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アンネリーゼ

空洞

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 社交界デビューを済ませぬうちに王太子妃になり、年頃になっても夜会に出られないでいるわたしを憐れむ声は沢山あった。でも内気なわたしにとっては憂鬱でたまらないマラソン大会が雨で延期になっているようなもので不満は一つも無かった。ううん、それどころか内心本当にありがたいなって感謝していたくらいなんだもの。

 わたしは決してあの夜会を心待ちにしてなんかいなかった。それなのにどうして心身共にボロボロになるほど哀しんだのか?

 思い出せない……というよりも今の私の中でそこがぽかんと空洞になっている。初めから入っていなかったジグソーパズルのピースみたいに。空洞のある私はまだアンネリーゼとは完全に重なり合っていない。そして空洞を埋めたいのかどうなのかすらも今の私にはわからない。
 
 「……殿下は知っていたのかしら?私が覚醒したって」
 「あぁ、行方がわからなくなってからの事は逐一報告されていたから」
 「そう……」
 「何処に飛ばされてどうして戻れなかったのかも全てご存知だ。相当責任を感じておられた」
 「そう……」
 「あんなに憔悴するまで傷付けその上恐ろしい思いまでさせてしまった。それで会いたい気持ちが抑制できなくなり矢も盾もたまらずにロンダール城に行ったが、そこに居たのは別人のようになったリセで、殿下はかなり驚かれたらしい」
 「そう……でしょうね」

 どうしてわざわざ迎えに来たのか謎だったけど罪の呵責に耐えかねたからなのか。だってあれは完全にリードの判断ミスなんだものね。アルブレヒト様が事情を知っていたなら仕掛けられた魔法陣に気が付いたかも知れないのに。それで慚愧の念に駆られて来てみればロンダール城に居たのは想像とは全く別の私で驚愕したのだろう。

 あのふり幅は、別人のようにと言うよりもまるで別人だもの。

 「だが正直な気持ちを言うとリセが覚醒し元のリセに戻って嬉しかったそうだ」
 「そ…………………んぁ?元に戻ったですって?」

 この物言う王太子妃の私が元に戻った私ですと?

 「リセと殿下が知り合った頃を俺は知らない。だから二人がどんな風に接していたかもわからないが、リセはとにかく辛辣で手厳しい子なんだと言われた。ケラケラ笑うし直ぐに泣く、だけどそれより何より機嫌を損ねた自分に反撃する口の達者さには感服するしかなかったあの頃のリセに戻ってくれたともね。殿下は素のお前を知っている。つまりリセは殿下を信頼できる奴だと認識していたんじゃないか?」
 「…………」

 漏れ出した箱の中身。あれを見る限りわたしはリードに心を許して本当の自分を見せていたのかも知れない。私が考えていたよりももっとずっと本当の自分を。けれども取り戻した記憶の中のわたしは変わってしまったリードに戸惑い萎縮し、壁を作りその陰に隠れるようにしてリードと距離を置いた。

 「リセの冷ややかな態度が自分のせいだと知りつつも殿下は無性に苛立ったようだ。それなのにアルブレヒトには以前のリセと同じ顔を見せている。何もできない無力で情けない自分ではなくアルブレヒトに支えられ頼っているリセを思うと胸が締め付けられた。だからつまらない意地を張りアルブレヒトに任せるのを躊躇ってしまったと悔やんでいた。結局それが一番の誤断となりリセを危険に曝してしまったのだからね。あぁそうだ、王女がナイフで怪我をしただろう?」  
 「あ……えぇ。王妃様にこっ酷くお説教された上に押しかけてきた殿下に頭ごなしに怒鳴られたわ」
 「あれは王女に怪我をさせた事に腹を立てたんじゃないんだ。王女がリセに危害を加えていたかも知れなかったのに、なんでそんなに無防備なんだと思わず頭に血が上ったようだ」
 
 言われてみればあの時リードは『どうしてナイフを持たせたのか?それがどんなに危険かわからないのか?』って怒鳴っていた。わたしにはエレナ様を気遣う言葉にしか聞こえなかったけれども、リードが案じていたのはエレナ様ではなくわたしだったってこと?

 だからリードは何処からかナイフを探し出して届けに来てくれていたのだろうか?

 「ふーん……」
 「まだ承服しかねるって顔だね」
 「そうね。殿下の不本意な気持ちやもどかしさはなんとなく解ったわ。わたし達ね、縁談が持ち上がるまではそれなりに仲の良い友達だったから、殿下はそれなりにわたしに情が湧いていたんじゃないかと思うわ。だから我に返った時にはそれなりに心配もしてくれたんでしょうね。だけど、だったらいっそのことアルブレヒト様に丸投げしてくれたら良かったんじゃないのかしら?ハルメサンは何の為のお抱え魔法使いなのよ。アルブレヒト様の方が役に立つのが気に入らないから頼りたくないなんて、子どもが嫉妬でもしているみたい。どうしてそうなっちゃうの?」
 「リセ……あれは子どもの嫉妬なんかじゃない……殿下は……」

 突然言葉を詰まらせた兄さまが両膝に肘を付き頭を抱え込んだ。いきなりどうしたのと面喰らう私がアワアワしているうちに、今度は嗚咽が漏れてくる。

 ま、まさか兄さま……泣いている?……なんて事が頭を過ぎったその時。

 兄さまが大っぴらに号泣し始めた。

 「あ、あ、あ……あ、愛しているそうだ……」
 「…………何の話よ?」
 「殿下は……愛していると……」
 「……だから何の話かわかるように話してよ。っていうか、それ、私にどんな関係があるの?私、無関係じゃない?」

 号泣の勢いを増す兄さまをついつい冷たく一瞥している私の袖をリリアがツンツン引っ張っている。

 「あのですね。無関係ではなく多分関係オオアリなのでここは黙って伺いましょうね」
 「そうなの?」

 私は訝しみながらも大人しく口を閉ざし、ジェローデル侯爵に背中を擦られて必死に呼吸を整えた兄さまが再び口を開いた。

 「……俺の……俺の大切な可愛い可愛いちっちゃなリセちゃん……そのリセちゃんを、リセを愛している……殿下はそう仰った。だからアルブレヒトに奪われたくなかったって……」
 「…………?!」

 今鏡を見たら、そこに映る私のおめめはポツンとした点になっていると思う。

 
 
 
 

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