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第6部

プロローグ

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 時節は『三の月』の上旬。
 花びらが舞い、春も真っ盛りなその日は、とても良い天気だった。
 そのせいもあってか、アルフレッド=ハウルは少し歌を口ずさんでいた。
 歩き慣れたハウル家本邸の渡り廊下。窓から差す陽気も心地よい。
 と、そこへ廊下の向こうから一人の執事がやってきた。


「アルフレッドさま」


 執事は足を止めて一礼する。


「ご依頼の件、準備が完了いたしました」

「うん。ありがとう」 


 アルフレッドは破顔した。


「これでいつでも彼らを出迎えることが出来るね」

「はい。では私は仕事に。他に御用があればいつでもお声がけください」


 そう言って、執事は再び一礼をし、仕事に戻った。
 アルフレッドは立ち去る執事に手を上げて再度歩き出す。
 先程の執事に頼んでいたことは客人用の部屋の準備だった。
 しかもただの客人ではない。グレイシア皇国にとって重要な隣国であるエリーズ国の公爵令嬢の一行だった。それも二家の公爵家の令嬢達である。
 彼女達は、アルフレッドにとっては親しい友人達でもあった。
 しかし、親しき仲にも礼儀ありという格言もある。歓迎の準備は、ハウル公爵家の威信にかけて行わなければいけなかった。


「こないだの交流会は成功したけど、ほとんど話す機会がなかったからなあ」


 アルフレッドはあごに手をやって思い出す。
 それは三週間ほど前のことだった。
 エリーズ国に来訪して行われた騎士学校同士の交流会。アルフレッドはすでに騎士ではあるが学生達と年齢が近いこともあり、大使的な立場で同行することになった。

 交流会自体は実に有意義なものであった。
 一ヶ月半に渡る滞在は両国の騎士候補生達のよい刺激になったに違いない。
 しかし、アルフレッド個人としては国王陛下への謁見、四将軍を筆頭に各重鎮との会合などで多忙であったため、学生達の交流は数度しか取れなかった。
 ある事件を切っ掛けに友好を築いた少年少女達とはぜひとも話をしたかったのだが、何度か挨拶するのがやっとで、ゆっくりと話す機会はほとんどなかった。

 アルフレッドにとってはとても残念な結果であった。
 そこで思案し、ようやく彼らと少しだけ会話の時間が取れた日。
 アルフレッドは友人として彼らを皇国に招待することを提案してみたのだ。
 異国の友人達は快く受けてくれた。
 かくして、赤毛の少年は歓迎の準備に勤しんでいるのである。


「予定ではそろそろ出立か。到着まで一週間ぐらいかな」


 と、独白する。
 本当に楽しみだった。アルフレッドは飛び級で騎士学校を卒業したため、同年代の友人がかなり少ない。彼らとの交流には胸を躍らせていた。


「……ふふ」


 思わず笑みも零れてくる――と、その時だった。


「あら。アルフ」


 不意に声を掛けられる。
 アルフレッドはハッとして口元を隠し、前に目をやった。
 そこには少し長身の一人の女性がいた。


「何ニタニタしてるの? 気持ち悪いわね」


 と、容赦ない指摘をしてくるのはアルフレッドの姉だった。
 年齢はもうじき二十二歳。アルフレッドと同色の瞳と髪を持つ女性だ。
 身に纏うのはアルフレッドと同じ黒い騎士服。肩まで伸ばした真紅の髪はきつめのウェーブがかかっており、やや険のある眼差しだが、顔立ちはとても整っていた。
 弟であるアルフレッドの目から見ても相当な美人であると思う。スレンダーな体型も相まって猫を彷彿させる容姿だった。ちなみに性格も猫のように気まぐれである。
 ハウル公爵家の長女は、実に破天荒で有名だった。
 そんな風評を思い出しつつ、


「気持ち悪いは酷いよ。姉さん」


 アルフレッドは頬をかいて渋面を浮かべた。
 すると、姉は腰に手を当てて嘆息し、


「一人、ニタニタ笑いながら歩いてたら気持ち悪いに決まってるじゃない」


 そこで頭を振った。


「あなたがそんな感じじゃあ、お姉ちゃん、安心してお嫁に行けないじゃない」

「え?」


 いきなりそんなことを言い出す姉に、アルフレッドは目を丸くした。


「いやいや姉さん」


 パタパタと手を振る。


「別に僕に構わなくてもいいよ。今回も姉さんがの所に行ってるなんて知らなかったし。なんならそのままずっと居ても良かったよ」


 と、少し意地悪く告げる。
 すると、姉は分かりやすいぐらい頬を赤く染めた。
 実はこの姉、アルフレッドがエリーズ国に滞在していた二ヶ月ほどの間、ずっと家出をしていたのだ。
 原因は祖父との確執。アルフレッド達の祖父が姉の了承も得ずに彼女を嫁に出そうとしたのである。いわゆる政略結婚の道具にしようとした訳だ。
 それについては帰国したアルフレッドも怒り、祖父に詰め寄ったものだ。
 結果、祖父の方が折れて和解という形で解決したのだが、それまでの間、姉がどこにいたかというと、驚くべきことに遠い異国にいたのだ。姉は家を出るなり、異国にて暮らす想いを寄せる男の家に転がり込んだのである。
 それが二ヶ月前の話だった。


