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第1部

第六章 その《星》の名は……。④

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「……ぐ、うぅ」


 白銀の鎧機兵・《ステラ》の操縦席にて。
 メルティアは呻き声を上げて、身体を動かした。
 すぐ傍には、自分に重なり合うように倒れるリーゼの姿がある。


「リ、リーゼ」


 友人の名を呼ぶが返答はない。
 メルティアは焦りつつもリーゼの首筋に手を触れた。
 呼吸はしている。どうやら気絶しているようだ。
 パッと見たところ、大きな怪我もない。


「……リーゼ。すみません」


 友人にそう謝罪し、リーゼを少し押しのけてメルティアは操縦棍に触れる。
 途端、機体の胸部装甲ハッチがゆっくりを開いた。
 夜の森の光景が眼前に広がる。
 メルティアは気絶しているリーゼを操縦席で休ませ、自身は地面に降りた。
 あの鎧機兵に吹き飛ばされた《ステラ》は、大樹にぶつかって止まったようだ。
 少し傾いた木に寄りかかり、白銀の機体は座り込んでいた。
 動かせないこともなさそうだが、戦闘力が著しく低下しているのは明白だ。
 メルティアは眉をしかめた。
 こんな機体で、ましてや、操手としてはリーゼよりも遥かに劣るメルティアが操ったところで、あの化け物の相手は務まらない。


「一体、何なのですか……。あの機体は」


 いきなり現れた怪物に、メルティアはグッと唇を噛んだ。
 と、その時、


「……メルティア!」


 不意に後ろから声をかけられる。
 メルティアがハッとして振り向くと、そこには薄緑の髪の少女――アイリが泣き出しそうな顔で駆け寄って来る所だった。


「アイリ! 良かった! 無事だったのですね!」


 メルティアは胸に飛び込んでくる少女を受け止めた。
 アイリの肩は震えている。メルティアは彼女をギュッと抱きしめた。


「……アイリ。もう大丈夫です」


 と、少女に語りかけるが、


「……ご、ごめんなさい。わ、私のせいであの男が、ジェイクも、コウタも……」


 そう呟くアイリに、メルティアは眉根を寄せた。


「……アイリ?」


 メルティアは膝をつき、少女の肩に両手を乗せて視線を合わせる。
 アイリはボロボロと涙を零していた。
 メルティアは少女の涙を指で拭ってやり、


「どういうことです? アイリはあの機体が何なのか知って――」


 と、尋ねようとした時だった。

 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!

 突如響いた咆哮に、少女達は身体をすくめた。


「……ま、魔獣?」


 と、怯えた様子で呟くアイリに、


「……いえ、違います」


 メルティアは険しい面持ちで否定した。
 今の咆哮は湖の方から聞こえて来た。


「恐らく、これは……」


 冷たい汗を流し、メルティアは湖の広場の方へと目を向けた。
 そして静かに喉を鳴らし、ポツリと呟く。


「まさか《悪竜ディノ=バロウス》モードを使用したのですか、コウタ」


       ◆


 ――ズシン、と。
 まるで四足獣の姿勢で《ディノ=バロウス》は一歩踏み出した。
 太い尾を揺らし、牛頭の鎧機兵を睨みつける。
 対する牛頭の鎧機兵――《金妖星》は、すうっと斧槍を構え、


『……ふふっ、さあどう来る少年』


 操手であるラゴウは、不敵な笑みを浮かべていた。
 その声は少しばかり弾んでいる。
 すると、コウタはすうっと目を細めて。


『……どうもこうもないよ。ただ――押し潰すだけだ!』


 言って、《ディノ=バロウス》に意志を伝えた。
 魔竜と化した鎧機兵は主人の意志に応え、ガコンッと地面を陥没させて飛翔した。さらに空中で大きく右手を振りかぶる!


