上 下
266 / 399
第8部

エピローグ

しおりを挟む
 夜。
 王城のバルコニーにて。


「……ふう」


 コウタは一人、息をついていた。


「……今日も疲れたなあ」


 兄との再会を果たし、すでに三日が経っていた。
 だが、そのたった三日間で、コウタの人間関係は随分と変わった。
 ロックやエドワードは少し驚いたようだが、態度はほとんど変わらなかった。兄と面識があるというエイシス団長は「うむ。そうか……」と少し神妙な顔をしていたが。
 大きく変化したのは女性陣だ。
 まずサーシャとアリシア。
 彼女達は、実に分かりやすい変化を見せた。
 ミランシャ、ルカと同様に『姉』を強調するようになったのだ。


『コウタ君。困ったことがあったら、サーシャお姉ちゃんに言ってね?』


 と、サーシャが優しく微笑み、


『コウタ君。行きたい所ってある? アリシアお姉ちゃんが連れてってあげるわ』


 と、アリシアが慎ましい胸を強く叩く。
 彼女達も、兄に想いを寄せていることは知っている。
 きっと、ミランシャやルカに遅れをとったと感じているのだろう。
 また、オトハも自分のことは姉のように思っていいと告げてきたのだが、彼女だけは焦りがない。どこか余裕を持っていた。
 しかし、これで『姉』と呼んで欲しいと強調する女性がどれだけ多くなったか。
 ミランシャ、ルカ、サーシャ、アリシア、オトハ。
 さらに、積極的な彼女達に触発されたのか、今まではどこか控え目だったシャルロットまで言い出すぐらいだ。


「……ボクにはどれだけ『姉さん』がいるんだ?」


 バルコニーの柵に両腕を置き、顔を埋めてコウタは深々と溜息をついた。
 それだけ兄がモテるということだろう。
 それも、美少女や美女ばかりに。


(相変わらず、兄さんは凄いなあ)


 自分のことは棚に上げて、コウタは苦笑した。
 ただ、そんな彼女達の中で一人だけ。
 ユーリィだけは、少し違っていた。
 彼女だけは『姉』を主張しない。その代わりに、コウタがクライン工房に行くと、すぐさま兄も元に駆け寄り、抱っこを強要する。
 何だかんだで彼女を溺愛する兄は、ユーリィを抱っこするのだが、コウタが滞在中である限り、彼女は絶対に兄から離れようとしない。
 これには兄も、オトハを初めとする兄の傍の女性達も、困惑しているようだ。
 どうも、徹底的にコウタは警戒されているらしい。


(……はぁ)


 義理とはいえ、姪っ子にそこまで嫌われては少しヘコんでくる。
 メルティアやリーゼ、サーシャ達も仲を取り持ってくれようとしてくれているのだが、ユーリィは一向に警戒を解いてくれない。


(本当に困ったな)


 これでは兄と会話する機会もない。
 まだ自分は、兄に伝えなければならないことがあるというのに。


(……サクヤ姉さん)


 兄の婚約者である彼女のことを。
 恐らく兄は、義姉の生存を知らない。
 ミランシャからはそう聞いていた。
 だからこそ、義姉のことは自分が伝えるべきだと思った。
 早く伝えるべきだとは思っている。
 しかし、常にユーリィに警戒されて、切り出す機会もないのが現状だった。


(……どうすればいいのかな)


 コウタは顔を両腕に埋めたまま、再び溜息をついた。
 その時だった。
 ――コツ、コツ、と。
 背後から、足音が聞こえた。


(ああ、メルか)


 コウタは、反射的にそう思った。
 このホッとするような優しい気配は、きっと幼馴染のものだ。
 多分、コウタを心配して来てくれたに違いない。
 コツコツ、と足音は続く。
 ――と、
 タァン、と強く蹴り付ける音が聞こえた。


(え? いま跳んだ?)


 あのメルティアが?
 運動能力は高いけど、運動嫌いな彼女が?


(もしかしてリーゼなのかな?)


 メルティアと思ったのは勘違いで、リーゼだったのかもしない。
 そもそも、着装型鎧機兵パワード・ゴーレムの気配はなかった気がする。
 まあ、いずれにせよ、振り向けば分かるか。
 コウタは顔を上げようとした、その時だった。


「どうかしたのかの? 随分とヘコんでおるようじゃが」


 とても懐かしくて。
 どこか、ホッとする声が耳朶を打った。
 コウタは、ハッとして顔を上げた。そして声がした方に顔を向ける。
 月光が降り注ぐバルコニー。
 そこには今、一人の少女がいた。
 手を後ろで組み、柵の上に優雅に立つ彼女が。
 淡い菫色の長い髪を、夜風になびかせる彼女が、そこにいた。


「リ、リノ……?」


 コウタは、呆然と彼女の名を呼んだ。
 すると、彼女――リノは、


「うむ! 久しいの! コウタよ!」


 満面の笑みを見せる。
 が、わずかに視線を逸らすと、少しモジモジとして、


「ええい、もうダメじゃ! もう限界じゃ!」


 そう叫ぶと、「えい」と軽く跳躍して、コウタへと身を投げ出した。
 着地など何も考えていない。そのまま落ちればフロアに腰を強打する。
 そんなダイビングだ。


「リ、リノ!」


 コウタは咄嗟に身構えた。
 ――たとえ、どれほど闇が深くても。
 コウタが、彼女を拒絶することはない。
 そして、彼女が傷つくことを見過ごしたりはしない。
 ――ドン、と。
 全身で、彼女を受け止める。
 いつかのように。
 彼女の小さな身体を、両腕でしっかりと支える。


「リ、リノ?」


 コウタは、腕の中の少女を見つめた。
 長いまつげに、桜色の唇。
 一度見れば、決して忘れられないほどの美貌。
 間違いない。リノ当人だった。


「ど、どうして、君がここに?」

「うむ! 色々あっての! それよりもじゃ!」


 リノは両腕をコウタの首に回した。
 ぎゅうっと愛しい少年を抱きしめる。
 胸板に伝わるメルティアも劣らない豊かで柔らかな双丘。さらに、鼻孔を刺激する甘い香りに、コウタの顔が赤くなった。


「リ、リノ!?」


 コウタは動揺した。
 しかし、抱き上げた彼女を降ろそうとはしない。
 確かに唐突すぎる再会だった。
 しかも、ここはアティスの王城。どうしてこんな場所で出会うのか。
 疑問は幾つも出てくる。
 けれど、


(……リノ。良かった。元気そうで)


 彼女の身を案じ続けて、ようやく再会できたのだ。
 自覚こそないが、彼女をもう離したくないと心のどこかで思っていた。
 気付かない内に、リノを抱きしめる腕にも力が籠もる。
 だが、そんな本人でも掴みかねている心情など、リノが知る由もない。


「ああ、本物のコウタなのじゃな!」


 今はただ、存分に甘えていた。
 すりすりと、子猫のようにコウタに頬ずりする。
 しかも、その際、何度もコウタの頬に口付けまでしてくる。


「リ、リノ!? ちょっと!?」


 まるで自分の匂いをつけるための、マーキングのようだ。
 ここまで過激なスキンシップは、メルティアやリーゼ相手でもされたことはない。
 コウタの顔が、さらに赤くなった。


「ふふ、ようやくじゃ!」


 そうして少しは満足したのか、リノは、コウタからわずかに身体を離した。
 ただ、その代わりに、


「ずっと、ずっと逢いたかったぞ! わらわのご主人さまよ!」


 ――ありったけの愛を込めて。
 彼女は、そう告げるのであった。



第8部〈了〉
しおりを挟む

処理中です...