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第11部

第二章 とある幼馴染の憂鬱③

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 一方。アノースログ学園の生徒会室での会談は、順調に進んでいた。
 隣国までの安全なルート。同行する護衛の騎士たち。引率する教師陣。
 さらには宿泊先の施設。その警護。
 合同授業の内容。レクリエーション。
 学園側で指示されている方針も踏まえて、議題は次々とまとまっていく。
 それを、アヤメが無言でメモ用紙に記していった。

「こんなところかしら」

 アンジェリカが、あごに手をやって呟く。

「うん。こんなところだと思うよ」

 アルフレッドが答える。
 二人は、生徒会室のソファに移動していた。
 アンジェリカが、客人であるアルフレッドに、そちらを勧めたのだ。
 彼女も、アルフレッドの向かい側のソファに座ることで会談は始まった。

「では、これを学園に提出いたしましょう」

「うん。騎士団には、僕の方から提出しておくよ」

 言って、アルフレッドは出されたコーヒーに初めて口をつけた。
 味からして、結構な逸品のようだが、完全に冷めてしまっていた。
 議論に熱中して、つい口にする機会を逃してしまったのだ。
 少し残念に思いつつ、アルフレッドは一気にコーヒーを呑み干した。
 そんなアルフレッドに、アヤメが、無言で議事録を封筒に納めて渡してきた。

「ありがとう」

「………」

 アルフレッドは感謝を述べるが、アヤメは変わらず無言だった。
 嫌われているのかと、アルフレッドが内心で冷や汗をかいていると、

「この子は、こういう子なんですよ」

 と、アンジェリカの後ろに控えていたフランが言う。

「別に、ハウルさまを警戒している訳ではありませんので」

「……は、はあ」

 アルフレッドは少し困った顔を見せた。
 ちらりと見るが、黒髪の少女はやはり無言だ。
 この部屋に来て、一度も声を聞いていない。

「……ハウル騎士」

 その時、アンジェリカが口を開いた。

「あまり女性を、まじまじと見るものはいかがと思いますが?」

「あ、ご、ごめん」

 アルフレッドは頭を下げた。
 それに対しても、アヤメは無反応だった。
 まるで影のような少女だ。
 アルフレッドが困惑していると、アンジェリカがコホンと喉を鳴らした。

「それよりもハウル騎士……いえ、アルフレッド」

 部屋に来て、初めてアルフレッドの名を呼んだ。

「コーヒーが冷めてしまったようね。代わりを用意します。それで、会談も終わりましたので、これから――」

 と、告げた時、

「あ、ごめん」

 アルフレッドは、懐から懐中時計を取り出した。

「学園長室に寄ってた時間が長すぎたみたいだ。もう行かないと」

「…………え?」

 アンジェリカは、目を丸くした。

「今日は時間を取ってくれてありがとう。交流会。必ず成功させよう」

 そう告げて、アルフレッドは立ち上がる。
 アンジェリカは一瞬茫然として、幼馴染を見上げたが、

「そ、そうですね」

 コホンと喉を鳴らして、自分も立ち上がった。

「交流会は成功させましょう。今回は時間がありませんでしたが、交流会では、貴方と話す機会もあるでしょう」

「うん。そうだね」

 アルフレッドは、少し苦笑じみた笑みを見せた。

「では、ハウル騎士」

「ええ。コースウッド生徒会長」

 それから、二人は握手を交わした。
 アルフレッドは、フランとアヤメにも頭を下げて生徒会室を退出した。
 部屋に残されたのは、三人の少女だけだ。
 しばしの沈黙。生徒会室は静寂に包まれた。
 フランが、恐る恐るアンジェリカの背中を窺うと、彼女の肩は震えていた。

「え、えっと、アンジュ?」

「………な、なんで?」

 アンジェリカは、ポツリと呟いた。
 そして、ガバッ、とフランの方に振り向いた。

「なんでよ――ッ!?」

 生徒会長が吠える!

