上 下
278 / 399
第9部

第四章 彼は笑う①

しおりを挟む
「……はァ」


 零れ落ちる深い溜息。
 その時、コウタは、クライン工房に向かう停留所の長椅子で腰を下ろしていた。
 馬車が来るのは、およそ二十分後。
 それまでコウタは暇だった。
 ただ待つだけの、何とも長い時間である。


(……はァ、リノ)


 探し続ける少女のことを思う。
 いきなり王城から逃走したリノ。
 コウタはジェイクと別れて、リノの捜索に出た。
 だが、結局、ここまでの道中でも、彼女は見つけられなかったのである。
 ジェイクにも捜索をお願いしているが、恐らく同じ結果だろう。
 そもそも、この広い王都で人一人見つけることが、どれほど困難なことか。


(……はァ)


 コウタは頭を抱え込んだ。
 彼女は、すでにクライン工房に到着しているかもしれない。


(どうしよう。兄さんにどう説明しよう)


 そんなことばかりが、頭に浮かぶ。
 彼女の素性を知れば、兄はきっと驚くだろう。
 同時に、仲が相当険悪になる可能性も高かった。
 何せ、立場的には敵同士なのだから当然だ。


(どうしよう……)


 コウタは悩む。
 実は、この件以外にも、兄にはまだ重要な話を伝えきれていなかった。

 ――そう。とても重要な話。サクヤのことだ。

 コウタはまだ、サクヤの生存を兄に伝えられていなかった。
 あまりにも重大すぎて、切り出すタイミングが分からないのである。
 その件においても、兄にどう伝えるべきなのか悩んでいたというのに、どうしてこうなってしまうのか……。


「…………はァ」


 もう何度目なのか分からない溜息をつく。
 と、その時だった。


「……コウタ君?」

「……え?」


 不意に声を掛けられる。
 コウタは顔を上げて、横に振り向いた。
 すると、そこには、一人の少女がいた。
 彼女の隣には、磁石付きのスパナを腰に装備したゴーレムが一機いる。


「……どうしたの?」


 彼女――ユーリィが尋ねてくる。


「え、えっと……」


 コウタは緊張した。
 兄の義娘。コウタにとっては義理の姪。
 正直、彼女とは、あまり良好な関係はまだ築けていなかった。
 何故か、彼女には嫌われているようなのだ。
 だから、また厳しい対応をされるのかと、無意識に身構えたのだが、


(……あれ?)


 少し眉をよせる。
 どうもユーリィの表情に敵意も緊張もない。


(それに、ゴーレム?)


 ちらり、と横を見る。
 そもそも、どうしてゴーレムが彼女の傍にいるのか?


「あの、そのゴーレムは?」


 コウタは率直に訊いた。するとユーリィは、


「メルティアがくれたの」

「……え?」


 幼馴染の名に、コウタは目を丸くする。
 ユーリィは苦笑めいた顔で説明する。


「九号さんだって。アイリちゃん同様に、私にも護衛がいた方がいいって。魔窟館? そういうところから転移陣で一機召喚してくれたの。アッシュも忙しいから、いつも付きっ切りなのもしんどいだろうし、だから貰った」

「メルがゴーレムをあげたの!?」


 コウタは、心の底から驚いた。
 ゴーレム――九号は、ゴツンと自分の胸部装甲を叩いていた。


「……オレ。キョウカラ、ユーリィノ、キシ!」

「そ、そうなんだ……」


 コウタは、茫然と呟いた。
 コウタの幼馴染にとって、ゴーレムは我が子も同然の存在だ。
 それを一機だけとはいえ譲るとは……。


(そこまで仲が良くなっていたんだ……)


 ちょっと目尻がじんわりしてくる。幼馴染に友人が少ないことは、コウタも常々懸念していたことなのだ。


(そっか。ユーリィさんの態度が少し柔らかくなったのも)


