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第6部

第五章 常闇の少女②

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「どうしたの? ジェシカ」


 それこは、とある小さな街の大通り。
 人通りが少ない道沿いで、一人物思い耽っていたジェシカはハッとした。


「……サラさま」


 視線を前に向ける。
 気付けば主君である女性が後ろ手を組んで、ジェシカの顔を覗き込んでいた。


「珍しいね。あなたが物思いなんて」


 サラ――サクヤは笑う。


「申し訳ありません。サラさま」


 ジェシカは頭を垂れた。


「いささか考え事をしておりました」

「ん。そっか」


 サラは、それ以上追求しなかった。
 くるりと背中を向けて前を歩き出す。その背中をジェシカはじっと見つめた。

 ――サクヤ=コノハナ。

 ジェシカが所属する《ディノ=バロウス教団》の盟主。
 しかし、裏組織の長であるはずのサクヤは、まるで太陽のような女性だった。
 闇を払い、燦々と輝き続ける存在。
 常闇にいる自分とは違う。世界に祝福されたような女性だ。


(陽の光は誰もが憧れるもの……。だからこそ、彼女が盟主なのか)


 そんなことを思う。


「あなたはまるで聖女のようですね」


 意識もせずジェシカはそう呟いていた。
 すると、サクヤは「え?」と目を丸くして足を止めた。
 そして振り返り、パタパタと手を振った。


「いやいや、いきなり聖女って何?」

「いえ。すみません」


 ジェシカは謝罪する。


「サラさまの様子を見ていると、思わずそう口にしていました」

「…………」


 沈黙して歩を止めるサクヤに、ジェシカはさらに語る。


「私が教団に入ったのはあなたに誘われたからですが、正直、出会った時はどうしてあなたが盟主などをしているのか疑問でした」

「……私ってそんなにカリスマ性がない? まあ、元はただの村娘だから自分でも向いてないとは思ってるけど……」


 頬を強張らせるサクヤに、ジェシカは「そうではありません」とかぶりを振った。


「サラ……姫さまは組織の長としての器を充分に持っておられます。ただ、それ以上にあなたはとても天真爛漫で……」


 そこでジェシカは目を細めた。


「私はきっとあなたのようにはなれない。闇の中から抜け出せない。きっと、私は一生変わらないのでしょうね」


 泥の中から生まれ、血と怨嗟を浴び続けた女。
 それが自分だ。闇の中にあってなお輝くサクヤとは違う。
 言外にそう語るジェシカに、


「……あのね、ジェシカ」


 ややあってサクヤは苦笑を浮かべた。


「まず一つ。私は聖女なんかじゃないわ」

「ですが姫さまは……」

「聖女どころか、むしろ嫉妬深いのよ。情けないことにね」


 ジェシカの台詞を遮ってサクヤが肩を竦めた。


「それにね」


 サクヤは言う。


「あなたが闇の中なら、私は闇の底に居るわ」

「……姫さま?」

「ジェシカ。あなたが《怨嗟の魔女》と呼ばれるほどの暗殺者だったことは聞いているわ。けど、それでも私――《黄金死姫》ほどじゃない」


 サクヤは眉を落として語る。


「私が殺した人達は百や二百ではないわ。それが自分の意志ではなくても、私は災厄を振りまいていった。そんな私が聖女なんておこがましいのもいいところよ」

「姫さま、それは……」

「結局、私が『彼』に逢いに行けないのも怖いからなの。血塗れの私が『彼』に相応しいのか、いえ、それどころか拒絶されるんじゃないかって不安なの」


 ジェシカはしばし沈黙した。


「……姫さま」


 そして深く考えた後、言葉を口にする。


「姫さまが愛した方はその程度の人物なのですか? あなたが罪を犯したら、あなたごと切り捨てるような男なのですか?」

「……それは」


 サクヤは言い淀んだ。


「全然想像できない。誰かを切り捨てるなんて絶対にしない人だったから」

「では」


 ジェシカは不慣れな笑みを見せてサクヤに告げる。


「いつかあなたは救われますよ。『彼』があなたを救ってくれるでしょう」

「……いいのかな?」


 しかし、ジェシカの励ましに、サクヤは自分の腕を押さえて視線を逸らした。


「私がまた『彼』に愛されても」

「人を愛せない私がはっきりとお答えするのは難しいのですが」


 ジェシカは少しだけ躊躇う様子で尋ねた。


「姫さまは今でも『彼』を愛されておられるのでしょう?」

「当然愛しているわ」


 サクヤは即答した。
 ――が、すぐに少しだけ視線を落とすと、


「……だから少しムカつくのよ」


 そう呟いて、今度は視線を横に逸らす。長い黒髪が大きく揺れた。


「最近の『彼』ってば、ますますもってモテてるのよ。私、『彼』の様子だけは時々 《穿天の間》から覗いているんだけど、こないだなんて結構年下の子犬みたいな感じの可愛い女の子を助けて、やっぱり心を鷲掴みにしてたわ。また女の子が増えたのよ」


