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アンネリーゼ

おかあさま

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 翌日の夜は久し振りにダイニングに全員が顔を揃えた。というよりも全員以上だけれど。

 リードの隣には当然のようにエレナ様が座りこれはもうそう言うものだって感覚になっているから何とも思わないけれど、何故か私の隣にはアルブレヒト様が居た。どうせ城に詰めているのならと両陛下に誘われたそうだ。やっぱりお抱え魔法使いって特別なポジションなのね。

 体調を尋ねる王妃様に問題ないと答えた私は意外すぎる言葉を聞いてあんまりにもびっくりして化石化した。多分15秒は。

 だって王妃様は『足を滑らせて池に落ちるなんて』とそう仰ったのだ。

 「わたくしは不注意で池に落ちたのではございません。一体どこからそのような事をお聞きになったのですか?」
 「誰だったかしら?でも確かに足を滑らせて落ちたと聞いたのよ。今がどんな時か解っているでしょう?もっと注意深く行動なさいね」

 いやいやいや、聞いてらっしゃる?私の言ってること。

 「ですがわたくしは故意に池に突き落とされたのです。あの庭園に居るはずのない、でもどこかで会ったような気がする女の子に」
 「あの庭園に女の子なんて入り込めるはずがないでしょう?」
 「それについてはおかしいと思っておりますわ。でも一緒にいた者達が突然現れた女の子に手を引かれて連れていかれるのを見ております。信じられないならば」「そんなもの、いくらでも口裏を合わせられるじゃありませんか!」

 大きな声でエレナ様が割って入った。このとんでもないマナー違反に周りにいた給仕達には態度には出さずとも『はぁ?』ってムカついた空気が流れたが行儀作法の鬼である王妃様は完全スルー。何故かエレナ様にはいつもお咎め無しなのよね。

 「口裏……ですって?」

 衝撃を受け動揺してます!的な雰囲気を作りながら私は聞き返した。気分はスルメをくくりつけた糸をポチャンと用水路に垂らしてザリガニを待つ感じよ。

 「だって、いくらなんでも不自然でしょう?どうやって入り込んだと言うの?」
 「でも、本当に居たんです。蜜色の髪と瞳の……」

 貴女にそっくりの女の子がね!

 『呆れた……』とぽそりと呟いたエレナ様は豊満なお胸を突き出すように背筋を伸ばした。

 「自分の失敗が恥ずかしいからって騒ぎを大きくするものではないわよ?ねえおかあさま?」

 ちょい待て!今なんて言った?

 ぎょっとした私の視線がエレナ様と王妃様を行き来する。でもそこにいるのは微笑み合う二人。ちなみにリードは全くの無反応で国王陛下は混乱しつつ王妃がそうならこれは有りなのか?って感じだろうか?

 「あ、あらごめんなさい。わたくし、母を早くに亡くしたもので王妃様を母のように感じてしまって……それでおかあさまって呼ばせて頂いているのをまだお伝えしていなかったわね。でも構わないでしょう?」
 「王妃陛下がお許しになったのでしたらわたくしが申し上げることは何も……」

 母を早くに亡くし……って辺りに首を傾げたくなるのを懸命に我慢しつつか細く震える声で答え、力なくカトラリーを置いて膝の上のナプキンを握った私にエレナ様は追撃を仕掛けてきた。

 「おかあさまはご心配なさっていらしたのよ。それなのにアンネリーゼ様ったら余計に事を大きくするなんて、おかあさまがお気の毒だわ。そんなにしてまで同情を引きたいの?もしかして貴女この頃皆の目が自分一人に集まらないのが気に入らなくてわざと池に……」

 おやまあと口に手を当てるエレナ様はまだしもよ。王妃様、どうしてあなた様は『まぁ、そうだったの?』みたいなお顔をなさっていらっしゃるのでしょう?

 するわけないじゃない。私がそんなこと。

 「その辺になさったらどうですか?妃殿下はそのような方ではありませんよ」
 
 アルブレヒト様がやんわりと口を挟んだがエレナ様は鼻で笑った。鼻で。えぇ、あざ笑うように鼻で。

 「ジェローデル卿はアンネリーゼ様のことになると盲目ですのね。どう考えてもわたくしの言うことが正論だと誰もが思っているでしょうに」

 それはどうでしょう?不可解な話ではありますが、良い王太子妃のアンネリーゼちゃんの話を頭ごなしに嘘だと決めつけるのは貴女に夢中な殿下とおかあさまって呼ばれてご機嫌な王妃様だけじゃないかしら?

 実際給仕の皆さんが苛立つ『ゴゴゴゴゴ……』って文字が浮かんで見えて来そうだけど?

 「お止め下さい。酷い、酷いです……」

 声を詰まらせ下を向いた私の頬をハラハラと涙が流れ落ち、空気がピーンと張り詰めた。

 『え?ちょっと!妃殿下が泣いていらっしゃるわ。今まで決して涙なんか流さなかった妃殿下が……何てこと!』

 という給仕の皆さんの字幕が浮き出ておりますね。

 「何故こんな……。不幸中の幸いで大事にはいたりませんでしたが、一時は生死を彷徨ったのですよ。それなのに……」

 アルブレヒト様が得意の小芝居をブチ込みつつ私を庇うように背中を擦った。

 「お休みになられた方が良い。わたしがお連れしましょう」

 私は泣きながらこくんと首を振ってアルブレヒト様の手を取り立ち上がった。この場の空気の九割が『妃殿下可哀想すぎる!』になっているのをヒシヒシと感じながら。

 


 「ねぇ、いくらなんでもおかしくない?」

 王太子妃の間に入り廊下を歩きながら私は首を傾げた。

 エレナ様が気に入ったとしても『おかあさま』は……。嫁の私ですら『お義母様』って呼ばないのに、っていうか呼べと言われたこともなけば呼べる雰囲気もない。それなのに度重なるマナー違反にも無反応なら『おかあさま』で微笑み合うなんて。

 「あぁ、探ってみる価値はあるな。間違いなく何か見つかるだろう」 
 「術を掛けられてるってこと?」
 「だな」
 「アルブレヒト様、それなら殿下はどうなの?」

 足を止めた私をアルブレヒト様は振り返って気まずそうに見た。

 「……殿下からは何も感じないよ。何度も試したけれど、魔法で操られている形跡は無かった」
 「そう……」

 それならばやっぱりリードはエレナ様を愛していて、それでも立場のせいで私を排除できないのだろう。結局彼も変らない。みっともないから離婚なんてできないと言った涼太と。 

 そして私もまたあの時の沙織と変らないのだ。

 

 
 

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