『――ふっ』


 対し、《金妖星》は後方へ跳んだ。
 斧槍の柄で受け止めるのは危険だと判断したのだ。
 その直後、振り下ろされた魔竜の右手が《金妖星》のいた場所に直撃した。
 バキバキッ――と、地面に亀裂が縦横無尽に走り抜ける。が、それには見向きもせず、さらに《ディノ=バロウス》は追撃をかけた。
 間合いを一瞬で詰め、今度は左手の掌底を打ち出した!


『――む!』


 地表さえ抉る衝撃波に対し、咄嗟に両腕を交差させる《金妖星》。
 牛頭の鎧機兵は直撃を受け、一気に後方へと押しやられた。
 黄金色の鎧装が、ギシギシと軋む。


(……ふむ。溢れ出る恒力をそのままぶつけているのか)


 揺れる操縦席の中で、ラゴウは冷静に敵機の戦力を分析する。
 惚れ惚れするほどの威力。並みの鎧機兵なら間違いなくこれで大破だ。


(しかし、これは……)


 と、思考を巡らせていたら、

 ――ガガガガガッ!

 勢いよく地を削り、不可視の斬撃が迫り来る!
 爪状に放った恒力による遠距離攻撃。
 直撃すれば《金妖星》と言えど両断されかねない鋭さだ。
 だが、ラゴウの顔に焦りはない。


(…………ふむ)


 牛頭の鎧機兵は素早く地を蹴って横へ跳び、攻撃を凌いだ。
 その時点で、ラゴウの顔から、どこか楽しげだった表情が消えた。
 傷持つ男はぼそりと呟く。


『これは……いささか興ざめだな』


 ――ゴウッ!

 と、二本角を突き上げた魔竜の突進を《金妖星》は易々とかわした。
 そして避けざまに片足を振り上げ――。

 ――ズドンッ!

 牛頭の鎧機兵の前蹴りが《ディノ=バロウス》の頭部に直撃した。
 コウタが呻き、《ディノ=バロウス》は大きく弾き飛ばされる。
 地面に何度もバウンドし、四肢で姿勢を支え、ようやく止まる機体。
 ガクガク、と竜装の鎧機兵の両腕が震えた。
 コウタはグッと唇を噛んだ。


『……やはりこの程度の攻撃ものか』


 対し、《金妖星》は悠然とした足取りで《ディノ=バロウス》に近付いてくる。
 そして先程までの高揚もどこへやら。
 ラゴウは冷めた口調でコウタに告げる。


『黒髪の少年。ヌシは《七星》の第三座を知っているか?』

『……《七星》の、第三座?』


 唐突な問いに、コウタは訝しげに眉をひそめる。
 しかし、元々独白に近いのか、ラゴウは気にもかけず言葉を続ける。


『今のヌシと同じく、七万ジンを超える恒力を宿す鎧機兵――《真紅の鬼》を操る男だ。吾輩自身は未だ面識はないのだが、我が友が宿敵と呼ぶ者よ』


 ラゴウは、赤熱発光する竜装の機体を一瞥し、


『我が友の話では、かの第三座が操る《真紅の鬼》は魔獣を超える膂力と、戦士の絶技を併せ持つ真の怪物だそうだ。しかしヌシはどうだ?』


 そこでラゴウは失望を宿した嘆息をする。


『御しきれぬ力に振り回され、先程までの洗練された技も使えなくなっている。剣を捨てたのは使えぬからだろう? 四肢をすべて使わねば戦うことさえ困難とはな。獣の鋭さもなく、戦士の洗練さもない。何とも中途半端な姿だ』

『…………』


 コウタは何も答えず《金妖星》を睨みつけた。


『ロクに制御もできず地を這うようにしか戦えない。それでは闇雲に剣を振り回す一般人と変わらんわ。ヌシには期待していた分、失望したぞ少年』


 ラゴウは淡々とした声で、そう告げた。
 コウタは未だ沈黙を保ったままだ。
 すると、《金妖星》が歩きつつ、ゆっくりと斧槍を掲げた。


『その機体、そろそろガタもきているのだろう。正直、肩すかしな幕引きではあるが、トドメを刺すのは戦士の礼儀か』


 ――ズシン、と。
 大地を踏みしめ、牛頭の鎧機兵は完全に間合いを詰めた。
 絶体絶命の状況。チェックメイトの状態だ。
 だが、コウタは《ディノ=バロウス》の中で眼光を鋭くした。

