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第10部

第五章 嵐の予感④

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 ――その日の夜。
 コウタは一人、王城の渡り廊下を歩いてた。
 目的の場所は、メルティアの部屋だ。
 これから彼女に、とても重要な話をするのだ。
 緊張した面持ちで歩くコウタ。やや早足になる。

 と、そうこうしている内にメルティアの部屋に辿り着いた。
 王城に来た当初は、メルティアはリーゼ達と同室だったが、次々とゴーレムを召喚してしまったために手狭となり、今はゴーレム達と一緒に個室になっていた。
 部屋の前には、二機のゴーレムが門番のように立っている。メルティアは、ここは魔窟館ではないと言ってたが、かなり魔窟館化しているような気もする。
 コウタは苦笑しつつも、「メルはいる?」とゴーレム達に尋ねた。

「……ウム。メルサマハ、イル」

「……ヨバイカ? コウタ」

「……違うよ。少し用があるんだ。入ってもいい?」

 コウタが続けてそう尋ねると、ゴーレムの一機がノックした。

「……メルサマ。コウタガキタ。イレテイイカ?」

「コウタですか? いいですよ」

 と、メルティアの声がドア越しに聞こえてくる。
 ゴーレム達は、ドアを開けてくれた。
 コウタは室内に入った。
 今朝来た時と同じ部屋。大きな天蓋付きベッドに、紅茶などを嗜むための丸テーブル。壁には心を落ち着かせるような絵画が飾ってあり、バルコニーもあった。
 そして二十機近いゴーレム達が、床のあちこちに座っていた。
 まだ結構な数ではあるが、かなり個体数が減っている。
 今朝がたの意味不明な騒動の後、メルティアが大幅に送還したのだ。
 コウタは詳しいことは分からないが、どうも、送還されてしまうようなことをゴーレム達はしでかしたらしい。各機、反省文まで提出させられたそうだ。

 ともあれ、コウタはメルティアを探した。
 メルティアは、ベッドの縁に腰を掛けていた。

(うわ……)

 思わず息を呑む。
 彼女は、すでに寝間着ネグリジェ姿だった。
 肌がうっすら見えるほどに薄い布の寝間着ネグリジェ。下着のラインも浮き出ており、何よりへその窪みが見えるのが……。

(ダ、ダメだ!?)

 つい、ガン見しようとしてしまい、コウタは慌てて視線を外した。
 幼馴染の蠱惑的な姿に、顔が赤くなるのを止められない。

「どうかしたのですか? コウタ」

 コウタが視線を逸らしたことに、メルティアが不思議そうに小首を傾げた。
 コウタも大胆になってきているかもしれないが、メルティアもまた、かなり大胆になってきているのだ。本人には自覚はないようだが。

「い、いや……」

 コウタは、一度息を吐きだした。
 メルティアが恥ずかしがっていない以上、コウタが慌てても仕方がない。
 それに一度は見たこともある姿だ。だからこそメルティアも平常通りなのだろう。
 コウタだけが、今さら動揺してどうするのか。

「な、何でもないよ。それより話があるんだ」

 言って、コウタはメルティアの方に近づいた。
 まだ心拍数が高いが、歩くと同時に徐々に落ち着かせていく。
 すると、それに合わせるかのようにゴーレム達も動き出した。零号を筆頭に、ぞろぞろと退室していく。気を利かせて二人だけにしてくれるようだ。
 部屋にいるのは、コウタとメルティアだけになった。

「隣、座ってもいい?」

「どうぞ。座ってください」

 メルティアの承諾を得て、コウタは彼女の隣に腰を下ろした。
 しかし、そこからは沈黙した。
 コウタは、指を組んで前を見つめている。
 二人とも何も語らなかった。
 メルティアは真剣な顔つきのコウタの横顔から、彼が重要な話を告げようとしているのを察して、ただ、彼が口を開くのを待った。

 そして――。

「今日、兄さんと……」

 ようやく、コウタが口を開いた。

「あの男の話をしたんだ」

 ――あの男。
 コウタが、そう呼ぶ人間は限られている。
 ラゴウ=ホオヅキか、もしくは……。

「レオス=ボーダーのことですか?」

「……うん」

 コウタが頷く。

「あの男もまた、この国に来ている」

「……そうですか」

 メルティアは瞳を閉じてから、コウタを見つめた。

「……戦うのですね」

「……うん」

 コウタは、再び頷いた。

「多分、兄さんはあの男とは出会うことはない。そんな気がする。あの男と――父さんとクライン村の仇であるあの男と戦うのは、きっとボクだ」

 コウタは――そして彼の兄もそう感じていた。
 レオス=ボーダーと決着をつけるのは、コウタの役目。
 クライン村の兄弟は、そう確信していた。
 メルティアは、キュッと拳を固めた。
 あの男と、初めて対峙した時のコウタの様子を思い出す。

