上 下
179 / 399
第6部

第五章 常闇の少女③

しおりを挟む
 その突然の宣言に、アルフレッドは唖然とした。
 そこは、ハウル家本邸の執務室。
 そして彼の前にはハウル家当主である老人が座っていた。
 執務席に腰を置き、赤い髭をさする老人の名はジルベール=ハウル。
 ミランシャとアルフレッドの祖父に当たる人物だ。


「お、お爺さま? 今、何と?」

「うむ」


 孫の問いかけに、ジルベールは苦笑を零した。


「あの愚鈍娘はすでに皇都にはおらん。調べたところ、どうやらお前の客人を迎えに行ったようだ」

「な、なんで!?」


 アルフレッドは目を見開いて祖父に詰め寄った。


「何で姉さん――姉さまが僕の客人を迎えに!?」

「すまんな、アルフ。そればかりは儂にも分からん」


 言って、困った表情を見せるジルベール。
 男尊女卑主義者のジルベールは、男孫であるアルフレッドには優しかった。
 その反面、女孫であるミランシャには、


「まったく。あの愚鈍娘は本当に使えんな」


 徹底的に厳しく、同時に無関心だった。それはミランシャが生まれてから一度も彼女の名を呼んだことがないほどの徹底ぶりである。
 姉とも祖父とも仲の良いアルフレッドとしては少し悲しかったが、


「他者の迷惑を一切考えんとはな。実に嘆かわしいものだ」

(いえ、お爺さまがそれを言いますか……)


 祖父の傍若無人っぷりをよく知るアルフレッドは内心で頬を引きつらせていた。
 ミランシャの破天荒な性格は、祖父の血を色濃く受け継いでいるからに違いない。
 アルフレッドは密かにそう思っていたが、流石に口には出来なかった。
 そうこうしている間も、ジルベールの愚痴は続いていた。


「こないだの件といい、あの愚鈍娘はどこまで儂に手間をかけさせるつもりだ」


 コツコツと指先でこめかみを打つ。


「二ヶ月も機会を与えてやったのだぞ。だというのに何故孕んでこんのだ。愚鈍、愚鈍と思ってはいたが既成事実の一つも満足に作れんとはな。いや、よもやあの娘、まだあの男に抱かれてさえもおらんのか?」

「……お爺さま?」

「顔立ちや腰つきは充分だと思うがやはりあの貧相な胸が原因か? そう言えばあの男の恋人だという小娘も胸はあったな。いま傍に侍らせている女傭兵もか。あの愚鈍娘が。男を落とす武器さえもまともに揃えられんのか」

「えっと、お爺さま?」

「これではあの男を血族に入れるのにどれほどの時間がかかるか……む」


 アルフレッドの呼びかけにジルベールは独白をやめた。
 次いで好々爺の笑みを見せて、


「すまん。話の途中だったな。アルフよ」

「え、ええ。それで姉さまのことですが」


 アルフレッドは面持ちを改めて祖父に尋ねる。


「いま姉さまはどこに? フランシス辺りでしょうか?」

「ああ。その付近で不意に見失ったと報告にある」


 言って、ジルベールは腕を組んだ。


「愚鈍娘め。黒犬を警戒する程度には知恵をつけたか」

「姉さまの機動力は皇国一ですから。黒犬でも一度見失うと厳しいですね」


 アルフレッドは渋面を浮かべた。


「それに今は身内の組織でも警戒するのは当然でしょう。イアンの件もありますし」

「………ふん」


 ジルベールは鼻を鳴らした。
 イアン=ディーンが起こしたハウル家を乗っ取る
 結論から言えばその企ては失敗に終わった。首謀者であるイアン=ディーンは死亡。他の共謀者もすでにこの世にはいないが、その記憶はまだ新しい。


