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第1部

第八章 贈られしモノ⑤

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 シン――と静まり返る広場。
 わずか数秒前までは戦場だったため、虫の声さえしないその場所には、二機の鎧機兵が互いに背を向けて佇んでいた。
 悪竜の騎士・《ディノ=バロウス》と、牛頭の巨人・《金妖星》の二機だ。
 二機は全く微動だにせず、さらに数秒が経つ。

 そして――。


『……これは少々驚いたぞ』


 不意に《金妖星》が振り向き、操手であるラゴウは口角を崩した。


『まさかあの状況で反撃してくるとはな。ヌシの力をまだみくびっていたか』


 言って、愛機の左腕に視線を落とす。
 黄金の牛頭の巨人は左腕を肩から失っていた。
 先の反撃で、咄嗟に首への直撃だけは避けた結果だ。


『ふふっ、腕を切り落とされるなどいつ以来か。しかし……』


 ふとラゴウは、疑問を口にする。


『処刑刀での刺突とは思えん一撃だったな。押し潰されるのならいざしらず切り裂かれるのは予想外だったぞ』


 処刑刀の切っ先は丸い。普通ならば切り裂くことなど出来ない形状だ。
 すると、その処刑刀を片手に《ディノ=バロウス》が、ゆっくりと振り向いた。
 そして操手であるコウタが、皮肉気な様子で語り出す。


『折角だから、ボクの方も技を見せたんだよ』


 少年がそう呟くと同時に、《ディノ=バロウス》が処刑刀を横に薙いだ。
 大剣に煽られ、大きく風が動く。


『使ったのは構築系闘技。剣の刃に沿って恒力で作った極小の刃を並べるんだ。それを超高速で移動させる。すると驚くほど斬れ味が増すんだよ』


 そこで一拍置いて、コウタは告げる。


『ボクはこの闘技を《断罪刀》と呼んでいる』

『……ほう。なるほどな』


 ラゴウはあごに手をやり、目を細めた。


『中々興味深い闘技だ。鎧機兵の鎧装の加工に使う機械工具と似た仕組みだな。それを闘技にまで昇華させたのか』

『まあ、その通りだよ。なにせ幼馴染が作業する姿を見て思いついた闘技だし』


 そう言って、コウタは苦笑を浮かべた。
 彼の後ろにいるメルティアは、何とも複雑な表情を見せている。
 と、そんな二人をよそに、


『ふふ、そうか』


 ラゴウはふっと笑い、いよいよ本題を切り出す。


『ともあれ、この戦いはヌシの勝ちだ。ヌシは見事に力を示した。よもや《金妖星》の腕まで斬り落とされるとは思わなかったがな』


 そこで愛機を反転させ、


『では、吾輩はここらで退散しよう。今宵は実に楽しかったぞ少年』


 そう告げて、《金妖星》がゆっくりと離れていく。
 コウタとメルティアは、ただ敵機の背中を見据えていた。
 今さら引き留める気もないし、ましてや攻撃する気もない。
 この厄介な男との戦いは、ここで終わらせたかった。

 が、その時、


『ああ、そうだ』


 ラゴウがそう呟き、唐突に《金妖星》が足を止めた。
 それから愛機を振り向かせて告げてくる。


『去る前に、ヌシにはまだ二つほど用件があったな』

『……用件って何だよ? ボクにはないぞ』


 コウタは眉をしかめた。
 まだこの戦いが続くとしたら正直うんざりする。
 と、そんなことを考えていたら、ラゴウが苦笑を浮かべた。


『そう身構えるな。もう戦う気はない。すぐに終わる用件だ。まずは一つ目。今更だがヌシの名はなんと言うのだ?』

『……えっ』


 あまりにも意外な問いに、コウタは一瞬唖然とした。
 が、思い返せば、この男に名乗る機会など一度もなかった。
 コウタは少しだけ迷ったが、結局名乗ることにした。


『……ボクの名前は、コウタ=ヒラサカだ』

『……ほう。アロンで使われる響きだな。やはりヌシもアロン出身者か』


 と、コウタの黒髪黒眼を思い出し、ラゴウが呟く。
 それに対し、コウタもラゴウの容姿を思い浮かべて苦笑する。


『まあね。正確にはボクのひいお爺さんがアロン大陸の出身者らしいけどね。けど、そんなことよりも……』


 コウタは眉をしかめて尋ねる。


『もう一つの用件って何さ?』

『……ふむ』


 少年に催促され、ラゴウはあごに手をやった。


『実はな。去る前にヌシに名を贈ろうと思ったのだ』

『……はあ?』


 コウタは目を丸くした。そして眉をひそめる。
 言葉の意味が分からない。一体何の話なのだろうか。
 黙って様子を窺っていたメルティアも、同じように眉をひそめていた。
 すると、ラゴウはどこか楽しげに、


