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第12部
第七章 父、家に帰る①
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焔魔堂の里は、皇国領内にある。
皇都ディノスから馬車で二日ほどかかる距離。
街道から離れたその場所には鬱蒼とした森があり、その深奥に存在している。
だが、普通の者は、そうそう辿り着けない。
その森は、焔魔堂の者によって、迷路のように造りかえられているからだ。
その森を踏破し、里に辿り着けるのは、やはり里の者だけだ。
「…………」
フウカの夫にして、アヤメの義兄。
ライガ=ムラサメは、無言で森の中を進んでいた。
心なしか、その足取りは早い。
馬車で二日かかる距離を一日足らずで走破したのだから、急ぐ想いも強いのだろう。
ライガは、心角こそ隠しているが、すでにジーン=ダラーズの偽装を解いていた。
歳の頃は四十代前半ほど。肩まで伸ばした灰色の髪が印象的な男性の姿だ。
焔魔堂の黒い和装を纏い、森の中を歩いている。
「……ムラサメさま」
その時、声を掛けられる。
ライガ同様に、黒い和装を纏う人物だ。
ライガの同行者であり、部下である。
「僭越ながら、少々お急ぎすぎかと。痕跡が残ります」
「……ああ。すまん」
部下に指摘され、ライガは足を止めた。
「やはり焦りが出たか」
「いえ。不敬をお許しください」
部下が言う。
「ムラサメさまのお心は、承知あげております。御子さまのご来訪。我らの悲願が達成され、心が躍られるのは当然。それに――」
部下は、微かに双眸を細めた。
「この度の帰還。ムラサメさまにとっては、初のご子息との対面でありますから」
「……すまんな」
ライガは、かぶりを振った。
「俺とて長老衆の一人。毅然と構えなければならぬというのにな……」
ふうと嘆息する。
御子さまに拝謁するのは心が躍る。
だが、それに劣らず、妻と息子の顔を見たい。
任務のため、妻の出産に立ち会えず、今日まで苦労をかけた。
妻にはそれを労いたい。
そして、初の対面となる我が子。
手紙では、よく笑う子だと記してあった。
きっと、不愛想な自分には似ず、妻に似たのだろうと思う。
(……この俺の子か)
自分の両手を見やる。
果たして、どんな子なのだろうか……。
「ムラサメさま」
その時、部下が言う。
「我が子に会いたい。そう思うお気持ちは自然でございます。里へと参りましょう」
「ああ。そうだな」
ライガは頷いた。
◆
「とりあえず、私の超腐れ義兄さまは、まだ戻っていないのです」
説明を求めた開口一番に、アヤメはそう告げた。
「え?」と、コウタは目を瞬かせた。
「え? 誰それ?」
「この屋敷の主人なのです」
コウタの前で正座するアヤメは、タツマを抱っこして同じく座るフウカに目をやった。
「師匠の立場を利用して、娘とも呼べる歳の弟子の心角に触り、私の姉を手籠めにした最低の腐れクズ野郎なのです」
「いえ。あのね」
フウカが、困ったように眉根を寄せた。
「一応言っとくけど、それ、ほとんど誤解だからね。あの人が私の心角に触れたのは偶然だし、どちらかというと、私の方が弟子の立場を利用したというか……」
と、言いかけたところで、コホンと喉を鳴らす。
「とにかく誤解を招く言葉はやめなさい。あなたが一族の所業を忌み嫌っているのは知っているし、一族に色々と問題があるのも共感できるけど、少なくとも、私とあの人の間には愛があるからね」
言って、タツマを見せつけるように抱え上げた。
まさしく、この子こそが愛の結晶だ。
母に抱き上げられ、タツマは二パッと笑った。
「……むむ」
太陽のような甥っ子の笑顔に、アヤメは呻いた。
