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第10部

第五章 嵐の予感②

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 ――さて。どこから切り出したものか……。
 コウタは、兄同様に胡坐を組んで考えた。
 話すべきことは決まっている。
 リノのことだ。
 そして、彼女から聞いたあの男のことも……。

「………」

 沈黙して、さらに考える。
 兄は、静かにコウタが切り出すのを待っていてくれた。
 十秒、二十秒と静寂が続く。
 そうして……。

「ねえ、兄さん」

 コウタは、ようやく口を開いた。

「ここに来た、リノって子のこと憶えている?」

 兄は苦笑した。
 次いで、意地悪く目を細めて返す。

「忘れる訳ねえだろ。お前の『正妻』って子だろ?」

「……そこは忘れてよ」

 コウタは、大きく嘆息した。
 が、すぐに表情を改めて。

「実は、あの子は普通の女の子じゃないんだ」

「……ああ、それはすぐに分かったよ」

 兄は、膝の上に片肘を置いて頷く。

「さっき、メットさんが強いって話をしたが、あのリノって子は完全に別格だ。多分、お前やアルフとタメを張れるんじゃねえか? あの歳だと信じられねえ力量だな。ありゃあ真っ当な素性の子じゃねえんだろ?」

「………うん」

 コウタは首肯した。

「彼女は……《黒陽社》の人間なんだ」

「……そうか」

 兄は、双眸を細めた。
 驚いた様子は全くない。恐らくうすうす気付いていたのだろう。

「彼女は生まれた時から《黒陽社》にいたんだ。両親が《黒陽社》に所属していて、当然のように裏の世界で生きていた」

「…………」

 兄は沈黙している。
 静かに、コウタを見つめていた。

「だから、ボクは彼女を表の世界に連れてきたかった。そして色々あって、やっと彼女を《黒陽社》から連れ出したんだけど……」

「……へえ」

 兄は、感嘆の呟きを零した。

「やるじゃねえか。コウタ」

「……本当に色々あったんだよ。彼女の説得にも苦労したし、彼女を取り戻そうとする《金妖星》と戦ったりしてさ」

「……ん?」

「ラゴウ=ホオヅキは納得したみたいだけど、多分、次は《地妖星》か、レオス=ボーダーが出てくると思う。彼女を連れ戻すために」

「……いや、ちょっと待て。コウタ」

 兄は、手を突き出してコウタの言葉を止めた。

「なんか、さっきから《九妖星》の奴らの名前がやたらと出てくるんだが?」

「え? あ、最初に言うのを忘れてたや」

 コウタはポンと手を叩いた。

「実はリノって《水妖星》なんだ。六人の支部長の一人だよ」

「………は?」

 兄の口が半開きになった。一方、コウタはどこか自慢げに話を続ける。

「リノはさ。鎧機兵戦も凄く強いんだよ」

「…………」

 数瞬の間。兄は沈黙している。

「あんなに可愛いのに、もう無茶苦茶強くてさ」

「……いや。待てコウタ」

 おもむろに、兄は自分の額を片手で抑えた。
 それから、コウタの肩に、片手をポンと添えて。

「兄ちゃんはな。お前がどんな子を好きになっても応援するつもりだ。相手が裏の人間だろうが、お前にとって大切なら関係ねえと思う。相手が《黒陽社》であってもだ。むしろ《黒陽社》から奪い取ってやって大したもんだと思うぞ。けどな」