 ――これでいい。

 ラゴウが語った事実など百も承知だ。
 コウタが《悪竜ディノ=バロウス》モードを使用したのは、この状況を作るためだった。
 確かに《ディノ=バロウス》はすでにガタがきはじめている。
 しかし、まだあと一度ぐらいは動ける。
 眼前の敵が最後のトドメを刺す瞬間、カウンターで最大の一撃をぶつける。
 それがコウタの作戦だった。


(命懸けの一撃だ。けど、これしかない!)


 コウタは覚悟を決めて、攻撃の瞬間を見極めようとしていた。


『……では、さらばだ。少年』


 グググッと、大きく斧槍を振りかぶる《金妖星》。
 コウタは全霊をかけて神経を研ぎ澄ませた――時だった。


「――その一撃、待って下さい」

(………えっ)


 不意に聞こえて来た可憐な声に、コウタは絶句した。
 そして、みるみると顔色が青ざめていく。


『ふむ。ヌシは誰だ?』


 そんな狼狽する少年をよそに、ラゴウは振り上げていた斧槍を止め、《金妖星》を声の主の方へと振り向かせた。
 そこには、二人の少女がいた。
 緊張した面持ちで佇むメルティアと、アイリの二人だ。
 先程《金妖星》を制止させたのは、メルティアの声だった。