「これから、おしゃべりタイムじゃなかったの!? 私、頑張ったわよね!? おしゃべりタイムを少しでも長くするために頑張ったわよね!?」 

 アンジェリカは、目尻に涙を滲ませて、ブンブンとフランの頭を揺らした。

「え、ええ、そうね。アンジュは頑張ったわ。淀みもなく流れる川のように、順調に進んだ会議だったわ。流石は我らが生徒会長と誇らしくなるぐらい」

「じゃあ、なんでよッ!」

 アンジェリカは、フランの頭をさらに高速に揺らす。

「なんでアル君は帰っちゃったの! なんでッ!」

「ちょ、や、やめて、く、首が――」

 首も。大きな胸も。
 フランは、もう凄い速度で揺らされていた。

「なんで!?  なんで!?  なんでッ!?」

「ちょ、死……助けてッ!? 助けてアヤメエエェ――!?」

 フランの必死の声に、アヤメは小さく吐息を零した。
 そして、アンジェリカの両腕を捕える。
 それだけで、まるで万力で押さえられたように急停止する。
 小柄な少女とは思えない怪力だ。

「……落ち着くのです。アンジュ」

 初めて、彼女が口を開いた。

「ア、アヤメエェ……」

 アンジェリカは、アヤメを見つめた。
 ちなみにフランはその場で崩れそうになった。

「な、なんで、アル君は帰っちゃったの……」

「ハウルさまは多忙なのです。スケジュールが押していただけなのです」

「け、けど、少しぐらいは……」

 アルフレッドが勝気と認識している少女は、くしゃくしゃと顔を歪めた。
 とりあえず危険が去ったと判断し、アヤメは無表情のまま、両手を離した。

「あ、あのね。アンジュ」

 その時、自分の首をゴキゴキと両手で調整しながら、フランが語る。

「そんなにハウルさまのことが好きなら、最初にあの態度はないんじゃないの?」

 ゴキンッと一際大きい音を鳴らして「うッ!?」と呻きつつ、

「痛ったあ……ま、まあ、仕事を早く片付けたかったのは分かるけど、せめて幼馴染としての親しみぐらいは見せなさいよ。ハウルさま。かなり引いてたわよ」

「分からないのよ!」

 アンジェリカは、涙ながらに叫んだ。

「アル君とは七ヶ月と十五日、十三時間十五分三十九秒ぶりに会ったのよ! 距離感が分からないのよ! 幼馴染の距離感が!」

「いや。普通にハウルさまが『やあ、久しぶりだね。アンジュ』って言った時に、同じように『久しぶりね。アル君』って返せば良かったんじゃ……」

「そんなの社交辞令なのに馴れ馴れしいとか思われたらどうするのよ!」

 そう叫んで、アンジェリカが再びフランの肩を掴もうとする。
 フランが「ひッ!」と顔を強張らせると、アヤメが横に入った。

「ダメなのです。次はフランの頭が取れるのです」

「……ぐぐぐ」

 両手を掴まれ、アンジェリカが呻く。
 そうしてしばらくすると、

「うええええええええええええええええェェん!」

 その場に両膝を突いて、泣き出した。
 フランは気まずそうに眉をひそめ、アヤメが無表情に見つめていると、

「連れてきてええェ……」

「え? ハウルさまを?」

「違ううううううううゥゥ!」

 アンジェリカは、目を擦って告げる。

「幼馴染の達人プロを――幼馴染ロードを極めた幼馴染の達人プロを連れてきてええェッ!」

「……ええェ……」

 フランは、何とも言えない顔をした。
 我らが生徒会長殿は、何を言っているのか。

「なにそれ? 達人プロってなに?」

「幼馴染の負けフラグを覆すような人のことよォ、幼馴染は、負けフラグの乱立が激しすぎるのよォ……」

「いや、それは……」

 フランは、困ったように頬をかいた。

「確かに恋愛小説とかだと、幼馴染ってあんまり結ばれないかも。そういえば、ハウルさまは、あの《金色聖女》さまに想いを寄せているって噂もあるし……」

