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第8部

プロローグ

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「………ふぅむ」


 その時、豊かな髭を右手でさすりながら、男性は呻いた。
 年の頃は恐らく五十代前半。金の刺繍が施された儀礼服を身につけ、その上に大きな赤い外套を纏う優しい顔立ちの男性だ。
 彼の名前はアロス=アティス。南方に位置する巨大な島――グラム島を統治するアティス王国の七代目の国王になる人物だった。


「お主の意見も分かるのだが……」


 言って、アロスはとても困ったような表情を見せた。
 そこはアティス王国の王都ラズン。
 その全景を見渡せる高台の、ほぼ中央に位置する白亜の王城ラスセーヌの一室であり、主に大臣や騎士団長達と議論を交える『円卓の間』だった。
 その名の通り大きな円卓が中央にあり、壁際には護衛の騎士達の姿もある。最大二十人までなら収容できるほど広い部屋でもあった。
 そして今、その円卓にはアロス以外にも五人の人物が座っていた。
 武官である三人の騎士団長達と、文官である二人の大臣達。
 誰もがアロスの信頼する臣下達である。


「陛下」


 その時、大臣の一人である右大臣が口を開いた。
 アロスを筆頭に、全員が右大臣に注目する。
 右大臣ガダル=ベスニア。
 ベスニア侯爵家の現当主であり、年齢は三十代半ば程の男性だ。
 彫りの深い顔立ちと白髪の目立つ総髪のため、実年齢よりも相当老けてみえるが、この場に居る者達の中でも最も若い人物でもある。
 その若さゆえか、彼は熱意を以て主君に進言する。


「何卒熟考のほどを。これは我が祖国がより発展するにまたとない好機なのです」

「う、む……」


 わずかに円卓に身を乗り出すほど意気込む若き臣下にアロスは渋面を浮かべた。
 他の臣下達も似たような表情を浮かべている。


「しかし、ベスニア右大臣。本格的に兵器の輸出となる色々と問題があるでは?」


 と、告げたのはアロスの右側に座る赤い騎士服を着た男性だった。
 彼の名前はローグ=ハティア。
 ひょろっとした体格に、温和な顔立ちをした四十代の騎士だ。しかし、その優しげな見た目とは裏腹に、王と王宮を守護する第一騎士団の団長でもあった。


「何を仰いますか。ハティア騎士団長」


 そんな意見に対し、ガダルはギロリと視線を向けて答える。


「元々兵器――鎧機兵の輸出は我が国の産業の一つです。その輸出を本格的に軍事方面にも拡大するだけの事ではありませんか」

「……だがなベスニアよ」


 と、腕を組みながら重い口を開いたのは第二騎士団長。
 歳は六十代後半。この場において最年長である、カザン=フォクスだ。
 老騎士は、若き右大臣に語る。


「我が国の兵器開発の技術はすべて《業蛇》が起こす《大暴走》に対するものだぞ。《業蛇》亡き今、むしろ兵器開発は縮小させるべきではないか?」


 古の武人を思わせる容姿でありながら、平和的な意見を口にするカザン。
 だが、これは誰よりも多く《大暴走》を乗り越えて来た騎士だからこその意見でもあった。
 しかし、ガダルはその意見を一笑に付す。


「おやおや。これは歴戦の勇士であらせられるフォクス老の言葉とは思えませんな。兵器開発は重要な事案ですぞ。《業蛇》の心配がなくなったとはいえ、いつ第二第三の《業蛇》が現れるやもしれません。さらに言えば、他国からの侵略の懸念も捨てきれませんな。兵器開発はこれからも続けていくべき課題なのです」


 そこでひと呼吸入れて、


「だからこそ兵器の輸出なのです。兵器開発の技術を磨いていくためにも。そしていずれ訪れるやもしれない争いに備えて、平和な時代である今の内に兵器の輸出及び輸入ルートを確立すべきなのです」


 と、意気込む右大臣に、カザンは一瞥するだけで沈黙した。
 その意見にも一理あるからだ。
 アロスを始め、他の面々も沈黙する。と、


「陛下」


 ガダルが再びアロスに視線を送った。


「何卒この国の未来のため、ご英断を」


 言って、立ち上がり深々と頭を垂れる。
 対するアロスは髭に手をやり、渋面を浮かべた。
 ガダルの言い分も分かる。『平和の国』と呼ばれる祖国だからこそ、彼は危機感を抱いているのだろう。それに兵器輸出が国益になるのも確実だ。

