70 / 84
さんどめの春
美しい羽を君に
しおりを挟む「君と共に過ごせばいつか僕は傷付き苦しむようになる、君はそう言ったね。僕を幸せにはできない、僕には幸せになって欲しかったのにと。それでも君には僕との婚姻を回避する術は無かった。だからこそ君はこれを最大のチャンスだと考えたんだ。それが文字通りの命懸けだとわかっていながらね。そうだろう?」
私は覗き込む殿下の瞳に耐えかねて目を反らし必死に返す言葉を探したが、結局心の内をそのまま伝えるしかなさそうだった。
「誰の為でも捨て身になる訳ではありませんわ。殿下だからです。殿下に幸せになって頂けるならどうなっても構わない……とは思いました。だからこうなったのは丁度良かったのかも知れない、なるべくしてなったんじゃないかなって…………。たとえ殿下がお望みになった愛では無くとも、わたくしなりに殿下を愛しておりますもの」
「でもね、ピピル。その為に君に二度と会えなかったとしたら、僕は嘆き悲しむぞ。それは考えてはくれなかったのか?」
殿下の声は微かな震えを帯び、頬に添えられた指は更に冷たさを増していた。それはどんな言葉よりも殿下が私との永遠の別離を恐れていた事を表していたけれど、私はそれに戸惑ったりしなかった。
今の貴方は失ってしまった沢山の物を取り戻したのだ。もう暗闇で蹲っていたあの頃の貴方ではない。私は一欠片の躊躇もなく断言できる。だって貴方が光の中へと歩き出したのを、ずっと隣で見守って来たのだから。
「殿下をお強くしたのはわたくしだと自負しておりますのよ。殿下は変わられました。どんな悲しみも乗り越える強さを取り戻していらっしゃる。そうなのでしょう?殿下は哀しんで下さるわ。でも哀しんで打ちひしがれる事をわたくしが望まないって解っていらっしゃるはずです。人を信じ触れ合い受け入れる、それをわたくしはお教えしました。それは殿下の力になり心の強さになっているのですよ。だから殿下は立ち直られるのです、絶対にね。だってわたくしが殿下に注いだ愛情は、もう溢れ出ているんですもの」
自信満々に答え得意気にふふんと笑う私を見て、殿下は寂しげな笑顔を浮かべつつ伸ばしていた右手を力無く降ろした。そして陛下は気が抜けたように壁に寄りかかり両腕を組んで大きく首を横に振った。
「君は困った娘だね。それを聞いたらやはり王家に欲しくなる……」
陛下も困った方です。本当に聞き分けが無いのですから。だから私、リーサル・ウェポンを用意しなければならなかったのですよね……。
「もう一つ、お話しなければならない事がございますの」
陛下に向ってそう言いながら腕に力を込めて首を絞め直したので、何かを察したらしいアルが慌てた。いやいやアルくん、そもそも始めからこの為に君をヘッドロックしていたのに、今頃気がつくなんて遅いのよ。そうじゃなきゃ、この状況カオス過ぎるじゃないの。
さぁ、私の可愛いポメラニアンへのお仕置きを始めるとしよう。
「わたくし、監禁されている間に不本意ながらさる男性と同衾致しました」
腕には更に力を込めつつ一方で顔には悲しげな表情を作り私は陛下に照準を合わせ大砲を撃ち込んだ。
「…………どういう事だ!」
一瞬の沈黙の後、陛下がアワアワと取り乱した。ちなみに殿下は完全に『無』になっている。
「しかも2度!」
「……ち、違っ……違います!あ、いや……違いませんけれど……でも違います。何もありません!絶対に絶対に何にも!」
「……嘘ばっかり……」
私は顔を背けてぽそっと吐き出すように言った。
「何を言い出すんですか!貴女カイル達にも自分は純潔だとか大声で言い切ったじゃないですか!」
「でもよくよく考えたら眠っていたじゃない?私。その間に何かあってもわからなかったなぁって」
「いや、だってラーナが居たじゃないですか!」
「そうだった?」
「惚けないで下さい!」
私は首筋をもそもそしながらチラリとアルに目線を送った。
「あれ以来痒いのよ、この辺が」
「あーっ、だからそれはごめんなさいって!」
「それにですねっ」
私は陛下と殿下を代わる代わるじっと見つめ、彼等が前のめりになったところでアルに顔を寄せて『ある事』を耳打ちした。
「……そんな事を言われても……本当になんにも無かったんですってば」
「でもね、来ないのよ。ラーナに聞いてみる?」
「聞かなくて良いですって!でも絶対に違う。食べられなくなってそんなに痩せたらそういう事って良くあるんじゃ……あっ、そうだ!」
アルは一筋の希望の光を見つけたかのように顔を輝かせた。
「ラーナは元々懐妊していたんじゃないかって心配していましたよ!来るはずの物が来ないし吐いてばっかりで、悪阻が始まったんじゃないかって」
その時だ。
それまで完全に『無』になっていた殿下がピクリと動きアルに顔を向け、氷点下の機嫌の悪さを込めた声を投げかけた。
「……違う、違うぞ」
