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第10部

幕間二 《妖星》の王

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 今日は、静かな夜だった。
 喧騒もない大通り。
 コツコツ、と自分の足音だけが響く。
 時刻は午後十一時を過ぎた頃。
 夜にも動くことが多い彼としては、まだ眠りにつくには早い時刻だ。
 しかし、この平和な街としては就寝時刻なのだろう。

(本当に静かだな)

 彼――ラゴウ=ホオヅキは、夜空を見上げた。
 空には月と、無数の星が輝いている。
 星を見上げるなど、いつ以来のことか。

(思えば、吾輩も波瀾万丈な人生を送ってきたものだ)

 ――《金妖星》ラゴウ=ホオヅキ。
 犯罪組織・《黒陽社》において武の象徴とされる《九妖星》の一角である彼は、元々はとある貴族の妾の子として産まれた。
 幼少時から、文武において天賦の才を見せるラゴウだったが、しかし、やはり妾の子。ましてや正妻が産んだ異母弟もいたため、扱いはぞんざいだった。
 そんな環境に閉塞感を抱いたラゴウは、十四の時に家を飛び出したのだ。

 そうして、ラゴウが飛び込んだのは傭兵の世界。
 常に生死を隣り合わせにする厳しい世界だが、ラゴウの肌に合った。
 閉塞した家からの解放もあり、ラゴウは瞬く間に頭角を現し、勇名をはせることになっていった。傭兵となってから三年間、鎧機兵戦はもちろん、対人戦においても、敗戦したことは一度もなかった。

 ただ、あまりにも強すぎたため、仲間は足手まといにしかならず、ラゴウは一匹狼の傭兵として日々、仕事をこなしていた。
 閉塞感こそなかったが、代わりに強い孤独感を抱いていた。

 どこに行っても自分は一人なのか。
 十七のラゴウはそう考えるようになっていた。

 しかし、ある日のことだ。ラゴウは一機の鎧機兵に出会った。
 さほど特徴のある機体ではない。
 一般的な機体と言えよう。
 事実、それは『彼』がたまたま乗り合わせただけの機体だったそうだ。

 ――とあるご令嬢を守れ。
 そう依頼されていたラゴウは、広い館の庭園でその機体に挑んだ。
 当時のラゴウの愛機は《金妖星》には遠く及ばないもの、名のある傭兵に相応しい一級品のものだった。

 だがしかし――。

『なん、だと……』

 ラゴウは敗北した。
 ありきたりの鎧機兵に負けてしまったのだ。
 もちろん、全く敵わなかった訳ではない。
 右腕を切断された自機に対し、相手は左腕を肩から失っている。胸部装甲は完全に破壊されて、操手はむき出しになっていた。片膝も損傷して、ずっと火花が散っている。損傷自体は敵の方が明らかに大きい。
 しかし、喉元に剣の切っ先を突き付けられたのは、ラゴウの方だった。

『俺の勝ちだな!』

 相手はニカっと笑った。
 ラゴウは唖然とする。
 相手が想像以上に若かったからだ。
 恐らく二十代半ば辺りか。黒髪が印象的な青年だった。

『約束通り、そこをどいてもらうぞ。つうか――』

 そこで青年は、自分の後ろ――操縦席の後ろに振り向いた。
 そこには、亜麻色の長い髪の一人の少女がいた。
 年の頃は十六歳ほど。白いドレス姿に、腰には鞘に納めた長剣を差している。ラゴウが守れと依頼された少女だった。
 青年は立ち上がり、彼女を肩に抱きかかえた。

『こら! やめなさい!』

 と、文句を言う少女を無視して青年は、再びラゴウに視線を向けた。

『思いっきり機体をぶっ壊しやがって。てめえ。責任を取って俺らを逃がせよな』

『………は?』

『「は?」じゃねえよ。ほら。手を前に出せ。乗っかるから』

 ラゴウは困惑する。しかし、自分は敗者だ。勝者の希望ということで愛機の右手を前に出した。すると、青年は少女を抱えたまま、ラゴウの愛機の掌に足をかけてきた。そのまま鎧機兵の腕に手を添える。

『おい、何のつもりだ?』

『あン? だからお前が俺らを逃がすんだよ。責任取れ』 

『……本当に何を言っているんだ? ヌシは?』

 ラゴウはますます困惑した。
 その間に青年は少女をその場に下ろした。
 鎧機兵の掌を足場に、二人の人間が巨人の腕に掴まる光景だ。

『あのな』青年が言う。『ここでこいつを連れて行かねえと、こいつはデブでキモイくそ爺のとこに嫁に出されんだよ。こんなに綺麗で、しかも、剣の腕なら俺にも劣らねえこいつがだぞ。そんなん見過ごせねえだろ?』