 そう呟いた時、アンジェリカは両手まで床に着いた。

「それって真実よォ! 調べたから! こっそり調べたから! 聖女さまは遠くに行っちゃったけど、真実なのよォ!」

「……うわあ」

 フランは呻いた。

「……それは、キツいわね」

 次いで、ポンとアンジェリカの肩を叩く。

「け、けど、聖女さまはもう引っ越したんでしょう? どっかの遠い異国に。ならチャンスじゃない。今回の交流会なんて一緒に旅行に行けるんだよ」

「うぐ……旅行?」

 アンジェリカは顔を上げた。
 燃えるような美貌が、涙でぐちゃぐちゃだった。
 フランは少し引きつつ、ハンカチで顔を拭いて上げた。

「とりあえず頑張りましょう。達人プロとはいかないけど、私もサポートするから」

「ふぐっ。ありがとう。フラン」

 アンジェリカは立ち上がって、友人に礼を言った。
 フランはホッとする。
 一方、アヤメは変わらない無表情で二人を見据えていた。

「……私は」

 口を開く。

「議事録を学園長室に提出してくるのです」

 それだけを告げて、扉に向かった。
 アンジェリカの「あ、お願い」という声が背中から聞こえる。
 アヤメは頷くこともなく、部屋を退出した。
 一人、廊下を歩く。と、

「……会議は終わったのか?」

 廊下の奥。柱に背中を預けた少年が、声を掛けてきた。
 制服を着た少年。組章は『Ⅱ』だ。
 灰色の前髪を後ろに、丸い眼鏡をかけた痩せた少年に、アヤメはこくんと頷いた。

「……議事録の複写コピーは後で提出します」

「ああ」

 少年は頷いた。

「それにしても交流会か」

 おもむろに、口角を崩した。

「計画実行には、まだしばし時間がかかると思っていたのだが、よもや、このような催事が起きようとはな」

 上手く利用すれば、計画を前倒しに出来るか……。
 ポツリ、と呟く。

「…………」

 少年の呟きに、アヤメは沈黙で返した。
 少年は「ふん」と鼻を鳴らした。

「アルフレッド=ハウル。お前の眼にはどう映った?」

 続けて、そう尋ねると、それには答えた。

「彼は怪物なのです。『天上すら貫く、大いなる黄金の槍』。その姿が視えました。あれは手強い相手なのです」

「……そうか」

 少年は双眸を細めた。

「アンジェリカ=コースウッドは『炎燐を纏う大剣』。フラン=ソルバは『風の妖精を従えた戦槌』。それらも破格だが、『天上すら貫く』ときたか……」

 ふん、と鼻を鳴らす。

「流石は《七星》といったところだな。『人』相手にいささか過大評価の気もするが」

 そう呟くが、アヤメは何も答えない。
 ちらりと様子を見やるが、表情からも何も読めない。
 少年は、微かに双眸を細めた。

「……お前は変わらんな」

 一拍おいて、

「愛想をふりまけとまでは言わんが、それでは夜伽の際に『焔魔さま』を失望させることになるぞ」

 そう告げると、アヤメは、わずかに肩を震わせて足を止めた。

「今回の任務は、我らの未来にとっては重要だ。お前の異能にも助けられている。だが、師として言うぞ。お前の体はお前のモノではない。お前は焔魔さまのお側女役。お前の血肉はすべて焔魔さまのためにあるのだ」

 一拍おいて、

「ましてや、今代は予言に記された時代と合致する。お前は代々のお側女役でさえ賜れなかった栄誉も得られるかもしれんのだ。よいか。それを肝に銘じておけ」

 少年は、通り過ぎるアヤメの背中に目を向けた。
 彼女は何も答えない。少年は小さく嘆息し、

「まあ、よい。引き続き、監視は続けろ」

 そう告げる。
 彼女は一拍の間を空けて。

「承知いたしました。

 静かな声で、そう答えた。
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