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第四章 通りすがりのダーティーエルフ編

第106話 “召喚”…偽りのダークヒーロー編

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 それは、ミトラと兄が戦いを始める二、三日前の話。


 子供は、気がつけば見知らぬ建物の中にいた。
 周囲は全て金属で構成されており、金属の筒が複雑に絡み合いながら壁面を構成している。
 まるで、木の根で出来た魔女の建物みたいだ、と子供は思った。

 その建物は、ゴウンゴウンとまるで生き物のように、重く低い音を響かせ続ける。
 子供は怖くて仕方がなかったが、じっとしていても何も状況は好転しない。
 勇気を振り絞って建物の中を探検する事にした。

 階段や梯子はしごを登ったり降りたり。
 この建物を見回る人間を見かけた時は物陰に隠れてやり過ごし。
 一番下に降りた時には、この建物? 生き物? の心臓を見かけたり。
 心臓の音は、うるさくけたたましかった。
 子供は、ここには二度と来るまいと決意して逃げ去る。

 今度は一番上まで登ってみる事にした。
 とにかく上に。上に上に。
 登った果ては、だだっ広い外の空間。真っ平な地面に強い風。
 そして見渡す限りの、水、水、水。
 これが巨大な船だと初めて子供は知った。

 船を隅々すみずみまで調べ尽くした子供は、やがて空腹で動けなくなった。
 人間がほとんど乗っていないこの船には、食糧もほとんど積載せきさいされていない。
 子供は、物陰に隠れながらじっとうずくまっているしかなくなった。


 ある時、コートを着た男が通りかかった。
 よく見かける、内部を巡回している人間とは少々雰囲気が違う。
 子供はいつも通り物陰に身を隠したが、運悪く男が一番近づいた時にお腹の虫が鳴ってしまった。

 その音を聞き、怪訝けげんな顔で立ち止まる男。
 空腹で動けなくなった子供は、ただちぢこまる事しか出来なかった。
 子供が隠れている物陰をのぞき込む男。
 おびえた顔で見上げる子供。

 男は子供を見る。その痩せこけた手足を。
 男は、子供の目の前に座ると優しげな目で右手を差し出す。
 子供はしばらくその手を眺めていたが、やがて躊躇ためらいながらも、自分も手を差し出しその右手に触れた。
 男はニッコリ笑うと、右手で子供の頭を優しく撫でた。

 その後、男は自分のコートのポケットをまさぐると、とても小さな密閉された袋を二個取り出す。
 袋の一つを破って中身を自分の口に入れると、男はもう一つの袋も破って中身を子供に差し出した。
 子供はそれをひったくるように取ると口に入れる。
 口内に、涙が出るほど甘い味が広がった。


 男は子供の手を引きながら船内を歩くと、内部を巡回していた人間の所まで子供を連れて行った。
 怯えて男の後ろに隠れる子供。相変わらず優しく子供の頭を撫でる男。
 男が巡回していた人間達に何か説明すると、彼等の雰囲気が柔らかくなった。
 彼等は優しい声音で子供に何かを話しかける。

 連れてきてくれた男は、子供の頭をもう一度優しく撫でると、その場に背を向ける。
 その時、初めて子供は男の耳が長く尖っている事に気が付いた。
 


 嵐が近づいていた。
 血相を変えた船員と男が話し合っている。
 やがて子供は船員に連れられ、彼等と共に救命艇に乗せられた。
 あの耳の長い男は乗り込む気配が無い。
 やがて男は船員に会釈えしゃくする。船員も男に会釈を返す。
 男は彼等に背を向けて、船の奥に去っていった。
 その背中に、ただならぬ決意をみなぎらせて。

 あの男は何か危険な事に身を投じるのだ。
 そう感じた子供は、自分が何かたまらない気持ちに襲われた事に気がつく。
 止まらなかった。


 子供は、救命艇が船を離れる瞬間に救命艇を飛び出し、船に戻った。
 背中に船員達の叫び声が聞こえる。
 だがそれにも構わず、子供は男を追いかけて船の奥へ消えていった。


*****


 兄は素早くミトラの背後に回ると、思い切り背中をり付けた。先程のお返しとばかりに回し蹴りで。
 そのままミトラの様子を確認もせずに、子供の元へ駆け寄る。

 左手で子供をきかかえようとした。
 その時に初めて、自分の左手の先が消滅している事に気がつく。
 振り向くと、ミトラの前に小さな肌色の物体が、甲板に血をき散らして落ちていた。

 しかしすぐに子供の胴を左腕で抱えると、ミトラから大きく距離を開ける。
 その間、兄は自分自身にずっと問い続けていた。

──俺は一体、いま何をした!?