 きっと、幼馴染が取り持ってくれたのだろう。
 王城に帰ったら、幼馴染をギュッとしたい気分だった。
 と、考えていたら、


「ところで、どうかしたの?」


 ユーリィが尋ねてくる。コウタは「う、うん」と頷いた。
 それから、少し迷いつつ、


「その、人を探しているんだ」

「……人を?」


 コウタは「うん」と首肯した。


「この街で再会した子なんだ。とても綺麗な子なんだけど、まるで子猫みたいに自由すぎる性格の子でね……」

「ははっ、子猫ですか。確かにそうですね。彼女は一度見失うと大変でしょう?」

「はい。全然見つからなくて。ボクも困っているんです」

「ああ、なるほど。だからクラインさんの所に行くのですね。姫はクラインさんに挨拶がしたいと、ずっとおっしゃってましたから」

「そうですか。それはボクにも言っていました」


 コウタは苦笑する。


「けど、そのことでも本当に困っているんです。リノのこと、兄さんになんて説明すれば……って、え?」


 そこで、コウタはハッとする。
 いつの間にか、会話の相手がすり替わっていた。
 目の前のユーリィは、唖然とした顔でコウタの隣を見つめていた。
 コウタも自分の隣に視線を向けた。
 そこには、四十代の男性が長椅子に座っていた。
 糸のような細い目と、温和な顔立ち。低い背に、やや薄い頭部。
 派手な柄シャツと、ハーフパンツといった私服ではあるが、いかにも中間管理職が似合いそうな人物である。
 隣には菓子折りのような包みを置き、傍らには赤い眼鏡の美女が控えている。
 年齢は二十代半ばぐらいだろうか。彼女もまたビロードタイプの赤い上着に、黒いタイトパンツという私服だった。


「ボ、ボルド=グレッグ……」


 ユーリィが茫然と、その名を呟いた。


「……ッ!」


 その瞬間、コウタが動いた。ユーリィを抱えて間合いを取る。
 次いで、彼女の前に立つと、腰の短剣の柄に手を添えた。


「……あなたは」


 ゆっくりと息を呑む。
 女性の方には気付いていた。微かにだが気配があったからだ。
 しかし、この男には全く気配がなかった。
 当然のように話していてなお、完全に風景に溶け込んでいた。
 こうして対峙した今でさえ、その姿はまるで幻影のように感じる。


「誰だ? いや、ボルド=グレッグだって? 聞いたことがある。その名前は」


 コウタは表情を険しくする。すると九号が、


「……コウタ! キオツケロ!」九号がスパナを構えて叫ぶ。「データニ、アル! ソノハゲ、三十三ゴウヲ、ツレテッタヤツダ!」

「……そうか」


 その台詞によって、緊張が増す。


「じゃあ、やっぱりこの男が」


 コウタは、敵意を乗せて男を睨みつけた。


「《地妖星》ボルド=グレッグなのか……」


 コウタの呟きに、ユーリィがビクッと肩を震わせた。
 ――かつて、シャルロットが遭遇したという《九妖星》の一角。
 ラゴウ=ホオヅキ。リノとも並ぶ強者だ。
 停留所の空気が張り詰める。
 すると、男がゆっくりと立ち上がった。
 そして――。


「お久しぶりです。エマリアさん。そして初めまして。コウタ=ヒラサカ君」


 細い目をうっすらと開いて、男は告げる。


「私の名はボルド=グレッグ。ただのしょぼくれた休暇中のおっさんですよ」


 彼は、どこまでも穏やかに笑っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

浮気をなかったことには致しません

杉本凪咲
恋愛
半年前、夫の動向に不信感を覚えた私は探偵を雇う。 その結果夫の浮気が暴かれるも、自身の命が短いことが判明して……

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

妹の事が好きだと冗談を言った王太子殿下。妹は王太子殿下が欲しいと言っていたし、本当に冗談なの?

田太 優
恋愛
婚約者である王太子殿下から妹のことが好きだったと言われ、婚約破棄を告げられた。 受け入れた私に焦ったのか、王太子殿下は冗談だと言った。 妹は昔から王太子殿下の婚約者になりたいと望んでいた。 今でもまだその気持ちがあるようだし、王太子殿下の言葉を信じていいのだろうか。 …そもそも冗談でも言って良いことと悪いことがある。 だから私は婚約破棄を受け入れた。 それなのに必死になる王太子殿下。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...