一方、コウタやアイリ。ドスンと座るサザンXには、状況が全く見えない。
「えっと、どういうことなの? アヤちゃん」
改めて、コウタがアヤメに問うと、
「……そうですね」
アヤメは、少し遠い目をした。
「分かったのです。少し長くなりますが、私の一族についてお話するのです」
そう切り出して、アヤメは自身の一族について語り始めた。
焔魔さまを祖とする人外の一族の話を。
その焔魔さまが仕えているという勇猛なる御方さまのことを。
それは、半ばお伽噺のような話だった。
コウタと、アイリ。サザンXは静かにその話に耳を傾けていた。
そうして十分後。
コウタは、悩まし気な顔で口を開いた。
「その、大体事情は分かったけど、二つほどいい?」
「……何ですか?」
アヤメがそう尋ねると、コウタは指をピンと立てた。
「まず誘拐はダメ。絶対にダメ。どんな理由があってもだよ」
コウタは強く言った。
今回のコウタたちの件だけではない。
現時点における、焔魔堂一族の血の残し方についてもだ。
アヤメの話だけではなく、途中で捕捉に入ったフウカの話では、強制はせず、最終的には合意であり、妻と成った女性が幸せであったとしても、これは黙認できない。
幸せとは、当人たちだけの話ではない。
その人たちも含めて、周囲もまた幸せでなければいけないのだ。
すべての者に祝福されてこその結婚だ。
それが、コウタの考えだった。
実は、これは、コウタにとっても切実な問題でもあった。
なにせ、いかにリノの父親を説得しようかと、密かに頭を悩ませているのだから。
閑話休題。
「ともかく、その件に関しては、この里の偉い人とも話すからね」
「はい。分かりました」
アヤメは「ごめんなさい」と三つ指をつき、頭を下げた。
今回の件。アヤメ自身は深く反省しているようだった。
「うん。それは、また話そう」
コウタは頷いた後、かなり困った顔をした。
「それで、もう一つだけど……」
声まで困惑した様子で告げる。
「ボクが『御子さま』って話だけど、それ絶対に違うからね」
正直、この話は、相当に困った内容だった。
「ボクは、クライン村っていうどこにでもあるような、ごく小さな村の出身だから、絶対に別の人と勘違いしているよ」
「……うん。確かに」
そこで、沈黙してたアイリが口を開いた。
「……コウタが『御子さま』って違和感しかないよ。コウタ、本当に庶民だし」
「……ウム。ショミン、オブ、ショミンダ」
「……いや。それはそれで酷くない?」
容赦のないアイリとサザンXに、ツッコミを入れるコウタ。
「いいえ」
すると、アヤメがかぶりを振った。
「『御子さま』とは血筋によるものではないそうなのです。だから、コウタ君がどれほど圧倒的な庶民オーラの持ち主でも関係ないのです」
「うん。一旦『庶民』っていう単語から離れようか」
コウタはアヤメにもツッコんだ。クスクスとタツマを抱っこしたフウカが笑う。
「正直、コウタ君に関して確定しているのは一つだけです」
アヤメが言う。
「それだけは間違いないのです。だから、コウタ君が『御子さま』なのかは、最終的には老害ジジイどもに見極めてもらうことになると思うのです」
「……アヤメ」
姉のフウカが、心配そうに妹に声を掛ける。
「あなた、久しぶりに帰ってきたら、前にも増して毒舌になってない?」
「そんなことはないのです」と、アヤメは答えた。
「いずれにしてもです」
アヤメは、コウタを見つめて、言葉を続けた。
「『御子さま』に関しては、今は確証まではないのです。超腐れ義兄さまが帰って来てからの話になるのです。ですが」
一拍おいて、
「超腐れ義兄さまは、まだ一日ほどは帰ってこないのです。なので、コウタ君たちはこの屋敷に滞在してもらうことになるのですが……」
そこで、アヤメはふっと笑った。
「それでは暇すぎると思うのです。だから、コウタ君」
