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アンネリーゼ
小さなエレナ
しおりを挟む渦の中で十回転はしたと思う。スポンと渦から飛び出した後も『私』は惰性でクルクル回りながら上へ上へと浮かんで行った。目の下に広がっているのは知らない街並みだ。キョロキョロと辺りを見回しているとまた何かに凄い勢いで引っ張られ、あまりの勢いに思わず目を硬く閉じた。
またホワホワしている感じが戻ったのでそっと目を開けると、そこは広い庭園の生け垣で区切られた一角で、二人のメイドと女の子がいた。
エレナ様と同じ瞳をした私を池に突き落としたあの子。瞳だけではない。髪色も同じで顔立ちも色濃い面影がある。あれは小さなエレナ様なのだ。
「嘘よ!だってお母さんはここに来たら私も王女様になれるって言ったんだから!」
「バネッサの目論見は外れちゃったのよ。陛下はバネッサなんて覚えていないしあなたのことも知らないって仰ったの。散々粘ったけれどバネッサはとうとう諦めて出ていったわ」
「私を置いて行っちゃうなんて……私、どうしたらいいの?」
「大丈夫よ、このまま放り出したりしないから。ちゃんと孤児院に送り届けるわ」
「孤児院なんか行くもんですか……私は王女様なのよ!」
「王妃様が亡くなってからそうやって連れて来られる子どもが何人もいたの。そして相手にされないと判ると皆置き去り。残念だけどあなたもその一人ね」
小さなエレナ様はグッと眉間を寄せてメイド達を睨んだ。
「私はその子達とは違う。絶対に王女様になるのよ」
「でも王女様もういらっしゃるわ。この城でお生まれになって陛下に認められた王女様がね」
小さなエレナ様はダンダンと地団駄を踏みながら目を吊り上げ私は王女様だと喚き散らした。
「可哀想だけどどうにもならないの。さぁ、行くわよ」
小さなエレナ様はメイドが伸ばした手を振り払い飛び退いた。そして
「王女様は私よ!私なんだから!!」
と叫びながら走って行く。
『私』は小さなエレナ様に紐を握られた風船みたいにほわほわと引かれていたが、小さなエレナ様と共に一本の無花果の木の下で止まった。向こうには大輪の百合が咲いていてその香りがここまで漂って来ている。その百合を目を細めて見ている少女を小さなエレナ様はじっと見つめていた。まるで獲物を狙う蛇のような目で。
エレナ様はすっと目を細めると無花果の木の陰から飛び出し少女の側まで走って行った。
「一緒に遊ぼう!」
そう言うなり少女の手首を掴んで生け垣の向こう側へと走り出す。その頭の上には私の足元にあったのと同じ黒い靄がぐるぐると渦を作っていた。
引っ張られながら振り向いたが護衛騎士や侍女達は時が止まったようにピクリとも動かない。あの時誰も私達を追いかけて来なかったのはこんな風に動きを封じられていたせいだったのか?
やがて小さなエレナ様と少女は池の畔まで来た。
小さなエレナ様はニカリと笑い、頭上の靄が激しく渦巻く。まるでこれから起こる事を舌舐めずりしながらワクワクと待ち構えているように。
小さなエレナ様は少女の手首をグッと引き寄せ背中に手を掛けた。
『だめーーーーっ!!』
声にならない叫びを上げた『私』は物凄い力で黒い靄の渦に吸い込まれて行った。
**********
放り出されたのは同じ庭園の同じ場所だった。だが微妙に様子が変わっている気がする。
「打診はしたが断られたんだよ。確かにオードバルにとってファルシアとの政略結婚は悪くない話だ。でももうジークフリード王子の婚約は内定しているとさ」
ファルシアとの政略結婚?
声のする方に視線を向けるとそこにはオードバル王と思しき男性と小さなエレナ様よりも成長した、でもあそこまで豊満じゃないも少しスッキリした成長途中のエレナ様がいた。十代半ばってところだろうか?
「でもたかが内定でしょう?だったらそんなもの潰してしまえば」「やめなさい!」
グッと目頭に力を込めて睨みつける王の瞳はエレナ様と良く似た飴色だ。そしてその奥に宿した残忍な光にさっき見た小さなエレナ様の笑顔が重なり『私』はぞわりと震えた。
「お前を王女にしたのは好いた男と結婚させる為じゃない。勘違いするな!」
顔を強張らせるエレナ様を王は冷ややかに一瞥した。
「その娘、ファルシア王室にとってそれ相応の価値を持っていると言うことだ。大した力もない伯爵家の娘だというのに婚姻を急ぐんだからな。恨むのなら価値も無い自分を恨め。このままでは王女に据えた意味が無いのだぞ?」
王は話は終わりとばかりに去って行き、残されたエレナ様はその背中を睨みつけていたが急に頬を緩めて微笑みを浮かべた。
「諦めたりしないわ。絶対に……」
エレナ様の頭上の靄がまた激しく渦を巻き始める。
そして『私』はまたしても引き寄せられるように渦に吸い込まれた。
**********
今度もまた庭園の同じ場所出てきた。けれどもまた数年を経ているようだ。今度のエレナ様は私がよく知る外見そのものだから。隣に居るのは上質な乗馬服を身に着けた男性。わたしが隣国の皇太后の葬儀に列席していた時に挨拶を交わした王太子ではないところをみると、この男性は第二王子ではないだろうか。
「もうやめるんだ。人の心はそんなに容易く変わりはしない。いい加減諦めなさい」
「嫌よ、絶対に嫌!正妻がなんだって言うの?私は絶対に彼の心を掴んでみせるわ!私ならそれができる」
「だがそれは、本当の愛情じゃない。強引に絡め取って引き寄せただけの心だ。そんなもの、誰も幸せにはしないんだぞ!」
「お兄様に何がわかるの!強引でもなんでも構わないわ。私はどうしても彼が欲しいの!!私なら方法はいくらだってあるんだから」
「エレナ……」
男性は深い溜息をついた。
「もう力を使うのはやめなさい。力で手に入れた物はお前を幸せにはしてくれない。相手は訳の解らぬ虚しさに苛まれ不幸になるだけだ。もう黙って見ている訳にはいかないようだ。わたしはこの事を彼に伝えるよ。お前が手を汚すのにはもう耐えられないし、野心にまみれた父上や兄上を止めなければならない」「お兄様!!」
慌てて腕に縋り付いたエレナ様を振り払い男性は急ぎ足で立ち去った。エレナ様はその場に倒れ込み、拳で地面を叩きながら声を上げて泣き崩れていた。
「どうしても邪魔をするのらなら……消すしかないわね」
空を仰いで涙を拭ったエレナ様はニカリと笑った。私の背中を押したあの女の子と同じように。
そして頭上では今までよりもすっとずっと黒く暗い靄が大きな大きな渦を巻き『私』を吸い込んだのだった。
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