった───少なくとも、外見は。
彼女は車を停めて待っていた尚煕に笑いかける。その笑みはどこか妖艶だ。
「あら、お迎え?」
「ええ。お帰りなさい」
「ただいま。さあ、こんな辛気臭いところ早く出たいわ」
二人は車に乗り、夜の街を走る。
「かなり弱っているようですね」
「そりゃ五百年も引き篭ればそうなるわよ。この子の肉体がなかったら封印が解けても屋敷の外へは出られなかったかも」
助手席に座るそれは八重の肉体ではあるが、今や表情も仕草も全く別物だ。
「それにしても御兄様、随分と待たせたじゃない」
「許してください。あの敷地は貴女の力も組み込んで結界を張っていたので、搦手を使わなければ手が届かなかったんです」
「ふーん。まあいいわ、許してあげる。求心力のあった神が、今やこんな気味の悪いバケモノにまで成り下がったんだもの。苦労したのは分かるわよ」
「邪神も神のうちでしょう。そう言う貴女も、随分と澱を貯めたようで」
「あんなとこに幽閉されたら何だって腐っちゃうわよ!」
「ふふっ……それで、どうします? 一矢報いるのですか?」
「放っておけばいいわ。私が居なくなれば、運も尽きる。勝手に身を持ち崩すわよ」
「それはそうでしょうね。……ひとつ聞きたいのですが、八重さんが何故貴女を外へ出す気になったのか、分かりますか? 少しは彼女の記憶を読んだのでしょう?」
「えーと、十二月の、二十日くらいだったかしら。私、あの子から貴方の匂いを感じて、聞いたのよ。〝あなた、彼にあったのね〟って。それで貴方の目的が私だと気づいたみたいよ」
「なるほど。それで納得がいきました」
「ふわぁ……。私は少し寝る。疲れたわ」
目を閉じた彼女の肩に、尚煕は手を置く。
「その前に、その身体を返してください」
「……返す? 御兄様のものじゃないわ。私のものよ」
女の目がギラリと光る。尚煕は落ち着いた声で諭すように語りかける。
「あそこから出してあげたのですから、見返りとして貰う権利があります」
「なにそれ! 自分の片割れを助けて見返り要求するの?」
「ワガママを言わないでくださいよ」
ムッと頬を膨らませた彼女だったが、ひとつ欠伸を零すと両手を上げた。
「……分かったわよ。でも休息中は肉体必要なの。寝てる間に考えとくわ」
車を運転しながら尚煕は、一月半ばの寒いあの日のことを思い返していた。
八重とはクリスマスイブ以降は会っていなかった。年末年始は天通院家も何かと慌ただしいためだ。その忙しさが過ぎ去った頃、初めて八重からメールで尚煕に会いたいと連絡がきた。その日は雨は降っていないが曇り空。寒々とした河川敷には人が見えなかった。八重はポツリと置かれたベンチに座り、尚煕も隣へ腰を下ろした。
「それにしても、貴女から呼んでいただけるとは思いませんでした」
「予想はしていたんでしょう?」
「予想というのは……」
「私、決めたよ。惣玄さんの言葉次第だけど、うちにいる異形を外に出す」
八重は目線を上げて、尚煕の目を見た。
「……言葉次第というと?」
尚煕はとくに感情の起伏を見せず、通常のトーンで言葉を返す。八重の声も凪いだ水面のように穏やかだった。
「結界を解いて、私が供物になっても、きっと天通院の血族を許しはしない。それはまあ仕方ないと思う。いちおう事前に手は打たせてもらうから、それでも駄目なら仕方ないと諦める。だけど、天通院以外の人が犠牲になるなら、やりたくない」
「もし、一般人に害が及ぶならば、私が止めます」
「……中にいるのは、何?」
八重の質問に、尚煕は微笑む。
「私の妹です。同時に生まれた対の相手、片割れ、半身……言い方は色々ありますね」
「そう」
八重は立ち上がると、座ったままの尚煕と正面から向き合った。
「あの時、私の記憶を見たんでしょう? それなら、私が心を決められる言葉を分かっているはずだよね」
この言葉に、尚煕は初めて躊躇う様子を見せた。
「八重さん」
「言って」
穏やかながら気持ちのこもった言葉は、言霊として尚煕を縛る。
「……貴女は、素敵な人だ」
八重は「ありがとう」と言って、笑った。
***
尚煕は数年前、天通院八重を捕らえるために罠を張った。そして妖を退治した八重が気を抜いた瞬間を見逃さず捕らえた。
尚煕は彼女を他の退魔師に邪魔をされない場所へ連れて行き、催眠を施そうとした。天通院の屋敷に縛り付けられた妹を解放するために、天通院家の人間を使うつもりだったのだ。べつに痛めつけたいわけでも、人格を破壊したいわけでもない。ただ目的を達成するまで自分の意のままに動いてくれれば良いと思っていた。
しかし八重は予想よりもずっと精神力が強かった。催眠をことごとく跳ね返してくる。そこでもっと深い部分に干渉する洗脳を施そうとした。洗脳の際は、脳みそを掻き回されるような激しい苦痛が人間を襲う。洗脳後にその嫌な記憶は消しておこうと考えていた尚煕だが、八重はこれにも抗い続けた。結局、これ以上は人格を破壊するという瀬戸際まできてしまい、止めざるを得なくなる。
これほど抵抗できる人間がいるなんて、尚煕は予想もしていなかった。彼は驚きと共に喜びを感じる。知的好奇心が強い彼にとって、未知のモノは素晴らしい宝なのである。洗脳の過程で八重の記憶を見た彼は、別の手を考えることにした。
八重は生きて解放されたことを気紛れだと思っていた。しかし電車で再び会い、意図的に生かされたのだと気づく。しかし彼女には、どうして生かされて何を企んでいるのかまでは分からなかった。
契約があるので無理やり問いただすこともできる。だが契約時点でそれも織り込み済みのはずだと考えた彼女は、あえて直接聞くことをしなかった。それに八重は自暴自棄になっていた。死んでもいいと、無防備な状態で男の懐に飛び込んだのだ。
水族館に行く数日前、件の秘密の場所を掃除していた八重に中のものが話しかけてきた。
───あなた、彼に会ったのね。
八重の心当たりは一つ。惣玄尚煕だ。そこでやっと八重は気づいた。封印されているもののために、尚煕は八重に近づいたのだ。退魔師である彼女は記憶を見られたことに気づいていたので、この仮説に至った。
───惣玄さんは記憶を見て私の性格や人間性を理解しているはず。ずっと望んでいたものを与えられて、異形への感覚も変わったなら、人の子は揺さぶりやすくなる。
そして八重は、利用されているのだと思いつつも、異形に手を貸す道を選んだ。
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