 一拍おいて。

「……最高幹部かよ。また凄いのに手を出したなあ。兄ちゃん、ビックリしたぞ」

「い、いや!? まだ手なんか出してないよ!?」

 赤い顔でコウタが叫ぶ。

「そ、そりゃあ、リノは凄く可愛くていつもドキドキするけど、ボクにはメルが――いや!? そうじゃなくて!?」

 コウタは、ブンブンと頭を振った。

「実は、リノには《水妖星》以外にも肩書があるんだ」

「へえ、そうなのか?」

 兄は、あごに手をやった。

「まあ、《九妖星》にもなると、本部長・支部長以外にも兼任している役職があるみてえだしな。なんたら室長とか。あの子もそうなのか?」

「いや、そういう肩書じゃないよ」

 コウタは一瞬、声を詰まらせるが、覚悟を決めて告げた。

「リノは実は社長令嬢なんだ。《黒陽社》の社長、《黒陽》の一人娘なんだ」

「………………………え?」

 場が、シンとする。
 茫然とした顔で、兄はコウタを見つめていた。
 流石に、こればかりは衝撃が大きかったのだろう。

「え、えっと、他の《九妖星》達も、彼女のことは『姫』って呼んでいて、だから彼女に拘るんだ。きっと、これからも彼女を取り戻そうと……」

「い、いや。ちょっと待ってくれ、コウタ」

 兄は再びコウタを止めた。

「……それはマジな話か」

「う、うん。彼女自身も、ラゴウ=ホオヅキもそう言ってた」

「…………」

 兄は沈黙する。
 眉間にはしわを刻み、あごに手をやっている。
 そうしてややあって、ポツリと呟いた。

「あの子、まさか、あのおっさんの娘なのか……」

「……え?」

「全く似てねえぞ。つうか、あのおっさん、あんなデカい娘がいんのに、オトに手を出そうとしてやがったのか……」

「に、兄さん……?」

 コウタは兄の呟きに困惑した。

「え、兄さん? もしかして、リノのお父さんと会ったことがあるの?」

「ああ。心底不本意なことにな」

 兄は嘆息した。
 一方、コウタは大きく目を見開いた。これは完全に想定外だった。
 まさかリノの父と、自分の兄に面識があったとは……。

「……兄さん」

 コウタは、ゴクリと息を呑んだ。

「……リノのお父さんって、どんな人なの?」

 あのラゴウ=ホオヅキが、自分よりも強いと言っていた人物。
 コウタを一蹴する兄にも並ぶというリノの父。
 当然ながら気になった。

「……最悪のおっさんだ」

 すると、兄は眉間にしわを刻んで教えてくれた。

「少なくとも俺は大嫌いだな。つうか、次に会ったら塵にするつもりだ」

「そ、そうなんだ……」

 兄の冷たい口調に、コウタは頬を強張らせた。
 どうやらリノの父と、兄の間にはすでに因縁があるらしい。
 一体何があったのか。
 正直、話を聞くのが怖い。それぐらい兄が怒っているのが分かる。
 ここまで怒っている兄は、滅多に見たことがなかった。
 コウタが緊張していると、

「とはいえ、だ」

 兄は、すぐに表情を柔らかくした。
 緊張感が霧散する。そうして兄は話を続けた。

「親父の方はぶっ殺してえが、親と子は別だ。リノ嬢ちゃんまで嫌う理由にはなんねえ。リノ嬢ちゃんは今度、連れてきな。色々と話を聞きてえしな」

「う、うん。分かった」

 リノの父との確執はともかく、リノ自身のことは受け入れてくれたようだ。
 コウタは、ホッと胸を撫で下ろした。
 まあ、兄ならそう言ってくれると信じてはいたが。

「今度連れてくるよ。けど、兄さん」

「ああ。分かっているよ」

 兄は頷く。

「本題はそっちじゃねえんだろ? すでに名前も挙がってたしな」

「……うん」

 コウタも、神妙な顔つきで首肯した。

「リノから聞いたんだ。今、この国には四人の《九妖星》が来ているって」

「……まあ、実際のところはもう一人来てたんだがな」

「え? もう一人?」

 コウタが目を剥いた。
 それはリノからも聞いていない。初めて聞く話だ。
 コウタが少し身を乗り出すと、兄は片手を向けて苦笑した。

「いや。気にすんな。そいつの方はもうブン殴って追い返した。それより、お前の話を聞かせてくれ」

「う、うん……」

 困惑しつつ、コウタは話を続けた。

「《水妖星》リノ=エヴァンシード。《地妖星》ボルド=グレッグ。《金妖星》ラゴウ=ホオヅキ。そして――」

 そこで沈黙する。
 コウタにとって、兄にとっても、最も忌まわしい男の名が脳裏に浮かぶ。
 かつて二人の故郷を滅ぼし、父を直接殺した正真正銘の仇。
 殺しても殺し足らない男。
 自然と、コウタの拳が強く固められた。
 沈黙が続く。
 そうして――。

「《木妖星》レオス=ボーダーか……」

 おもむろに、兄が呟いた。

「あのジジイも、この国に来てんだな」

 そう呟く声はこの上なく、冷たいものだった。
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