ゆらりと立ち上がった殿下は片眉だけを吊り上げて冷たい瞳でアルを見下ろした。まぁ、激怒しても致し方ないのよ。殿下も私も潔白なんだもの。
「……離宮にいる間ピピルはあの私室を使っていたし、婚約した途端に侯爵が屋敷に掻っ攫って行って二ヶ月間ほとんど顔すらも見られなかったんだ。僕がどんなに、どんなにどんなにもどかしい想いをしていたか…………それなのにアルバート、どうしてお前が同衾なんかしているのかな?」
淡々と語る殿下の声は穏やかだった。が、殿下の全身からは殺気が立ち上り、その場に居た全員が凍り付いたように身をすくませている。勿論質問を受けた本人も。流石は元氷雪の王子、吹き荒れるブリザードのクオリティが桁違いですわ。
私がするりと腕を解き背中をポンと押すといとも簡単にアルは前のめりになって床に両手を着いた。まるで殿下に向かって土下座しているかのようだ。私はアルから陛下へと視線を移し『どうします?』と尋ねるかのようにコトリと首を傾けた。
「そっ、それでもだな、セドリックの事はどうする?君は孤独なあの子の心の支えになってくれる約束だぞ?」
私はこれ以上できないくらいの不機嫌な表情を浮かべた。あれは本当に……人生の汚点だ。真っ黒けの黒歴史だ。取り乱していたせいで思考能力を失ってしまったのだもの。あの時どうして冷静に考えられなかったのか、今更ながら悔しくて堪らない。
「別にそれ、叔母じゃなくても良いでしょうに」
忌ま忌ましそうに言う私に、陛下は焦りつつも悪あがきを続けるつもりらしい。
「いや、セドリックもただの知り合いにはなかなか悩みを打ち明ける気にはならんだろう?そこはやはり、身内であるからこそ……」
「ではわたくしに役職を下さいませ。『相談役』でどうでしょう?これで気兼ねなくなんでも相談できましてよ」
ついに陛下は美しい顔をぐにゃりと歪め大きな溜息を一つつき、そしてとうとう観念したように、そして悲しげに私に笑いかけて言った。
「妖精姫、わたしの負けだ。美しい羽を君に返すよ。良いだろう、どこへでも自由に羽ばたいて行きなさい」
私は立ち上がりさりげなくスカートを手繰って寄せ集め、それから膝を着き陛下に最上級の礼をとった。
きっとシルセウスの最上級の礼はこの作法ではないと思う。だったらドレスがこんな形をしているはずがないのだ。
**********
陛下と殿下は直ぐに王都に戻って行った。しかし当然一緒に連れ帰る筈の私は結局それからも塔で過ごさざるを得なかった。今の体力で王都まで馬車で移動するのは危険すぎるので、ここで療養するようにと医師に止められたのだ。
拉致された一侯爵令嬢の救出に国王と王弟自らが揃って赴くなんて本来はあり得ない異例中の異例。私を連れ帰ってこそその異例が意味を成す……つまりは妙に評価を吊り上げられ市井の星と民衆に支持された私が(妙に吊り上げたのはほぼでっちあげの私と殿下の馴れ初めの噂話をばら撒いて拡めた陛下の策略だけれど)結婚式の最中に拉致されるという大失態を挽回する好機だったのだが、期待外れになり台無しも良いところだ。
勿論二人はそういう大人の事情とは関係なく私を助け出したい一心で来てくれたのだ。それは充分過ぎるくらいにわかってはいるが、けれども重要な目的を果たせない自分の不甲斐なさには涙が出た。
出立前に顔を見に来た殿下はボロボロ泣いている私を面白そうに眺めていた。
「君でもそんな風に泣くことがあるんだな」
「自分があまりにも役立たずでがっかりしたんですもの」
殿下は眉間を寄せて不機嫌そうに顔をしかめると、私の頬を摘んでキュッと捻った。
「だったらこの摘み甲斐が無くなった頬をふっくらさせる事だな。それに……」
手を離すと頭にポスッとその手を乗せ、そのままぐしゃぐしゃと乱暴に撫で睨む私を満足そうに見下ろしながら言った。
「君は良くやった。今はまだ詳しい話はしてやれないが……君がジェフリーに届けさせた本の情報から一気に事態が動いたんだ」
0
お気に入りに追加
80
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
政略結婚した夫の愛人は私の専属メイドだったので離婚しようと思います
結城芙由奈
恋愛
浮気ですか?どうぞご自由にして下さい。私はここを去りますので
結婚式の前日、政略結婚相手は言った。「お前に永遠の愛は誓わない。何故ならそこに愛など存在しないのだから。」そして迎えた驚くべき結婚式と驚愕の事実。いいでしょう、それほど不本意な結婚ならば離婚してあげましょう。その代わり・・後で後悔しても知りませんよ?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載中
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる