上 下
282 / 399
第9部

第五章 始まりの《星》②

しおりを挟む
「ま、まったくもう!」


 リノは、赤い顔で文句を言う。


「少しは女のエスコートを学ぶのじゃ!」

「ご、ごめん」


 なんだかよく分からないが、コウタは謝った。
 そこは市街区の一角。
 クライン工房から遠く離れた、露店や店舗が並ぶ大通りだ。
 リノは、コウタの腕に手を絡めて、歩いていた。
 腕を囚われたコウタはずっと困ったような顔をし、サザンXはその後に続いている。


(……恐ろしい男じゃ)


 リノの足取りは、少しだけふらついていた。


(絶妙な力加減で、わらわの弱点ツボをついてきおった)


 静かに喉を鳴らす。
 自分でも知らなかったような弱点をつかれ、リノは冷たい汗を流す。


(しかも、あれで無自覚なのか。本当に恐ろしい……)


 わずか十数秒であの惨状だ。
 これがもし本番ルビともなれば、どんなことになるのか……。
 さしものリノも緊張と驚愕を隠せない。


「……リノ?」

「――の!?」


 急に無言になったので心配したのか、コウタが彼女の顔を覗き込んできた。
 反射的にリノの顔が赤くなる。


「え? 顔が赤いよ。熱があるの?」


 言って、コウタは、リノの額に手を当てた。


(ひゃ、ひゃあ!?)


 リノは思わず悲鳴を上げそうになったが、グッと堪える。
 攻め手には強いが、受け身になるとトンと弱い。
 またしても、自分の弱点に気付かされてしまった。


(うむむ……)


 何やら矜持を傷つけられたようで面白くない。
 リノは頬を膨らませた。


「まったくもう!」


 リノは強引に、コウタの腕を引っ張った。
 コウタは「え?」と目を丸くする。


「お主は女の扱い方を学ぶべきじゃ」


 照れ隠しも含めて、リノはニカっと笑った。


「ゆえに、これからわらわをエスコートせよ」

「え?」


 コウタは困った顔をする。


「エスコートって、けどボク、この街のことはよく知らないよ」

「構わぬ」


 リノは、コウタの腕をより引っ張った。


「というより、学ぶのはそこからじゃな。エスコートとは街を案内することではない。いかに気遣いできるかじゃ」


 言って、リノは再び破顔した。
 今度は照れ隠しのない、心から嬉しそうな笑顔で。
 彼女はこう告げた。


「では、あの日以来のデートと行こうではないか」



       ◆



「――む」


 その時、紫銀色のネコ耳がピクリと動いた。
 場所は王城。ルカの部屋だ。


「どうかしたんですか? お師匠さま?」


 目の前には、水色の瞳が美しいつなぎ姿の王女さま――ルカの姿がある。


「……いえ」


 紅茶を片手にネコ耳少女――メルティアが呟く。
 彼女達師弟は、鎧機兵技術の議論をたっぷり交わした後、ティータイムに入っていた。
 テーブルに座り、アイリと零号が用意してくれた紅茶を楽しんでいる。


「何やら嫌な予感がしたのです」


 メルティアが眉をひそめて告げる。


「嫌な、予感ですか?」


 紅茶に口を付けてルカが尋ねる。
 メルティアが頷いた。


「はい。とても嫌な予感です。むむむ……」


 リノが、コウタの腕を引っ張ったのはこの瞬間だった。
 女の直感と、野生の勘を発揮して宿敵の存在を感じ取るメルティアだった。


「気のせいでは、ないですか?」


 ルカが、素朴な顔で小首を傾げた。
 他人事である彼女には、何も感じ取れなかった。


「いえ。コウタの様子が妙によそよそしかったのも気になります。あれは絶対に何か隠している時の様子でした」


 メルティアは紅茶を飲み干し、立ち上がった。


「すみません。ルカ。私は行きます」


 そう言って、メルティアは部屋の片隅に置いてある着装型鎧機兵パワード・ゴーレムの元に向かった。同じく待機していた零号にも声を掛ける。


「零号。アイリとリーゼにも連絡を」


 床に腰を下ろしていた零号が首を傾げた。


「……ナニヲ?」

「街へと出向きます。コウタを探します。とても嫌な予感がするのです」


 杞憂であればよいのですか。
 小さな声でそう呟く。
 プシュウ、と、メルティアの前で着装型鎧機兵パワード・ゴーレムが胸部装甲を開く。
 同時に自分のうなじ辺りに手を回す。


「やはり、それは甘い考えですね。これは本格的な危機のようです」


 メルティアは喉を鳴らした。
 嫌な予感は留まることを知らなかった。
 これほどの危機感。恐らくその元凶は――。


(そろそろ、あの女が痺れを切らしてもおかしくない時期です。とっくにコウタ成分など枯渇しているでしょうし)


 あの女と別れて、すでに半年以上。
 むしろ、よくぞここまで我慢できたのものだ。
 メルティアなど一週間もコウタと離れれば、枯渇状態で死ぬというのに。
 それは多分、リーゼやアイリも同じことだろう。
 そういう意味では、敬意さえ抱く忍耐力であった。
 まあ、それはともかく。
 メルティアは、いよいよ着装型鎧機兵パワード・ゴーレムに乗り込んだ。
 そして胸部装甲を下ろす。
 一瞬だけ視界が暗転するが、すぐに装甲内部に外の光景が映し出された。
 立ち上がって待つ零号。椅子に座ったままのルカの姿が視界に入る。


(仮に、私の想像通りならば今頃、コウタに甘えている頃でしょう)


 そう思うと、嫉妬で胸が焦がれてしまいそうだ。
 まだ確定した訳ではないが、メルティアの直感はその可能性を強く訴えかけていた。


(さぞかし枯渇していたことでしょう。それはもう深刻なぐらいに。コウタに甘えたいというその気持ちは痛いほどによく分かります。ですが)


 ギラリと、メルティアの金色の瞳が光る。
 同時に、着装型鎧機兵パワード・ゴーレムの両眼も赤く輝いた。
 ズシン、と鋼の巨人が動き出す。


(私の許可なくコウタに甘えるなど、言語道断です!)


 無言のまま、メルティアは進む。
 むんずとドアノブを掴み、退室する。
 零号はルカに「……デハ」と一礼すると、その後に続いた。
 部屋に残ったルカは、その様子をじいっと見つめいた。
 そして――。


「コウ君も大変です……」


 何となく、すべてを察して。
 自分の愛する青年とそっくりな少年を思い浮かべつつ、そう呟くルカだった。
しおりを挟む

処理中です...