(いきなり押しかけられて、さぞかし難儀しただろうなあ)


 腕を組んで、アルフレッドはしみじみと思う。
 姉の想い人である青年とは、アルフレッドもまた親しかった。
 それこそ兄弟と思えるほどに親しい間柄だ。青年が騎士団を退団し、養女むすめを連れて異国へと移住した今でも親交は途切れていない。
 正直なところ、個人的には『義父さん』と呼びたい人だ。しかし、姉をもらってくれるのなら『義兄さん』と呼ぶのも悪くない。
 きっと、あの人ならこの面倒な姉であっても幸せにしてくれるだろうから。
 ただ、問題があるとすれば、あの人が恐ろしくモテるということか。


「冗談抜きでもう少しぐらいなら居座っても良かったのに。恋敵がいっぱいすぎて不安だったんでしょう? しかもみんな凄く綺麗で可愛い子ばかりだし」


 そこでふと思い出す。


「そう言えばエリーズ国にまで本気っぽい人がいたよ。その人も凄く綺麗だった」

「……ううゥ」


 姉は一歩後退った。
 が、すぐに頭を振って、


「分かってるわよ。笑えないぐらい恋敵が多いことも。今回の件って結構チャンスだったのも自覚してるわ。本音を言えばアタシだってもっと一緒にいたかったわよ。けど、これ以上は本当に迷惑をかけたくなかったし、何よりも――」


 そこで彼女は柳眉を落とした。


「……イアン達も件もあったからね」


 その名が出てアルフレッドは沈黙した。

 ――イアン=ディーン。

 アルフレッドが信頼を寄せていた青年執事。
 以前、エリーズ国への訪問にも同行したことのある人物だ。
 しかし、今や彼はハウル家の執事ではなかった。
 姉が異国に滞在中、その地で一つの事件が起きたのだ。

 そしてその事件で、イアンは――……。


(……馬鹿なこと。イアン)


 アルフレッドはグッと拳を固める。と、


「け、けどね!」


 重い話題を払拭するためか、姉は笑顔を輝かせた。


「今回は確かに迷惑ばかりかけたけど、凄い役得あったのよ! 特にアタシが帰国する最後の夜! 運良く二人っきりになる機会があったんだけど……」


 姉は頬を染めると、コツコツと指先同士をつついた。
 そして十数秒後、意を決し顔を上げると、


「あ、あのね、ってばね! あの夜、アタシをギュッとしてくれたの!」


 興奮気味にそう切り出した。


「一応隠していたつもりだったんだけど、やっぱりお爺さまに会うことや、イアン達のことでヘコんでたことに気付かれてたみたいでね……」


 一拍おいて。


「彼ってば『そんなに落ち込むなよ。あのくそジジイに気を揉む必要もねえ。次に何かされたらまた俺の所に来いよ。今度はずっといてもいいからさ』って言ってくれてね。それから何度も頭を撫でてくれて……」


 そう呟きながら、姉はえへへと自分の頭を両手で抑える。


「……へえ。そうなんだ」


 アルフレッドは惚気る姉に遠い目を見せた。
 それではほとんどプロポーズだ。
 ここまで親しくて、どうして未だ恋人関係に発展しないのか……。


(けど、あの人って破格の天然たらしだからなあ)


 この程度では、まだまだ決め手にはならないのかも知れない。
 そんなことを思う少年だった。


「まあ、いいけど」


 アルフレッドは嘆息した。
 身内の惚気話ほど脱力するものもない。


「それより僕はそろそろ行くよ。歓迎の準備があるんだ」

「歓迎?」姉は小首を傾げた。「何かあったかしら?」

「前にも言ったじゃないか」


 アルフレッドは呆れるように呟く。


「エリーズ国にいる僕の友達。今度家に来るんだ。そのための準備だよ」

「ああ、なるほど」


 姉はポンと柏手を打った。


「そう言えばそんなことを言ってたわね。四大公爵家の女の子達だっけ? あなたって昔から本当にモテるわね」


 と、のほほんと告げてくる。
 アルフレッドにしてみれば騎士団三大美女に数えられ、皇国騎士団内にファンクラブまである姉には言われたくない台詞だった。


「彼女達はそんなんじゃないよ。それより姉さんも挨拶には気をつけて。きっとビックリすると思うから」

「……? なんでビックリするのよ?」


 と、姉は首を傾げるが、アルフレッドはすでに歩き出していた。


「それだけインパクトがあるんだ。詳しいことは後で話すけど――いいね、姉さん! 失礼がないように平常心でいて! お願いだから!」


 そう告げて、アルフレッドは廊下の先に去って行った。
 渡り廊下に残ったのは赤毛の女性だけ。
 美貌の騎士はあごに指先を置いた。


「ふ~ん。ビックリするようなアルフの友達か」


 他国の公爵令嬢の相手など堅苦しいだけと思っていたが、弟の思わせぶりな台詞に俄然興味が出てきた。弟があそこまで言う以上、本当に何かがあるのだろう。
 そしてしばしの沈黙。


「うん! 決めたわ!」


 彼女はポンと両手を叩いた。


「ふふっ、これは面白くなりそうね!」


 そう呟いて、気まぐれな公爵令嬢はいたずらっぽい笑みを見せるのであった。
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