「イアンは姉さまを妻に娶り、ハウル家を乗っ取るつもりでしたから。姉さまとしては黒犬にあまりよい感情を抱かれないのでしょう」

「ふん。愚鈍娘の心情などどうでもよい」


 姉を気遣うアルフレッドと違い、ジルベールの懸念は別の所にあった。


「膿は出したが一時的にでも質が落ちてしまったのは問題だな。これから大きな仕事をしてもらうのだが、今の犬どもに果たせるのか……」

「大きな仕事?」アルフレッドは眉根を寄せた。「何のお話ですか? お爺さま」

「いや、個人的な話だ。アルフは気にしなくてもいい。それよりも」


 ジルベールは天井を見上げて深々と嘆息した。


「足だけは速い愚鈍娘を捕まえるのは難しいだろう。放置するしかないな。まあ、あの愚鈍娘もエリーズの公爵令嬢相手に下手な真似は控えるとは思うが」

「……だといいのですが」


 姉は善良な人間だ。
 しかし、とにかく気ままな性格をしているのである。
 その行動を読み切るのは弟であるアルフレッドでも難しかった。


「そう案ずるなアルフ」


 ジルベールは苦笑した。


「愚鈍娘の同行者にはあの男の部下もいるそうだ。流石に無茶は止めるだろう」

「……ああ、ベッグさんですか」


 アルフレッドは気の毒そうに眉根を寄せた。


「けど、あの人って姉さま相手だとすでに心が折れているから。ストレスで胃に穴が開かなきゃいいですけど」

「もはやなるようにしかならんだろう。それよりも今回の来訪だが」


 そこでジルベールは破顔する。


「正直に言えば儂も楽しみだぞ。特にあの《死面郷》を討ち取った少年――ヒラサカと言ったな。お前が一目置くほどの少年か」

「あ、はい」


 アルフレッドは頷いた。


「今回の来訪には彼も同行しています。本当に強いですよ。彼は」

「ふむ。アルフがそこまで言うのならば間違いないだろう。まあ、それでも儂の目で見極めるつもりではあるが……」


 そう呟きつつ、ジルベールは執務机の引き出しを開けた。
 そして中から取りだしたのは数枚の写真だ。


「歳は十五だったな。あまり歳が離れすぎていると、またサウスエンド辺りが口うるさいからな。出来るだけ歳の近い娘を見繕ってみた」


 ジルベールが吟味するそれは、いわゆるお見合い用の写真だった。
 写っているのは十二歳から十九歳までの女性達。
 全員がハウル公爵家の分家筋か遠縁の者だった。


「誰が件の少年の好みだと思う?」


 ジルベールは孫に訊いた。


「いや、またなのですか? お爺さま」


 アルフレッドは頬を引きつらせた。
 これは祖父の悪癖だった。
 優秀な人材を見つけるとすぐに身内に引き込みたがるのだ。
 今回、調子に乗ってコウタのことを語りすぎたのは失敗だったかも知れない。


「……そうですね」


 ともあれ、これは最終的には本人達の話になる。
 現段階でアルフレッドが口出しするようなことではない。
 なので今はとりあえず祖父の話に乗ることにした。


(どれどれ)


 写真の女性を一人一人順に見ていく。どの女性も美人で線が細い。
 しかし、


「う~ん、あまりコウタのタイプはいないかも」

「……む。そうなのか」


 ジルベールは渋面を浮かべた。
 女は徹底して軽視するが、優秀な男には敬意を払うこの老人は、相手が本気で見合いを拒絶した場合は意外と折れる時もあるのだ。


「きっと、コウタはもっとがっしりとした女性が好みだと思います」


 コウタの好みだと聞いていたメルティアの外見(※鎧付き)を思い出しつつ、アルフレッドは答える。


「けど、うちの分家にはそんな感じの人はいませんよね」

「……むむ。今から鍛えさせても間に合わんか」


 ジルベールは無念げに呻いた。
 これに関しては、アルフレッドも苦笑するしかない。
 結局、好みのタイプはいないということでこの話は終わる気がした。


「まあ、一度ぐらいは話を通してみてもいいかもしれませんね」


 と、失意の祖父に一応声をかけてから、


「いずれにせよ、姉さまを見つけれない以上、僕は歓迎の準備に専念しようと思います。何だかんだで姉さまは人と仲良くなるのが得意ですから大丈夫でしょう」

「……ふん。あの愚鈍娘の数少ない特技だな」


 ジルベールは不快そうに腕を組んで鼻を鳴らした。
 アルフレッドは苦笑を浮かべるが、「では、これで僕は失礼します」と告げて、執務室から去っていった。
 残られたのは赤髭の老人のみだ。
 しばしの沈黙の後、


「……さて。アルフは去ったか」


 不意にジルベールは顔つきが変わった。
 次いで執務机の引き出しから、数枚の書類と一枚の写真を取り出した。
 パサリと机の上に落とす。
 書類にはびっしりと文面が。そして写真の方には、街中を歩く二人の女性の姿が写し出されていた。どちらも人の目を惹くほどの美貌の持ち主だ。
 赤髭の老人はまず黄色い髪の女の方を見やる。


「……《怨嗟の魔女》か。随分と大層な名ではないか」


 そう呟き、鼻を鳴らす。
 報告書では、名うての暗殺者であると記されているが所詮は女だ。
 精々色香で男を誑かして殺すのが関の山。事実、資料によるとそういった暗殺を得意としていたらしい。大したことはない愚物だ。

 だが、


「問題はこちらだな」


 ジルベールは写真に写るもう一人の女を睨み付けた。
 美貌においては暗殺者の女を遙かに凌ぐ人物。
 同じ女であっても、こちらは断じて軽視できなかった。
 ましてや、この女はかつて『災厄』と呼ばれた魔女なのだ。

 それに何よりも――。


「……小娘が。愛しい男を求めて現し世に迷い出たとでも言うのか」


 ジルベールは赤い双眸を細めた。
 彼の計画にとって、この女は邪魔者以外何者でもなかった。


「貴様は目障りだ。ゆえに再び煉獄に戻ってもらうぞ。《黄金死姫》よ」
しおりを挟む

処理中です...