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第8部

第五章 頂きに挑む③

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「アッシュ。ただいま」


 ユーリィが嬉しそうに言う。
 コウタは、ハッとした。


『……コウタ』


 着装型鎧機兵パワード・ゴーレム越しにメルティアが、心配げな様子で声をかけてくる。


『大丈夫ですか?』

「う、うん」


 コウタは頷く。
 見ると、メルティアのみならず、リーゼとアイリも、とても心配そうな眼差しをコウタに向けていた。


「……コウタさま」

「……本当に大丈夫? コウタ?」


 二人ともコウタの傍らに寄り添い、ギュッと手を握ってくれる。
 彼女達の手の温もりを感じながら、コウタは、再び兄に目をやった。
 兄は優しい眼差しで、義娘の頭を撫でていた。


(……ああ、本当に兄さんなんだ)


 事前に聞いてはいたが、髪の色には驚いた。
 かつては黒かった髪が、毛先のみわずかに名残を残して、今では雪のように白い。
 一体、何があったのか。
 しかし、それ以外は本当に兄だ。
 まるで容姿が変わっていなかった義姉と違い、大人になった兄の姿だった。
 兄は、義娘としばし会話をした後、おもむろに視線をこちらに向けた。
 再び、コウタは緊張した。
 一方、兄は落ち着いた様子で、客人達を順に見ていく。
 まずは、アティス組のメンバーを。比較的彼らの近くにいたシャルロットと目があったようだ。シャルロットは、深々と兄に頭を下げていた。


「……アシュ君」


 その時、一人の女性の声が響いた。
 コウタが視線を向けると、そこいたのはミランシャだった。彼女は腕を後ろ手に組んで兄を見つめていた。


「おう。お前も来てたんだよな」


 兄が親しげに笑う。と、


「うん。積もる話は一杯あるけど、一つだけ先にいいかな?」


 ミランシャはそう告げると、大きく深呼吸した。
 どうしてか、若干頬が赤い。
 そして、彼女はいきなり兄の首に抱きついた。


「おいおい」


 アッシュは少し驚いたようだが、慌てない。
 それはコウタから見ても、ただの再会のハグだった。兄に想いを寄せているユーリィやルカ達も特に騒がないし、リーゼなどは「あらあら」と優しげに見ている。
 しかし、しばらくすると、兄は何故か目を丸くした。
 ミランシャが、何かを告げたようだ。
 よほど恥ずかしい何かだったのか、彼女は真っ赤な顔でニパッと笑い、


「じゃ、じゃあ、お願いね!」


 それだけを言って、逃げるように、そそくさと距離を取る。


「……ミランシャさま」


 すると、彼女の傍にシャルロットが移動し、


「抜け駆けしましたね?」

「――うっ!」


 ミランシャが頬を引きつらせた。続けて少し視線を逸らして。


「ちょ、ちょっと決意表明をしただけよ! 頑張るから、次の時はアタシを選んでねって! 別に抜け駆けじゃないわ!」

「完全に抜け駆けではないですか」


 そんな風に、何気に仲の良い二人が言い争っていた。


「??? 一体、ミランシャさまとシャルロットは何を話しているのでしょうか?」

「さあな? しかし」ジェイクがサーシャ達には聞こえないように小声で尋ねる。「(あの人がコウタの兄貴で間違いねえんだよな?)」


 コウタは「うん」と頷いた。
 次いで、改めて兄の方を見やる。
 兄は、オトハと話しているようだった。


「(髪の色は違うけど、間違いなく兄さんだよ)」


 コウタも、この場にいる者達にしか聞こえない小声で返した。


『そ、そうですか』


 メルティアが緊張した声を零す。
 リーゼとアイリも、どこか緊張した様子だ。
 その時、兄の視線がこちらに向いた。視線が重なったのはメルティアだ。


『――は、はうっ!』


 メルティアがギョッとして、着装型鎧機兵パワード・ゴーレムの巨体が揺れる。
 兄は続けて、零号達に目をやった。
 すると、零号が一機だけ兄の元に向かった。


「え? 零号?」


 コウタがキョトンとする。
 零号は、兄の元に辿り着くと、おもむろに拳を突き上げてきた。


「……ヒサシイナ。友ヨ」

「……? おう?」


 兄もアッシュも拳を突き出し、鋼と生身の拳がゴツンとぶつかる。
 当然ながら、兄と零号は初対面だ。
 挨拶としては奇妙だが、零号はどこか満足そうな様子だった。
 そうして、メルティアの元に帰ってきた。