『まあ、要は「二つ名」という奴だ』


 そう言葉を続けた。


『この《金妖星》の片腕を切り落としたのだ。ヌシには充分その資格がある』

『ふ、二つ名? ボクに?』


 コウタは再び目を丸くした。
 確かに有名な戦士や騎士には、二つ名を持つ者が多くいる。
 例えば皇国の《七星》などは全員が二つ名持ちだった。
 しかし、コウタ自身は、自分の二つ名など今まで考えたこともなかった。


『そんなの考えたこともなかったよ』


 と、意識もせず、コウタの口から素直な言葉がこぼれる。
 それを聞いたラゴウは、くつくつと笑い、


『元来二つ名とは他者より贈られるモノだからな。だからこそ、《九妖星》の一角。《金妖星》ラゴウ=ホオヅキが、敬意を以てヌシに贈ろう』


 そして《黒陽社》が誇る最強の戦士の一人は、すっと目を細めて――。


『《悪竜》を現世に顕現せし者よ』


 厳かな声が森の中に響き、一拍置いてラゴウは告げる。


『今宵よりヌシは《悪竜顕人あくりゅうけんじん》と名乗るがよい』

『あ、《悪竜顕人》……?』


 ある意味、問答無用で贈られた二つ名に、コウタは唖然とした。
 が、数瞬後、たまらず苦笑を浮かべてしまった。


『何だよそれ』


 流石に呆れてしまう。


『それって完全に悪役の二つ名じゃないか。何の嫌がらせだよ』

『ふん、吾輩は悪党だぞ。悪役寄りになるセンスぐらいは許容してくれ』


 ラゴウは《金妖星》の中で肩をすくめた。


『だが、そんな異形の機体を扱うヌシも悪いと思うぞ。恐らくいずれは似たような二つ名がつくだろう。諦めることだな』


 そう言われると、反論も出来ないコウタだった。
 そして、少年は諦めるように嘆息し、


『分かったよ。ラゴウ=ホオヅキ。ありがたくその二つ名を頂戴するよ』

『ふははっ、そう言ってくれると嬉しいぞ。では、今度こそ……』


 そう告げるなり、《金妖星》は再び背を向けて歩き出した。
 徐々に遠ざかる牛頭の巨人。そして――。


『さらばだ。《悪竜顕人》コウタ=ヒラサカ。そしてその傍らにいる少女よ。またいずこかの戦場にて会おう』


 ラゴウが別れの言葉を告げ、黄金の機体は森の奥へと消えていった――。
 コウタとメルティアの二人は数秒間、じっと黙り込んでいたが、


「…………ふはあァ」


 と、不意にコウタが脱力した。
 今度こそ、完全に危機は去ったようだ。


「……お疲れ様です。コウタ」


 そう言って、メルティアは頬をコウタの背中に当てた。
 コウタは疲れ切った顔で苦笑を浮かべる。


「本当に疲れたよ。今晩だけで何十日も過ごした気分だ」

「まあ、あんな怪物を相手にしては当然ですよね」


 と、メルティアも苦笑をこぼした。
 疲労しているのは彼女も同じだ。本当に忙しい夜だった。


「とにかく今はただ休みたいよ」


 コウタがぐったりとして、そう呟いた。


「それは同感です。ぐっすり寝たいです。ですが、その前に……」


 メルティアはそこで言葉を詰まらせた。
 安堵した途端、彼女の脳裏に友人達の顔が浮かぶ。


「……リーゼやアイリ、オルバンさんは無事なのでしょうか?」


 コウタの話では、彼らも相当な無茶をしたはずだ。
 流石に胸中に不安がよぎる。が、彼女の幼馴染は顔を振り向け、


「大丈夫だよ」


 そう告げて笑う。


「ラゴウの部下の話だと奴らは完敗したようだしね。怪我をしていないか不安だけど、少なくとも上手く逃げられたのは確実だ」


 コウタが信頼する友人のジェイクはかなり強かな人物だ。
 きっと、上手く立ち回ってくれたに違いない。


「まあ、とは言え、早めに合流した方がいいか」


 そう言って、コウタはグッと操縦棍を握りしめた。
 彼らの無事な顔を見るまでは、完全に安心は出来ないのも事実だ。
 すでに通常モードに戻っている《ディノス》の両眼が光る。
 そしてコウタは後ろの少女の方を見やり、


「それじゃあ、みんなの所に帰ろうか。メル」

「ええ、帰りましょう。コウタ」


 そう言って、二人は笑った。
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