彼女は、手を差し伸べて告げた。
「少し案内したいのです。私が生まれたこの里を」
皇都ディノスから馬車で二日ほどかかる距離。
街道から離れたその場所には鬱蒼とした森があり、その深奥に存在している。
だが、普通の者は、そうそう辿り着けない。
その森は、焔魔堂の者によって、迷路のように造りかえられているからだ。
その森を踏破し、里に辿り着けるのは、やはり里の者だけだ。
「…………」
フウカの夫にして、アヤメの義兄。
ライガ=ムラサメは、無言で森の中を進んでいた。
心なしか、その足取りは早い。
馬車で二日かかる距離を一日足らずで走破したのだから、急ぐ想いも強いのだろう。
ライガは、心角こそ隠しているが、すでにジーン=ダラーズの偽装を解いていた。
歳の頃は四十代前半ほど。肩まで伸ばした灰色の髪が印象的な男性の姿だ。
焔魔堂の黒い和装を纏い、森の中を歩いている。
「……ムラサメさま」
その時、声を掛けられる。
ライガ同様に、黒い和装を纏う人物だ。
ライガの同行者であり、部下である。
「僭越ながら、少々お急ぎすぎかと。痕跡が残ります」
「……ああ。すまん」
部下に指摘され、ライガは足を止めた。
「やはり焦りが出たか」
「いえ。不敬をお許しください」
部下が言う。
「ムラサメさまのお心は、承知あげております。御子さまのご来訪。我らの悲願が達成され、心が躍られるのは当然。それに――」
部下は、微かに双眸を細めた。
「この度の帰還。ムラサメさまにとっては、初のご子息との対面でありますから」
「……すまんな」
ライガは、かぶりを振った。
「俺とて長老衆の一人。毅然と構えなければならぬというのにな……」
ふうと嘆息する。
御子さまに拝謁するのは心が躍る。
だが、それに劣らず、妻と息子の顔を見たい。
任務のため、妻の出産に立ち会えず、今日まで苦労をかけた。
妻にはそれを労いたい。
そして、初の対面となる我が子。
手紙では、よく笑う子だと記してあった。
きっと、不愛想な自分には似ず、妻に似たのだろうと思う。
(……この俺の子か)
自分の両手を見やる。
果たして、どんな子なのだろうか……。
「ムラサメさま」
その時、部下が言う。
「我が子に会いたい。そう思うお気持ちは自然でございます。里へと参りましょう」
「ああ。そうだな」
ライガは頷いた。
◆
「とりあえず、私の超腐れ義兄さまは、まだ戻っていないのです」
説明を求めた開口一番に、アヤメはそう告げた。
「え?」と、コウタは目を瞬かせた。
「え? 誰それ?」
「この屋敷の主人なのです」
コウタの前で正座するアヤメは、タツマを抱っこして同じく座るフウカに目をやった。
「師匠の立場を利用して、娘とも呼べる歳の弟子の心角に触り、私の姉を手籠めにした最低の腐れクズ野郎なのです」
「いえ。あのね」
フウカが、困ったように眉根を寄せた。
「一応言っとくけど、それ、ほとんど誤解だからね。あの人が私の心角に触れたのは偶然だし、どちらかというと、私の方が弟子の立場を利用したというか……」
と、言いかけたところで、コホンと喉を鳴らす。
「とにかく誤解を招く言葉はやめなさい。あなたが一族の所業を忌み嫌っているのは知っているし、一族に色々と問題があるのも共感できるけど、少なくとも、私とあの人の間には愛があるからね」
言って、タツマを見せつけるように抱え上げた。
まさしく、この子こそが愛の結晶だ。
母に抱き上げられ、タツマは二パッと笑った。
「……むむ」
太陽のような甥っ子の笑顔に、アヤメは呻いた。
一方、コウタやアイリ。ドスンと座るサザンXには、状況が全く見えない。
「えっと、どういうことなの? アヤちゃん」
改めて、コウタがアヤメに問うと、
「……そうですね」
アヤメは、少し遠い目をした。