 言って、青年は少女の頭をくしゃくしゃと撫でた。

『や、やめなさい!』

 少女は声を荒らげた。

『余計なお世話よ! 私はもう覚悟を決めているの!』

『う~ん、そう言われてもな。俺はヤダぞ』

 青年は少女の腰を抱き寄せた。

『一目見た時から決めたんだ。お前は俺の女にするって。つうか、もう女だろ? 昨晩なんてあんなに――』

『う、うるさい!? あれはお別れのつもりだったのよ!? せめて思い出にするつもりだったのに何なのよ! もう! まったくもう! 無理やりあんな誓いまでさせて! そもそもあなたって恋人がいるんでしょう!』

 少女は赤い顔で反論した。しかし、青年の腕を振り払いはしない。

『まあな。けど、誓った以上、お前も俺の女だ。それに、あれがお前の本音でもあったんだろ? 腕ン中であんな健気な本音を聞いたとなっちゃあ引き下がれねえよ』

 そう告げて、青年は少女の頬に触れた。

『心配すんな。全部俺に任せな』

『………うゥ』

『そんで今夜は昨晩以上にたっぷり可愛がってるからな』

『う、うるさい! 黙りなさいっ!』

 少女は真っ赤になって叫んだ。今にも剣を抜きそうな様子だ。
 ラゴウは呆れつつも、二人の大まかな事情を察した。
 要は、ありきたりな駆け落ちということか。

『ふん。そういうことか。だが、吾輩には関係のないこと――』

『ああ。確かにな』

 青年は、ラゴウの方に視線を向けた。

『こいつと俺の事情はお前とは一切関係ねえ。だからお前の事情に合わせてやるよ』

『……なに?』

 ラゴウは眉根を寄せた。対し、青年は不敵な笑みを見せて語る。

『俺はお前に勝った。けど、傭兵のお前が負けっぱなしは悔しいだろ? どうだ、俺らを逃がしてくれたら後で再戦してやるぞ』

『…………』

 ラゴウは沈黙する。

『お。少し揺れたな。ならもう一つ』

 青年はニカっと笑う。

『お前、ぼっちなんだろ。溢れんばかりのぼっちオーラが隠せてねえよ。仕方がねえから俺の仲間にしてやんよ』

『………は?』

『俺の仲間になると毎日が楽しいぞ。面白い奴らばっかでな。刺激的な毎日になるぞ。まあ、そん中には俺の女達もいるから、そこだけは気をつけろよな。あいつらに手を出すのだけは許さねえから』

 そこで少女の頬にキスをする。

『もちろん、こいつにもだぞ』

 少女はぶすっとするが、拒絶の様子はなかった。
 ラゴウは呆れてしまった。

『ヌシは頭にウジでも湧いているのか?』

 思ったことを率直に告げる。

『そもそも仲間がいるのなら、そいつらに頼ればいいだろう。どうして仲間を応援に呼ばなかった?』

『いやいや。俺はただ、ちょいと自分の女を迎えにきただけだぜ? 一人で充分だって思うだろう? 実際、お前がいなきゃあ、機体をぶっ壊されることもなかったしな』

 青年は肩を竦めた。
 と、そうこうしている内に、周囲から声が聞こえ始めた。
 どうやら、ラゴウ以外の警備の者が近づいてきているようだ。

『決めな』

 青年は言う。

『ここでの選択がお前の未来を決める。このまま退屈に生きるのか。それとも刺激を求めるのか。決めるのはお前だ』

 ラゴウは、馬鹿馬鹿しいと思った。
 決めるも何も、そもそも選択肢などない。
 ラゴウは傭兵だ。ならば依頼を果たすだけだ。
 すでに青年の機体は破壊した。後は青年を捕縛し、愛機の腕の中の少女を依頼主に渡すだけで仕事は完了する。
 ただ、それだけの話だ。
 ラゴウは操縦棍を強く握りしめた。

(馬鹿馬鹿しい)

 本当にそう思った。
 けれど、ラゴウは――。

『再戦はしてもらうからな』

 そう告げて、愛機を走り出させたのだった。
 自分でもよく分からない、心の奥からの衝動に任せて――。
 これが、ラゴウと、彼の主君との出会いだった。
 なお、その後の再戦でもラゴウは敗北し、この時一緒にいた少女が、後に主君の第三夫人となるのだが、それは余談である。


(……確かに退屈とは無縁になったな)

 カラン、と音を鳴らして、ラゴウは酒場のドアをくぐった。
 同時に喧騒が響いた。
 街が寝静まっていても、やはり酒場だけは起きているらしい。
 多くの客がいる中、ラゴウは店内を見渡した。
 そして――。

(……変わらないな)

 目当ての人物をようやく見つけ、苦笑を零した。
 ラゴウは、その人物に近づいていく。
 黒いカウボーイハットを被った、まるでトレジャーハンターのような服を纏う男だ。
 今はカウンターで、グラスを傾けている。

「……ん?」

 すると、男がラゴウの気配に気付いたようだ。
 グラスを片手に、振り向いてきた。

「おお~、ラゴウか。元気そうだな」

 そこにあるのは、今も昔も変わらないニカっとした笑みだった。
 ラゴウは深々と頭を下げた。

「はい。御身もお変わりなく何よりです。我が主君よ」
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