「……? アニジャ?」

「……ナンデ、ヒサシイ?」

「……気ニスルナ。弟タチヨ」


 と、ゴーレム達が会話している中、兄の視線はジェイクに移った。
 ジェイクにとっては、恋敵である相手だ。
 しかし、ジェイクは安易に敵意だけを抱くような少年ではない。
 二カッと清々しい笑みを見せて。


「ジェイク=オルバンっす。よろしくお願いします」


 頭を下げた。兄は笑う。


「アッシュ=クラインだ。


 一瞬、コウタ達は沈黙した。
 それはジェイクだけに告げられた台詞ではないと察したからだ。


「……うん。よし」


 そして三人の少女の中で、先陣を切ったのはアイリだった。
 自分にとっても、特別になることは確定している青年の元に向かう。
 兄は視線を落として、アイリと目を合わせた。
 昔と変わらないその黒い眼差しはとても優しい。


「……初めまして。


 あえて微妙にニュアンスが違う台詞を言いつつ。
 アイリは、頭を下げた。


「……アイリ=ラストンだよ……です。よろしくお願いします」


 ただ、彼女であっても流石に緊張した様子は窺えたが。


「ああ。よろしくな。アイリ嬢ちゃん」


 一方、兄は、ふわりとアイリの頭を撫でた。
 彼女の長い髪が揺れる。


(……え?)


 一拍の間。アイリは顔を赤くして、慌ててその場から離れた。
 急ぎ、メルティアの元まで戻ってくると、着装型鎧機兵パワード・ゴーレムの影に隠れた。
 そして呟く。


「……す、凄い。お見事。自然すぎて当然のように受け入れてたよ」


 アイリは、基本的にコウタ以外の異性に頭を撫でられることを嫌っている。
 コウタの次に親しいジェイクが相手であっても苦手だ。
 それが、すんなりと受け入れてしまった。


『……は、はい。想像以上ですね。流石です』


 その実状を知るメルティアも、喉を唸らせた。


「そうですわね――」


 リーゼも何かを呟こうとしてが、そこで止まる。
 兄と視線が重なったからだ。


(わ、わわっ! お、お義兄さまがわたくしをっ!)


 内心では激しく動揺するが、どうにか呼吸を整えて、


「……初めまして」


 腰に巻いた白布ケープを、スカートの裾のようにたくし上げた。
 そして義妹としての想いを込めて、頭を垂れる。


「リーゼ=レイハートと申します」


 声はわずかに震えていた。
 しかし、内心の動揺具合を鑑みれば、むしろ、その程度の震えで抑えてみせたのは、流石はリーゼと言ったところか。


「アッシュ=クラインだ」


 兄は、どこか感慨深げにリーゼを見つめて名乗った。
 一瞬だけ、シャルロットの方にも目をやる。
 恐らくリーゼのことは、シャルロットから聞いていたのかも知れない。
 そして、いよいよだ。
 緊張しすぎて石像化してしまっているメルティアは、やむをえず置いて。
 とても、ゆっくりと。
 白髪の青年は、コウタに目をやった。


「…………」


 一方、コウタは無言だった。
 語ることが思いつかない。
 ――いや、ここで語ることは、一つだけと決めていた。
 すると、兄が歩き出した。
 とても自然な足取りである。
 けれど、その一歩にどれだけの重みがあるのか。
 それは、事情を知るメルティア達にも分からないことだ。
 その重みが分かるのは、コウタだけだった。


(……トウヤ兄さん)


 コウタは、ただ静かに兄の到着を待った。
 たった数歩。
 それだけの距離が、とても長く感じられた。
 そうして、彼らは、正面から立った。


「………」


 二人は、同じ黒い眼差しで互いを見やる。
 ただ、それだけの時間が続いた。


「……アッシュさん? コウタ君?」


 奇妙な沈黙に、アリシア達も眉をひそめ始めていた。
 恐らく、オトハ以外は事情を一切知らないはずの彼女達だが、明らかに二人の様子がおかしいことには気付き始めた。


「……アッシュ? どうしたの?」


 ユーリィが呟く。
 少し不安そうな表情だ。
 彼女は、兄の元へ向かおうとしたが――。




さん」
 



 その時、コウタが口を開く。
 ここまで、本当に長い道程だった。
 あの炎の日を生き延びて。
 多くの出会いを得て、多くの戦いを越えて、ようやくここに辿り着けた。


(ボクは……)


 そして、コウタは八年に及ぶ想いを込めて、こう告げるのだった。


「どうか、これからボクと仕合って頂けませんか?」
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