「……そこの彼の仲間です」


 メルティアは、わずかに震える声で言葉を続ける。


「この戦い、あなたの勝ちです。もう私達は戦えません。どうか、ここで剣を納めてもらえませんか」

『……ふむ』


 メルティアの懇願に、ラゴウは目を細める。


『獣人族の少女よ。それはいささかヌシらに都合が良すぎるのではないか? 別に見逃すのもいいが、それをするメリットが吾輩にはないのだが』


 そう告げるラゴウに対し、メルティアは覚悟を決めた表情で告げる。


「……では交渉といきましょう」


 ひと呼吸入れて、


「あなたは奴隷商だとアイリから聞きました。でしたら私の仲間達の命。そしてアイリの身柄を売って下さい」

『――メ、メル!?』


 いきなりとんでもないことを言い出す幼馴染に、コウタは目を剥いた。
 対照的にラゴウは実に興味深そうだ。


『なるほど。それならば吾輩にもメリットはあるか。しかし、ヌシの仲間はともかくその少女は決して安価ではないぞ』


 ラゴウがそう告げると同時に、《金妖星》がアイリを一瞥した。
 薄緑色の髪の少女は、ビクリと肩を震わせる。


「……分かっています。アイリの素性もすでに聞いています。今、それほどの持ち合わせはありません。ですので……」


 メルティアは金色の眼差しで《金妖星》を見据えた。


「私を代価にします。この猫のような耳が示すように私は獣人族。それも極めて生まれにくいハーフです。裏社会での『商品価値』は相当なものでは?」

「……メ、メルティア!?」

『メル!? 何を言ってるんだ!?』


 アイリ、そしてコウタが目を瞠った。
 それは、あまりにも想定外の言葉だった。
 が、ラゴウだけはますます興味深くメルティアを見つめた。


『……ほう。面白いことを言うではないか少女よ』


 ラゴウは感情のない声で尋ねる。


『その言葉の意味、分からない訳ではないだろう?』

「……はい」


 メルティアは身体を強張らせて答える。


「理解……しています。覚悟の上です。だから……」


 そして彼女はすっと頭を下げた。


「私の友達を……私のコウタを殺さないで下さい」

『…………』


 少女の真摯な願いに、ラゴウは沈黙した。
 一方、アイリとコウタは、未だ動揺から立ち直れていなかった。
 森の中に静寂が訪れる。そして――。


『……よかろう』


 ラゴウは苦笑を浮かべた。


『ふふっ、こうも健気な態度を取られては、悪党としては乗らずにはおれんな。獣人族の少女よ。ヌシの願いは聞き届けたぞ』

「……ありがとうございます」


 メルティアは再び頭を垂れた。
 しかし、当然ながらこの状況に納得できない者がいる。


『ふざけるなッ! メルを、メルをお前なんかに渡してたまるかッ!!』


 コウタが絶叫を上げた。同時に、ズシンッと大地に拳を叩きつけ、《ディノ=バロウス》が機体を軋ませて立ち上がろうとする。
 しかし、すでに限界が近い機体は上手く立ち上がれない。ただ怒りの咆哮を上げる竜装の鎧機兵に、アイリとメルティアは目を見開いた。


『……ほう』


 ラゴウはその様子を一瞥し、あごに手をやる。


『ふむ。黒髪の少年。もしやこの少女はヌシの女か?』

『幼馴染だ! けどそんなの関係ない! メルは絶対に渡さない!!』


 と、意気込む少年に、ラゴウは苦笑した。
 この少年が少女をどう思っているのかは一目瞭然だった。


『やれやれ、分かりやすいな少年。ならばヌシに再び機会をやろう』

『……何がだッ!』


 機体を必死に動かしながら、そう吐き捨てるコウタに、


『ふふっ、この少女は吾輩が個人的に買い取ることにしよう。吾輩の情婦にする』


 ラゴウは面白おかしくそんなことを告げる。
 コウタは唖然として目を見開いた。メルティアも同様だ。
 情婦。その言葉を知らないほど彼らは子供ではない。


『ふ、ふざけるな! 誰がお前なんかにメルを――』

『ふははっ、少しは落ちつけ少年。確かにこの少女は見目麗しいが、正直まだ幼い。今の時点では食指も動かんよ。そうだな……』


 一拍置いてラゴウは告げる。


『あと五年。五年間まではこの少女の貞操と身柄は吾輩が保障しよう。その間に、ヌシは懸命に修練を積むといい』

『……なん、だと?』


 ラゴウの言葉の意図が分からず、コウタは呆然と呟いた。


『ヌシには見所がある。五年間、この少女を求めて吾輩を追ってくるといい。今はまだ無様なその力を今度こそ自分の物にしてな』


 そこでラゴウの乗る《金妖星》は大仰に肩をすくめた。


『どうだ? まさに悪党らしい演出だろう?』


 コウタは一瞬、目を見開くが、ギシリと歯を軋ませ、


『何が演出だ! そんなの許さない! メルは、メルはボクの大切な――』

『まあ、そう荒ぶるな。この少女が大切なのならば取り返せばいい。なにしろ五年も猶予があるのだ。我ながら破格の対応だと思うぞ』


 と、ラゴウは面白がるような口調で語る。
 それから、くつくつと笑い、


『さて、と。吾輩も忙しいのでな。そろそろ退散するか』


 続けて音もなく《金妖星》の蛇頭の尾が、《ディノ=バロウス》に向けられる。
 大きく開かれた大蛇のアギトには、莫大な恒力が集束していた。


『《悪竜》の少年よ。今日ぐらいはゆっくり休んでおけ。何事も心機一転だ。修練はまた明日からにするといいぞ』


 と、告げてから、ラゴウはふっと口角を崩す。


『ああ、それと騙し打ちを企んでいたようだが、丸分かりだったぞ。どうもヌシには狡猾さが足りん。その辺も修練することだな』


 それが、コウタが最後に聞いた台詞だった。

 そして強い衝撃が《ディノ=バロウス》を打ちつけて――。

 少年の意識は、闇の中に消えていった。
 彼の名を叫ぶ少女の声と共に。
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