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【第二部ダイジェスト】王太子視点
07 豆がひよこみたいな形をしていました (「プロローグ」~「執拗」)
しおりを挟むランスに向けて出発する日になり、クァイツは朝早くにサフィージャを迎えにいった。
宮廷魔女たちが朝の集会を行っている。
怖い先輩魔女の顔をして、少し驕慢に振る舞うサフィージャを、クァイツはまぶしいような気持ちで眺めた。
少し前までは、ただ遠くから見ているだけの存在だった。
自分とそう年も変わらないのに、宮廷内で文官たちと議論を交わし、貴族と同じか、それ以上の敬意で迎えられている娘――存在感は際立っていた。
非常に勝手ではあるが、彼女を理解できるのは自分だけなのではないかとさえ思っていた。彼女が孤立していると自分のことのように悲しかったし、功績が讃えられていれば、やはり自分の手柄のように誇らしかった。
その彼女は今、後輩の宮廷魔女の質問攻めにあっていた。
「……サフィージャさまは、王太子さまとお付き合いをなさっているのですか?」
クァイツは陰で聞いていて、少しどきりとした。
さすがは宮廷魔女。うわさの回りが早い。
「根も葉もないうわさだ、馬鹿者が。とにかくこの件に関しては余計な詮索は無用。二度とくだらぬことを聞いてくるな」
サフィージャににべもなく否定されて、クァイツは少なからず落胆した。
そこは『そうだ』と言ってほしかった。
まじめな彼女のことだから、宮廷魔女は未通の乙女に限る、とかいう規則を気にしているのだろうが、名もない下っ端の魔女ならともかく、サフィージャほども有名で実績のある娘なら、今さらそんな細かいことでとやかく言われることもないはずなのに。
『ほら違うってさ』
『そうだよ、王太子さまがあんなブス相手にするわけないじゃん』
『まあ、サフィージャさまはないよね……』
宮廷魔女たちのささやきが聞こえる。
……こういう声はおそらくサフィージャの耳にも一部届いているはずなのだが、彼女は言われっぱなしで平気なのだろうか。
クァイツは別に気にしない。
結婚しないことについて、これまでにもさんざんあることないことうわさされてきた。
しかしサフィージャのこととなると少し勝手が変わってくる。
彼女が悪く言われているのは我慢がならない。
クァイツはもたれていた柱から身を起こした。
神殿の内部に侵入すると、悲鳴が巻き起こった。
戸惑っているサフィージャの腰元を抱き寄せる。
「終わりましたか? では行きましょうか。サフィージャ」
他の何も目に入らないというようにまっすぐ見つめ、恋人にするようにやさしく語りかけてやった。
切れ切れに聞こえてくる悲鳴を愉快に思いながら、神殿をあとにした。
***
王都からランスへの直線距離は三日かからない。
しかし公式行事なので、パレードをしながら一週間ほどかけて進むことになっている。
帰りは川下りの船を使うのでさらに早い。
風向きがよければ一日で帰り着くこともある。
――ランスへの旅程は楽しかった。
初日はわざと護衛の馬車をまいて、ふたりで農村に一泊した。
サフィージャが『農民は皿に使う平べったいパンまで食べる』というので、クァイツも失礼に当たらないようひと口だけかじってみたが、やけに硬くてねばっこいのであごが疲れてしまった。
王宮でもこの皿は使うが、もちろん食べたりはしない。食事のあとは集められて、貧民街に売られていくらしい。今まで深く気にしたこともなかったが、本当にこれを食べる人たちが存在したのか。
サフィージャもこういうものを食べて、こんな感じの農村に生まれ育ったのかと思うと、いろいろ新鮮だった。好きな人のことが知れるのはいいものだ。
クァイツはあまり農村に出入りしたことがないので、こうして冬空の下、たき火に当たりながら食事をするだけでも楽しい。
外は寒いし、正体がバレないようにと着せられた宮廷魔女のローブもがさがさして着心地が悪いし、食事も素朴なものが多いけれど、村娘のような洗いざらしの古ぼけたエプロンを身に着けて、シックなワンピースを着たサフィージャは夜の闇の中でも火を灯したように美しくて、彼女がほほえんでくれるだけで夢見心地になった。
食事に見たことも食べたこともない豆が入っていたので、クァイツが食べるのを躊躇していると、サフィージャは何を思ったのか、スプーンでよそって、食べさせてくれた。
妖精のように美しくて、少しいい匂いのする娘が寄り添ってこちらにさじを差し出してくれるという構図に、雷に打たれたような衝撃を味わった。
「どうだ? お前の口には合わないか?」
いたずらっぽくほほえむ頬のやわらかい稜線や、少し釣り気味の大きな瞳に、釘付けになった。
もうひと口食べさせてほしいとねだると、彼女は手慣れた様子でそっとスプーンを口に含ませてくれた。
そのやさしい手つきに、激しく胸がうずいた。
ものを食べさせてもらう、という行為が、こんなに気持ちのいいものだとは知らなかった。
もっと食べさせてもらいたい。
でも、彼女は正面からそう切り出されたら照れるか怒るかして、もう終わりだと言うだろう。
「私には合いませんね。もう結構です」
挑発にまんまと乗せられて、彼女は簡単に眉を吊りあげた。
怒ったサフィージャは、スープ皿が空になるまでひとさじひとさじ丁寧に具をすくい、クァイツが食べるタイミングを見ながら、のどに詰まったりしないようやさしく気遣いつつ、じっくりと食べさせてくれた。
クァイツは途中で後悔した。
これを、この食べさせる作業を、ふたりきりのときにしてもらえばよかった。
きれいな娘が細心の注意を払って面倒を見てくれるというシチュエーションだけでもときめかされるのに、ふだんは恥ずかしがってあまりクァイツに構いたがらないサフィージャがかいがいしく働いているのである。
途中から脳みそが幸せで蕩けてしまって困った。
まずい。これはちょっと――よすぎる。
早くふたりきりになりたい。
よこしまなことを考えつつ、食べさせてもらう行為に没頭した。
食事が終わったころ、村人が寄ってきた。
サフィージャと、『近頃異端審問官が村を巡回している』といううわさ話に興じている。
……もうそんなことになっているのか。
クァイツたちが仕込んだ異端審問は、おもに都市部の富裕な市民がターゲットのはずだが。
農村にまで被害が行っているとは。
ひと月やそこらでここまでランスをむしばむとはさすがに予想外だった。
罪悪感を覚えないでもない。
クァイツが考え事をしている間に、酔った村人たちはサフィージャを口説きはじめた。
サフィージャはへらへら笑っている。
――腹が立ったので、彼女に触れようとしていた村人の手を錫杖で打ちすえた。
宿に戻ってもサフィージャはまだへらへらしていた。
彼女はそこらへんの農民ごときが軽々しく触れていいような女性ではない。
そういう風に扱われても苛立ちもしなければ怒りもしないのは、どういうつもりなのだろう。
まるでよくあることだと言わんばかりなのが気に障る。
そんなことに慣れてほしくない。
彼女は自分のものなのだから。
もっとそのことを自覚して、それらしく振る舞うべきだ。
でないと嫉妬で焼け焦げそうだ。
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