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アンネリーゼ
儚い火花
しおりを挟む「殿下……リードもわたしを知っていた。でもそんなわたしを好きになってくれた。だけど、私には何もないの。リードの抱えた苦しさに気が付いた今もどうにもできない。私にはリードを救えないのよ」
「それでもリセの存在は殿下の唯一の支えなんだ。リセへの思いがなければ今頃は完全に我を忘れてしまっていただろう。いくら明るい陽射しの中にいてもエレナには殿下の心を完全には掴めていない。殿下が崖っぷちで踏み留まっていられるのはリセがいるからなんだよ。そんなしょんぼりした顔するな」
無理に浮かべた私の笑顔に向かってアルブレヒト様は嘴をブンブンと上下に振って目を細めた。結局こうやって私を慰めるんだもの。アルブレヒト様って本当に馬鹿だ。どうして何もかも解っていたくせに私なんかを好きになったりしたんだろう。相手が別の誰かだったなら今頃は兄さまみたいに暖かい家庭を築いていただろうに。
「それに封印が解けて箱の中味の正体が判ったら何か変わるかも知れないぞ!全てが出てきた訳じゃないんだ。まだ望みはある」
私の目の奥で小さな火花がパチパチと散った。これまでみたいな激しい光じゃなくて、線香花火みたいに弱々しい小さな火花。でも凄くもの悲しくて胸をぎゅうぎゅう絞るような切ない光……。
これで何度目だろう。リードと月を見たあの夜を思い出してから繰り返し繰り返し私の脳裏を掠めては消えてしまう。
「……何かが引っ掛かっているみたいなの」
「……?」
「わたしが封印した秘密箱は何かが引っ掛かって開けられない……そんな気がするの。わたしは何かを聞いた。とてもとても傷付く何かで……だからあの箱には初めから小さなひび割があって壊れかけていたのかも……」
それは儚い火花の光が理屈ではなく感覚で伝えてきたこと。輪郭だけがぼんやりと浮かんているようなそんな不確かさだけれど、確実に存在している何か。
私はアルブレヒト様の丸い頭を撫で思う存分堪能してから立ち上がった。アルブレヒト様は首を目一杯伸ばして私を見上げている。
「もう行くわ。だからそろそろ人間に戻ってね」
「リセ……」
「反省なら十分したでしょう?」
「まあな」
そう言いつつも名残惜しくて顎の下をコショコショし、踵を返した私にアルブレヒト様が言った。
「必ず無事でいてくれよ」
「わかった……」
背中に掛けられた言葉に一言だけ答え、私は部屋を後にした。
∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗
帰りの馬車の中、ずーっと無言のまま馬車に揺られていた私とリリアだったけれど、私は窓の外に視線を向けたまま沈黙を破ってリリアの名前を呼んだ。
「何でしょう?」
「貴女わざと席を外したのね?」
リリアは小さく、でも楽しそうにフフンと笑った。
「とうとう打ち明けたんですね」
「でもアルブレヒト様はリリアから悟られるなって注意されていたって言っていたわよ?」
「そうなんですが……事情が事情ですもの。アルブレヒト様にも少しくらい名誉挽回のチャンスがあっても良いかなって思ってしまいまして」
「名誉挽回になんてならないわよ!アンタ馬鹿なの?って言っちゃったもの」
振り向いた私が眉間にシワを寄せて睨みながら言うと、目をまあるくしたリリアはいきなりケタケタと爆笑し始めた。
「申し訳ありません。白鳥姿を見ていたら何だか可哀想になってしまったんです。だけど答えがアンタ馬鹿なのって……相当お気の毒だわ……」
お気の毒と言いつつもリリアは笑い続けている。だけどその笑顔には切ない翳りが含まれている気がした。
「あのねリリア。私、貴女には謝れないわ」
「もちろんですわ。そんなことされたらわたくしがもっと惨めになる、そう解って下さっているのですものね」
リリアが手を伸ばして私の左手を包む。私はもう何度この温かい手に癒されてきたのだろう。それなのに私はリリアの恋を切ないものにしてしまった。私は言葉の代わりに気持ちを込めてそっとリリアの手を握り返した。
「そんなにお気になさらないで下さい。わたくしは妃殿下が大好きなんですから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど……だからこそリリアは辛かったのでしょう?」
リリアは首を傾げて斜め上に視線を送りしばらく考えてから私に笑いかけてきた。
「恋と敬愛の違いはあれど好きは好きです。そしてそんな気持ちの大きさはアルブレヒト様に対するものより妃殿下の方がずっとずっと大きいんです。わたくしは妃殿下にお仕えできて本当に幸せですわ。アルブレヒト様なんて叶わぬ恋に身をやつしてしまえばいいんだわ、なーんて思ってすらいたのですが……ねぇ?」
うん、わかるよ。あの白鳥って庇護欲を掻き立てるもんね。
「私、あまりにも無神経だったわね。だからアルブレヒト様の気持ちが解って良かったと思うの。だってせめてこれ以上リリアに酷いことを言わなくて済むんだもの。ねぇリリア?」
私はリリアの手を離し腕を広げてリリアに抱きついた。
「私もよ。私もリリアが大好き。リリアは私の大切な人なの。だからいつかリリアの気持ちがアルブレヒト様に届くように願っているわ」
リリアは私の頭に頬摺りしながら鼻を啜り必死に涙を堪えているようだ。
「妃殿下……何をお考えですの?何かまた企んでいらっしゃるでしょう?」
「まぁどうして?」
髪を巻き付けぬように、スカートを握り締めないようにとわざとリリアの背中に左手を回したのに……
けれどもリリアは私の頭を撫でながら絡めた腕に力を込めた。
「震えていらっしゃいますもの」
思わず身体がピクリと動く。私は目を閉じて静かに深呼吸を繰り返して暴れている鼓動を鎮めようとした。けれども私の心臓は言うことを聞かず、震えだけじゃなくて激しい動悸までもをリリアに伝えてしまうだけだった。
「まだ城に来たばかりの頃リードに送った手紙にね、リリアは姉さまみたいって書いたのよ。今でもリリアは私の姉さまなのね。何でもわかっちゃうんだわ」
「大好きな妃殿下なんですもの……」
私はリリアの肩に頬を押し当てて目を閉じた。何も持たない私にできる唯一のことであると共に私だけにしかできないこと。私は一言一言自分に言い聞かせるように言葉にした。
「リリア、私ね…………いつかファルシアの王妃になるわ」
リリアは私の頭を撫で続けながら深く頷いた。
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