 愛憎混じりにそんなことを言い出すサクヤ。
 ジェシカは呆れたように少しだけ苦笑を零した。


「確かに嫉妬深いですね。しかも盟主の権能の乱用ですか。最初の殊勝な態度はどこに行ったのですか?」

「――私だって女なの!」


 そう叫ぶと、サクヤは憤慨した様子で両手を上げた。


「私も『彼』に甘えたいの! とにかく成分が全然足りてないの! 他の女の子達は毎日傍で補充しているのに、私はずっとずっと枯渇状態なの!」

「……そうですか。その成分とやらは私には分かりかねますが、要は会いたいのですね? 確か《穿天の間》の力ならば夢で会いに行けるのでは?」


 と助言をするジェシカ。噂によると《穿天の間》は盟主の意識を他者の夢の中に潜り込ませることが出来るらしい。ジェシカはそれを指摘したのだが、


「それなら、すでに一回だけやってみたことがあるわ」


 サクヤはぶすっとした表情を見せるだけだった。


「確かに、久しぶりにお話もできて幸せだったわ。まあ、『彼』の方は今でもただの夢だったと思ってるでしょうけど。だけど、夢の中で会える時間ってとても短いし、結局のところ幻に過ぎないわ。何より目覚めた時に『彼』が傍にいないのって凄く辛いのよ。実感で言うと、むしろ寂しさだけが残って逆に成分が減ったぐらい」

「……そうなのですか」


 すでに権能を乱用しまくっている盟主に、ジェシカは遠い目を向けた。


「心の機微はやはり私には分かりませんね」


 と、ジェシカが嘆息する。
 すると、不意にサクヤが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そういうジェシカはどうだったの?」

「……何がです?」


 ジェシカは尋ね返す。
 サクヤは口元を隠してニコニコと笑った。


「こないだの夜のこと。あなた、ほんの少しだけ微笑んでいたでしょう。あの時、コウちゃんに会ったんじゃないの?」

(………やはり)


 ジェシカはジト目で主君を睨み付けた。


「姫さま。企んでおられましたね。私が姫さまの故郷で彼と出会うことを」

「まあ、少しぐらいはね」


 テヘと舌を出すサクヤ。ジェシカは深々と嘆息した。
 まったくもってこのお姫さまは……。


(本当に困ったお方だ)


 やはり、ここはもう一度意志をはっきり伝えた方が良さそうだ。
 ジェシカは主君を真っ直ぐ見据えた。


「先程も言いましたが、私は人を愛することが出来ない性分です。ゆえに彼を愛することもありません。コウタさんがどれほど私を気に掛けてくれてもです。ただ命を奪い続けながら一人で生き、何も奪わせずに一人で死ぬ。それが私の人生ですから」


 明確な否定。ジェシカはそう伝えたつもりだった。
 しかし、それに対してサクヤは「え?」と驚いた顔をした。


「……あの、ジェシカ。ごめん、今さらだけど本当に気をつけて」


 次いで神妙な声で語り始める。


「私としては義弟とちょっと親睦を深めてもらえればいいかな程度だったんだけど、少し認識が甘かったかも。コウちゃんってすでに完全覚醒しているの?」


 自らの経験。そして数々の犠牲者を知る彼女は両腕を押さえて身震いした。


「あの二人って本当にとんでもないからね。特にジェシカみたいな気高い戦士タイプが一番危ないのよ。とても鋭いけど、だからこそどこか危うさや迂闊さがある人。二人ともそういう人は絶対に放っておかない性格だから」


 一呼吸入れて、


「本当に攻めてくるわよ。何気ない優しさから時には傲慢なぐらいに。そして一度落とされてしまったら最後、凜々しい人ほどポンコツ化するの。私はその恐るべき実例を知ってるし。気付いた時にはただの乙女になってるってあり得るからね」

「何ですかそれは。馬鹿馬鹿しい」ジェシカは皮肉気に口元を歪めた。

「心配無用です。私は私のことをよく理解していますから」

「……まあ、ジェシカがそう言うなら何も言わないけど」


 不安はあるが、こればかりはサクヤが口出しすることではない。
 それよりも今は――。


「そうそう。実はジェシカにまたお願いしたいことがあるの。聖女なんかじゃない、とても嫉妬深い私からのお願い」


 そう切り出して、サクヤはその願い事を語り出した。
 そして数分後、


「………え?」


 思わぬ願いに、ジェシカはただ目を丸くするであった。
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