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アンネリーゼ
小さな炎
しおりを挟む「私を生贄にして時間稼ぎをする……私の旦那さまってなんて頼もしいんでしょうね!しかも私、二度も殺されかけたわよ?泳がせたって殿下は何もしないじゃない。思う存分泳ぎ回ったエレナ様にやりたい放題やられたと思うけれど?」
「それについては深く悔やんでおられたし謝罪もされた。異世界に飛ばされたリセが戻るまで一睡もできない夜が続いていたらしいしね」
「それで昼間はエレナ様の膝枕でお昼寝なさっていらしたのね!」
納得しましたと言わんばかりにニッコリ笑った私に、兄さまは『そう言うなって』と苦笑いで応えた。
「殿下も手をこまねいていた訳じゃない。リセをロンダール城に送ったのもエレナ王女から引き離した方が安全だろうと判断したからだ。まぁ俺もあの時はまるで厄介払いじゃないかと腸が煮えくり返る思いだったけれどね」
「それが裏目に出でしまったとお知りになった時には相当取り乱されたのですよ」
ジェローデル侯爵は取りなすように言うけれども、あらそうなのですか!って感激しなきゃいけないのかな?私は。助けてくれたのは兄さまとアルブレヒト様なのよ?
「婚儀が迫った新婦が行方不明になるとしたら大抵駆け落ちですから。事実無根だとしても尾ひれがついた噂話はとんでもない醜聞になりますもの、当然慌てるでしょう?」
「そうじゃないらしいがなぁ……」
「昨日だって殿下は何もしなかった。自力で逃げた私とぶつかった殿下はうんざりだと言わんばかりに見下しただけよ。でも仕方がないのよね。あれは明るいお日様が照らす庭園だったもの」
「リセ…………」
見るからにこの妹をどうしたら良いのかと困惑している兄さまなんて今まで見たことがなくて、膨れ上がっていた反抗心が急激に萎んだ私は『ごめんなさい』と呟いた。
「いや、俺だって無茶苦茶だと憤ったし何度もだからなんだと言ってやりたいと思った。リセの気持ちは良くわかる」
「でも私、ちゃんと聞くわ。だから話して。殿下に何を言われたかを」
微笑んだ兄さまの手が伸びてきて私に頭をぽすんとしてから口を開いた。
「帰国してから徐々に鏡の効力に変化が起きているらしい」
**********
馬車を降りた僕に駆け寄ってくるリセ。四年間待ち続けたはずのこの瞬間、リセの姿を映した僕の瞳はピキンと音を立てて凍りついた。
トラス村でほんの一時の再会を果たしてから一年半足らず。リセは益々輝きを増し息を呑むほどに美しくなっている。だが僕はそんなリセが忌まわしく憎らしかった。
刺々しい僕の言葉に瞳を揺らすリセ。腕を絡めてくるエレナに安らぎを覚えるものの、僕の心の底では何かがのたうち回っている。忌まわしく憎らしい、けれどもそれだけではないどんな力でも決して消すことのできない強い強い想い。
リセは僕と距離を置いた。目を合わせようともせず僕とエレナの前では常にひっそりと気配を消そうとしている。それが余計に僕を苛立たせリセに対する憎しみは一層深くなり、自分を取り戻した暗闇での苦しみは胸を掻きむしるような激しさになっていた。
そんな中、僕はある変化に気が付いた。
帰国後も変わらずに僕の心臓の冷たさはエレナといれば感じなかった。だが時折エレナではない何かが胸の中で凍ってしまいそうな心臓を柔らかく温めてくれているような気がするのだ。
リセだ。
リセの姿が目に入っただけで身体が震えるくらいの憤りを感じる。けれどもそれと同時に胸の奥に小さな炎が灯り、凍りかけた僕の心臓を優しく温める。
だがその炎は時として激しさを増した。初めてその感覚を覚えたのは庭園からリセの執務室を見上げた時だ。隣に立つ若い男と親しげに見つめ合うリセ。その瞬間僕の胸に灯る炎は火柱を上げて大きく燃え上がった。
その男が魔法使いハルメサンだと知り、エレナから守る為にリセの側に魔法使いを置こうと考えた矢先だった僕は狼狽えた。ハルメサンはリセが心を許した数少ない者たちの中の一人で、兄妹のように親密だった。
兄妹……果たしてそうだなのだろうか?
そんな疑問が頭をもたげ躊躇する間にリセはどんどん追い詰められ、ついには僕の手でリセの心を深く抉ってしまった。今にも壊れてしまいそうなリセを守りたい、だからロンダール城に送った。
リセが僕から離れてしまえばエレナは油断しリセに手出しをしなくなるのではないか?あの女の蛇のような執念深さを見抜けなかった僕はそう判断したのだ。
プロイデン卿からのハルメサンを付き添わせたいとの申し出には心が乱れた。リセの安全と僕の嫉心。できる事ならアイツを側になんか行かせたくない。けれども魔力を持ち何をするかわからないエレナからリセを守るにはハルメサンの力を頼るしかない。
何を差し置いてもリセを守らなければならない。それは苦渋の決断だった。
∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗
「色々疑問があるんだけど……」
「言ってごらん」
私はジェローデル侯爵に向き直った。
「エレナ様はわたくしを童話の世界に飛ばしました。それならば彼女は自分自身を異世界に転移させ、戻って来ることも可能なのではないでしょうか?」
「仰る通りです。わたしもその可能性が大きいと思い先程オードバルに飛んで参りました」
「…………は?」
先程?片道一月は掛かるオードバルに先程行って参りました、ですと?
「こうやって?」
私が胸の前で手をクロスして首を傾げると侯爵はカラカラと楽しそうに笑った。
「いやいや、若い頃はあの長い滑り台のような転移もスリリングで楽しめましたが着地に手間取るようになりましてね。今はこのように」
侯爵はハンカチでも広げるように何気なく魔方陣を出し光った身体が粒子になって消え直ぐ隣に移動した。所要時間、僅か三秒って驚異的じゃない?!
「…………アルブレヒト様に代替わりする必要なんてあったの?っていうか代替わりしない方が」
兄さまは思わず呟いた私に耳元で『その先は禁句だぞ』と釘を刺した。
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