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15.生きる世界(2)

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 日が落ちていくにつれ、ミーアの表情はさらに暗くなっていった。
 今夜もまたあの行為が行われるのかと思うと、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。しかし、父のことを思うと一人だけでこの城から出ていくわけにもいかず、ミーアは途方に暮れた。

「ミーア、私だ。入ってもいいか?」

 唐突に聞こえてきたその声に、ミーアはびくっと身を縮ませた。リオンの声だ。

 ――リオンには会いたくない。ただただ、彼が恐ろしい。

 しかし、ここでわずかに抵抗したところで扉に鍵がかかっているわけでもなく、ミーアに拒否権があるはずもない。黙り込んだまま彼女が動けずにいると、「失礼するよ」と声をかけてリオンが部屋に入ってきた。
 来ないで、とミーアは口に出そうとしたが、リオンの背後にいる人物に気が付いて目を丸くした。

「お父様……!?」
「ミーア! 会いたかった……!」

 父は椅子に腰かけていたミーアに駆け寄ると、その体をぎゅっと強く抱きしめた。
 いつもと変わらない父の匂いと温かさに、鼻の奥がツンとする。

「たった一日離れただけだというのに、おまえのことが気になって仕方なくてな。リオン殿下に無理を言って、連れてきてもらったんだ」
「そ……そうだったの。私も、寂しかった……!」
「ははっ、ミーアもまだまだ子どもだなあ」

 そう言って笑う父の体にしがみつくように腕を回して、ミーアは零れそうになる涙を必死に堪えた。
 しばらくの間そうして再会を喜んだあと、その様子を微笑ましく見つめていたリオンに父が深々と頭を下げる。

「リオン殿下、わがままを聞いてくださりありがとうございます。それに、私のためにお医者様まで呼んでくださって……」
「えっ……」
「ああ、ミーアにはまだ言っていなかったね。早い方がいいと思って、さっそく今日お父上に医者を手配させてもらったよ。私たち王族も世話になっている腕のいい医者だ」

 ミーアが驚いて父の方を見ると、父は申し訳なさそうに眉を下げる。

「いやあ、王太子妃となるミーアならともかく、私なんかのためにそこまでしてもらわなくともいいと言ったんだが……お言葉に甘えて、さっき診てもらったんだ。新しい薬も頂いたよ」
「病状もそこまで重いものではないと言っていた。そのうち快方に向かうとよいのですが」
「いえいえ、これ以上悪くならなければそれだけで十分ですよ。本当に、ありがとうございました」

 もう一度深く頭を垂れる父に、リオンは優しく微笑みを返す。

「とんでもない。ああ、そういえば医者が視力の低下も気になると言っていました。近いうちにお父上のために眼鏡を誂えたいので、技師を呼んでおきます」
「えっ!? いやいや、さすがにそこまでして頂くわけには……!」
「ミーアのお父上でいらっしゃるのだから、あなたは私の父も同然です。私がそうしたいだけですから、どうかお気になさらず」
 
 恐縮しきりの父と楽しそうに話すリオンを、ミーアはただ黙って見つめていることしかできなかった。
 約束した通り――いや、それ以上に手厚く父を扱ってくれるのはありがたいが、昨晩この男にされたことを忘れることはできない。今はこんなにも和気藹々とした雰囲気だが、ミーアの行動次第では父を手にかけるとも言っていたのだ。

「どうした、ミーア。怖い顔をして」
「あ……ううん、なんでもないの。ちょっと、疲れたみたいで……」
「そうか……ゆうべ、よく眠れなかったんじゃないか? 顔色も良くないし……本当に大丈夫か?」
 
 険しい表情をしていると、そんなミーアに気付いた父が心配そうに声をかけてくる。
 リオンの非道な行いを洗いざらい父に話して、二人でこの城から逃げられたら――ふとそんな考えが過ぎったが、無力なミーアと老いた父の二人だけで、城の者たちから逃げきれるとは到底思えない。それに、昨夜リオンに体を嬲られたことを父に打ち明けたくはなかった。
 ミーアさえこの状況を受け入れれば、父は医者にも診てもらえるうえ、額に汗して働かなくとも何不自由ない生活を送ることができるのだ。

