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アンネリーゼ
わたしが泣いた訳
しおりを挟む「リリア、今日は休みなさいって言ったのに……」
翌朝何時ものように寝室に来たリリアは聞こえませんから!とでも言うかのようにいそいそと私の身支度を整えた。
「御婚儀が無事に済みましたら長期休暇を取らせて頂きますから。それよりも妃殿下、あまりお眠りになれなかったのですか?」
「あ……何だか考え事をしてしまったの」
リリアは渋い顔で私を見つめた。体調を崩した時先ず初めに現れた症状が不眠だったから気に掛かったのだろう。私は慌ててあの時とは違うと否定し、リリアの不安を払拭するために何を考え込んだかを説明した。
「箱の中身が漏れたって言ったでしょう?そうしたらその後の事も思い浮かんだのよ。父から『王室はお前を王太子妃に迎えたいそうだ』って言われたのはあの日だったなって」
「ほっぺにチューの?」
何だかムズムズして頬をゴシゴシ擦るとリリアは慌ててその手を止めた。
「なんで?とか絶対に無理!とか……とにかく恐ろしくなって一晩部屋に閉じこもってワンワン泣いたのよ。だってわたしが背負うには荷が重すぎるって解っていたんだもの。ましてやまだ子どもなのに知らない人と結婚しろって言われたんだからそりゃあ取り乱すでしょう?今の私だって泣くわよ!」
うん、前世の私でも泣く案件だわね。リリアも異議なし!という顔をしている。
「その記憶は戻っている、でもまだ何かが足りないの。わたし、凄く悲しかったのよ。まるで心が引き裂かれるみたいで胸が痛くて苦しくて初めて味わう辛さだった。でも…………どうしてあんなに悲しかったのかしら?その理由がスポンと抜けているのよね」
思い出せそうで思い出せないスッキリしない感じはなんとも言えない落ち着かなさだ。身支度を整え朝食が用意されているテラスに移動しながらも私はずっとしかめっ面で考え込んでいた。
「どうした?朝っぱらからご機嫌斜めか?」
「アルブレヒト様……どうしてこちらにいらっしゃるのかしら?」
この男、王太子妃の間を何だと思っているのだろう?
「夕べの騒動を聞いてさ、これはひょっとしたら箱の中身かなとね」
多分『妃殿下が朝食を召し上がりながら各国の最新動向の説明を聞きたいと所望されている』とかなんとか言ったんだろう。ホントにアルブレヒト様の悪知恵は底無しなんだから。
「だってリセがほっぺに虫が止まった位で悲鳴なんか上げる訳がないだろう?」
「ちょっと、その言い方どうにかして!とんでもないお転婆だったみたいに聞こえるじゃないの!」
だって我がプロイデン伯爵家は養蜂を生業しているのですよ。領地に行けばブンブン蜂が飛び交う中でコムハニーをかじっていたわたしがほっぺに止まった虫で大騒ぎするのは不自然。それ以前に前世では花の仕事をしていたんだもの、すっかすかの蕾から芋虫さんが出てくるのなんて日常茶飯事。一々悲鳴なんて上げていたら仕事にならない環境だったのだから仰る通りなんだけど……
「悪い虫がとまったのよ。断りもなくね!」
ムズムズっときて咄嗟に頬に伸ばした手をリリアが掴んだ。
「肌荒れしてしまいますよ。お肌がお弱いんですから!」
リリアは微笑んでいるけれど目が笑っていない。そして思いっきり握られた私の指先が白くなっている。つまりこれはリリアさんの教育的指導で私の立場をもってしても立ち向かうことはできない。そんな本気のリリアの底力をよく知るアルブレヒト様もこの話題からは離れることにしたらしく、あっさり違う話を始めた。
「オードバルとアシュールの同盟だがな、あの王女様、ますます謎だぞ」
「エレナ様のこと?」
「アシュールは同盟の条件として政略結婚を求めているらしい。この城で羽をのばしてやりたい放題の王女様とね」
「でも、王太子は既婚者だし王子様はまだ四つよ。いくらなんでも無理がない?」
「相手は王子じゃないんだ」
王子じゃない?王太子は既婚者でその弟も一昨年結婚した。降嫁した王女の子は女の子ばかりだったと記憶している。それじゃあ一体誰と?
「国王陛下が後妻に迎えたいとさ」
「だって、何人も孫がいる人よ!エレナ様と幾つ違うと思って?」
「48歳」
アルブレヒト様はサラッと言ったけれど私は思わず身震いした。
いや、そういうのも有りだとは思う。仕事で毎日何件もの婚礼を請け負っていた私達は実際何組もそんな年の差夫婦を見てきた。愛がある夫婦もいれば打算渦巻く夫婦も当然いた。でも、でもね……
「それってどんなつもりの?」
「というと?」
「えーと、つまり王妃としての人材を求めているの?」
「まさか!アイツはまだまだ現役だぞ。夜な夜な目についた女性を寝室に連れこむんだから」
夜な夜なってさぁ、節操無しにも程があるわね。
「オードバル側はどう思っているのかしら?」
「そっちもそっちで複雑だからな」
そう言うアルブレヒト様の顔もまた複雑だった。
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