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20.バラ風呂とおにぎりと②
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つい先ほど、会ったばかりの男にこの身を差し出そうとしていたことを思い出す。
あの時はそうすることが最善の手段だと思い込んでいたけれど、少し落ち着いてみると、自分はなんてバカなことをしようとしていたのかと頭を抱えたくなる。立岡が止めに入ってくれたからよかったものの、そうでなければ今頃はホテルの一室であの下劣な男に抱かれていたのだろう。考えただけで鳥肌が立つ。
それよりも、問題はその後だ。
明希の愚行を止めてくれた立岡だが、その後彼は何と言っただろうか。
『どうでもいいなら、僕にください』
やけっぱちになっていた明希に、立岡は確かにそう言った。そして、あれよあれよと言う間に明希は彼の部屋に上がり込んでしまっている。
立岡の言った言葉の意味を考えてみる。あの流れからすると、立岡はあの男の代わりに明希を抱こうとしている──と、思われる。おそらく。
しかし、この家に着いてからの立岡は普段と変わらない態度で明希に接している。謙虚ながらきちんと気を遣うこともできる、明希の自慢の後輩だ。弱みにつけこんで、己の性欲を満たすために部屋に連れ込んだとはとても思えない。
では、「僕にください」とはどういう意味だろうか。普段は可愛らしい後輩を演じているだけで、立岡もあの男のように明希を性的な目で見ていたのだろうか。
「私みたいなのでも、性欲処理くらいにはなる……とか? いや、でもそんなこと立岡くんが考える……?」
いくら考えても、立岡の意図は分からなかった。
そうこうしているうちに、風呂の準備を終えたらしい立岡が部屋に戻ってくる。明希は平静を装いながら、立岡が出してくれたかりんとうを手に取って一つかじった。どこか懐かしい、黒糖の甘みが口いっぱいに広がる。
「お風呂、もうすぐ沸きますから。狭くて申し訳ないんですけど、ゆっくり湯船に浸かってください」
「え……い、いいの?」
「もちろんです。それで、あのー、パジャマなんですけど、僕の洗い替えの分でも大丈夫……ですか?」
「えっ……パジャマまで貸してくれるの?」
「はい。さすがに、そのパーティードレスやスーツで寝るわけにいかないでしょう? 中里先輩がよければ、なんですけど」
立岡は遠慮がちに上下揃ったスウェット生地のパジャマを差し出している。心底申し訳なさそうなその表情からは、「こんなものしかなくてすみません」という彼の心の声が聞こえてくる気がした。
明希はまた、ぼそぼそとお礼を言いつつそのパジャマを受け取った。立岡の言動はちぐはぐで、明希は先ほどから困惑しきりだ。
「そろそろ沸いたと思うので、中里先輩、どうぞ。バスタオルとフェイスタオルも出してあります」
「あ、ありがとう」
「いえ、大したことはできないんですが……ゆっくりしてくださいね」
にっこりと笑うその顔は、オフィスに戻った明希を出迎えてくれる時と同じものだった。
戸惑いつつも、明希はひとまずお風呂を借りることにする。一日中働いた後にパーティーに参加したこともあり、体は汗まみれだ。それに、いつもより念入りに施したメイクも早く落としたい。
脱衣所でドレスを脱いで、浴室のドアをガチャリと開ける。その瞬間、甘い花の匂いが漂ってきた。
「えっ……ばっ、バラ風呂!?」
バスタブに浮かぶ色とりどりのバラを目にして、明希は驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。こう言っては何だが、この簡素なアパートの狭い浴室にはまったく似つかわしくない光景だ。フラワーバスなんて、いいなあと思うことはあっても自分のために購入しようとしたことはない。
この豪華すぎるフラワーバスについては後で立岡に詳しく話を聞くとして、明希はひとまずさっとシャワーを浴びて汗を流した。途中でメイク落としを持ってきていないことに気付いて焦ったけれど、シャンプーやボディソープと一緒に試供品らしいミニサイズのクレンジングクリームが置いてあったので、それを借りることにした。封は開いていなかったから、きっと立岡が明希のために用意したものだろう。
そして、髪も体も顔も綺麗さっぱり洗い流してから、明希はそろそろとバスタブに浸かる。ふんわりとした優しいバラの香りが広がって、思わず目をつぶって息を漏らした。そういえば、こうしてゆっくりと湯舟に浸かるのは久しぶりかもしれない。
バラのおかげか少し気が緩んだ明希は、口元までお湯に浸かってぷかぷかと浮かぶバラの花をそっと手に取ってみた。造花ではない、本物のバラだ。生きた花なんて決して安くはないし、日持ちがするものでもないのに、なぜ立岡のような一人暮らしの男の子の家にあるのだろう。ますます謎が深まる。