「分かったのです。少し長くなりますが、私の一族についてお話するのです」
そう切り出して、アヤメは自身の一族について語り始めた。
焔魔さまを祖とする人外の一族の話を。
その焔魔さまが仕えているという勇猛なる御方さまのことを。
それは、半ばお伽噺のような話だった。
コウタと、アイリ。サザンXは静かにその話に耳を傾けていた。
そうして十分後。
コウタは、悩まし気な顔で口を開いた。
「その、大体事情は分かったけど、二つほどいい?」
「……何ですか?」
アヤメがそう尋ねると、コウタは指をピンと立てた。
「まず誘拐はダメ。絶対にダメ。どんな理由があってもだよ」
コウタは強く言った。
今回のコウタたちの件だけではない。
現時点における、焔魔堂一族の血の残し方についてもだ。
アヤメの話だけではなく、途中で捕捉に入ったフウカの話では、強制はせず、最終的には合意であり、妻と成った女性が幸せであったとしても、これは黙認できない。
幸せとは、当人たちだけの話ではない。
その人たちも含めて、周囲もまた幸せでなければいけないのだ。
すべての者に祝福されてこその結婚だ。
それが、コウタの考えだった。
実は、これは、コウタにとっても切実な問題でもあった。
なにせ、いかにリノの父親を説得しようかと、密かに頭を悩ませているのだから。
閑話休題。
「ともかく、その件に関しては、この里の偉い人とも話すからね」
「はい。分かりました」
アヤメは「ごめんなさい」と三つ指をつき、頭を下げた。
今回の件。アヤメ自身は深く反省しているようだった。
「うん。それは、また話そう」
コウタは頷いた後、かなり困った顔をした。
「それで、もう一つだけど……」
声まで困惑した様子で告げる。
「ボクが『御子さま』って話だけど、それ絶対に違うからね」
正直、この話は、相当に困った内容だった。
「ボクは、クライン村っていうどこにでもあるような、ごく小さな村の出身だから、絶対に別の人と勘違いしているよ」
「……うん。確かに」
そこで、沈黙してたアイリが口を開いた。
「……コウタが『御子さま』って違和感しかないよ。コウタ、本当に庶民だし」
「……ウム。ショミン、オブ、ショミンダ」
「……いや。それはそれで酷くない?」
容赦のないアイリとサザンXに、ツッコミを入れるコウタ。
「いいえ」
すると、アヤメがかぶりを振った。
「『御子さま』とは血筋によるものではないそうなのです。だから、コウタ君がどれほど圧倒的な庶民オーラの持ち主でも関係ないのです」
「うん。一旦『庶民』っていう単語から離れようか」
コウタはアヤメにもツッコんだ。クスクスとタツマを抱っこしたフウカが笑う。
「正直、コウタ君に関して確定しているのは一つだけです」
アヤメが言う。
「それだけは間違いないのです。だから、コウタ君が『御子さま』なのかは、最終的には老害ジジイどもに見極めてもらうことになると思うのです」
「……アヤメ」
姉のフウカが、心配そうに妹に声を掛ける。
「あなた、久しぶりに帰ってきたら、前にも増して毒舌になってない?」
「そんなことはないのです」と、アヤメは答えた。
「いずれにしてもです」
アヤメは、コウタを見つめて、言葉を続けた。
「『御子さま』に関しては、今は確証まではないのです。超腐れ義兄さまが帰って来てからの話になるのです。ですが」
一拍おいて、
「超腐れ義兄さまは、まだ一日ほどは帰ってこないのです。なので、コウタ君たちはこの屋敷に滞在してもらうことになるのですが……」
そこで、アヤメはふっと笑った。
「それでは暇すぎると思うのです。だから、コウタ君」
彼女は、手を差し伸べて告げた。
「少し案内したいのです。私が生まれたこの里を」
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