 だがしかし――。


「ううむ……」


 ますます眉をしかめるアロスに対し、


「恐れながら陛下」


 と切り出して、助け船を出す者がいた。
 黄色い騎士服を着た、カイゼル髭が印象的な四十代の男性だ。
 ガハルド=エイシス。
 エイシス侯爵家の現当主にして、第三騎士団の団長でもある人物だ。


「この案件はかなり重要なものです。いかに陛下とて、ご即断するには重すぎる内容であります。ここは一度間を置き、熟考なされた方が宜しいかと」


 と、主君に進言する。アロスは「……ふむ」と呟いた。


「ほほっ、確かにそうですな」


 と、ガハルドの進言に同意したのは、六十代半ばの剃髪の男性だった。
 ゆったりしたローブを纏い、しわで埋もれた目尻が特徴的な老人。
 ラグレス=コウルド。
 ガダルと並ぶ文官。左大臣である温和で有名な人物だった。


「この一件は、今後のアティス王国の方針に関わるほどのもの。陛下ご本人のみならず、各自熟考の期間は必要でしょうな。ふぅむ。そうですな……」


 そこで剃髪の老人はガダルを一瞥し、


「ベスニア右大臣よ。後でもよいので詳細な資料を我々にも用意してくれんか。それを次回の会議にて議論しよう。それで宜しいでしょうか。陛下」


 と、今後の方案を主君に提言する。


「……うむ。そうだな」


 アロスは一瞬考えてから決断した。


「ここはコウルドの提案を採用することにしよう。ベスニアよ。余も含め、この場にいる者達に、より詳細な資料の配布を頼むぞ。案ずるな。祖国を憂うお主の意見を軽視などしない。真剣に議論しようぞ」


 主君のその言葉に、ガダルは内心では先延ばしにされたような不満を抱きつつも深々と頭を垂れ、「はっ、承知いたしました」と承諾した。
 その様子にアロスは満足げに頷く。と、
 コンコン、と不意に『円卓の間』のドアがノックされた。
 全員の視線がドアに向かうと、「会議中失礼します」と女性の声が響いた。
 護衛の騎士達も含め、この部屋にいる全員が知る声だった。


「ふむ。サリアか。会議は今終わったばかりだ。入っても構わんぞ」


 と、アロスが告げる。そして「では失礼いたしますわ」と言って、ドアから入室してきたのは一人の貴婦人だった。
 見て目的には二十代前半。見事なスタイルを純白のドレスで着飾った美女だ。
 しかし、実年齢的には三十代半ばである彼女の名は、サリア=アティス。
 アティス王の伴侶。この国の王妃である女性だった。


「お疲れさまですわ。皆さま方」


 と言って、ドレスの裾を掴み、優雅に一礼するサリア王妃。
 アロスを除く全員が立ち上がり、礼を返した。


「お主が『円卓の間』に来るとは珍しいな。一体どうしたのだサリアよ」


 と、アロスが妻に視線を向ける。本来、思慮深い性格をしている彼女が議論の場を邪魔するようなことはまずない。
 ならば、よほどの急用があったのか。
 アロスはそう思い、少し緊迫した声で尋ねたのだが、


「ふふっ、あなた」


 サリア王妃は喜びを隠せない優しい笑みを見せた。


「先程、港湾区から連絡がありました。どうやら『あの子』が予定よりも一日早く到着するそうですわ。それもあと一時間ほどで」

「………なに?」


 一瞬、アロスは眉根を寄せた。が、すぐに妻の言葉の意味を理解すると、


「おおっ! そうなのか!」


 バンと立ち上がり、賢王と名高い王は満面の笑みをうかべた。


「おお、なんと喜ばしいことか」「ほほう。それはめでたいですな!」


 と、ガハルドやラグレスを筆頭に、臣下達も笑みをこぼす。
 にわかに騒がしくなったそんな部屋の中、アロスは妻の元に駆け寄ると、


「こうしてはおれんな! すぐに港湾区へ向かわねば!」

「ええ。そうですわね。あなた」


 互いの手を取り、まるで少年と少女のように喜ぶ国王夫妻。
 年齢差からは考えられないほど仲睦まじいことで有名な国王夫妻は、揃って笑みを浮かべていた。そして妻の手を引いて部屋を跳び出るアティス王。
 子供のように浮足立つ主君に、臣下達もふふっと笑って後に続いた。
 そして『円卓の間』は静寂に包まれた。


「……くそ」


 そんな中、ポツリと零れる声。
 こうして、この国の首脳陣による会議は無事閉幕となった。
 実に不満げな、ガダルのみを残してだが。
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