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第6部

幕間二 それは姉としての……。

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 それは、ある日の昼下がりのことだった。


「ふわああああああっ! ふわああああああああっ!」


 泣き続ける赤ん坊の声。


「ああっ!? 泣き止んでよ!?」


 赤ん坊を両腕で抱いた少女――サラは青ざめていた。
 可愛らしさと気軽さで親友から一時預かった赤ちゃん。しばらく前までとても大人しかったのに、いきなり火が付いたように泣き出したのだ。


「どうしてそんなに泣くのよ!」


 抱き方がまずかったのか、それともお腹が空いたのか。
 まだ十歳である彼女には、赤ん坊の機嫌が全く分からなかった。
 ここは村の外れ。田畑からも遠い森沿いの道だ。近くに人もいない。
 サラは困り果てた挙句、


「サクヤァ!? サク――ッ!? 早く戻って来てよおおォ!?」


 おろおろと赤ん坊を預けていった親友に助けを求める。
 するとその願いが届いたのか、


「もう。一体何をしてるの、サラ」


 呆れた様子だが、親友は急ぎ戻って来てくれた。
 長い黒髪が美しい少女だ。
 名前はサクヤ=コノハナ。サラと同い年の幼馴染だ。


「ほらサラ。私に貸して」


 サクヤは赤ん坊をサラから受け取った。
 途端、赤ん坊はキョトンとした眼差しで少女を見つめて泣き止んだ。


「え? なんであっさり泣き止むの?」

「ふふっ、ちゃんと私がお姉ちゃんだって分かるからよ。ねえ、コウちゃん」


 そう言って微笑むサクヤ。
 対し、赤ん坊はキャッキャッと笑った。


「……むう」サラはぶすっとした表情を見せる。

「お姉ちゃんって、サクはコウちゃんの姉弟じゃないでしょうに」

「ふふっ、それは時間の問題よ」


 サクヤは赤ん坊を抱いたまま胸を張った。


「だって私はもうトウヤにプロポーズされているから。遅くてもコウちゃんが十歳になる頃にはきっと家族になっているわ」

「はいはい。そうですよね」


 サラは溜息をつく。
 サクヤの惚気話は今に始まったことではない。


「あんたって普段は大人しいのに、トウヤのことになると本当に退かないわね」

「これぐらいのアピールは必要なの。本当に激戦なんだから」


 と、サクヤは十歳にして重い溜息をついた。
 そんな少女を心配してか、赤ん坊が両手を伸ばして彼女の頬に触れてくる。


「ふふ……コウちゃん」


 サクヤはギュッと強く赤ん坊を抱きしめる。
 が、不意に表情を暗くした。


「けどコウちゃんのことも心配だわ」

「??? 何が?」


 サラが眉根を寄せて尋ねると、


「きっと、コウちゃんの周りも激戦区になるわ」

「いや待ってサク。コウちゃん、まだ一歳だよ?」


 あまりにも気の早い親友に、サラは呆れた表情を見せた。
 しかし、サクヤはかぶりを振り、


「サラこそ甘いわ。だってコウちゃんはトウヤの弟なのよ」

「……う」


 サラは言葉を詰まらせた。
 確かにそれは一理ある。
 そう考えると痛いぐらいに危機感が伝わってきた。
 確かにサラ達の幼馴染であるトウヤは異性に凄くモテる。
 かく言うサラも、密かにトウヤに淡い想いを寄せていた時期があったのだ。


(トウヤは本当にモテるから……)


 しかし、サラは早々と戦線離脱した。
 サクヤを前にしては、自分の容姿にまるで自信が持てなかったこと。
 何より親友を応援してあげたい気持ちから、ひっそりと身を引いたのである。


「まあ、血は争えないって言うしね。サクの気持ちも分かるけど、トウヤって他の男子と違うところがあるから、コウちゃんまでそうなのかは分からないよ」


 ――英雄の相とも言うべきか。
 深い優しさと、揺るぎない存在感。
 とても村人とは思えないそんな雰囲気をトウヤは幼い頃から持っていた。

 だからこそ、自然と人を惹き付ける。
 それは、きっと大成する人物の特徴なのだろう。


「いつか、あいつはクライン村から出て行くような気がするわ」


 こんな村では収まりきれない。サラは心の中でそう持っていた。
 すると、サクヤもふっと口元を緩めた。


「うん。そうかもね。私としてはずっとこの村で暮らしていきたいんだけど、トウヤが望むのなら私も――」


 と、村を一望しながら呟く。
 どうやら同じ未来をサクヤもまた感じていたようだ。


「あはは、大丈夫。あんたも只者じゃないから」


 サラはポンとサクヤの背を叩いた。


「どこに行っても頑張りなさい。ヒラサカ第一夫人さん」

「――第一夫人!? やめてよ!? ハーレム前提で話をするのはやめて!?」

「そうかな? トウヤなら充分あり得そうだけど」

「ううゥ、だからやめてよォサラぁ……」


 今にも泣き出しそうになるサクヤ。
 すると「だあ? だあ?」と赤ん坊が再びサクヤの頬に触れてきた。


「ありがとうコウちゃん。励ましてくれるんだね」サクヤは赤ん坊に頬ずりした。「コウちゃんも苦労しそうだけど安心してね。何故なら――」


 そこでサクヤは前を見据えた。
 ――いや、見据えているのは遙か未来か。


「コウちゃんのお嫁さんは私が見極めるから! 義姉の務めとして!」

「はあ……さいですか」


 今から意気込む幼馴染にサラは深々と嘆息する。
 次いで、赤ん坊の柔らかホッペをツンツンとつつく。


「まあ、お姉ちゃんが許してくれるような、とびっきりの女の子を見つけるんだよ」


 そう言って、サラは笑った。
 これは遙か昔のこと。
 クライン村での些細な出来事。


「きゃっきゃっ、きゃっきゃっ」


 赤ん坊の喜びの声が響く、とても平和な日常であった。
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