疑問は増えるばかりだが、明希は手足がふやけるまでバスタブに浸かって、生まれて初めてのフラワーバスを堪能した。
あの時はそうすることが最善の手段だと思い込んでいたけれど、少し落ち着いてみると、自分はなんてバカなことをしようとしていたのかと頭を抱えたくなる。立岡が止めに入ってくれたからよかったものの、そうでなければ今頃はホテルの一室であの下劣な男に抱かれていたのだろう。考えただけで鳥肌が立つ。
それよりも、問題はその後だ。
明希の愚行を止めてくれた立岡だが、その後彼は何と言っただろうか。
『どうでもいいなら、僕にください』
やけっぱちになっていた明希に、立岡は確かにそう言った。そして、あれよあれよと言う間に明希は彼の部屋に上がり込んでしまっている。
立岡の言った言葉の意味を考えてみる。あの流れからすると、立岡はあの男の代わりに明希を抱こうとしている──と、思われる。おそらく。
しかし、この家に着いてからの立岡は普段と変わらない態度で明希に接している。謙虚ながらきちんと気を遣うこともできる、明希の自慢の後輩だ。弱みにつけこんで、己の性欲を満たすために部屋に連れ込んだとはとても思えない。
では、「僕にください」とはどういう意味だろうか。普段は可愛らしい後輩を演じているだけで、立岡もあの男のように明希を性的な目で見ていたのだろうか。
「私みたいなのでも、性欲処理くらいにはなる……とか? いや、でもそんなこと立岡くんが考える……?」
いくら考えても、立岡の意図は分からなかった。
そうこうしているうちに、風呂の準備を終えたらしい立岡が部屋に戻ってくる。明希は平静を装いながら、立岡が出してくれたかりんとうを手に取って一つかじった。どこか懐かしい、黒糖の甘みが口いっぱいに広がる。
「お風呂、もうすぐ沸きますから。狭くて申し訳ないんですけど、ゆっくり湯船に浸かってください」
「え……い、いいの?」
「もちろんです。それで、あのー、パジャマなんですけど、僕の洗い替えの分でも大丈夫……ですか?」
「えっ……パジャマまで貸してくれるの?」
「はい。さすがに、そのパーティードレスやスーツで寝るわけにいかないでしょう? 中里先輩がよければ、なんですけど」
立岡は遠慮がちに上下揃ったスウェット生地のパジャマを差し出している。心底申し訳なさそうなその表情からは、「こんなものしかなくてすみません」という彼の心の声が聞こえてくる気がした。
明希はまた、ぼそぼそとお礼を言いつつそのパジャマを受け取った。立岡の言動はちぐはぐで、明希は先ほどから困惑しきりだ。
「そろそろ沸いたと思うので、中里先輩、どうぞ。バスタオルとフェイスタオルも出してあります」
「あ、ありがとう」
「いえ、大したことはできないんですが……ゆっくりしてくださいね」
にっこりと笑うその顔は、オフィスに戻った明希を出迎えてくれる時と同じものだった。
戸惑いつつも、明希はひとまずお風呂を借りることにする。一日中働いた後にパーティーに参加したこともあり、体は汗まみれだ。それに、いつもより念入りに施したメイクも早く落としたい。
脱衣所でドレスを脱いで、浴室のドアをガチャリと開ける。その瞬間、甘い花の匂いが漂ってきた。
「えっ……ばっ、バラ風呂!?」
バスタブに浮かぶ色とりどりのバラを目にして、明希は驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。こう言っては何だが、この簡素なアパートの狭い浴室にはまったく似つかわしくない光景だ。フラワーバスなんて、いいなあと思うことはあっても自分のために購入しようとしたことはない。
この豪華すぎるフラワーバスについては後で立岡に詳しく話を聞くとして、明希はひとまずさっとシャワーを浴びて汗を流した。途中でメイク落としを持ってきていないことに気付いて焦ったけれど、シャンプーやボディソープと一緒に試供品らしいミニサイズのクレンジングクリームが置いてあったので、それを借りることにした。封は開いていなかったから、きっと立岡が明希のために用意したものだろう。
そして、髪も体も顔も綺麗さっぱり洗い流してから、明希はそろそろとバスタブに浸かる。ふんわりとした優しいバラの香りが広がって、思わず目をつぶって息を漏らした。そういえば、こうしてゆっくりと湯舟に浸かるのは久しぶりかもしれない。
バラのおかげか少し気が緩んだ明希は、口元までお湯に浸かってぷかぷかと浮かぶバラの花をそっと手に取ってみた。造花ではない、本物のバラだ。生きた花なんて決して安くはないし、日持ちがするものでもないのに、なぜ立岡のような一人暮らしの男の子の家にあるのだろう。ますます謎が深まる。
疑問は増えるばかりだが、明希は手足がふやけるまでバスタブに浸かって、生まれて初めてのフラワーバスを堪能した。
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