「……大丈夫よ。本当に、少し疲れただけだから。早くこの生活に慣れないとね」
「ああ、そうだな。リオン殿下、ミーアのことをどうかよろしくお願いします」

 父がリオンに向かってまた深々と頭を下げる。リオンは、「分かりました」と力強く返事をした。

「さて、それではお父上を第三王宮の方へお送りしよう。誰か、付き添ってくれ。私はミーアに少し話があるのでここに残る」
「かしこまりました。それではお父上様、こちらへ」
「ああ、はい……じゃあな、ミーア。また会いに来る」

 娘の肩をぽんぽんと優しく叩いてから、父は侍女とともに部屋を後にした。
 閉じられた扉を名残惜しそうにじっと見つめるミーアに、リオンがふっと笑みをこぼす。

「お父上に会いたくなったら、いつでも言うといい。約束した通り、きみが会いたくなったらまたお呼びしよう」
「……その口で『約束』だなんて、よく言えますね」
「心外だな。お父上を王都の医者に診せるという約束は果たしただろう?」
「それは……ありがとう、ございます」

 もごもごと口ごもりながら礼を言うと、リオンはそんなミーアを見て目を細めた。

「……何か?」
「いや。自分を手篭めにした男に対して、優しすぎると思ってね。甘い、とも言えるが……きみは平和な暮らしをしてきたんだな」
「っ……! 王族の方々の暮らしの方が、よっぽど平和だと思いますが。明日食べるものに困ったこともないでしょう」
「食べるものには困らないが、平和とは言い難いな。王族なら、みな一度は命を狙われる……私も昔、間者に毒を盛られて三日三晩生死の境を彷徨ったことがある」
「えっ!?」

 ミーアが驚いて声を上げると、リオンは彼女の隣に腰掛けて「まあ、今はこの通り生きているわけだが」と笑った。
 想像もしていなかった物騒な話に、ミーアは顔を顰める。王子様やお姫様たちは、みんな揃って優雅で悠々自適な暮らしを送っているものとばかり思っていたが、王族の日常はそんな華やかな一面だけではないようだ。

「きみも思っているんじゃないか? 私を殺したいと」
「そんな……! 正直、逃げたいとは思っていますが……誰かを殺したいなどと思ったことはありません」
「はははっ! きみは本当に正直だな。面白い娘だ」

 珍しく大口を開けて笑ったリオンを、ミーアは物珍しげな視線で見つめた。
 過ごしてきた環境も考え方もまったく違う彼を理解できないのは、ある意味当然なのかもしれない。だからと言ってリオンの行いを許せるわけではないが、いつ命を狙われるかも分からない殺伐とした世界を生きている彼が少しだけ不憫に思えた。

「……さて。それでは、今夜も始めようか」
「っ……! い、いやっ……!」
「大丈夫だ。見届け人が必要なのは初夜だけだから、今日は誰にも見られない。これからは、二人きりで夜を過ごそう」

 優しい口調でリオンは言うが、それでも易々と彼を受け入れられるほどミーアは大人ではない。しかし、彼に抗っても無駄だということは昨夜これでもかというくらい思い知った。
 ミーアは身を震わせながらも、そっと肩を抱いて寝台へと誘うリオンの手を振り払うことができなかった。

「うっ、うぅっ……! や、いやあっ……!」
「ふう……まだ狭いな。私のものに慣れるまで、しばらくかかりそうだ」

 今夜も身勝手に体を弄ばれ、痛みに顔を歪ませながらミーアは思った。

 ――この行為に耐えているだけで父の平穏が保たれるなら、それでいい。何も持たない私は、こうすることでしか父に育ててもらった恩を返すことができないのだ。

 そう自分に言い聞かせ、ミーアは他に何も考えないようにした。身体中を這う男の手も、胎内を満たす生温かい液体も静かに受け入れて、ミーアは伽が終わるのをひたすら待ち侘びた。
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