──ミトラを倒す絶好の好機だったじゃないか! あんな子供など見捨てて、子供ごと攻撃したら良かったじゃないか!!

──その為に、ずっと攻撃を受け続けて、ミトラがしびれを切らすのをじっと待っていたんだろう!? 蹴られた時にも自ら後ろに飛んで、派手に吹き飛んだように見せかけて!!

 だが時間は巻き戻らない。
 兄は唇を噛み切りそうな強さでんだ。
 空はいつの間にか真っ黒な雲に覆われて、雨が降り始めた。風も強くなっている。
 やがては嵐に包まれるのだろう。


 ミトラと距離を取った兄は、子供を左腕に抱えたまま宿敵をにらみ付ける。
 子供の服に、左手首かられ出る血が染み広がっていく。
 子供は自分の服の血の染みに気がつくと、兄の顔と自分の服を交互に見つめる。
 そして自分のした行為の結果を理解して、パニックを起こして暴れる。
 だが兄が厳しい表情で睨み付けると、一瞬で静かになった。

 その時、兄の服の内ポケットからアラーム音がけたたましく鳴り響く。
 兄は舌打ちをすると、ひとちる。

「チッ……。世の中、何事も全てが上手く噛み合う訳じゃねえけど……な」

 ミトラが起き上がる。地面に落ちている手首を見つめ、すぐに振り返って兄を見た。
 兄は紅乙女を一旦戻して右手を開けると、スマホを取り出しアラームを止める。
 ミトラは、血塗ちまみれの兄の手首と子供の服に気がつくと、ニンマリとさげすんだ笑みを浮かべる。さっきの『鎧』は消えていた。
 兄は更に片手でスマホを操作して、アプリを呼び出し実行。内臓スピーカーから早回しの呪文が流れ始める。

 ミトラはやがて、狂ったように哄笑をあげて叫んだ。
 アプリの悪魔召喚の呪文が終わると、兄は高らかに叫んだ。

「はははははは! 最初で最後の一生モンの絶好の機会を逃しやがった馬鹿め!!!!」

「来おおおおおい!! コリーヴレッカアアァァンっっっ!!!!」

 兄の背後に馬鹿デカい輝くサークルが現れ、それが激しく明滅する。
 そこから凄まじく巨大な『モノ』グレートシングが飛び出してきた。


*****


 は使い魔というにはあまりにも大きすぎた。
 大きく。
 幅広く。
 重く。
 そして武装が大雑把おおざっぱ過ぎた。
 それはまさに、岩塊で武装したマッコウクジラだった。

 その身体の各部を岩塊の鎧で武装したクジラは、いかなる理由によるものか、空中を悠々ゆうゆうと漂う。
 そしてその巨体の比率からすると小さく見える目で、彼等を見つめる。
 その瞳には凶暴なものが宿っていた。

 兄は子供を一旦下ろすと、左手を高く差し伸べた。
 そして短くつぶやく。

「コリーヴレッカン」

「……御意ぎょい

 クジラの鼻先から小さな雷が放たれ、兄の左手首に当たる。
 兄の顔が苦痛に歪んだ。
 左手の切断面が雷で焼け焦げている。
 強引で荒っぽいが、ひとまずの止血なのだろう。
 正式に傷口を縫合ほうごうしないと、また血が漏れ出てくるだろうが。

「コリーヴレッカン。俺の事は気にせず、全力で奴を叩け。お前の攻撃は、俺が勝手にける」

「……御意」


 本当なら、最初からコリーヴレッカンを呼び出しての総力戦で挑む計画だった。
 だが予定外の嵐が来た為に、タンカーの船員を早めに下船させる必要があった。
 乗組員の安全な帰還も、タンカーを持ち出す際の契約の内だったからだ。

 そして、乗組員の下船行為をミトラに気付かせない目的もあって、予定より早くミトラの前に姿を現した。
 コリーヴレッカンを呼び出すのに適した地点に着く前に、始める必要があった。
 まさに兄が自ら漏らしたように、世の中、何事も全てが上手く噛み合う訳では無い。


 ミトラに攻撃を仕掛ける前に、兄はコリーヴレッカンに言う。

「……コリーヴレッカン」

「何でござりまするか?」

「本当に攻撃を俺に当てて、殺しても良いんだぞ?」

「……人を撃っても良いのは撃たれる覚悟がある者だけ、という言葉がありまするな」

 兄は再び子供を左腕に抱えると、右手に紅乙女を呼び戻す。
 そしてじっとミトラを睨んでコリーヴレッカンの言葉を聞いていた。

「私に殺される覚悟を持って、あの街で事を起こしたのならば、今は何も言いますまい。ただ今は、目の前の敵を打ち滅ぼす事に専念するのみでする。盟友ロングモーン殿の無念を晴らす為にも!!」
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