 ――怒りと憎悪を剥き出しにしたコウタの姿を。

(……私は)

 コウタの傍にいたい。
 しかし、レオス=ボーダーは強敵だ。
 自分では、きっと足手まといになるだろう。
 それに今や、リーゼはもちろん、元 《九妖星》であるリノまでコウタの傍にいる。
 メルティアと違い、戦闘に精通した彼女達ならば、《悪竜》モードも十全に使いこなし、自分以上にコウタをサポートしてくれることだろう。

「あの男と戦うには《悪竜》モードが必須だ」

 コウタは、言葉を続けた。

「ボク一人では勝てない。だから……」

 メルティアは、グッと瞳を閉じた。
 その先の言葉を覚悟して。

「あの男と戦う時、メルに傍にいて欲しいんだ」

 静寂が訪れた。
 五秒、十秒と続く。

「………え?」

 メルティアは顔を上げて、コウタを見つめた。
 彼の黒い瞳と視線が重なる。

「ど、どうして私なのですか?」

 思わず尋ねた。

「リーゼやニセネコ女ではなく、どうして私を……」

「……うん。確かにリーゼやリノは頼りになるよ」

 コウタは、視線を少し落とした。

「彼女達は戦闘のプロだしね。戦闘のサポートはもちろん、ボクが思いつかないような戦術も考えてくれると思う。だけど、あの男と戦う時、必要なのはボク自身の力なんだ。そしてボクが一番強くなるのは……」

 一拍の間を置いて。

「君が傍にいる時なんだ。だから」

 コウタは、メルティアの肩に両手を置いた。

「ボクの傍にいて欲しい。危険なのはよく分かっている。けど、それでも、メルに傍にいて欲しんだ」

「……コ、コウタ」

 メルティアは息を呑んだ。
 コウタは不安そうに眉根を寄せる。

「……ダメかな」

「い、いえ」メルティアはかぶりを振った。「コウタが望むなら私は応えます」

「……ありがとう。メル」

 コウタは微笑んだ。
 メルティアも瞳を細めて口角を崩す。

「いえ。コウタの頼みですから。それよりも……」

 そこで、メルティアはジト目になった。

「コウタが私を大切に想ってくれることは疑っていませんが、やはり最近コウタは他の女の子に構いすぎだとも思っています」

「……え」

「ニセネコ女のこともそうですが、どうもそれだけではないような気がします。例えば、サクヤさんの傍にいた女性です。コウタは、彼女とも知り合いのように見えましたが、実のところ、どういう知り合いなのですか?」

「――えっ」

 コウタは、目を見開いた。
 思わぬ指摘に、汗がダラダラと噴き出してくる。
 メルティアの言う女性とは、ジェシカのことだ。まさか、会話もしたことのない彼女をメルティアが意識していたとは思っていなかった。

「そ、それってジェシカさんのこと?」

「……なるほど。ジェシカと言うのですか」

「え、えっと、彼女は……」

 何と説明すればいいのか……。
 何故か主従関係になったとは言えず、コウタはしどろもどろになった。
 その様子を見て、メルティアは大きな溜息をついた。

「まったく。まあ、今はいいでしょう。そのジェシカさんという人とも、いずれ出会うことでしょうし。それからですね」

 ポツリ、と呟く。

「やはり私達も一度サミットを開くべきですね。ユーリィ達のように」

「え? メル?」

 あまりに小さな呟きだったので聞き取れず、眉根を寄せるコウタ。
 メルティアは、パンと柏手を打った。

「気にしないでください。それより分かっていますね。コウタ」

 言って、両手を広げるメルティア。
 コウタは「……やっぱり?」と尋ねる。

「当然です。相手は《九妖星》ですよ。その話だけでブレイブ値は激減です」

「うう……分かったよ」

 正直、寝間着ネグリジェ姿のメルティアは普段よりも遥かにハードルが高いのだが、無理を言っているのはコウタだ。仕方がない。
 コウタは、彼女の背中に手を回した。
 薄い布のせいか、いつも以上に柔らかさと体温をはっきりと感じる。
 特に豊かな双丘の感触は、もはや暴力と言ってもいい。
 しかし、意外にも動揺や羞恥心よりも、安堵感の方が強かった。

 改めて思う。
 やはり、メルティアは自分にとって欠かせない存在なのだと。

「一緒に頑張りましょう。コウタ」

「……うん。頑張ろう。メル」

 最も大切な温もりを、しっかりと感じ取り。
 必勝を誓うコウタだった。
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